2019年08月14日
国鉄大船工場
どうもです。
珍しく鉄道ネタが続きます。
今日は国鉄時代の旧大船工場について書いてみます。
今はなき国鉄大船工場は、東海道線の大船に近い場所にあり、当時は主に電車と客車の検査や修繕を担当していました。
割と近くに住んではいたものの、自転車で行くにはチト遠く、高校生になるまでは近くて遠い場所でした。
大船工場へは大船駅から直接入れず、工場へ入る車両は横須賀線の下り線を一度鎌倉方向へ走ってスイッチバックで入っていました。
大船を出てから少し北鎌倉方面へ走ると駅前から来た道路が踏み切りで横切るのですが、その先を少し行ったところに工場への入出場線がありました。
ダイヤ等に詳しい人ならそういった情報を見て撮影に行った事と思います。
大人になってから知ったことですが、157系や身延線とか飯田線の旧型国電の解体は大船工場で行われていたのに、小学生の頃はそんなことも知らずに見れなかったんですよ。
勿体無い事をしてますね。
そんな大船工場ですが、高校生になって原付きの免許を取ってからようやく気軽に行ける場所になりました。
何度か近くまでいって路地の突き当たりから金網越しに中を見たりしていましたが、当時は旧御料車の一部が側線に色あせて留置されていたりするのが見えて興奮したのを覚えています。
3軸台車のTR73を見たのもそのときが初めてで、Nゲージのマイテ49で馴染みがあったとはいえ実物はかなりの存在感でした。後に撮影したTR73台車・・・今なら大宮の鉄博でじっくり見れますね
そこからは他にも横須賀色のクモニ83なども見えてその後も何度か友人と通いましたね。
ただ、普通の人は入らない路地の行き止まりの場所だったので、あまり長い時間入り浸ると不審者と間違われる可能性はありましたけど。
実際、いつも行くのは夕方でしたので、
見るにも写真を撮るにも薄暗くなってしまってあまりまともな写真は撮影できませんでした。
そんな感じで高校生の頃には何度か通った大船工場でしたが、ついに一度も工場への入出場に出くわしたことは無かったですね。
工場への専用線は道路と並行して走っているところも多く、
小さい頃からよく車で通っていましたが、悲しいかな走っている姿は最後まで一度も見ることが出来ませんでした。
時に昭和61年の高校生の頃、まさに国鉄末期の頃ですが工場の一般公開があったんですね。
これを友人がどこかで聞いてきて一緒に行こうということになりました。
確か公開日は土日の二日間にわたって行われたと記憶しています。
初日は部品の即売会がメインで、自分も高校から帰ってから急いで向かい20系客車の側面愛称幕をゲットしました。
(当時の学生は土曜日も学校だったんですよ〜)←半ドンね♪
急行の名称も入ってるんで50年改正以降のものでしょうけど、列車名が多数入っていて購入当初は嬉しくて眺めてましたね〜
ただ、本来なら回転幕なんで巻取り器にセットしないとまともに見れないので、
どうにか自分で作れないかと考えた事もありましたが面倒なのでやめました(笑)
当日の目玉はマスコンや特急のリクライニングシートなどの部品で、それ目当てに多くの人が訪れて大盛況でした。
そして翌日は工場見学と構内体験運転だったはず。
工場内には検査途中の車両もあり、普段中々見ることが出来ない部分も見ることが出来てだいぶワクワクしながら見学させてもらった覚えがあります。
検査中のオハネフ25の普段見れないほう
そのときに撮影した物の中には後年大宮の博物館入りしたナハネフ22のトップナンバーなど、当時まだ一般にはほとんど知られていなかった車両もチラホラ写っています。
事前に情報が無かったこれらの車両を初めて目にしたときは相当興奮しましたよ。
特にナハネフ22なんてトップナンバーがこんなところに生き残っていたなんて知らなかったので嬉々として撮影しました。(なぜか写真が見つからない・・・)
クモハ11や50番代じゃないクモハ12にも痺れましたね。
クモハ11200番台 後ろにオハネフ22がチラッと見えてますね
クモハ12016
当時は既に関東では旧型国電は鶴見線を除いてほぼ絶滅していたので姿を見れたのが嬉しかったです。
ただこっちはその後どうなったのかは知らないです。
詳しい方なら情報をお持ちなのでしょうが、自分は現在実物の鉄からはほとんど足を洗っているので情報に疎いんですね。
話を戻すと、こちらが構内を撮影しながら歩いていた同じ頃、以前に表から眺めていた引込み線の辺りではクモユニ74を使って体験運転をやってました。
確かこいつを使っていたはず
何故かそのときはそっちにはあんまり興味が無かったんで、
どこで募集していたのかさえ知らなかったんですが、
今思えば吊り掛け駆動の旧型国電を運転出来たなんてのは贅沢ですよね。
時既に遅しですけど。
・・・その後結局何時までいたんでしょう?
その日はかなり満足して帰宅したはずです。
しかしその後まもなく国鉄は解体されてしまいました。
大船工場はJRになった後、2000年には近くにあった大船電車区と統合され新たに鎌倉総合車両所として引き続き検修を行っていましたが、2006年には業務の縮小により閉鎖となりました。
その頃には自分も子供の頃から住んでいた場所からは既に引っ越しており、近くに行く事もなくなってしまいましたので最後の頃の様子は知りません。
今でもあの広大な土地はそのままなんでしょうか?
土壌汚染があってすぐにどうこう出来る状態ではなかったようですので。
大船に近い場所に住んでいた頃、滅多に乗りませんでしたが湘南モノレールに乗ると車窓から大船工場の中が良く見えたんですよ。
そんな時は見えなくなるまでずぅ〜と眺めてましたっけ。
今から30年以上前のお話でした。
ではまた
珍しく鉄道ネタが続きます。
今日は国鉄時代の旧大船工場について書いてみます。
今はなき国鉄大船工場は、東海道線の大船に近い場所にあり、当時は主に電車と客車の検査や修繕を担当していました。
割と近くに住んではいたものの、自転車で行くにはチト遠く、高校生になるまでは近くて遠い場所でした。
大船工場の記憶
大船工場へは大船駅から直接入れず、工場へ入る車両は横須賀線の下り線を一度鎌倉方向へ走ってスイッチバックで入っていました。
大船を出てから少し北鎌倉方面へ走ると駅前から来た道路が踏み切りで横切るのですが、その先を少し行ったところに工場への入出場線がありました。
ダイヤ等に詳しい人ならそういった情報を見て撮影に行った事と思います。
大人になってから知ったことですが、157系や身延線とか飯田線の旧型国電の解体は大船工場で行われていたのに、小学生の頃はそんなことも知らずに見れなかったんですよ。
勿体無い事をしてますね。
そんな大船工場ですが、高校生になって原付きの免許を取ってからようやく気軽に行ける場所になりました。
何度か近くまでいって路地の突き当たりから金網越しに中を見たりしていましたが、当時は旧御料車の一部が側線に色あせて留置されていたりするのが見えて興奮したのを覚えています。
3軸台車のTR73を見たのもそのときが初めてで、Nゲージのマイテ49で馴染みがあったとはいえ実物はかなりの存在感でした。後に撮影したTR73台車・・・今なら大宮の鉄博でじっくり見れますね
そこからは他にも横須賀色のクモニ83なども見えてその後も何度か友人と通いましたね。
ただ、普通の人は入らない路地の行き止まりの場所だったので、あまり長い時間入り浸ると不審者と間違われる可能性はありましたけど。
実際、いつも行くのは夕方でしたので、
見るにも写真を撮るにも薄暗くなってしまってあまりまともな写真は撮影できませんでした。
そんな感じで高校生の頃には何度か通った大船工場でしたが、ついに一度も工場への入出場に出くわしたことは無かったですね。
工場への専用線は道路と並行して走っているところも多く、
小さい頃からよく車で通っていましたが、悲しいかな走っている姿は最後まで一度も見ることが出来ませんでした。
一般公開で入った工場で見つけた車両に興奮する
時に昭和61年の高校生の頃、まさに国鉄末期の頃ですが工場の一般公開があったんですね。
これを友人がどこかで聞いてきて一緒に行こうということになりました。
確か公開日は土日の二日間にわたって行われたと記憶しています。
初日は部品の即売会がメインで、自分も高校から帰ってから急いで向かい20系客車の側面愛称幕をゲットしました。
(当時の学生は土曜日も学校だったんですよ〜)←半ドンね♪
急行の名称も入ってるんで50年改正以降のものでしょうけど、列車名が多数入っていて購入当初は嬉しくて眺めてましたね〜
ただ、本来なら回転幕なんで巻取り器にセットしないとまともに見れないので、
どうにか自分で作れないかと考えた事もありましたが面倒なのでやめました(笑)
当日の目玉はマスコンや特急のリクライニングシートなどの部品で、それ目当てに多くの人が訪れて大盛況でした。
そして翌日は工場見学と構内体験運転だったはず。
工場内には検査途中の車両もあり、普段中々見ることが出来ない部分も見ることが出来てだいぶワクワクしながら見学させてもらった覚えがあります。
検査中のオハネフ25の普段見れないほう
そのときに撮影した物の中には後年大宮の博物館入りしたナハネフ22のトップナンバーなど、当時まだ一般にはほとんど知られていなかった車両もチラホラ写っています。
事前に情報が無かったこれらの車両を初めて目にしたときは相当興奮しましたよ。
特にナハネフ22なんてトップナンバーがこんなところに生き残っていたなんて知らなかったので嬉々として撮影しました。(なぜか写真が見つからない・・・)
クモハ11や50番代じゃないクモハ12にも痺れましたね。
クモハ11200番台 後ろにオハネフ22がチラッと見えてますね
クモハ12016
当時は既に関東では旧型国電は鶴見線を除いてほぼ絶滅していたので姿を見れたのが嬉しかったです。
ただこっちはその後どうなったのかは知らないです。
詳しい方なら情報をお持ちなのでしょうが、自分は現在実物の鉄からはほとんど足を洗っているので情報に疎いんですね。
話を戻すと、こちらが構内を撮影しながら歩いていた同じ頃、以前に表から眺めていた引込み線の辺りではクモユニ74を使って体験運転をやってました。
確かこいつを使っていたはず
何故かそのときはそっちにはあんまり興味が無かったんで、
どこで募集していたのかさえ知らなかったんですが、
今思えば吊り掛け駆動の旧型国電を運転出来たなんてのは贅沢ですよね。
時既に遅しですけど。
・・・その後結局何時までいたんでしょう?
その日はかなり満足して帰宅したはずです。
しかしその後まもなく国鉄は解体されてしまいました。
大船工場はJRになった後、2000年には近くにあった大船電車区と統合され新たに鎌倉総合車両所として引き続き検修を行っていましたが、2006年には業務の縮小により閉鎖となりました。
その頃には自分も子供の頃から住んでいた場所からは既に引っ越しており、近くに行く事もなくなってしまいましたので最後の頃の様子は知りません。
今でもあの広大な土地はそのままなんでしょうか?
土壌汚染があってすぐにどうこう出来る状態ではなかったようですので。
大船に近い場所に住んでいた頃、滅多に乗りませんでしたが湘南モノレールに乗ると車窓から大船工場の中が良く見えたんですよ。
そんな時は見えなくなるまでずぅ〜と眺めてましたっけ。
今から30年以上前のお話でした。
ではまた
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コメントありがとうございます。
おじいさまが戦後に大船工場で勤めていたとはとても興味のある話です。
こういった昔の話を聞ける機会はどんどん減っていきますが、勤務されていたということはどのようなきっかけでお知りになったんでしょう?
このブログがきっかけなら嬉しいのですが。
宜しければまた見に来てくださいね。
ブログが読めて嬉しかったです!