2018年10月05日
ドン・ウォルシュ氏
1960年、アメリカ海軍大尉のドン・ウォルシュ氏とスイス人海洋学者のジャック・ピカール氏は、世界中の海洋において最深部となる、太平洋のマリアナ海溝に深海潜水艇トリエステ号で到達しました。
このトリエステ号の外側には、今や「ザ オールド レディ」として知られる試作モデルのロレックス オイスターウォッチ、ディープシー スペシャルが取り付けられていました。
この二人の挑戦は、潜水における新記録の樹立をもたらしただけではなく、深海探検の歴史に新たな1ページを加えることとなりました。
ウォルシュ氏のDNAは、ある意味、それ以降に作られたロレックス ウォッチのひとつひとつの中に生き続けているといえるでしょう。
<ドン・ウォルシュ氏の言葉>
若い人たちからよく聞かれます――若い人たちというのは私の大好きな聴衆ですが――どうやって私が探検家になったのかと。
それに対して私は、
「それはとてもシンプルなことです。
人は生まれながらにして探検家なのだから」
と答えます。
最も高い山に登らなくても、最も深い海に潜水しなくてもかまいません。
ただ自分を取り巻く世界に興味を抱けばよいのです。
かつてなりたいと思っていたものがひとつあるとしたら、それは水兵でした。
1930年代の後半、私はサンフランシスコ湾を望む家に住んでいました。
ゴールデンゲートブリッジの下を通り、地平線上に消えていく船を見ながら、
「あの向こうには何があるのだろう、どうやったらそれを見ることができるのだろう、それには何をすればいいのだろう」
と考えていました。
私はとても幸運です。なぜなら、それを見て、やり遂げ、今もやり続けているのですから。
北極に行き、海の最深部にも到達した。
そして65年を経ても私はまだ新しいことを学び続けています。
深海で私が最も魅了されたことは、新しい惑星に来たような錯覚を覚えたことです。
数百メートルも潜水すると、そこは完全に真っ暗で、何か新しい世界の入口にいるかのように思えます。
自分の周りにはそこで暮らす生物たちがいて…自分が部外者であることを認識するのです。
海洋の最深部に潜るという可能性に最初に気づき始めてから、1年もしないうちに実現しました。
アメリカ海軍の潜水艦で従事していた時に、潜水艦より深く潜ることができるバチスカーフ(深海潜水艇)と呼ばれるものでの深海探検への募集がありました。
私はこのプログラムに志願し、終生の旅へと乗り込みました。
といっても、深海部に達した時、11キロという短い旅だったのですが。
潜水艇の中の空間は、狭かったです。
ジャック・ピカールはとても背が高く、私はあまり大きくなかったので、残されたスペースを有効に使いました。
室温は、家の冷蔵庫よりほんの少しましなくらいでした。
1960年代だったので、多くの電化製品からは熱が放射されました。
窮屈でしたが私たちにはやることが沢山あり、調子は良かったです。
海と対峙する、新たな幕開けとなりました。
潜水中、私たちにはもうひとり、いや、もうひとつの乗組員がいました。
それは今日私たちが
「ザ オールド レディ」
と呼ぶ、この機会のために特別に作られたロレックスウォッチでした。
当時、ロレックスは深海の深さでの実験を実施できる施設をジュネーブに持っていませんでした。
だから私たちがこの新しい時計の実験場となったのです。
全9時間にもわたる潜水中、この時計は巨大な水圧を受けました。
水面に浮上した時、この時計が本当に動いているか興味があったのですが、実際のところ、ちゃんと動いていました。
私たちも良く働きましたが、この時計もそうでした。
良い仕事をしました。
「ザ オールド レディ」
ウォッチの遺産が存続し、
「ザ オールド レディ 」
に宿る私のDNAが今日のすべてのロレックスウォッチに生き続けているということは、私にとってこの上ない喜びです。
この先駆的な潜水から50周年を祝い、私に新しいロレックスウォッチが贈られたのですが、その裏蓋には、
「ドン・ウォルシュ、1960年の世界最深部への潜水を称える、2010年」
の銘が刻まれていました。
とても誇らしく感じました。
この時計はいつも私のそばにあります。
私がだれであるか、何をしてきたのかを思い出させてくれます。
そして、達成の証であり、誇りです。
私はこの時計を見て思います。
過去に私たちは長く生きることはできなかった。
過去と、これまでに達成されてきた偉業を尊重し、未来を見つめなければいけないと。
このトリエステ号の外側には、今や「ザ オールド レディ」として知られる試作モデルのロレックス オイスターウォッチ、ディープシー スペシャルが取り付けられていました。
この二人の挑戦は、潜水における新記録の樹立をもたらしただけではなく、深海探検の歴史に新たな1ページを加えることとなりました。
ウォルシュ氏のDNAは、ある意味、それ以降に作られたロレックス ウォッチのひとつひとつの中に生き続けているといえるでしょう。
<ドン・ウォルシュ氏の言葉>
若い人たちからよく聞かれます――若い人たちというのは私の大好きな聴衆ですが――どうやって私が探検家になったのかと。
それに対して私は、
「それはとてもシンプルなことです。
人は生まれながらにして探検家なのだから」
と答えます。
最も高い山に登らなくても、最も深い海に潜水しなくてもかまいません。
ただ自分を取り巻く世界に興味を抱けばよいのです。
かつてなりたいと思っていたものがひとつあるとしたら、それは水兵でした。
1930年代の後半、私はサンフランシスコ湾を望む家に住んでいました。
ゴールデンゲートブリッジの下を通り、地平線上に消えていく船を見ながら、
「あの向こうには何があるのだろう、どうやったらそれを見ることができるのだろう、それには何をすればいいのだろう」
と考えていました。
私はとても幸運です。なぜなら、それを見て、やり遂げ、今もやり続けているのですから。
北極に行き、海の最深部にも到達した。
そして65年を経ても私はまだ新しいことを学び続けています。
深海で私が最も魅了されたことは、新しい惑星に来たような錯覚を覚えたことです。
数百メートルも潜水すると、そこは完全に真っ暗で、何か新しい世界の入口にいるかのように思えます。
自分の周りにはそこで暮らす生物たちがいて…自分が部外者であることを認識するのです。
海洋の最深部に潜るという可能性に最初に気づき始めてから、1年もしないうちに実現しました。
アメリカ海軍の潜水艦で従事していた時に、潜水艦より深く潜ることができるバチスカーフ(深海潜水艇)と呼ばれるものでの深海探検への募集がありました。
私はこのプログラムに志願し、終生の旅へと乗り込みました。
といっても、深海部に達した時、11キロという短い旅だったのですが。
潜水艇の中の空間は、狭かったです。
ジャック・ピカールはとても背が高く、私はあまり大きくなかったので、残されたスペースを有効に使いました。
室温は、家の冷蔵庫よりほんの少しましなくらいでした。
1960年代だったので、多くの電化製品からは熱が放射されました。
窮屈でしたが私たちにはやることが沢山あり、調子は良かったです。
海と対峙する、新たな幕開けとなりました。
潜水中、私たちにはもうひとり、いや、もうひとつの乗組員がいました。
それは今日私たちが
「ザ オールド レディ」
と呼ぶ、この機会のために特別に作られたロレックスウォッチでした。
当時、ロレックスは深海の深さでの実験を実施できる施設をジュネーブに持っていませんでした。
だから私たちがこの新しい時計の実験場となったのです。
全9時間にもわたる潜水中、この時計は巨大な水圧を受けました。
水面に浮上した時、この時計が本当に動いているか興味があったのですが、実際のところ、ちゃんと動いていました。
私たちも良く働きましたが、この時計もそうでした。
良い仕事をしました。
「ザ オールド レディ」
ウォッチの遺産が存続し、
「ザ オールド レディ 」
に宿る私のDNAが今日のすべてのロレックスウォッチに生き続けているということは、私にとってこの上ない喜びです。
この先駆的な潜水から50周年を祝い、私に新しいロレックスウォッチが贈られたのですが、その裏蓋には、
「ドン・ウォルシュ、1960年の世界最深部への潜水を称える、2010年」
の銘が刻まれていました。
とても誇らしく感じました。
この時計はいつも私のそばにあります。
私がだれであるか、何をしてきたのかを思い出させてくれます。
そして、達成の証であり、誇りです。
私はこの時計を見て思います。
過去に私たちは長く生きることはできなかった。
過去と、これまでに達成されてきた偉業を尊重し、未来を見つめなければいけないと。
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