2020年03月29日
名寄のキマロキを見て感動した話
どうもです。
本日関東は荒れ模様の天気で寒いです。
だからというわけではないですが、
今回は北海道まで昔わざわざ見に行ってきたキマロキの話です。
以前B20の事を書いた時に軽く触れましたが、そもそもキマロキを知っている人はどれくらい居るのでしょうか?
知っている人には今更ですが、知らない人も読めばたぶん分かります(笑)
既に見に行ってから早くも15年以上経ってしまいましたが、行ってきたのは2003年の夏休みの事でした。
その時まだ独り身だった自分は北海道へのソロバイクツーリングを計画。
計画と言ってもフェリーの時間以外には特に決めずに、いくつか行ってみようと思っていた場所を巡るつもりでかなり大まかな予定で出発しました。
既に記憶が一部怪しいんですが、当日は確か夕方に家を出て夜間東北道をひたすら青森へ向かい、早朝に三沢に到着。
そこから一般道に降りて下北半島を走り、午前中にはマグロで有名な大間からフェリーに乗って昼前には函館に上陸しました。
夜間に雨に降られて合羽を着ていたにもかかわらず靴の中までぐっしょりになったのも今は良い思い出。
(ウソです。フェリーに乗っても靴と靴下が乾かず気持ち悪かった記憶しかないですね)
夏とはいえ、早朝の三沢料金所で支払いをしようとして濡れたお札を出すのに手が震えて財布から上手く取り出せなくて難儀した事を思い出しました。
北海道上陸後はそのころ祖母の妹が室蘭に住んでいたので、初日はそこで一晩お世話になる事になっていました。
実は高校生の時にもバイクで一度北海道に行ってるんですが、その時もお世話になってるんですよね。
その時は友人N氏と帰りに寄って二人で一泊させてもらい、そこから函館まで走ったんですが、今回はその逆でこれからあちこち走りに行こうと言うまさにスタート地点として寄らせてもらいました。
そこで晩御飯をご馳走になり、翌日は朝から夕張方面へと出発しました。
この時は函館市内もロクに観光せず、室蘭から先の洞爺湖も素通りして夕張へ向かったのには一応訳がありました。
実は一時期祖父母が夕張に住んでいた事がありまして、その頃遊びに行った時に見かけた近所の自動車修理工場に「プリンス自動車」の看板のあった記憶があり、それがどうなっているのか凄く気になっていたからなんですよ。
あの頃から既に15年以上経っていた(2003年当時の話です)のであまり期待していませんでしたが、記憶にある場所まで行くと・・・
既に建物が新しくなっており、当時の雰囲気とは全く変わっていたのでガッカリ。
仕方なく作ってもらったオニギリを近くの鹿ノ谷駅の待合室で一人寂しく食べました。
この鹿ノ谷駅はJR夕張線の終点である夕張駅のひとつ手前の駅で、石炭産業華やかなりし頃には構内には多数の石炭を積んだ貨車がたむろしていたところ。
高校卒業した春に一度一人で遊びに来た時にはまだ広い構内はほぼそのままでしたが、この時オニギリを食べながらその景色を見た記憶がありません・・・
ショックだったんですかね(笑)
そういえば、卒業旅行で一人で遊びに来た時には着いたら駅から電話しろと言われていましたが、駅に着いたら既に祖父が駅前で待っていました。
「どうしたの?」
と聞いたら、電話しろといった後に駅に電話が無い事に気づいて先に来て待っていたと言われたのを思い出してしまいました。
携帯電話普及以前のほのぼのした時代のお話。
その祖父も既にこの世を去って随分経ちます。
そしてその夕張線もついに廃線となってしまいましたね。
で、この後は急ぎ名寄のキマロキを見るために岩見沢方面まで山を越えて走ることに。
今のようにスマホじゃなかったんで、しっかりゼンリンの地図を持って走っていましたので、駅の待合室でしっかり道を確認してから夕張の山を上がっていきました。メロンで有名な夕張ですが、そんなものを食べる暇もお金も無いのでメロン販売店があってもスルーしてひたすら走ります。
途中キタキツネに遭遇したりしながら無事峠を走破して下っていた時に、途中以前の記事で書いたB20を発見して喜び勇んで撮影したりしながら岩見沢に向かい、そこから高速に乗り一路名寄へ・・・って行きたいところなんですが、当時はまだそこまで高速が開通していなくて、和寒(わっさむ)と言う所まででした。
そこから一般道を使ってようやく名寄市内のキマロキが展示してある名寄市北国博物館に到着したのはもう既に16時を過ぎた頃。
夏の16時なんでそこまで暗くないとはいえ、北海道のこの時間では既に秋の雰囲気をかもし出していました。
そのキマロキは博物館内の丘の上から出迎えてくれました。
夕方なんで暗い写真ですが迫力ある堂々とした姿に感動。
早速小走りにキマロキへと向かいます。
先ずは先頭の機関車
9600形59601
この機関車は元々貨物用として1921年(大正10年)に川崎造船にて製造された1両で1972年(昭和47年)に廃車。9600形は国鉄では一番最後まで(国鉄の蒸気全廃は1976年)活躍した機関車でした。
2両目のマックレー式除雪車キ911はキ550形を1941年(昭和16年)に改番したキ900形の1両。
マックレーとは「かき寄せ雪かき車」とも言い、一度線路側面に壁状に溜まった雪をもう一度線路中央へ集めるための車両。
何故そんなことをするかというと、線路の除雪をすると線路わきに雪が溜まって壁のようになってしまい除雪できなくなってしまうので、ある程度雪が溜まってくるともっと遠くへ投雪する為マックレーでかき寄せるわけです。
本体についている翼を逆ハの字に広げて線路側面の雪の壁を崩しながら線路中央へ集めて、次位に連結されているロータリー車で遠くへ飛ばすわけです。(写真は開状態で、次のロータリー車の回転羽根が見えてます)
キ900形は1976年に廃車になるまで冬季の除雪に活躍しました。
3両目は堂々たる車体がド迫力のロータリー式除雪車のキ604
このキ600形は最初の2両は輸入品でして、製造元はアメリカのアルコ社(アメリカン・ロコモティブ社)で1923年(大正12年)導入。
その後は国産化され、輸入品を含めて合計16両製造されました。
ロータリー除雪車とは車両前方の回転羽根で上記のマックレー車がかき寄せた雪を遠方に飛ばすための車両です。
回転羽根の動力源は蒸気で、大きな車内には蒸気機関車と同じボイラーが鎮座しています。
しかし、羽根の動力源としてボイラーを搭載しているので自走は出来ません。
このキ600形は1975年まで在籍していました。
そして殿の機関車はD51です
D51 398は1940年(昭和15年)日本車両にて製造され1973年9月に名寄で廃車になった機関車。
国鉄蒸気最大の両数(1115両)を誇った超メジャーなSLです。
んで、D51のお尻にくっ付いているのは車掌車ヨ3500形ヨ4456です。
ヨ3500形は1950年(昭和25年)から製造された車掌車で、走り装置(サスペンション)が1段リンク式にもかかわらず最高速度は75キロまでOKだったので黄帯は巻かれませんでした。
キ911とキ604は最高速度65キロ以下の指定の為、1968年(昭和43年)10月以降は車体に最高速度65キロ以下識別用に黄色の帯が巻かれたんです。(当時在籍していた車両の内、高速走行に適さない車両は最高速度65キロ以下に制限され、その識別のために黄帯が巻かれたんです)
同系のヨ5000は2段リンク式の為、最高速度は85キロまで向上。
こちらの方が両数は多いです。
・・・っていうか、ヨ5000初期車は元々ヨ3500を1959年(昭和34年)から2段リンク式に改造した車両ですけどね。
キ911とキ604のアップ
このためだけに当時名寄まで行ってきたんですが、夕方だったこともあり博物館には入らず写真だけ取って約1時間後にはその場を後にしました。
それにしても、時間のせいなのか元々そんなもんなのかは分かりませんが、人気が少なくて撮影は楽でしたね。
こういった展示物としては珍しく内部にも入ることが出来てじっくりと堪能できたのはありがたかったです。
キ604の操作室なども入って室内のボイラーなども確認できましたし、キューロクやデゴイチのキャブにも乗って雰囲気を堪能しました。
函館からはとてつもなく遠い場所でしたが、二日がかりで行くだけの価値は充分以上ありました。
この後は急ぎ旭川まで戻って宿を探したのですが、旭川に着いた頃には既に真っ暗。
どうにか駅の案内所で泊まるところを探して落ち着くことが出来ました。
翌日はなんと小樽に向かい飽きずに鉄道博物館を訪問しているんですが、それはまたその内ということで。
オマケ
手持ちのNゲージで再現したキマロキ
かなり前に購入したマイクロエース製品
黄帯付と無しが発売されてました。
実際に連結してキマロキを再現できますが、9600とD51の協調が取れていないのでギクシャクしてあまりちゃんとは走ってくれません。
オマケ2
名寄の帰りしなに記念撮影した1コマ
嬉しそうな自分が写っています。
よっぽど満足したのでしょう(笑)
子供の頃に図鑑でしか見ることのできなかった実物をようやく見ることが出来たので、そりゃ満足ですわな!
最後に
キマロキの意味はもうお分かりかと思いますが、
機関車+マックレー+ロータリー+機関車の頭文字をとってキマロキなんですね。
知ってる人には不要の解説ですが、知らない人には謎の暗号のような言葉でした。
ではまた
本日関東は荒れ模様の天気で寒いです。
だからというわけではないですが、
今回は北海道まで昔わざわざ見に行ってきたキマロキの話です。
以前B20の事を書いた時に軽く触れましたが、そもそもキマロキを知っている人はどれくらい居るのでしょうか?
知っている人には今更ですが、知らない人も読めばたぶん分かります(笑)
先ずは北海道へ
既に見に行ってから早くも15年以上経ってしまいましたが、行ってきたのは2003年の夏休みの事でした。
その時まだ独り身だった自分は北海道へのソロバイクツーリングを計画。
計画と言ってもフェリーの時間以外には特に決めずに、いくつか行ってみようと思っていた場所を巡るつもりでかなり大まかな予定で出発しました。
既に記憶が一部怪しいんですが、当日は確か夕方に家を出て夜間東北道をひたすら青森へ向かい、早朝に三沢に到着。
そこから一般道に降りて下北半島を走り、午前中にはマグロで有名な大間からフェリーに乗って昼前には函館に上陸しました。
夜間に雨に降られて合羽を着ていたにもかかわらず靴の中までぐっしょりになったのも今は良い思い出。
(ウソです。フェリーに乗っても靴と靴下が乾かず気持ち悪かった記憶しかないですね)
夏とはいえ、早朝の三沢料金所で支払いをしようとして濡れたお札を出すのに手が震えて財布から上手く取り出せなくて難儀した事を思い出しました。
北海道上陸後はそのころ祖母の妹が室蘭に住んでいたので、初日はそこで一晩お世話になる事になっていました。
実は高校生の時にもバイクで一度北海道に行ってるんですが、その時もお世話になってるんですよね。
その時は友人N氏と帰りに寄って二人で一泊させてもらい、そこから函館まで走ったんですが、今回はその逆でこれからあちこち走りに行こうと言うまさにスタート地点として寄らせてもらいました。
そこで晩御飯をご馳走になり、翌日は朝から夕張方面へと出発しました。
この時は函館市内もロクに観光せず、室蘭から先の洞爺湖も素通りして夕張へ向かったのには一応訳がありました。
実は一時期祖父母が夕張に住んでいた事がありまして、その頃遊びに行った時に見かけた近所の自動車修理工場に「プリンス自動車」の看板のあった記憶があり、それがどうなっているのか凄く気になっていたからなんですよ。
あの頃から既に15年以上経っていた(2003年当時の話です)のであまり期待していませんでしたが、記憶にある場所まで行くと・・・
既に建物が新しくなっており、当時の雰囲気とは全く変わっていたのでガッカリ。
仕方なく作ってもらったオニギリを近くの鹿ノ谷駅の待合室で一人寂しく食べました。
この鹿ノ谷駅はJR夕張線の終点である夕張駅のひとつ手前の駅で、石炭産業華やかなりし頃には構内には多数の石炭を積んだ貨車がたむろしていたところ。
高校卒業した春に一度一人で遊びに来た時にはまだ広い構内はほぼそのままでしたが、この時オニギリを食べながらその景色を見た記憶がありません・・・
ショックだったんですかね(笑)
そういえば、卒業旅行で一人で遊びに来た時には着いたら駅から電話しろと言われていましたが、駅に着いたら既に祖父が駅前で待っていました。
「どうしたの?」
と聞いたら、電話しろといった後に駅に電話が無い事に気づいて先に来て待っていたと言われたのを思い出してしまいました。
携帯電話普及以前のほのぼのした時代のお話。
その祖父も既にこの世を去って随分経ちます。
そしてその夕張線もついに廃線となってしまいましたね。
で、この後は急ぎ名寄のキマロキを見るために岩見沢方面まで山を越えて走ることに。
今のようにスマホじゃなかったんで、しっかりゼンリンの地図を持って走っていましたので、駅の待合室でしっかり道を確認してから夕張の山を上がっていきました。メロンで有名な夕張ですが、そんなものを食べる暇もお金も無いのでメロン販売店があってもスルーしてひたすら走ります。
途中キタキツネに遭遇したりしながら無事峠を走破して下っていた時に、途中以前の記事で書いたB20を発見して喜び勇んで撮影したりしながら岩見沢に向かい、そこから高速に乗り一路名寄へ・・・って行きたいところなんですが、当時はまだそこまで高速が開通していなくて、和寒(わっさむ)と言う所まででした。
そこから一般道を使ってようやく名寄市内のキマロキが展示してある名寄市北国博物館に到着したのはもう既に16時を過ぎた頃。
夏の16時なんでそこまで暗くないとはいえ、北海道のこの時間では既に秋の雰囲気をかもし出していました。
遂にキマロキとご対面
そのキマロキは博物館内の丘の上から出迎えてくれました。
夕方なんで暗い写真ですが迫力ある堂々とした姿に感動。
早速小走りにキマロキへと向かいます。
先ずは先頭の機関車
9600形59601
この機関車は元々貨物用として1921年(大正10年)に川崎造船にて製造された1両で1972年(昭和47年)に廃車。9600形は国鉄では一番最後まで(国鉄の蒸気全廃は1976年)活躍した機関車でした。
2両目のマックレー式除雪車キ911はキ550形を1941年(昭和16年)に改番したキ900形の1両。
マックレーとは「かき寄せ雪かき車」とも言い、一度線路側面に壁状に溜まった雪をもう一度線路中央へ集めるための車両。
何故そんなことをするかというと、線路の除雪をすると線路わきに雪が溜まって壁のようになってしまい除雪できなくなってしまうので、ある程度雪が溜まってくるともっと遠くへ投雪する為マックレーでかき寄せるわけです。
本体についている翼を逆ハの字に広げて線路側面の雪の壁を崩しながら線路中央へ集めて、次位に連結されているロータリー車で遠くへ飛ばすわけです。(写真は開状態で、次のロータリー車の回転羽根が見えてます)
キ900形は1976年に廃車になるまで冬季の除雪に活躍しました。
3両目は堂々たる車体がド迫力のロータリー式除雪車のキ604
このキ600形は最初の2両は輸入品でして、製造元はアメリカのアルコ社(アメリカン・ロコモティブ社)で1923年(大正12年)導入。
その後は国産化され、輸入品を含めて合計16両製造されました。
ロータリー除雪車とは車両前方の回転羽根で上記のマックレー車がかき寄せた雪を遠方に飛ばすための車両です。
回転羽根の動力源は蒸気で、大きな車内には蒸気機関車と同じボイラーが鎮座しています。
しかし、羽根の動力源としてボイラーを搭載しているので自走は出来ません。
このキ600形は1975年まで在籍していました。
そして殿の機関車はD51です
D51 398は1940年(昭和15年)日本車両にて製造され1973年9月に名寄で廃車になった機関車。
国鉄蒸気最大の両数(1115両)を誇った超メジャーなSLです。
んで、D51のお尻にくっ付いているのは車掌車ヨ3500形ヨ4456です。
ヨ3500形は1950年(昭和25年)から製造された車掌車で、走り装置(サスペンション)が1段リンク式にもかかわらず最高速度は75キロまでOKだったので黄帯は巻かれませんでした。
キ911とキ604は最高速度65キロ以下の指定の為、1968年(昭和43年)10月以降は車体に最高速度65キロ以下識別用に黄色の帯が巻かれたんです。(当時在籍していた車両の内、高速走行に適さない車両は最高速度65キロ以下に制限され、その識別のために黄帯が巻かれたんです)
同系のヨ5000は2段リンク式の為、最高速度は85キロまで向上。
こちらの方が両数は多いです。
・・・っていうか、ヨ5000初期車は元々ヨ3500を1959年(昭和34年)から2段リンク式に改造した車両ですけどね。
キ911とキ604のアップ
このためだけに当時名寄まで行ってきたんですが、夕方だったこともあり博物館には入らず写真だけ取って約1時間後にはその場を後にしました。
それにしても、時間のせいなのか元々そんなもんなのかは分かりませんが、人気が少なくて撮影は楽でしたね。
こういった展示物としては珍しく内部にも入ることが出来てじっくりと堪能できたのはありがたかったです。
キ604の操作室なども入って室内のボイラーなども確認できましたし、キューロクやデゴイチのキャブにも乗って雰囲気を堪能しました。
函館からはとてつもなく遠い場所でしたが、二日がかりで行くだけの価値は充分以上ありました。
この後は急ぎ旭川まで戻って宿を探したのですが、旭川に着いた頃には既に真っ暗。
どうにか駅の案内所で泊まるところを探して落ち着くことが出来ました。
翌日はなんと小樽に向かい飽きずに鉄道博物館を訪問しているんですが、それはまたその内ということで。
オマケ
手持ちのNゲージで再現したキマロキ
かなり前に購入したマイクロエース製品
黄帯付と無しが発売されてました。
実際に連結してキマロキを再現できますが、9600とD51の協調が取れていないのでギクシャクしてあまりちゃんとは走ってくれません。
オマケ2
名寄の帰りしなに記念撮影した1コマ
嬉しそうな自分が写っています。
よっぽど満足したのでしょう(笑)
子供の頃に図鑑でしか見ることのできなかった実物をようやく見ることが出来たので、そりゃ満足ですわな!
最後に
キマロキの意味はもうお分かりかと思いますが、
機関車+マックレー+ロータリー+機関車の頭文字をとってキマロキなんですね。
知ってる人には不要の解説ですが、知らない人には謎の暗号のような言葉でした。
ではまた
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おはようございます。
いつもコメントありがとうございます。
丁寧に記事を読んでくださっているようでお恥ずかしいですが嬉しい限りです。
名寄のキマロキはネットで見つけて以来いつか見に行こうと思っていたものです。実際に行ってみると機関車もローターリー車もキャブに乗ったり自由にできるのに綺麗に維持されていて驚きました。
しかも屋外展示なのに手入れも行き届いており、とても感心したのを覚えています。
ロータリー車だけならほかにも2か所保存されているところはありますが、編成で保存・展示されているのはここだけなので貴重ですよね。
私も鉄道を使って北海道へは何度か行ったことがありますが、この時はバイクでの渡道でした。
今はもう難しいですが、出来ればまた行きたいですね〜
私ばかりコメントして申し訳ありません(笑)
ただ興味深いページばかりでどこからコメントしようかと、宜しくお付き合いくださいませ。
名寄のキマロキ素晴らしいですね。現状が気になって名寄市のホームページを検索したところ現在もこのままの状態で保存されているようで安心しました。
SLブームに乗じてこぞって市町村が手を挙げ保存したものの放置状態で荒廃、挙句の果てには厄介者扱いされて解体された物も多い中、完全編成を目指してあとでヨを探して追加するなど名寄市の情熱と愛着が感じられて嬉しくなりました。
これだけの車両を野外で状態よく保存するには丹念な手入れが必要で担当されてる方には本当に頭が下がります。
青函連絡船で3度トンネルで1度渡道して以来20数年ご無沙汰の北海道ですが久々に訪れてみたいです。