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2017年10月04日
一斉授業か『学び合い』か
最近、訳あって国語の授業を別の先生が指導しています。
スタイルは、従来通りの一斉授業。
悪いわけではなく、子どもたちも久しぶりの一斉授業に新鮮さを感じているようです。
しかし、後ろで見ていて目に入るのは、思考停止している子どもの姿。
明らかに、今アクティブじゃないなーと思う姿が目に入ります。
もちろん、逆に生き生きしている子も見られますし、安心できる落ち着きも見られます。
どっちが悪いのではなく、一長一短なのだなということでしょうか。
しかし、クラスにとってはプラスなのかもしれません。
最近、『学び合い』にマンネリ化を感じていたところです。
以前のような盛り上がりがなくなっている感じです。
先人たちの教えによると、何かトラブルが起こる前兆だそうな。
何が原因か、誰のあたりがポイントなのか。
その見極めをしなければいけないなと思っています。
子どもたち一人一人をしっかり見取って、早期解決できるようにしていきます!
スタイルは、従来通りの一斉授業。
悪いわけではなく、子どもたちも久しぶりの一斉授業に新鮮さを感じているようです。
しかし、後ろで見ていて目に入るのは、思考停止している子どもの姿。
明らかに、今アクティブじゃないなーと思う姿が目に入ります。
もちろん、逆に生き生きしている子も見られますし、安心できる落ち着きも見られます。
どっちが悪いのではなく、一長一短なのだなということでしょうか。
しかし、クラスにとってはプラスなのかもしれません。
最近、『学び合い』にマンネリ化を感じていたところです。
以前のような盛り上がりがなくなっている感じです。
先人たちの教えによると、何かトラブルが起こる前兆だそうな。
何が原因か、誰のあたりがポイントなのか。
その見極めをしなければいけないなと思っています。
子どもたち一人一人をしっかり見取って、早期解決できるようにしていきます!
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2017年09月29日
教科の本質にせまる授業は必要か?
資質・能力を最大限に引き出す! 『学び合い』の手引き ルーツ&考え方編 新品価格 |
今はこの本を読んでいます。
本を読んでいる限り、答えはNOだと感じます。
たとえ、私立の学校であってもそう思います。
『学び合い』は、側から見ると落ち着きのないざわざわした授業です。
だから、廊下から通り過ぎるときにチラ見をしただけの人にとっては、ただ遊んでいるだけのようにも見えます。
アンチの人たちには、その印象が強いのだと思います。
だからこそ、粘り強く説明をして理解していただく必要がありますし、テストの結果を残すしかないのだと思います。
だいたいの保護者は、子どもが学校に楽しんで登校し、テストで良い点数を取って帰ってきたら文句は言わないでしょう。
同僚の教師はそう簡単にはいかないでしょうが…。
同僚の教師に言われそうなこととして、
「『学び合い』では簡単な課題だけをしているので、教科としての本質にせまれないのではないか?」
というものが考えられます。
確かに一理あると思います。
一流の先生にしか教えられない特別な領域というのが確かにあることは認めます。
しかし、その授業をしっかり理解できる子は、クラスにどれくらいいるのでしょうか?
面白いと興味を持てる子は、どれくらいいるのでしょうか?
間違いなく、全員ではないと思います。
9割の子たちがついていけたとしても、1割は落ちこぼれてしまいます。
その現実は、教師なら絶対にわかっているはずです。
にもかかわらず、それを主張するのは、私には理解できません。
それを認めるのは、子どもを見捨てることを容認してることになるからです。
誰一人見捨てたくない。
そう思うのは、間違えでしょうか?
教師を目指し始めた時、教師になりたての頃、そう思ってはいなかったでしょうか?
現実を知ると、見捨てることに眼をつぶるようになるのでしょうか?
ほんの少し前の私は、そうでした。
見て見ぬ振りをしながら、自分を正当化して誤魔化していました。
今は『学び合い』があります。
万能ではありませんが、以前の一斉授業よりは可能性を感じます。
実際、以前は嫌いで仕方なかった算数の授業を、今は心待ちにしているクラスになりました。
本気で友だちと関わり合える子どもたちになりました。
私は教師です。
教科の本質を教えることよりも、誰一人見捨てないことを優先できる教師でありたいです。
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2017年09月28日
どうして学校に行かなければいけないの?
誰もが一度は疑問に感じる部分ではあります。
どうして学校に行かなければいけないの?
学校は、楽しい場所であり、辛い場所でもあります。
守られているようで、守られていない場所でもあります。
もし学校に行かなくてもいいのなら、全国のどれほどの子たちが救われるでしょう?
きっと想像以上に多いのではないでしょうか。
しかし、学校には行かなければいけないのです。
いや、語弊がありますね。
学校には行かなくてもいいけれど、一人で過ごすことはダメなことです。
『学び合い』の中の学校観に、このような言葉があります。
学校とは「多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決する」ことを学び、仲間を得る場である
見事な言葉だと思います。
私たちは、考えている以上に人と繋がりを持って生きています。
それは直接目に見える繋がりであったり、見えない繋がりであったりするかもしれません。
本当の意味での一人で生きていくのは、今の時代不可能に近いのではないでしょうか。
だからこそ、人との折り合いをうまくつけられる能力が必須になってくると思います。
近づきすぎず、離れすぎず、適度な距離感で仕事や生活ができなければいけません。
その能力を身に付けるのが学校という場だと思っています。
様々な立場、様々な能力を持った人たちがたくさん集まる場所。
折り合いのつけ方を学ぶ場としては、学校が最も相応しいのではないでしょうか?
漢字を覚えられなくてもいいんです。
パソコンが教えてくれます。
わり算ができなくてもいいんです。
電卓で計算できます。
でも、人と折り合いをつけられなければ社会でよりよく生きていけません。
もう一度ご自分を振り返ってみてください。
子どもたちだけではなく、自分もいっしょなんです。
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どうして学校に行かなければいけないの?
学校は、楽しい場所であり、辛い場所でもあります。
守られているようで、守られていない場所でもあります。
もし学校に行かなくてもいいのなら、全国のどれほどの子たちが救われるでしょう?
きっと想像以上に多いのではないでしょうか。
しかし、学校には行かなければいけないのです。
いや、語弊がありますね。
学校には行かなくてもいいけれど、一人で過ごすことはダメなことです。
『学び合い』の中の学校観に、このような言葉があります。
学校とは「多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決する」ことを学び、仲間を得る場である
見事な言葉だと思います。
私たちは、考えている以上に人と繋がりを持って生きています。
それは直接目に見える繋がりであったり、見えない繋がりであったりするかもしれません。
本当の意味での一人で生きていくのは、今の時代不可能に近いのではないでしょうか。
だからこそ、人との折り合いをうまくつけられる能力が必須になってくると思います。
近づきすぎず、離れすぎず、適度な距離感で仕事や生活ができなければいけません。
その能力を身に付けるのが学校という場だと思っています。
様々な立場、様々な能力を持った人たちがたくさん集まる場所。
折り合いのつけ方を学ぶ場としては、学校が最も相応しいのではないでしょうか?
漢字を覚えられなくてもいいんです。
パソコンが教えてくれます。
わり算ができなくてもいいんです。
電卓で計算できます。
でも、人と折り合いをつけられなければ社会でよりよく生きていけません。
もう一度ご自分を振り返ってみてください。
子どもたちだけではなく、自分もいっしょなんです。
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