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2018年10月13日
ガルビネ・ムグルサ氏
16年の歳月を経て2014年、ムグルサ氏は一躍脚光を浴びることになります。初めてのトップ20入りを果たした彼女は、多くを犠牲にして勝ち取った成果を心に刻むために、最初のロレックスを手に入れました。
<ガルビネ・ムグルサ氏の言葉>
私の家族は、5歳の私を連れてベネズエラからスペインへ移住しました。
両親は私がプロのテニスプレーヤーになれるようすべてを投げうつという大変難しい決断をしたのです。
私は、犠牲の上に成り立つ成果があるということを学んだのです。
テニスにおける突破口が開けるまで本当に長い道のりでした。
トーナメントの前はひたすら準備することに尽きます。
コートに出て行くと、すべてが磨き上げられています。
観客すべてが素敵なウェアを着て巨大なテニスコートの上に立つ私たちを見ています。
すべてが美しいのです。
でもそれは現実ではありません。
現実はだれも見ていないロッカールームの中にあります。
ゲームの前や終わった後の涙と恐怖感、そして終わりのないトレーニングです。
テニスコートに立つたびに、自分自身に勇気を持てと言い聞かせます。
恐れ知らずにならなければいけない瞬間です。
ただし恐怖を感じることは良いことです。
自分が何を欲しているのかを改めて教えてくれます。
私は勝つことが好きです。
コートに出て行き、闘争心を持ってプレーすることが大好きです。
私を倒そうとしている誰かを前にしながら、私はもっと強い気持ちで彼女を倒そうとしていることを知っています。
誰もがそれぞれ目標を持っています。
その目標が大きなものでも小さなものでも、それを達成した時の喜びは素晴らしいもののはずです。
2014年は私にとって最高の年でした。
全豪オープンで4回戦に進み、子どもの頃憧れていたセリーナ・ウィリアムズを初めて下し、ついにトップ20に入ったのです。
これは私にとって大変重要なステップでした。
両親はともに私が子どもの頃からロレックスを持っていました。
いつもそれを欲しがる私に父は言うのでした。
「これは自分で手に入れなければいけないよ。
一生懸命努力すれば、いつか必ず自分の力で買うことができる時が来るよ。」
と。
2014年の終わりに私はついにその時が来たと感じました。
自分が成し遂げたことに対する素晴らしい報酬。
私はこの素晴らしい年に見合う何か、新しい目標に向かって進む前にこの最高の瞬間を思い出させてくれるものが欲しいと思いました。
その年のクリスマスの頃、両親を誘って私にとって初めての腕時計を買いに行きました。
そして、私の名前と2014年という文字を刻みました。
この腕時計を見るたびに喜びが湧いてきます。
手に入れたいもののために全力を尽くす自分、自立した自分が見えます。
それは夢を掴むためにすべてをかける自分の姿です。
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2018年10月12日
ジェームズ・キャメロン氏
映画『タイタニック』は歴代最多タイとなる11部門でアカデミー賞を受賞し、『アバター』は史上最高興行収入を記録しています。
仕事を慎重に選ぶキャメロン氏は、可能性の限界を超えられると思える挑戦のみを引き受けることにしています。
これは映画監督としての仕事だけに言えることではなく、探検家としても同様です。
キャメロン氏にとって彼のロレックスは常に、未知への探求のための長く続く冒険の象徴でした。
過去20年以上にわたり数えきれないほどの探検に同行した後、彼の時計は現在アマゾン奥地に新たな住み家を見つけました。
<ジェームズ・キャメロン氏の言葉>
子どもの頃、自然主義者で、外へ出ては虫や蛇、蝶、標本などを収集していた私は、完全な科学マニアでした。
最初、私がなりたかったのは映画製作者ではなく、探検家でした。
映画製作を志したのは後のことでした。
子どもの頃に映画を観に出かけ、胸が高鳴ったり、夢の世界へいざなわれたりという経験をよくしたものです。
映画製作者になることを決めたとき、子どもの頃に自分が映画館で感じていたあの気持ちを、他の人々にも体験してもらいたいと思いました。
1995年、それより20年以上も前、19歳の大学生だった頃に得た着想を基に『アバター』を書きました。
そして実際に映画を製作するまでには、そこからさらに10年かかりました。
『アバター』を製作するにあたり、先住民の文化について多くの調査を行いました。
そして分かったのは、闘いは今でも続いているということ。
先住民の人々は移動を余儀なくされ、その文化は破壊されています。
この映画が成功したことで、私には大きな責任が生まれました。
先住民の人々の権利を守るために活動しなければならない、と感じたのです。
私はアマゾンの奥深くに暮らすカヤポ族のリーダー、ロプニと友達になりました。
彼は自分自身にとって大きな意味を持つ素晴らしい贈り物の数々を私にくれましたが、そのひとつとして、名づけの儀式を行って、私をカヤポ族の仲間に加えてくれました。
カヤポの文化では、きわめて貴重なことです。
そこで、
「私が本当に大切にしているもので、ロプニにあげられるもの、彼からの贈り物と同等の価値があるものは何だろうか?」
と、私は考えました。
そして、ロレックス サブマリーナーを彼に贈ったのです。
そのロレックスは20年前に購入したもので、毎日着けていました。
『ターミネーター2』の撮影中に、あらゆるものを爆破し、トラックをひっくり返し、バイクのサイドカーに乗り込んで18輪トラックの回転するホイールから半メートルのところでカメラを構えていたときも、その時計は私の手首にありました。
潜水艇の窓から本物のタイタニック号を初めて見たときも、正装して壇上で『タイタニック』でアカデミー賞を受け取ったときも、着けていたものです。
今日、私が着けている時計は、ロプニに贈ったものの代わりとして買ったものです。
これを見るたびに、ロプニにあげたロレックス サブマリーナーとの思い出がよみがえります。
海の底に潜ったり、子どもたちと遊んだり、腰を落ち着けて物語を書いたり。
この時計は私の忠実な相棒なのです。
人は現れては去りゆくものですが、この時計は違います。
いつも変わらず傍にいてくれるのです。
この時計はまだ動き始めたばかりです。
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2018年10月11日
リディア・コ氏
プロ転向前にはアマチュアゴルフランキングで130週間トップの座を守りました。
しかし、これらの偉業も始まりにすぎないコにとって、彼女のロレックス ヨットマスターはこれまでの快挙そして輝かしい未来のシンボルとなっています。
<リディア・コ氏の言葉>
14年前に何を思っていたかをはっきりと覚えているわけではありません。
ただ、周りの人たちが、
「ゴルフが上手だね」
と言ってくれていると、両親から聞かされました。
子どもというのは人から褒められると、本当に上手にできるような気がするものです。
だから、私はゴルフを続けたいと思ったのです。
2012年のカナディアンオープンで女子プロゴルフ協会(LPGA)のツアー初優勝を達成した時も、私はただ予選を通過してツアー選手たちと楽しくプレーできればいいと考えていました。
勝利の瞬間はLPGAツアーで優勝したことを実感できず、後になって、
「テレビでいつも見ていたトップ選手たちとプレーできるなんて、信じられない!」
と思いました。
このロレックス ヨットマスター 37を広告やテレビで見て、絶対に手に入れたいと思い、家族にまで伝えました。
この時計はクラシックなフェイスとスポーティなスタイルがうまく融合しています。
特にスポーツ選手にとっては、スポーティさとクラシカルなスタイルのバランスが最高です。
両方の長所が活かされていて、それこそが私がこの時計を好きな理由なのです。
その年のメジャー最終戦であったエヴィアン選手権では、シーズン最後に授与される多くのトロフィーや賞が用意されていました。
あの時計のことが頭をよぎりました。
結局、この大会でメジャー初優勝を達成し、2015年度のロレックス・プレイヤー・オブ・ザ・イヤーに選ばれました。
大会が始まる前、どれかひとつ賞を選べるとしたら、ロレックス・プレイヤー・オブ・ザ・イヤーを受賞したいと話していたのです。
これは、今現在、そしてシーズンを通してトッププレイヤーであることを証明してくれる賞だからです。
プレイヤー・オブ・ザ・イヤーの受賞を聞かされた時、思わず泣いてしまいました(笑い)。
その場にいた姉に抱きつき、泣きながらアイライナーがにじんでしまわないか心配していました。
この時計を手に入れられて最高の気分でしたし、さらに時計には、
「2015プレイヤー・オブ・ザ・イヤー」
の文字が刻まれているのです。
誇らしい瞬間でした。
2015年度のロレックス・プレイヤー・オブ・ザ・イヤーは、他の誰でもなく永遠に私に与えられる称号なのですから。
時計というのは現在の時を知らせるだけでなく、過去や未来の出来事をも語ってくれるものだと思います。
この時計を見るたび、あの素晴らしい年を思い出します。
そして、またあの瞬間を達成したい、できればあの時以上の素晴らしい年にしたいと思わせてくれるのです。
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2018年10月10日
シルビア・アール氏
彼女は海洋と危機に瀕する生態系の提唱に努めており、自らが立ち上げた地球規模のプロジェクト、ミッション・ブルーにおいて、海のホープ・スポットの保護への一般の支持を集める取り組みを行ってきました。
時間は人生の尺度であり、誰もが世の中に貢献できることを思い起こさせるものだと彼女は説明します。
彼女のロレックスは、探検の際に頼りになる時計というだけでなく、それ以上の深い意味があります。
<シルビア・アール氏の言葉>
ダイビング、潜水艦の操縦、水中生活、海洋探検といった活動をしていた駆け出しの科学者だった頃は、自分自身で何かを発見することの喜びが大きなモチベーションとなっていました。
しかし現在は徐々に自分が探検を行うだけでなく、他の人々を探検に参加させるようになってきました。
実際に海に入り、自分自身の目でその美しさや、海の脆さ、人間がどれだけの影響を及ぼしているのかを見れば、人類の生存について考える良い機会になると思うのです。
日々、時間は人生を測る尺度です。
私たちは生きていることの奇跡と、この時間をいかようにも変えられるチャンスがあって、そうであれば良い方向に変えていくべきだということを忘れてはいけません。
時計の多くは装飾品として、また私たち探検家にとっては時刻を知るための道具として見るものですが、私の時計は自分にとってより深い意味を持っています。
ロレックスは探検や環境保護、芸術や最高峰の人々をサポートするという理念を持っています。
だから私にとってロレックスを身に着けることは、まるで署名のようなもので、自分自身もこれらのことを重視している、思いやれる倫理観を共有しているということなのです。
この探検の仲間とも言える私の時計を欲しいと思ったのは、1980年代初頭に親友とフロリダ・キーズでダイビングをしていた時でした。
彼女がこの時計を身に着けたままだったので、それに気づいた私は指をさして、彼女の手首を揺さぶりました。
彼女が時計を外すのを忘れたのだと思ったのですが、彼女はただ微笑むだけでした。
そこで初めてその時計がロレックスであり、ダイビングも可能で、その時に私たちが潜っていた場所よりもっと深いところでも行けることを知りました。
さらに、その時計は正装してパーティへ行く時も、雨の日の外出やシャワーの時も着けていられます。
自分の分身のように、どんな時でもどこへ行く時も身に着けていられるもので、その後すぐに私も同じ時計を買いましたが、まさに私にとってはそのような存在になりました。
まるで自分を導いてくれる第六感が腕に備わっているかのようです。
この時計は何十年にも渡って私の相棒でした。
世界中の探検に同行し、北極・南極やインド洋、大西洋へも行き、太平洋に潜り、おそらく30以上の潜水艦にも乗り込みました。
国連でスピーチした時も、大きな影響力を持つ人々、アメリカ大統領や議員、世界中の国家元首にお会いした時もこの時計は私と共にありました。
しかし、最も重要な時はいつだと思いますか。
それは多分、どこかこの先の未来にあるものだと思います。
私は呼吸をしている限り、探検をしていたいのです。
「まだダイビングをするのですか?」
と聞かれる時、私はこう答えます。
「まだ呼吸をしていますから。」
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2018年10月09日
ユンディ氏
子どもの頃から名立たる国際ピアノコンクールの数々で優勝を果たし、ついには2000年、18歳の時に歴代最年少でショパン国際ピアノコンクールで1位に輝きました。
彼のロレックス デイトナは自身の成功の記念に購入したものですが、彼はこの成功は可能性を引き出してくれた両親のおかげだと考えます。
その恩返しとして、ユンディ氏は父への最高の贈り物を見つけました。
どんなに離れた場所にいようとも二人を結びつけてくれるもの――ロレックスの時計です。
<ユンディ氏の言葉>
中国人家庭では多くの場合、親は子どもに大きな期待をかけます。
しかし、私の両親は違いました。
彼らは私に好きなことを自由にさせてくれました。
両親は大変心が広く、寛容で、彼らのこのような性格は、私が音楽や芸術を追及する上で大きな影響を与えてくれていると思います。
私の可能性を最大限に引き出すことができたのは両親のおかげなのです。
私の音楽のキャリアは、18歳の時にショパン国際ピアノコンクールで優勝した時に始まりました。
このコンクールで1位が選ばれたのは15年ぶりのことであり、さらには中国人として初めての受賞でした。
優勝などまったく頭になかったので、驚き、まずは両親に電話しました。
優勝の後、自分自身に何か記念の品を購入することを考えました。
当時の私にとって最も大切なものは時間だったため、常に身に着けていられる時計を探すことにしました。
私の目には、ロレックスは常に高品質、高精度、完璧への追及のシンボルとして映っていました。
これは私の価値観や音楽の追及と一致するものだったので、その時心から欲しいと思っていた時計、ロレックス デイトナを購入することに決めました。
音楽での夢を追及するのと同じように、時計の購入にもベストを尽くしたのです。
この時計は実際に、ニューヨークのカーネギーホールやロンドンのロイヤルフェスティバルホール、日本ツアーでの公演など重要な瞬間には常に私と共にありました。
これらのすべての瞬間を目撃してきたことで、この時計はさらに私にとって大きな意味を持つようになりました。
ただの時計ではなく、私の成長を見守り、私と共に困難に立ち向かってくれました。
私が幸せな時もそうでない時も、どんなときでも一緒でした。
この時計も自らの人生を歩んでいるんだと思います。
父がこれまで私の為に行ってきてくれたことに感謝の意にを込めて、何か特別な誕生日プレゼントを贈りたいと思いました。
私のことを毎日思い出してもらえるようなものを持っていて欲しかったのです。そこで、
私と同様に常に身に着けていられるように、ロレックスをプレゼントすることにしたのです。
それ以来、私たちには特別な絆が生まれました。
現在私は世界中で公演を行っていますが、どこにいようとも、時間とこの二つの時計が常に私たちのことを結びつけてくれていると感じます。
お話ししてきたこのストーリーは、まさに音楽、両親、そして時間がもたらしてくれたすべてのことへの感謝のストーリーです。
これらはすべて、私にとって一生の宝物なのです。
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2018年10月08日
ティム・ヘンマン氏
3歳になる前にテニスを始めた彼は、テニス一家の3人兄弟の末っ子として生まれました。
彼の祖父、祖母、そして曾祖母はウィンブルドン選手権に出場しています。
ヘンマン氏自身は1995年にグランドスラム大会での初勝利をウィンブルドンで収めると、その後、4度の準決勝進出を果たしました。
しかし、彼が初めてウィンブルドンのコートを目にしたのはそれよりずっと前のことで、その日のことを彼と母は決して忘れません。
そして、彼がロレックスを知ったのもこの時でした。
<ティム・ヘンマン氏の言葉>
1981年に初めてウィンブルドンを訪れた時のことは何一つ忘れていません。
恐らく、その日にどんな服装をしていたかまで覚えています。
それは大会初日の月曜日で、私は6歳でした。
母と私はラッキーなことにセンターコートのチケットを手にしていました。
5回目のディフェンディング・チャンピオンであったビョルン・ボルグがコートに入場してきた時、強烈な印象を受けました。
印象が非常に強かったのは、彼がその試合に勝利したからだと思います。
子どもであれば、勝っている選手を応援する方がずっと楽しく感じるものです。
ボルグは間違いなく私が初めて憧れたテニス選手でした。
この時に、私は唯一無二となる将来のキャリアを決めたのです。
ウィンブルドンでプレーすることが私の夢になりました。
私の家族はテニス一家で、母はジュニア選手、祖父母はミックス・ダブルスでペアを組みウィンブルドンに出場、さらに曾祖母も1900年代初期にウィンブルドンでプレーしました。
曾祖母はウィンブルドンで初めてオーバーサーブをした女子選手で、祖母はアンダーサーブをした最後の女子選手だったのです。
家族の中で一番小さくて、弱く、おっとりしていた私は、皆に追いつくために競う術を学ぶ必要がありました。
私に選手としての素質があることを両親が心底信じていたかは分かりませんが、少なくとも私にチャンスを与えたいと思ってくれました。
なぜなら両親は、私にとってテニスが重要なもので、テニスへの強い情熱と愛情があることを知っていたからです。
自分自身が人間として成長する上で、この家庭環境は間違いなく決定的な要素でした。
いよいよウィンブルドンでプレーするチャンスを得たときは、本当に興奮しました。
出場を待ち切れず、楽しむために万全の準備を整えました。
そのコートに立つ時はいつでも、夢を抱いていた6歳の少年の姿が頭に浮かぶのです。
私が初めてセンターコートに設置されたロレックスのクロックを見て、ロレックスが何なのかを母にたずねたのは1981年のあの日のことでした。
その時に、いつか自分自身のロレックスを持つのだというビジョンと希望を初めて持ったのです。
この時計が初めてのロレックスなのですが、これを得るまでにあれから32年かかりました。
しかし私にとっては非常に意味深い、待つだけの価値があるものでした。
この時計を見るとすぐに、母とスタンドに座る6歳の頃の自分を思い起こします。
母はその日の写真を今でも持っていますし、家にはまだチケットも残っていると思います。
ですから、この時計についてのストーリーを語って欲しいと頼まれた時、その依頼を母に転送して、
「覚えている?」
と聞きました。
母からはこのような返事が送られてきました。
「昨日のことのように覚えているわ。」
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2018年10月07日
ビョルン・ボルグ氏
ボルグ氏は幼い頃にテニスを習い始め、1973年の夏にウィンブルドンでのデビューを果たすと、1974年に17歳にしてプロへ転向しました。
10代にしてセンセーショナルにそのキャリアをスタートさせると、ボルグ氏はそのプレースタイルと忍耐力、そしてコート内での冷静な振る舞いで高く評価されると共に、「アイスマン」というニックネームで呼ばれるようになりました。
ボルグ氏はテニス界で最初のスター選手であり、1970年代のテニス人気の高まりに貢献しました。
1983年、彼は26歳の若さで引退しました。
彼のロレックスはコート内で彼が成し遂げた偉業の数々、そしてテニスに与えた影響を思い起こさせます。
<ビョルン・ボルグ氏の言葉>
私の父は優れた卓球選手でした。
父が故郷スウェーデンで地元の大会に出場した時、賞品として獲得したテニスラケットを私が貰うことになりました。
私が7歳か8歳の時です。
翌日にはコートへ行き、友人たとテニスをしました。
テニスを始めた途端、最初のたった5分で、私はすっかりそのとりこになってしまいました。それがテニスを始めたきっかけでした。
12歳でジュニア大会に出場した際、それまでにないほど不機嫌な状態でした。
ラケットを放り投げ、叫び、不正を働きました。
ご想像の通り、もしくは皆さんは全く想像がつかないほどに、コート上でひどい態度を取ったのです。
そしてクラブから6か月のテニス謹慎処分を受けました。
復帰以降は、口数が減りました。
またテニスを謹慎させられることを恐れたのです。
そして、自分自身の感情をすべて内に秘めることを学び始めたのです。
子どもとは、何かで成功したいと常に考えるものです。
初めてウィンブルドンで優勝した時は、まるで夢のようでした。
チャンピオンになるためにコート上で過ごした年月、流した涙、苦労がすべて報われた瞬間でした。
それらの末に、優勝杯を手にすることができたのです。
その後に起こったこと、自分がテニス新時代の幕開けの一部となるなど思いもよりませんでした。
それまでは、テニスはどちらかと言うと古めかしいスポーツでした。
私はスター選手となり、テニス、スポーツ全般にとって素晴らしい新たな風が吹いたのです。
この時代の一端を担えたことを誇らしく、また喜ばしく思います。
何年も前にこの時計を見るなり、恋に落ちました。
これは1956年に初めて発売されたデイデイトですが、まさにその年に私は生まれました。
そのことは私にとって特別な意味があり、この時計を何年にも渡って愛用する理由でもあります。
この時計は私の個性や信念に近いものだと思うのです。
時計を見るたびに、大きな大会やトーナメントでの優勝などテニスコートで成し遂げた成功や偉業の数々を思い出します。
それは、
「私は偉大さを信じる。
自ら誇りに思える偉大なことを、テニスコートで成し遂げたのだ。」
ということを伝えてくれるのです。
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2018年10月06日
アニカ・ソレンスタム氏
それは国際トーナメントでの89勝、メジャー大会の優勝10回という数字で、次世代のゴルファーたちの目の前に高いハードルを築いた人物です。
強い精神力と肉体を生まれながらに備えたソレンスタム氏は、敵を知らないスポーツ界のスターの生ける見本。
彼女はまた、頂点に辿り着くまでの20年の歳月を知る2つのロレックスウォッチの所有者でもあります。
<アニカ・ソレンスタム氏の言葉>
私が自らのキャリアの中で、なぜ早いうちから成功を収めることができたのか、定かではありません。
私は特に背が高かったわけでも、強かったわけでも、敏捷だったわけでもありません。
頂点で輝くためには、いくつかのレシピがあります。
まず、自分自身に忠実であること。
2つ目は、自分のやっていることを楽しむこと。
そして3つ目は努力をすること。かつて父が私に言っていたように、成功に近道はありません。
ゴルフが私に教えてくれた最も大切なこととは、辛抱強くあること。
誰でも1つのホールではいいプレイができるかもしれません。
でもゴルフには18ホールあるんです!
何かに卓越するには、時間がかかります。
そして常に他の道を探し、開拓してスキルを向上させていかなければなりません。
ゴルフは体だけでプレーするのではありません。
精神力も必要です。
自分を信じること、自信を持つことが大切です。
1994年、LPGAで
「ロレックス・ルーキー・オブ・ザ・イヤー」
となりました。
昨日のことだったかのように、このことは鮮明に覚えています。
プロに転向するという決断は正しかったと実感できたのがこの年でした。
ついに大舞台に立ち、女子ゴルフの最も大きなツアーに到達できたのですから。
それは間違いなく大きな栄誉でした。
かつてのロレックス・ルーキー・オブ・ザ・イヤーの受賞者を見ると、ナンシー・ロペス、パット・ブラッドリーのような、多くの偉大なゴルファーたちが名を連ねています。
トーナメントで優勝し、ロレックス・プレイヤー・オブ・イヤーにも選ばれた1995年は、まさに躍進への突破口となった年でした。
しかし私にとっての1994年のように、次につながる準備の1年というものが誰にでも必要なものです。
デイトジャストを手にしたのはその頃でした。
雑誌以外で見たことはなかったし、両親も持っていなかったので、これは特別な出来事でした。
このデイトジャストは今も私の手元にあります。
当時、自らの初めてのロレックスを手首に着けることに誇らしさを感じていました。
未来のために種を蒔いてくれたような、そんな存在だったので。
それはまたずっと私の偉大な相棒であり続け、私のキャリアに弾みをつけてくれました。
これは、時計自身の歴史の始まりではなく、記憶や経験の始点となりました。
経験はすぐには得ることはできないし、買うこともできない。
ただ、経験は時間をかけて積んでいくしかないとこの時実感しました。
最初のロレックスウォッチを手にしてからちょうど20年後、自ら別のデイトジャストを購入しました。
この腕時計がパスポートを持っていたとしたら、そこにはいっぱいスタンプが押されただろうと思うほど、この時計は私と ともに世界を周りました。
私はその裏蓋に、
「With Rolex 20 years」
(ロレックスとともに20年)
の刻印を入れてもらったのですが、このモデルは、
ルーキー・オブ・ザ・イヤー
から
プレーヤー・オブ・ザ・イヤー
となり、数々の優勝や世界ゴルフ殿堂入りを含めた私のキャリアすべてを集約しています。
このモデルは、思ってもみなかった素晴らしいキャリアを私が手にしたことを伝えてくれるかのようです。
ここには思い出や記憶、20年にわたるキャリアの旅、そして応援の声が詰まっているのです。
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2018年10月05日
ドン・ウォルシュ氏
このトリエステ号の外側には、今や「ザ オールド レディ」として知られる試作モデルのロレックス オイスターウォッチ、ディープシー スペシャルが取り付けられていました。
この二人の挑戦は、潜水における新記録の樹立をもたらしただけではなく、深海探検の歴史に新たな1ページを加えることとなりました。
ウォルシュ氏のDNAは、ある意味、それ以降に作られたロレックス ウォッチのひとつひとつの中に生き続けているといえるでしょう。
<ドン・ウォルシュ氏の言葉>
若い人たちからよく聞かれます――若い人たちというのは私の大好きな聴衆ですが――どうやって私が探検家になったのかと。
それに対して私は、
「それはとてもシンプルなことです。
人は生まれながらにして探検家なのだから」
と答えます。
最も高い山に登らなくても、最も深い海に潜水しなくてもかまいません。
ただ自分を取り巻く世界に興味を抱けばよいのです。
かつてなりたいと思っていたものがひとつあるとしたら、それは水兵でした。
1930年代の後半、私はサンフランシスコ湾を望む家に住んでいました。
ゴールデンゲートブリッジの下を通り、地平線上に消えていく船を見ながら、
「あの向こうには何があるのだろう、どうやったらそれを見ることができるのだろう、それには何をすればいいのだろう」
と考えていました。
私はとても幸運です。なぜなら、それを見て、やり遂げ、今もやり続けているのですから。
北極に行き、海の最深部にも到達した。
そして65年を経ても私はまだ新しいことを学び続けています。
深海で私が最も魅了されたことは、新しい惑星に来たような錯覚を覚えたことです。
数百メートルも潜水すると、そこは完全に真っ暗で、何か新しい世界の入口にいるかのように思えます。
自分の周りにはそこで暮らす生物たちがいて…自分が部外者であることを認識するのです。
海洋の最深部に潜るという可能性に最初に気づき始めてから、1年もしないうちに実現しました。
アメリカ海軍の潜水艦で従事していた時に、潜水艦より深く潜ることができるバチスカーフ(深海潜水艇)と呼ばれるものでの深海探検への募集がありました。
私はこのプログラムに志願し、終生の旅へと乗り込みました。
といっても、深海部に達した時、11キロという短い旅だったのですが。
潜水艇の中の空間は、狭かったです。
ジャック・ピカールはとても背が高く、私はあまり大きくなかったので、残されたスペースを有効に使いました。
室温は、家の冷蔵庫よりほんの少しましなくらいでした。
1960年代だったので、多くの電化製品からは熱が放射されました。
窮屈でしたが私たちにはやることが沢山あり、調子は良かったです。
海と対峙する、新たな幕開けとなりました。
潜水中、私たちにはもうひとり、いや、もうひとつの乗組員がいました。
それは今日私たちが
「ザ オールド レディ」
と呼ぶ、この機会のために特別に作られたロレックスウォッチでした。
当時、ロレックスは深海の深さでの実験を実施できる施設をジュネーブに持っていませんでした。
だから私たちがこの新しい時計の実験場となったのです。
全9時間にもわたる潜水中、この時計は巨大な水圧を受けました。
水面に浮上した時、この時計が本当に動いているか興味があったのですが、実際のところ、ちゃんと動いていました。
私たちも良く働きましたが、この時計もそうでした。
良い仕事をしました。
「ザ オールド レディ」
ウォッチの遺産が存続し、
「ザ オールド レディ 」
に宿る私のDNAが今日のすべてのロレックスウォッチに生き続けているということは、私にとってこの上ない喜びです。
この先駆的な潜水から50周年を祝い、私に新しいロレックスウォッチが贈られたのですが、その裏蓋には、
「ドン・ウォルシュ、1960年の世界最深部への潜水を称える、2010年」
の銘が刻まれていました。
とても誇らしく感じました。
この時計はいつも私のそばにあります。
私がだれであるか、何をしてきたのかを思い出させてくれます。
そして、達成の証であり、誇りです。
私はこの時計を見て思います。
過去に私たちは長く生きることはできなかった。
過去と、これまでに達成されてきた偉業を尊重し、未来を見つめなければいけないと。
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2018年10月04日
クリス・エバート氏
エバート氏は1989年、グランドスラムのシングルスでの18のタイトルと、キャリアを通じた勝利確率90%という記録とともに引退しました。
今日、人生の「第3期」に入ったクリス・エバート氏が、テニスが彼女に与えた自信と、彼女の人生のあらゆる段階を共にしてきたロレックスについて語りました。
<クリス・エバート氏の言葉>
私は若い頃、とっても引っ込み思案でした。
しかしテニスを始めてから、コートが私のステージとなりました。
得意なものを見つけ、自信を大きくしていったのです。
拍手を浴び、注目してもらえるのがうれしかった。
テニスが私を自分自身の殻から引き出してくれたのです。
13歳の頃、私は自国のトップ選手とそう遠い位置にいないことに気づきました。
この頃に成功の味を覚え、それが自分の中に芽生えているのがわかり、トップ選手の中のひとりになれると信じ始めました。
それでも、世界のナンバーワン選手を打ち負かすとは思ってもいなかったし、しかもそれが15歳の時に訪れるとは。
これがすべての始まりでした。
テニスの試合でプレーすることは、人生に似ています。
たとえ調子が悪くても、まだ這い上がることはできる。
人生で落ち込むことがあっても流れを変えることができると思うのです。
テニスは、私に決断力を教えてくれました。
頑張って持ちこたえ、決して諦めないことを。
集中力や自分を信じることで、コート内でもコートの外でも、自信を持っていられるのです。
私の人生は、3つの段階に分かれているように思います。
ひとつ目の段階はテニス、そしてキャリア。
ナンバー1になって自分自身と自分の野心について考えていた頃。
2つ目は家族。
3人の男の子を育て、結婚して家にいる喜びを味わいました。
そして今、私は人生の第3段階に入っていて、私の内に平穏を見出せたらと考えています。
私がロレックスの時計を見る時、そこに映るのは18のグランドスラムタイトルではありません。
むしろ人生の異なるステージを集約したものです。
テニスをしていた時代に限らず、私自身の家族やビジネス、達成してきた全ての目標が見えます。
この時計は私の延長上にあるのです。
私はロレックスを身につけることをとても誇りに思います。
自分が、大きなことを達成した一流の人々で構成される特別なクラブの一員であるように感じます。
私がロレックスを初めて手にした25年以上前、そうした成功者たちとは、ジャッキー・スチュワートであり、アーノルド・パーマーであり、またジャック・ニクラウスでした。
そしてさらに後にはロジャー・フェデラーがいます。
頂点を極めた素晴らしい人たちです。
彼らは最も成功した人々であるだけではなく、スポーツマンとしての品格を有しています。
紳士的で、高潔で品位があります。
私が自分の時計を見る時、誇らしくも自分も一員になることができた、特別なクラブが見えるのです。
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