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2018年10月03日

ユジャ・ワン氏

 クラシックピアニスト、ユジャ・ワン氏は1987年、北京で生まれました。

 ダンサーの母とパーカッショニストの父の影響を受け、幼い頃にピアノを始めます。

 15歳でアスペン音楽祭のコンチェルト・コンペティションで優勝。

 フィラデルフィアのカーティス音楽院在学中にプロの演奏家として活動を始め、高く評価されました。

 母から時の大切さを教え込まれた彼女が、そのお礼として贈るものは、一つしかありません。



<ユジャ・ワン氏の言葉>

 まだほんの幼い頃、6歳で私は演奏を始めました。

 その半年後にはステージで演奏しています。

 夢中でした。

 練習を重ねて色々なことを試してみると、次々に発見があります。

 探究し発見する。

 学ぶということに終わりはありません。

 音楽は私の人生を意義深いものにしてくれます。

 私にとって、パラメータのようなものですね、日々生まれてくる独創的な考えで人生を測るのです。

 ソリストというのは孤独なものです。

 だからいつも自分の腕時計を携えています。

 ルツェルン音楽祭で初めてソリストを務めた時も、時計はそばにありました。

 故郷の北京でNCPA (中国国家大劇院)で招聘アーティストだった時も、ロレックスと一緒でした。

 キャリアの節目のすべてにいつも寄り添ってくれます。

 箱を開けた時のことを、私は今でもはっきりと覚えています。

 21歳、スイスのベルビエール音楽祭に参加していた時のことです。

 このエレガントな深いブルーの時計が、箱の中から私を見つめていました。

 時計そのものだけではなく、時計が象徴するものが大切なのです――美しくエレガントで、情熱に溢れ、正確、そして完璧――まさに私がクラシック音楽で目指していることです。

 人生のように、時計も動き続けます。

 時は常に過ぎていくものだと、時計を見るたびに、時の大切さを思い出します。

 幼い私に、母はいつも言って聞かせました。

「一番大切なのは時間よ、時が人生で一番貴重なのよ。
 過ぎてしまった時は、二度と取り戻せないのだから。」

 そしてそれは、生産的に時を過ごすということではなく、一瞬一瞬を大切にすることなのだと思います。

 だから、私は母に時計を贈るのです。

 音楽は人々の気分を高揚させてくれます。

 ロレックスは私に目指すべきゴールを示してくれます。

 私にとって常にベストを尽くすためのモチベーションのようなものです。

 人生において、日々の行動や芸術活動において、そして何を達成できるのか、常に高い目標を持ちたいと思います。

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感想(1件)


2018年10月02日

アンゲリク・ケルバー氏

 ドイツ人テニスプレーヤーのアンゲリク・ケルバー氏は、2016年全豪オープンでセリーナ・ウィリアムズに勝利し、グランドスラムの初タイトルを手にしました。

 同年、世界ランキング1位の地位も獲得しています。

 3歳でテニスを始めたケルバー氏は、15歳でプロに転向。

 その粘り強さが2011年、ニューヨークの全米オープンで彼女に大きな偉業をもたらしました。

 世界ランキング91位から準決勝まで勝ち進んだのです。

 ニューヨークは彼女のテニス人生で大切な転機となった場所であり、自分自身へロレックスウォッチを贈るのに選んだ場所でもあります。



<アンゲリク・ケルバー氏の言葉>

 私は、世界で最も年長のナンバーワンテニスプレーヤーになったことを誇りに思っています。

 これまでのテニス人生では良い時も悪い時もあり、その中からいろいろ学び取ってきました。

 そして今では5年、いや10年前よりもテニスを楽しんでプレーしています。

 さまざまな逆境を経験しているからこそ、この年齢で世界のトップに立てたことが本当にうれしかったのです。

 15歳の時、私が今いる位置に到達したいと夢見ていました。

 でもそれは私が思っていたほど簡単なことではありませんでした。

 最初のグランドスラムの決勝戦、私は本当にナーバスになっていました。

 何が起こるか全く予想もできなかったからです。

 でも、自分に言い聞かせました。

「大丈夫、せっかくのこのチャンス、しっかりと立ち向かいなさい。
 人生において、グランドスラムの決勝戦を何度経験できるかわからないのよ」と。

 そんな思いを秘めてコートに立ち、自分がベストプレーヤーのひとりであることを世界に示したのです。

 2011年のこうした経験があったから、ニューヨークは私にとって特別な場所です。

 この場所で私のテニス人生における転機が訪れたのですから。

 その年の前半は、どの試合も1回戦で破れ、非常に辛い思いを経験していました。

 そして1年の最後のグランドスラムとなる全米オープンのためにニューヨークへ行き、辛抱強く、それでいて子供の頃に戻ったかのように楽しみながらテニスをプレーしました。

 この時から、私は自分を、自分のゲームを信じることができるようになりました。

 ニューヨークでの勝利は、私に最高の達成感を与えてくれました。

 私は、この時計を2年前、ニューヨークにいた時に手にしました。

 店の中にいたのはわずか10分ほどだったでしょうか。

 自分の欲しいモデルがすでにわかっていたからです。

 そしてキャリアのこの段階で、

「そう、私はたくさんのことを成し遂げた。
 だから今こそ自分にご褒美をあげる時だ」

と思ったのです。

 ニューヨークを選んだのは、そこが私のテニス人生の中で節目となった場所だったからです。

 この腕時計は私の一部のよう。

 私はこの時計のストーリーを知っているから、この時計を身に着けると自信が湧いてきます。

 この時計を手首に着ける時、そして私のことを知らない人にこれを見せる時、とてもすがすがしい気分になるのです。

 ロレックスファミリーの一員であることも私にとってとても重要なことです。

 ファミリーの誰もがこれまでに偉業を成し遂げ、さらに上を目指して日々戦っています。

 誰にでも人生には、良い時、悪い時がありますが、彼らは悪い時からでも何かを学び取り、決して諦めることがないのです。

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2018年10月01日

ロッド・レーバー氏

 オーストラリア出身の伝説的テニス選手、ロッド・レーバー氏は最も輝かしいキャリアを誇るひとりです。

 1964年から1970年にかけて世界ランキング1位に君臨した彼は、アマチュア選手に限られていた4大大会をプロ選手に解禁した「オープン化時代」の幕開け、テニス史上最大の転換期を目の当たりにした人物でした。

 スピード、敏捷性と闘争心により、レーバー氏は11のメジャータイトルを含め、シングルスで最多勝利記録を打ち立てています。

 彼は国際テニス殿堂入りを果たした1981年よりロレックス ウォッチを着けています。

 以来、この時計は、彼の比類ない偉業の象徴となっているのです。



<ロッド・レーバー氏の言葉>

 80歳を目前にして自分の人生を振り返り、大きな幸福を感じています。

 テニスは私にチャンスを与えてくれました。

 ゲームに対する持って生まれた素質は、私の人生の中でおそらく最も重要なものだったといえるでしょう。

 しかし、優れたテニス選手になるために、つまり勝つためには努力する必要がありました。

 それが私のモチベーションだったのだと思います。

 競争が私を向上させました。

 私はそうした競争を通じて自分自身を築き上げていったのです。

 私はテニスの試合が好きです。

 両親もふたりの兄たちもテニスをしていました。

 テニスを始めて少し上達が見られた頃、ジュニアのトーナメントに出場する機会を得ました。

 そして1956年、ヨーロッパに渡り、フランスやウィンブルドンでプレーし、またアメリカでは全米ジュニアテニス選手権に出場しました。

 このようなさまざまな体験を経て、「テニス選手になりたい」と考えるようになりました。

 これがすべての始まりでした。

 幸いなことにすべてが順調に進みました。

 そしてすべてのテニス選手にとって幸いなことに4大大会がありました。

 このことは、これまでのテニスに起こった最高の出来事だったと思います。

 私はそれまでに多くの経験を積んでいたので、「オープン化時代」の始まりを素晴らしいパフォーマンスで迎えることができました。

 「オープン化時代」以来、テニス界にもたらされた変化を考えると、アマチュアテニスからの大きな飛躍を大変素晴らしく思います。

 4大大会へのプロの参加の解禁には非常に長い時間を要しました。

 しかし、今日のテニス界を見ると、その中で偉大なチャンピオンたちが生まれてきたことを実感するでしょう。

 テニスの世界において、始まりから現在の地点に辿り着くまで、道のりは遠いものです。

 1998年に脳卒中で倒れた時、「あなたはもうテニスができない」と医師は私に言いました。

 それは最も聞きたくなかった言葉でした。

 私は車いすから立ち上がって、思ったのです。

 「右半身は麻痺しているが、私は左利きだ。だから、もう一度テニスコートに立たせてほしい」と。

 少しずつリハビリを始めて、2ヶ月ないし3ヶ月かけてテニスボールが打てるようになりました。

 動くことはできませんでしたが、立って打つことはできました。

 そして最終的には右足が動くようになり、これが回復の第一歩となったのです。

 車いす生活など、考えることもできませんでした。

 できる限り早く、そこから抜け出そうとし、実現させたのです。

 私は引退を簡単に受け入れることができませんでした。

 アマチュアでテニスを始め、プロに転向し、4大大会でプレーをして、長いキャリアを築いてきました。

 しかし、若く、速く、そして優れたプレーヤーが台頭してくると、時の流れには逆らえないことを実感します。

 でも私は、多くのチャンピオンの中で最も長いキャリアを持つことができたことを誇りに思うべきでしょう。

 私は多くの人々に、努力は良い結果をもたらすことを証明できたと思います。

 実に、有意義な人生を送ってきました。

  そして多くのトーナメントを制し、すべてのグランドスラムでの重いプレッシャーの中で戦ってきたその先に、ロレックスウォッチの存在がありました。

 素晴らしいキャリアを築いた中でも、テニスの頂点でロレックスを手に入れたことは、私の中で最高の瞬間でした。

 これは私にとっておそらく最良の買い物です!

 1981年、私は国際テニス殿堂の会合でオーストラリアにいました。

 そしてカルフォルニアに帰る途中、香港に立ち寄りました。

 香港滞在中にロレックスのブティックを見つけ、以前から欲しいと思っていたロレックスウォッチを購入することにしました。

 私は、「ロレックスを持つに値する」と思ったのです。

 そして私はこの時計を1981年から着けています。

 この時計にはさまざまな記憶が刻まれていて、たくさんの思い出が浮かび上がってきます。

 1969年の息子の誕生、世界各国への遠征、そしてロレックスの象徴となったこと。

 ロレックスは私の人生の功績そのものです。

 すべてのキャリアを通して心に深く残っている試合や、手に入れたいと望んだものや手に入れたもの。

 そのすべてが今、私のロレックスに集約されているのです。

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2018年09月30日

ララ・グート氏

 スイス出身のアルペンスキーのチャンピオン、ララ・グート氏が国際的なアルペンスキーの大会に出場したのは16歳の時でした。

 以来、トップ選手のひとりとして活躍しています。

 2008年、ワールドカップ スーパーGレースを制覇した最年少選手となった彼女は、2015-2016年シーズンには初のワールドカップ総合優勝を含む2つのクリスタル・グローブを獲得し、そのキャリアの頂点を極めました。

 ケガを克服し、大きなプレッシャーをはねのけて、グート氏はゼルデンで圧倒的な勝利を収め、次のシーズンに向けて幸先の良いスタートを切りました。

 彼女のロレックス ウォッチはこの勝利の象徴であり、それ以上にその日に彼女が学んだ価値ある教訓を思い起こさせてくれるものです。



<ララ・グート氏の言葉>

 私は、1歳の誕生日の春に人生で最初のスキー板を叔母からもらいました。

 夏の間中、私はそのスキーを足にはいて庭を歩いていたらしく、冬が訪れた時には私はスキーをする準備ができていました。

 私にとって、スキーをすることは、ごく自然のことでした。

 そして、どういうわけか、私はワールドカップで滑るまでになっていて、どうしてそこまでたどり着いたのか分からないけれど、楽しんでいました。

 スキーをすることとプロのスキー選手であることの間には明確な違いがあります。

 子どもの時は、ただスキーに行くだけでした。

 でも、ワールドカップに出場する、あるいはプロのレベルまで達すると、どういうわけかスキーは多くの別の物に変わってしまいます。

 私がプロとしてのキャリアをスタートさせた時、それが最大の問題でした。

 スキー以外のものが、あまりにもたくさんあったからです。

 16歳で初めてワールドカップに出場した時には、すべてのことにどう対処すればよいのか分かりませんでした。

 15歳の時はただスキーをしているだけだったのに、その1年後には全世界から私への評価が集まるにようになったのです。

 チャンピオンであることは、どのように向上し、自分自身に立ち向かっていくか、その方法を人々に示すことができる人物になることだと思います。

 私には頼りになる両親がいて、

「自分が求めることをやりなさい、知りたいことを知り、そしてそのために戦いなさい」

というアドバイスを通じて、私を支えてくれました。

 すべてにおいて良いバランスを保つために重要なのは、 戦うこと、トレーニングすること、休養すること、自分自身を信じること、そして素晴らしい人々を周囲につけることだと思います。

 なぜならば、誰も自分ひとりでは何も達成できないからです。

 これらの要素の融合があって、力を発揮できるのです。

 2016年に、私は初めてワールドカップで総合優勝しました。

 私はスイスにグローブを持ち帰ることができました。

 それは、20年以上ぶりのことでした。

 私のために力を尽くしてくれている人たちのおかげで達成できたのだということを実感し、とても感動的な瞬間でした。

 このシーズン後に、ゼルデンでの大会に臨むことは厳しい挑戦でした。

 レースの前の週、私は自分自身を強すぎるほどのプレッシャーの中において、

「私はタイトルを手にしていて、それよりも上を行くことが期待されている。
 でも、そのためにはどうすべきか?」

と考えていました。

 レース前日にある選手が、

「ただスキーをすればいい」

と、私に話してくれて、「人間の精神はなんと強いものなのだろう」と実感しました。

 できると思えば、人は何にでも勝つことができるのです。

 しかし、頭の中で自分自身を困難な状況に陥れると、逆にすべてを失ってしまうのです。

 精神は自分自身の最も悪い敵でもあり、最高の友人でもあるのです。

 ゼルデンは私にとって難しい挑戦でしたが、経験できたことに感謝しています。

 ここから多くのことを学ぶことができたのですから。

 ゼルデン以来、すべてが以前よりも容易に感じられるようになりました。

 私の時計には、2016年10月22日の日付が刻まれています。

 これは私がゼルデンを制した日です。

 数年前にこの時計を見た時、

「この時計は特別な瞬間のためにある」

ものだと思いました。

 そしてゼルデンで、この時計が私を、何か月も、何年も、待っていたのだと感じました。

 でも、それを手にするのは本当に正しい時期でなければなりませんでした。

 ゼルデンでの勝利の日は、このレースと私がその日に学んだことを思い出させてくれるものを手に入れるのにふさわしい日でした。

 人生において、目標をもつことは大切なことだと思います。

 人に変化をもたらすのは勝利だけではありません。

「人間を成長させるのは過程であり、結果ではない」

と、父は私に教えてくれました。

 この時計はまさに過程です。

 時計が私に、スタート地点にいた自分と、最終地点に達した自分を映し出してくれるのです。

 過程や経験の中から人間は自分の人生を変え、向上し、そしてさらに先へ行く力を得るのです。

 だから、この時計は、勝利だけを思い出させてくれるものではありません。

 ゼルデンで私が感じていたこと、私が体験したストーリーすべてを思い出させてくれるのです。

 勝利はたった1日だけのことで、それで終わりです。

 でも、そこから学んだことは、これからの人生の支えとなるのです。 

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2018年09月29日

マーク・ウェバー氏

 オーストラリアに生まれ、夢を追いかけて1995年に渡英したレーシングドライバー、マーク・ウェバー氏は、ついに2002年、彼のメントーであり親しい友人でもあるサーキットの伝説、ジャッキー・スチュワート卿に見守られてFormula 1デビューを果たしました。

 彼は2009年に大ブレイクし、ドイツグランプリに優勝。

 F1世界選手権の表彰台に8回立ちました。

 この優勝の時に、それまでモータースポーツに注いできた努力と困難を乗り越えてきた象徴として、初めてのロレックス、GMTマスターIIを手に入れました。

 2014年に耐久レースに移行した彼の腕にあったのは、まさにその初めてのロレックスだった。



<マーク・ウェバー氏の言葉>

 私の父は、オーストラリアのニューサウスウェールズにある小さな田舎町のオートバイのディーラーでした。

 とても小さいときから私の血にはガソリンが少々入っていたように思います。

 父は、シドニーに戻ってきたジャック・ブラバム卿やジャッキー・スチュワート卿を見るために、ヒッチハイクでたくさんのカーレースに足を運んでいました。

 カーレースはずっと私の家族と共にあり、父が私のキャリアを応援し続けてくれたことを嬉しく思います。

 私にとってレーシングカーを運転することは、人間とマシンが限界を押し広げ、極限に達することであり、それがすべてでした。

 私は最高のドライバーたちと競い合い、世界最高のサーキット、最高の舞台、そして最も激しく過酷で、非常に高い精度が求められるスポーツで勝負したかったのです。

 それがモーターレースのFormula 1であり、私はその舞台で戦うチャンスを得ることができました。

 人々が前進し続ける理由は何でしょうか。

 それは誰にも分かりません。

 だから常に言い続ける必要があります。

「もっと、もっと自分自身の力を引き出し、そして周囲の人々の力も引き出し、さらに良い成果を追い求め続けたい」

と。

 2009年は私にとって大きな年でした。

 マウンテンバイクでひどい事故に遭ったため、そのシーズンを迎えるのに理想的な状況ではありませんでした。

 足を骨折し、肩と肋骨の何本かにひびが入り、準備に大きく遅れをとりました。

 しかし、このことから立ち直る力と粘り強さを学びました。

 この状況でFormula 1で優勝することは途方もないことでした。

 まぐれや運ではなく、世界最高のドライバーたちと正々堂々と戦って勝利することは特別なことでした。

 初めて優勝した後、ロレックス GMTマスターIIを購入しました。

 自分自身のためにとてもプライベートで特別なものを購入したいと思っていました。

 このような勝利の後は、これまでの努力や乗り越えてきた困難のすべてを象徴する何かが欲しくなるものです。

 永遠に残り、人生を共にし、何世代にも渡って受け継いでいけるものを手に入れたいと考えていました。

 ロレックス GMTマスター2がふさわしいと思っていました。

 ロレックスを手に入れることはとても特別でした。

 なぜなら、それまでの私の人生の旅路であるだけでなく、このロレックスの一部が私とジャッキー・スチュワート卿との関係につながっているからです。

 彼とは私がまだF3でレースをしているときに初めて会い、それから彼との関係が深まりました。

 私にとって彼は父親のようであり、今もそうです。

 彼は、コックピットの中でも外でも、ピットの壁の両側から、私に素晴らしいアドバイスをこれまでに沢山与えてくれました。

 20年ほどたった今も、私たちは大変仲の良い友人です。

 私の父が70歳になった時、息子から父への贈り物としてとてもプライベートな何かを購入したいと思いました。

 ちょうどロレックスが新しいデイトナを発売した時期でした。

 私は、父にとって特別で素晴らしいレースの伝統を受け継ぐ腕時計を求めていました。

 もし父がいなかったら、このようなレーシングドライバーになれなかったからです。

 その腕時計は私たち二人が共に歩んだ旅を表しています。

 私はオーストラリアの田舎の出身です。

 ロレックスを手にすることなど、夢にも思いませんでした。

 他の人が身に着けているロレックスを見ているだけでした。

 ですから、一生懸命働いて、一生ものとなる何かを自分自身にプレゼントするチャンスがあれば、それがより特別なものになります。

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2018年09月28日

トム・クリステンセン氏

 耐久レースドライバーのトム・クリステンセン氏は、デンマークの小さな町に生まれ、カーレーサーの父が経営するガソリンスタンドで育ちました。

 この生い立ちが彼の将来を決定づけました。

 クリステンセン氏のドライバーとしてのキャリアは日本で始まりました。

 そして1997年、レース開始のわずか4日前に招聘され、耐久レースの象徴であるル・マン24時間レースに初参戦。

 いきなり優勝を果たすだけでなく、新記録を樹立しました。

 その後2年間は不運に見舞われましたが、2000年に再びル・マン24時間レースで優勝。

 以後5連覇を達成し、最多記録を塗り替えました。

 この忘れがたい日の記念として、クリステンセン氏は「究極のドライバーズウォッチ」であるロレックス コスモグラフ デイトナを購入しました。



<トム・クリステンセン氏の言葉>

 メーターを今でもよく覚えています。

 あの開放感、緊張感、集中力。

 しかしすぐに限界を超えることの方が面白くなったのです。

 1997年、初めてル・マン24時間レースに参戦した時は、ポジティブなフィーリングと緊張感、アドレナリンで満ちていました。

 完璧な組合せです。

 若いころは、ル・マンといえば夢のまた夢でした。

 地方の小さなガソリンスタンドで小さな車を乗り回していた私にとって、はるかかなたのことでした。

 しかし、大きな夢をもって好きなことをやっていれば、良い方向に向かうものです。

 1997年の初優勝の後、2年間はうまく行きませんでした。

 1999年、ル・マンでかつて経験したことのない、4周近い大きなリードをしていました。

 しかし車が故障したのです。

 キャリア最大の失望感を味わいました。

 でも、転んだら起き上がる。

 これほど大切なことはありません。

 ル・マン優勝はできる。

 だがもう一度優勝することが重要だ。

 この考えが私を成長させてくれました。

 生まれつき競争心は強い方なのですが、この時ほど勝ちたい、表彰台に戻りたいと渇望したことはありません。

 2000年の優勝は一世一代の勝利であり、6連覇の始まりでした。

 ル・マンでは24時間走り続けることと優勝することの、どちらが最高ですか、と聞かれることがあります。

 あの24時間とその前の準備すべて、そして一瞬一瞬を楽しめなければ、勝つことはできないと答えます。

 ル・マンで共に働く人々、チームメイト、メカニック、エンジニアは皆、人生の勉強をしていると思います。

 努力とエネルギーを惜しまず注ぎ込み、耐え続ければ、結果は出るのです。

 成果を得るためにはそれ以外の方法はありません。

 手が届かないと感じることもありますが、達成すると手放したくなくなります。

 不運だった2年間の後に2勝目を挙げられた。これは何か祝わなくては、と思いました。

 あの瞬間を大切にいつまでもそばに置いておきたい。

 だからご褒美として、究極のドライバーズウォッチ、ロレックス デイトナを自分に贈ることにしたのです。

 裕福な生まれではありませんから、自分の貯金でロレックス デイトナを買うということは、一大決心でした。

 色々な意味で、賞品として時計をもらうということは嬉しいサプライズですが、自分のお金で買うというのは、本当の意味でご褒美です。

 私のロレックス デイトナには2000という年号が刻まれています。

 デイトナを見る度にあのレースと、この時計が象徴する素晴らしいパフォーマンス、仲間たちとの友情、私の人生において記念すべき時を思い起こしてくれます。

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2018年09月27日

デヴィッド・デュビレ氏

 1994年からロレックス テスティモニー(証言者)のデヴィッド・デュビレ氏は、水中写真の世界で最も有名なパイオニアの一人です。

 1971年に初めて『ナショナル ジオグラフィック』誌に記事を発表して以来、瞬く間にこの雑誌のトップフォトグラファーの一人になりました。

 デュビレ氏のレンズは、惑星のすべての海洋を捉えます。

 彼が撮影した海と海洋生物の写真は、人々を魅了すると同時に、保護の重要性をも知らしめています。

 ロレックスの時計は、50年以上も彼の冒険に寄り添い、27,000時間にもおよぶ特別な水中体験を目撃してきました。



<デヴィッド・デュビレ氏の言葉>

 探検とは、どこかに行って新しい物を見ることを意味します。

 妻のジェニファー・ヘイズと私は、人々が海に目を向けるようなイメージを持って帰ることも含めて探検とします。

 私たちは大部分を水が占める惑星に暮らしていて、極めて美しく、驚くほど複雑な世界とも言えます。

 そこは無重力で、夢のような世界。

 しかし、それは夢ではなく実存する世界です。

 ダイビングを始めた時から、潜水はいつも新たな発見への旅でした。

 現在、私たちは急速に変わりゆく時間や場所、海を文書に記録しています。

 そこに写真を加えることで、人々が海の美しさと、海が私たちの住む惑星の原動力であるという事実に目を向けるのです。

 私の海中への興味は、8歳の時にニューヨーク州アディロンダック山地で行われたサマーキャンプから始まりました。

 マスクを着けて、とても小さな湖に潜った瞬間、私の人生は一変しました。

 降り注ぐ緑の光の中を泳ぐ小さな魚の姿。

 その時の光景を今でも覚えています。

 私は水中写真とは無縁のニューヨークで育ちましたが、『ナショナル ジオグラフィック』誌のフォトグラファーになることを夢見ていました。

 『ナショナル ジオグラフィック』誌で働く事は世界への唯一無二にして最高の扉です。

 70の記事を担当したことで私は水中世界のスケールの大きさを見続け、この水中世界は私に貴重な人生観を与えてくれました。

 水中写真で最も重要なツールは好奇心、それも飽くことなき好奇心、そしてもちろん、光。

 それから機材は水中撮影用のハウジングではなく、ロレックスの時計です。

 16歳で初めてのロレックスを買い、『ナショナル ジオグラフィック』誌のすべての仕事でロレックスを着けてきました。

 ジャック・クストー船長や『ナショナル ジオグラフィック』誌の私のヒーロー、ルイス・マーデンもロレックスを着けていました。

 初めてロレックスを手にした時のこと、その時間や場所は私の人生に特別な瞬間として刻まれています。

 当時私は海洋研究所でダイバーとして働いていて、時計が必要でした。

 以前に持っていた時計は頻繁に浸水し、まるでアクアリウムのようで、全く使えませんでした。

 一方で、1962年当時、ロレックスは防水腕時計を販売していました。

 私は時計とブレスレットの両方を買いそろえる余裕がなかったので、「時計だけでも買えますか?」と尋ねました。

 すると、彼らは「はい」と答え、時計とラバーのストラップを用意してくれたのです。

 ブレスレットを買えたのは、それから2年後のことでした。56年たった今でも、私の腕にはロレックスがあります。

 私たちはバッテリーパワーの世界に生きていますが、水中では機械式時計が私の命綱です。

 これまでにコンピューターが壊れてしまったことはありますが、ロレックスはありません。

 つい最近コンピューターが故障したのは、フィリピン沖で新たに発見された沈没した日本の飛行機に向かって水深150フィートをダイビング中のことでした。

 コンピュータが壊れても、時計は動き続けていました。

 現在私が着けているのはロレックス ディープシーで、初めて買ったロレックスと同様に大切な時計です。

 このロレックス ディープシーの中には防水腕時計の歴史が集約されています。

 私はロレックスを着けないでダイビングをしたことはありません。

 水中では時間が極めて貴重で、時に光よりも大切で空気と同じくらい貴重なものです。

 水中では一日が数分や数秒に凝縮されます。

 だからこそ、時間を極めて正確に把握していなければなりません。

 時計が生死を分かつこともあるのです。

 この時計には忘れられない思い出が詰まっています。

 私たちは破壊や変化、そして希望を目にしてきました。

 優れた機械式の技術を持つロレックスを現実の世界、すなわち深海や極寒の海、最高峰の山々といった最も過酷な場所へ持っていく信念はロレックスが持ち続ける伝統と決意の表れであると私は考えます。

 私にとって、ロレックスと共に北極海の冷たい海やパプアニューギニアの暖かい熱帯の海に潜ることは、時が行くべき場所に向かうということです。

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2018年09月26日

ゲーリー・プレイヤー氏

 グランドスラム達成者、ゲーリー・プレイヤー氏はレギュラーツアーで9回、シニアツアーで9回のメジャー大会優勝を果たした、ゴルフ史上屈指の名選手です。

 世界で最も旅をしたアスリートでもある彼は、60年間で6大陸165のトーナメントで優勝、1974年に世界ゴルフ殿堂入りを果たしています。

 アーノルド・パーマー氏、ジャック・ニクラウス氏と並び、1950年代後半から70年代後半の「ビッグスリー」の一人として知られています。

 17歳でプロに転向。

「いつかロレックスを手に入れられる」

と父親が励ましてくれたそうです。

 今日彼のロレックスは、逆境に立ち向かい達成した偉業、そして父親の思い出を語ります。



<ゲーリー・プレイヤー氏の言葉>

 私は南アフリカで育ちました。

 母は9歳で亡くなりました。

 当時父親は金鉱で働いていました。

 地下8,000フィートで働き、毎月100ポンド稼いでくれました。

 17歳の兄は戦争に行っており、姉は学校の寄宿舎にいました。

 父はこう言いました。

「ゴルフをしなさい。ずっと続けられるスポーツだから。上手くなれば世界中を旅できるよ。」

 辛さに耐えられからチャンピオンになれたのです。

 家に帰ると家には灯りがついていない。

 誰もいません。

 9歳で自分の衣服にアイロンをかけ、自分で食事を作りました。

 寂しくて暗闇が怖くて、夜はベッドでよく泣いたものでした。

 すべてに当てはまるとは限りませんが、辛さを味わった人ほど、人生で成功するものだと信じています。

 自分が可哀そうだとは思いませんでした。

 この試練を受けて立とうと思いました。

 父に言いました。

「お父さん、僕はプロになるよ。」

 17歳でした。

 何事もまじめに努力しようと決意していました。

 金銭的に恵まれていたわけではありません。

 子供を金銭的に甘やかすと後々良くないと私は思います。

 人生は甘くないということを教えてやらなければいけません。

 私がどんな試合でも決してあきらめなかったのは、努力の積み重ねがあったからです。

 一生懸命に練習すると、腕や身体だけでなく、意欲、忍耐力、精神力も強くなります。

 よく言われたものです。

「練習のしすぎだ。ボールの打ちすぎだ。いつか体を壊すぞ。」

 こう答えました。

「とんでもない。ボールを打てば打つほど、私は強くなるのですよ。」

 贅沢な生活をしていたら、世界チャンピオンにはなれなかったでしょう。

 お話しした通り父は貧乏でしたが、私が一生懸命に練習し成功するようになると、

「今と同じ努力を続けるんだ。いつか自分でロレックスを買えるかもしれないぞ。」

と言いました。

 もちろん冗談ですよ。

 当時の私がロレックスに手が届くはずがありませんからね。

 でも、初めてグランドスラムを達成した後、実際に一つ目のロレックスを買いました。

 60年も前の話ですから、全部をはっきり覚えているわけではありませんが、こう言ったのは覚えています。

「お父さん、ロレックスを買ったよ。」

 初めてロレックスの時計を買ってどんな気持ちだったか。

 経済的に全く恵まれていない人生で、高価なものを贈られたり買ったりすると、感謝の気持ちというものがわいてきます。

 生きていくうえで感謝の心はとても大切です。

 自分は他の人と比べてどれほど恵まれた暮らしをしているのか、私たちは忘れがちです。

 世界中を旅してこれを学びました。

 この思いは一層強くなり、体の一部になりました。

 私は何と恵まれていることか。

 今日身に着けている時計は、数年前に買ったものです。

 ゴールドのこの時計を見ると、初めて買ったロレックスと金鉱で働いていた父を思い出します。

 時計には思い入れがあるものだと思います。

 自分が何を達成したのか、そしてその時計はどう関わっているのかを思い出させてくれるのです。

 私にとってロレックスは単なる時計ではなく、ストーリーそのものです。

 父は今でもロレックスと共にいます。

 父のことを心から愛していました。

 人生で大切な人でした。

 6フィート2インチもある屈強な人でしたが、私がトーナメントで勝つと、私を両手で抱いて泣きました。

 私にも似たところがあります。

 感傷的になるとついつい涙が出てしまいます。

 時々時計に話しかけます。

「お父さん、僕は頑張ったよ。」

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2018年09月25日

ジャック・ニクラウス氏

 アメリカ人プロゴルファーのジャック・ニクラウス氏は、史上屈指の偉大なゴルファーとして広く知られ、メジャー選手権18勝という通算最多優勝記録をもっています。

 1966年のマスターズ優勝後、初の連覇ゴルファーとなってゴルフ界の頂点に駆け上がりました。

 アーノルド・パーマー氏、ゲーリー・プレイヤー氏と並び「ビッグスリー」の一人であるニクラウス氏は、現在でもロレックス デイデイトを愛用されています。

 初めて手首にはめたのは、50年以上も前のこと。

 ゴルフ史上にその名を残す彼のキャリアを間近で見つめてきたのは、他ならぬこのデイデイトだったのです。



<ジャック・ニクラウス氏の言葉>

 ゴルフというものは、個人的なスポーツです。

 自分の行為には自分が責任を持たなければなりません。

 チームスポーツではありません。

 自分のプレーに反映されるのは自分自身の努力、頼れるのは自分のみです。

 誠実かつスポーツマンシップに則り、力の限りプレーしなくてはなりません。

 1966年、私は結婚しており3児の父親でした。

 ゴルフのグランドスラム達成をすでに達成、世界のトップに立っていました。

 アーノルド・パーマー、ゲーリー・プレイヤー、そして私の3人が勝利を独占し、「ビッグスリー」と呼ばれていました。

 本人たちにとっては自分がどこにランクされようと、どうでもよいことでした。

 ただ勝ちたかった。

 3人とも「ビッグワン」になりたかっただけでした。

 だからあんなに熾烈な試合を繰り広げたのです。

 でも、1人きりよりも3人一緒の方が強かったと思います。

 試合、食事、パーティ、旅、いつも一緒にいた素晴らしい友人達です。

 誰かにトラブルがあると皆で助け合いました。

 仲間同士だったのです。

 アーノルド・パーマーとゲーリー・プレイヤーに対する敬愛と尊敬の念、これは私のキャリアにおいてとても重要な要素です。

 2人は同世代であるだけでなく、私にとってお手本でもありました。

 「ビッグスリー」は確かにゴルフをよりよいスポーツにしたと思います。

 同じ年、私たちは東京で開催されたカナダカップ大会に出場しました。

 アーノルド、ゲーリー、そして私がロレックスのカクテルパーティに出席したところ、ロレックスが「お礼に時計を選んでください。」というのです。

 そこでこの「ゴールド」のデイデイトを選びました。

 当時ロレックスを着けていたゲーリー・プレイヤーが「これが一番いいよ。」と言ったからです。

 それ以来どこへ行くにもこの時計を身に着けています。

 私が優勝したトーナメント、世界中で得た名誉、そのすべてをこの時計は見てきました。

 特別な場所に何度も一緒に行きました。

 これが初めて買った時計です。

 他にもたくさん時計を持ってはいますが、常に身に着けるのはこの時計だけです。

 この時計は長年にわたり私の多くを見てきました。

 ジャック・ニクラウスがキャリアで成し遂げた多くのことです。

 その歴史を共有したいというコレクターがいますので、この時計をオークションにかけるつもりです。

 もしそうなったら、素晴らしいストーリーになると思いますよ。

 チャリティーに役立つのですから。

 売り上げはジャック・ニクラウス小児医療財団の資金となり、大勢の子供たちを助けることになります。

 たくさんの子供たちを笑顔にしてくれることでしょう。

 私たちは長く続くことを望んでいると思います。

 人生には不変性が必要だと思います。

 私は51年間この時計を着用、結婚して58年、同じ家に48年間住んでいます。

 大きな変化は好まない性分です。

 不変性が好きです。

 一人の人間に長く愛用されてきて、この時計は見るべきことをすべて見てきたのではないでしょうか。

 旧友ですよ、古くからの愉快な親友です。

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2018年09月24日

ロレックスの買取・査定 体験談

【ロレックスの買取を求める人々】

 昔購入したロレックスが必要無くなり、新しいロレックスの購入資金に充てたいと考えている方や、生活の足しにしたいと考えている方は沢山いらっしゃるそうです。

 やはり、この不景気の時代ですから、何かと経済的に不安定な方も多いでしょうし、新しいロレックスを購入するとしても、出来る限りコストを抑えたいと考えているユーザーが多いのでしょうね。

 そういったユーザーの要望に答える形で買取店は近年増え続けているのです。



【ロレックスの買取体験・体験談】

 ロレックスを取り扱う買取店は多数ありますが、その特徴は店舗によってばらつきがあり、優良店もあれば、悪質と言われる店舗もあるので、しっかり体験談や口コミ情報などに耳を傾け優良店に買い取りしてもらわないと後々後悔するは目になりかねません。

 では、具体的にどんな体験談・口コミがあるのかここに挙げていきます。



『優良店と見られる主な体験談・口コミ』

 これは優良店で大事な形見のロレックスを買取してもらった方の体験談です。

 その買取店では、大事な形見のロレックスを手放すという事情を最大限に考慮し、出来る限り高額査定するだけでなく、対応も迅速で査定内容も出来る限り詳しく丁寧に教えてくれたと非情に満足して買取してもらいました。

 その他にも同じように高額査定や迅速対応などの言葉を優良店と見られる買取店の口コミでよく見られます。

 やはり、買取査定を行うバイヤーの質が、単純に査定能力が高いだけでなく、接客能力にかけても折り紙つきなのでしょね。

 また、このような体験談や口コミによる高評価は、実店舗を構えている買取店だけではなく、ネット専門で買取サービスを行う無店舗経営店でも同じ様な体験談や口コミを耳にします。

 話によると発送した翌日には査定額の連絡が入り、対応も実に素晴らしかったとのこと。

 優良店と言われる買取店らしく、実に良心的にサービスしてくれると良い評価ばかりでした。

 このように、しっかり口コミを活用して良心的なところに買取依頼すれば、ある程度満足行く買取サービスが受けられるとよく分かる体験談・口コミですね。



『悪質な買取店と見られる主な口コミ』

 ロレックスの買取店における査定や口コミにはいいものばかりではなく悪いものも当然あります。

 これは、ある人の体験談ですが、新作モデルのロレックスを購入したくて、買取店に買取査定を依頼しようとしたところ、何かと手数料を取られ、査定額もかなり安く、さらに意味不明な査定内容や無駄に時間を使いイタズラにいらだたせるような対応をされたそうです。

 本当ならば買取をキャンセルしたかったのですが、査定してもらった時点で手数料を支払わなければならなかったそうで、結局半強制的にロレックスを手放すはめになったようです。

 その方は2度とこの買取店は利用しないとかなり憤られておりました。

 このように買取店を選び間違えると、悪質なストレスの掛かる買取店にだまし討にあう可能性もあるので注意が必要です。



【ロレックス買取店の体験談・口コミから判断できること】

 ロレックスにおいて、買取店の良し悪しは、体験談や口コミを見れば明らかで、優良店であるほど評価は高いですし、悪質な店ほど評価は悪くなっています。

 もちろん、口コミや体験談だけがその買取店の評価の全てというわけではありませんが、買取店の優劣を見極める大きな判断材料となることだけは間違いありません。

 買取店に大切なロレックスを買取査定依頼されるのであれば、少しでも口コミや評判に注目しながら、優良店と言われるところに買取査定してもらいましょう。

 中には、手数料などいろんな名目でどんどん査定額から差し引いて大切なロレックスを格安で買い叩く悪質な買取店もありますので、くれぐれも注意してくださいね。






























posted by rolexwatch at 00:00| 中古品売買
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