2017年09月29日
教科の本質にせまる授業は必要か?
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今はこの本を読んでいます。
本を読んでいる限り、答えはNOだと感じます。
たとえ、私立の学校であってもそう思います。
『学び合い』は、側から見ると落ち着きのないざわざわした授業です。
だから、廊下から通り過ぎるときにチラ見をしただけの人にとっては、ただ遊んでいるだけのようにも見えます。
アンチの人たちには、その印象が強いのだと思います。
だからこそ、粘り強く説明をして理解していただく必要がありますし、テストの結果を残すしかないのだと思います。
だいたいの保護者は、子どもが学校に楽しんで登校し、テストで良い点数を取って帰ってきたら文句は言わないでしょう。
同僚の教師はそう簡単にはいかないでしょうが…。
同僚の教師に言われそうなこととして、
「『学び合い』では簡単な課題だけをしているので、教科としての本質にせまれないのではないか?」
というものが考えられます。
確かに一理あると思います。
一流の先生にしか教えられない特別な領域というのが確かにあることは認めます。
しかし、その授業をしっかり理解できる子は、クラスにどれくらいいるのでしょうか?
面白いと興味を持てる子は、どれくらいいるのでしょうか?
間違いなく、全員ではないと思います。
9割の子たちがついていけたとしても、1割は落ちこぼれてしまいます。
その現実は、教師なら絶対にわかっているはずです。
にもかかわらず、それを主張するのは、私には理解できません。
それを認めるのは、子どもを見捨てることを容認してることになるからです。
誰一人見捨てたくない。
そう思うのは、間違えでしょうか?
教師を目指し始めた時、教師になりたての頃、そう思ってはいなかったでしょうか?
現実を知ると、見捨てることに眼をつぶるようになるのでしょうか?
ほんの少し前の私は、そうでした。
見て見ぬ振りをしながら、自分を正当化して誤魔化していました。
今は『学び合い』があります。
万能ではありませんが、以前の一斉授業よりは可能性を感じます。
実際、以前は嫌いで仕方なかった算数の授業を、今は心待ちにしているクラスになりました。
本気で友だちと関わり合える子どもたちになりました。
私は教師です。
教科の本質を教えることよりも、誰一人見捨てないことを優先できる教師でありたいです。
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