2019年08月01日
国鉄モハ80系電車
どうもです。
辛い夏がやってきました。
その前に既に梅雨で体力を大きく削がれているのでHPがかなり落ちております。
・・・さて、
今回は久しぶりにNゲージについてのお話です。
自分の好きな車両のひとつである国鉄80系電車についてだらだら書いてみました。
国鉄モハ80系の実物について詳しくは多数の文献がありますので、詳細はそちらを各自見ていただくとして、(無責任)
簡単に書きますと戦後の1950年(昭和25年)に初登場した中・長距離用の電車です。
今までの国電との一番の違いは中間電動車方式を採用した事です。
それまでの電車は基本運転台が付いているのが当たり前、一部の優等車や中間車を除けばほとんどが運転台付でした。
そこを80系はやめて、先頭車両にのみ運転台を設置するという客車的発想で製作された初の電車でした。
電車の利点である分割・併合が容易という部分を大胆にも捨てて、中距離・長距離列車での利用を考えて作られたんですね。
今までの機関車牽引列車の置き換えを視野に入れて開発されたので、室内も今までの電車とは違い客車に準じた作りでした。
当初から東海道線をメインに活躍し、徐々に活躍の場所を西へ進めて最盛期には準急「東海・比叡」などの優等列車にも使われ、東海道・山陽線以外にも進出して電車の長距離使用を確立します。
しかし、登場10年も経たない昭和33年には早くも次世代の電車である153系が登場(登場当時はモハ91系)して、80系の置き換えが始まります。
80系電車はそれまでの戦前型電車に比べると明らかに新世代の車両でしたが、電動車の作りそのものは戦前車両と基本的な方式(吊り掛け式)は変わらなかったので、新たに登場した153系とは明らかに性能的な差があり(こちらはカルダン駆動方式)、より高速での安定した走行が可能な新世代の車両たちとの差は歴然でした。
この後は徐々に優等仕業から撤退して普通列車用として余生を過ごします。
最終的には飯田線が終の棲家となり、戦前型より一足早い昭和58年に119系に置き換わり引退しました。
かなり端折りましたが、最盛期には652両もの両数を誇ったこの80系ですが、現在では京都鉄道博物館の初期車2両を除き全て廃車解体され、80系一番の特徴である正面二枚窓の所謂湘南顔のクハ86は一両も保存されなかったというまことに残念な状況です。
まだ弁天町の交通科学博物館にあった頃の80系クハ86初期車
こんな80系ですが、自分はついに一度も現役で活躍するのを見れないまま引退してしまいました。
ちょうど小学生の高学年の頃から中学生になる頃の事、鉄道雑誌では旧型国電の特集を良くやってたんですね。
Nゲージを始めて既に数年経っていた自分はこの頃には今に続く旧型車好きになっており、旧型国電も当然興味の対象になってたんです。
この時点ではまだ辛うじて飯田線には旧型国電がギリギリ現役ではありましたが、子供の自分には資金も行動力もない為に見る事は適わず遠い存在だったんですよ。
どうにか模型で手にしたいとは思いつつもこの頃はまだ今のように完成品はなくて、メインはGM(グリーンマックス)のキットのみ。
ごく一部に完成品もありましたが、それはGMのキットをメーカーが完成品として売っていた所謂グリ完と、少数が販売された(たぶん)エンドウの72系くらいだったと思います。
このエンドウの製品も元をただせばGMのキットをエンドウでスカ色に塗装して4両セットとして売り出していただけなので、実質この頃入手出来る旧型国電は全てグリーンマックスの物と言うことになります。
そういえば、しなのマイクロの金属製荷電とかクモヤなんかも有るにはありましたが・・・
このGMでも当然のように80系も発売されていましたが勿論キットを組まなければ手にする事は出来ず、小学6年生の頃に鉄道模型店で初めて80系のキットを買いました。
買ったのは先頭車のクハ86全金300番台のキット2両と、一体成形キットとして2両セットの販売だったモハ80全金300番台の計4両。
写真は無いですが、モハ80はブリスターパック入りでした。
初めて買ったGMのクハ86 300番台キットの台紙
何故かピンボケですいませんが、この頃はまだ床下機器がウエイト兼用の金属製でしたね。
しかし、その時は完成させるのに必要な部品がすべては揃わず、その後は小遣いが尽きたため長らく手に入らないまま。
それに肝心の塗装が小学生の自分にはハードルが高く、正面の塗り分けをどうするか悩んでいるうちに製作意欲が無くなり、結局中途半端に手をつけた後そのまま放置して行方不明となりました。
一体成形のモハ80の塗装途中で放置されたもの
友人宅から流れてきたジャンク品です。
その後も何度かチャレンジしたのですが、無事完成したのは最初から数えて20年ほど経って21世紀になってからのことです。
そのとき完成したのは最初の300番台ではなく、その後に発売された初期車の6両セットの物。
正面3枚窓の所謂湘南顔ではないクハ86が入ったセットで、前面ガラスもはめ込みになって最初の物とは随分違いましたが、どうにか完成させられて嬉しかった覚えがあります。
一緒に写っている小さい箱のほうは6両セットより前に発売されていた4両セットで、クハが切妻の85か86の三枚窓として作れるようになっていたもの。
しかしモハは一体成形のものがそのまま2両入っていました。
上記の写真の物がズバリそのもので、このキットの作りかけなんですね〜
この友人から流れてきたジャンクの4両セットには手を付けずに、何年も経ってから新たに購入した6両セットを作ったわけです。
勢い余ってテールライトやカプラー等を交換して自分なりに拘った割にはレタリングなんかは適当で、工作の雑さが良く分かる出来上がりでした。
6両セットの先頭車。一番奥は一緒に購入したクモユニ81。
しかし、考証不足で真ん中のクハ86のタイフォンを削り取ってしまい、後から調べるとこんな組み合わせは無かったと判明・・・
悔しくて作り直そうと当時あった海老名のGMストアーでキットのバラを買い直してあるんですが、未だに放置したままです。
クモユニ81も実は2代目で、初代は小学6年の頃に簡単に塗装できる大糸色(青22号)で塗装してどうにか完成させた事があります。
台紙の新旧比較。(初めて完成させたのはまさにこの色)
価格が違う以外は基本的に同じですが、800円になった頃のやつにはPL法絡みで黄色い注意書きが入っていました。
この頃の台紙は裏面に編成図などが毎回あって、見ているだけでも楽しかったな。
懲りずにこの後3代目まで作りかけているんですけど、こちらはボディを形にしたまま10年程熟成中・・・
この時は既に発売されていたKATOの旧モハ80用の床下ASSYを準備したり、タヴァサや銀河のパーツを用意したりと気合を入れてたんですが・・・
気合を入れすぎて結局途中で止まったままというのが自分らしくて泣けてきます。
話が前後してますが1998年にまさかのKATOから80系300番台が登場します。
最初の製品は準急東海・比叡セットでした。
東海・比叡セットの300番台と、その後に出た単品の300番台クハの比較(写真右の単品クハはカプラーを強引にTN化してます)
スノープロー付が東海・比叡セットの物でHゴムの色が濃いグレーなのが特徴。形式の表記も旧表記で上下2段になってます。
発売当時は小躍りして購入しましたが、本当に欲しい時代設定よりもかなり旧い登場時の仕様だったので、正直使い勝手が悪くてあまり走らせていません。
結局増結セットも買わず、中途半端な状態です。
その後に晩年の仕様で全金クハ2種、モハ、サハの単品が発売されました。(TN化したやつ)
しかし、クハ86 300番台とともにサロ85 300番台改造のクハ85 300番台が発売になったのは何故だろうと思いましたけど。
嬉しかった反面、先頭車の密連カプラーがどうにも許せなくて写真のクハ1両だけですけどTNカプラーに交換しています。
個人的にはこの頃のカトーのカプラーはトミックスのTNカプラーに完全に遅れをとっていたと思いますね。
カプラーポケットもゴツくて、それを逃がすのに台車が少し引っ込んでますしね。
その後、今度は2016年になって完全リニューアルされた80系300番台飯田線仕様が発売になります。
6両セットと4両セットが発売されましたが、予算の都合で泣く泣く6両セットのみの購入でした。
旧製品との比較・・・ライトやタイフォン、運行灯などのイメージが良くなってますね。
リニューアル当時に多数の記事が出てるので今更比較してもアレなんで軽く流します。
今回の製品は飯田線シリーズとして登場したので、サボ受けが車体中央にあったりと他の路線の仕様とは微妙に違います。
このほかには飯田線シリーズとしてクモニ83 100番台が発売されているので現在ではかなりの種類が選べる時代になりました。
GMも一応完成品として発売しましたし(キットをメーカーで完成させて塗装済みとしたものだったと思う)
他にマイクロエースからも発売されてますね。
ただ、マイクロ製品は購入してません。
既にその頃は極力KATO以外の完成品には手を出さないようにしていたのと(主に予算の都合)
単純にモデルの表現方法が好みじゃなかったと言うのもありますけど。
GMの完成品も残念ながら購入するだけの魅力を感じなかったので(メーカー完成品とはいえかなりのお値段だったので)購入することは無かったですね。
以上、現在手持ちの車両を写真で綴ってみましたが、今後KATOから300番台以外が発売されたら困るな。
今は趣味に使える予算が無いので、もし発売されたら指を咥えて見ているしかなさそうなんで。
下手すると悔しくて指を食いちぎってしまうかもしれません。(まあ無いですが)
今でもGMストアーで購入したキットのバラが残っているので、KATOの完成品とあわせても違和感の無いような仕様で完成させられると良いんですが、最近は老眼が進んで夜なんて本当に手元が見えなくなりました(泣)
また、以前に比べて明らかに不器用になってきているので完成は程遠いかな。
なので今は本を見て我慢です。
NEKOの「最盛期の国鉄車両2」と「鉄道車両ガイドVol.27 80系湘南電車 最後の頃」は本棚に常備して今でも見返してます。
↑こっちは今絶版みたいですが、下のはまだ入手可能みたいです。
この他に、鉄道ピクトリアルの別冊で「国鉄型車両の記録80系・70系電車」というのが2018年に出てるんですが小遣いがね・・・
今後もしKATOから初期車なんか出てしまうと今の少ない小遣いでは到底太刀打ちできないので、
今しばらくは待ってくださいねKATOさん♪
どうにか貯金してそのときに備えますんで・・・
また無駄に長い記事を書いてしまいました。
ではまた
辛い夏がやってきました。
その前に既に梅雨で体力を大きく削がれているのでHPがかなり落ちております。
・・・さて、
今回は久しぶりにNゲージについてのお話です。
自分の好きな車両のひとつである国鉄80系電車についてだらだら書いてみました。
国鉄モハ80系の実物について詳しくは多数の文献がありますので、詳細はそちらを各自見ていただくとして、(無責任)
簡単に書きますと戦後の1950年(昭和25年)に初登場した中・長距離用の電車です。
今までの国電との一番の違いは中間電動車方式を採用した事です。
それまでの電車は基本運転台が付いているのが当たり前、一部の優等車や中間車を除けばほとんどが運転台付でした。
そこを80系はやめて、先頭車両にのみ運転台を設置するという客車的発想で製作された初の電車でした。
電車の利点である分割・併合が容易という部分を大胆にも捨てて、中距離・長距離列車での利用を考えて作られたんですね。
今までの機関車牽引列車の置き換えを視野に入れて開発されたので、室内も今までの電車とは違い客車に準じた作りでした。
当初から東海道線をメインに活躍し、徐々に活躍の場所を西へ進めて最盛期には準急「東海・比叡」などの優等列車にも使われ、東海道・山陽線以外にも進出して電車の長距離使用を確立します。
しかし、登場10年も経たない昭和33年には早くも次世代の電車である153系が登場(登場当時はモハ91系)して、80系の置き換えが始まります。
80系電車はそれまでの戦前型電車に比べると明らかに新世代の車両でしたが、電動車の作りそのものは戦前車両と基本的な方式(吊り掛け式)は変わらなかったので、新たに登場した153系とは明らかに性能的な差があり(こちらはカルダン駆動方式)、より高速での安定した走行が可能な新世代の車両たちとの差は歴然でした。
この後は徐々に優等仕業から撤退して普通列車用として余生を過ごします。
最終的には飯田線が終の棲家となり、戦前型より一足早い昭和58年に119系に置き換わり引退しました。
かなり端折りましたが、最盛期には652両もの両数を誇ったこの80系ですが、現在では京都鉄道博物館の初期車2両を除き全て廃車解体され、80系一番の特徴である正面二枚窓の所謂湘南顔のクハ86は一両も保存されなかったというまことに残念な状況です。
まだ弁天町の交通科学博物館にあった頃の80系クハ86初期車
こんな80系ですが、自分はついに一度も現役で活躍するのを見れないまま引退してしまいました。
ちょうど小学生の高学年の頃から中学生になる頃の事、鉄道雑誌では旧型国電の特集を良くやってたんですね。
Nゲージを始めて既に数年経っていた自分はこの頃には今に続く旧型車好きになっており、旧型国電も当然興味の対象になってたんです。
この時点ではまだ辛うじて飯田線には旧型国電がギリギリ現役ではありましたが、子供の自分には資金も行動力もない為に見る事は適わず遠い存在だったんですよ。
どうにか模型で手にしたいとは思いつつもこの頃はまだ今のように完成品はなくて、メインはGM(グリーンマックス)のキットのみ。
ごく一部に完成品もありましたが、それはGMのキットをメーカーが完成品として売っていた所謂グリ完と、少数が販売された(たぶん)エンドウの72系くらいだったと思います。
このエンドウの製品も元をただせばGMのキットをエンドウでスカ色に塗装して4両セットとして売り出していただけなので、実質この頃入手出来る旧型国電は全てグリーンマックスの物と言うことになります。
そういえば、しなのマイクロの金属製荷電とかクモヤなんかも有るにはありましたが・・・
このGMでも当然のように80系も発売されていましたが勿論キットを組まなければ手にする事は出来ず、小学6年生の頃に鉄道模型店で初めて80系のキットを買いました。
買ったのは先頭車のクハ86全金300番台のキット2両と、一体成形キットとして2両セットの販売だったモハ80全金300番台の計4両。
写真は無いですが、モハ80はブリスターパック入りでした。
何故かピンボケですいませんが、この頃はまだ床下機器がウエイト兼用の金属製でしたね。
しかし、その時は完成させるのに必要な部品がすべては揃わず、その後は小遣いが尽きたため長らく手に入らないまま。
それに肝心の塗装が小学生の自分にはハードルが高く、正面の塗り分けをどうするか悩んでいるうちに製作意欲が無くなり、結局中途半端に手をつけた後そのまま放置して行方不明となりました。
一体成形のモハ80の塗装途中で放置されたもの
友人宅から流れてきたジャンク品です。
その後も何度かチャレンジしたのですが、無事完成したのは最初から数えて20年ほど経って21世紀になってからのことです。
そのとき完成したのは最初の300番台ではなく、その後に発売された初期車の6両セットの物。
一緒に写っている小さい箱のほうは6両セットより前に発売されていた4両セットで、クハが切妻の85か86の三枚窓として作れるようになっていたもの。
しかしモハは一体成形のものがそのまま2両入っていました。
上記の写真の物がズバリそのもので、このキットの作りかけなんですね〜
この友人から流れてきたジャンクの4両セットには手を付けずに、何年も経ってから新たに購入した6両セットを作ったわけです。
勢い余ってテールライトやカプラー等を交換して自分なりに拘った割にはレタリングなんかは適当で、工作の雑さが良く分かる出来上がりでした。
6両セットの先頭車。一番奥は一緒に購入したクモユニ81。
しかし、考証不足で真ん中のクハ86のタイフォンを削り取ってしまい、後から調べるとこんな組み合わせは無かったと判明・・・
悔しくて作り直そうと当時あった海老名のGMストアーでキットのバラを買い直してあるんですが、未だに放置したままです。
クモユニ81も実は2代目で、初代は小学6年の頃に簡単に塗装できる大糸色(青22号)で塗装してどうにか完成させた事があります。
台紙の新旧比較。(初めて完成させたのはまさにこの色)
価格が違う以外は基本的に同じですが、800円になった頃のやつにはPL法絡みで黄色い注意書きが入っていました。
この頃の台紙は裏面に編成図などが毎回あって、見ているだけでも楽しかったな。
懲りずにこの後3代目まで作りかけているんですけど、こちらはボディを形にしたまま10年程熟成中・・・
この時は既に発売されていたKATOの旧モハ80用の床下ASSYを準備したり、タヴァサや銀河のパーツを用意したりと気合を入れてたんですが・・・
気合を入れすぎて結局途中で止まったままというのが自分らしくて泣けてきます。
話が前後してますが1998年にまさかのKATOから80系300番台が登場します。
最初の製品は準急東海・比叡セットでした。
スノープロー付が東海・比叡セットの物でHゴムの色が濃いグレーなのが特徴。形式の表記も旧表記で上下2段になってます。
発売当時は小躍りして購入しましたが、本当に欲しい時代設定よりもかなり旧い登場時の仕様だったので、正直使い勝手が悪くてあまり走らせていません。
結局増結セットも買わず、中途半端な状態です。
その後に晩年の仕様で全金クハ2種、モハ、サハの単品が発売されました。(TN化したやつ)
しかし、クハ86 300番台とともにサロ85 300番台改造のクハ85 300番台が発売になったのは何故だろうと思いましたけど。
嬉しかった反面、先頭車の密連カプラーがどうにも許せなくて写真のクハ1両だけですけどTNカプラーに交換しています。
個人的にはこの頃のカトーのカプラーはトミックスのTNカプラーに完全に遅れをとっていたと思いますね。
カプラーポケットもゴツくて、それを逃がすのに台車が少し引っ込んでますしね。
その後、今度は2016年になって完全リニューアルされた80系300番台飯田線仕様が発売になります。
6両セットと4両セットが発売されましたが、予算の都合で泣く泣く6両セットのみの購入でした。
リニューアル当時に多数の記事が出てるので今更比較してもアレなんで軽く流します。
今回の製品は飯田線シリーズとして登場したので、サボ受けが車体中央にあったりと他の路線の仕様とは微妙に違います。
このほかには飯田線シリーズとしてクモニ83 100番台が発売されているので現在ではかなりの種類が選べる時代になりました。
GMも一応完成品として発売しましたし(キットをメーカーで完成させて塗装済みとしたものだったと思う)
他にマイクロエースからも発売されてますね。
ただ、マイクロ製品は購入してません。
既にその頃は極力KATO以外の完成品には手を出さないようにしていたのと(主に予算の都合)
単純にモデルの表現方法が好みじゃなかったと言うのもありますけど。
GMの完成品も残念ながら購入するだけの魅力を感じなかったので(メーカー完成品とはいえかなりのお値段だったので)購入することは無かったですね。
以上、現在手持ちの車両を写真で綴ってみましたが、今後KATOから300番台以外が発売されたら困るな。
今は趣味に使える予算が無いので、もし発売されたら指を咥えて見ているしかなさそうなんで。
下手すると悔しくて指を食いちぎってしまうかもしれません。(まあ無いですが)
今でもGMストアーで購入したキットのバラが残っているので、KATOの完成品とあわせても違和感の無いような仕様で完成させられると良いんですが、最近は老眼が進んで夜なんて本当に手元が見えなくなりました(泣)
また、以前に比べて明らかに不器用になってきているので完成は程遠いかな。
なので今は本を見て我慢です。
NEKOの「最盛期の国鉄車両2」と「鉄道車両ガイドVol.27 80系湘南電車 最後の頃」は本棚に常備して今でも見返してます。
↑こっちは今絶版みたいですが、下のはまだ入手可能みたいです。
価格:2,700円 |
この他に、鉄道ピクトリアルの別冊で「国鉄型車両の記録80系・70系電車」というのが2018年に出てるんですが小遣いがね・・・
今後もしKATOから初期車なんか出てしまうと今の少ない小遣いでは到底太刀打ちできないので、
今しばらくは待ってくださいねKATOさん♪
どうにか貯金してそのときに備えますんで・・・
また無駄に長い記事を書いてしまいました。
ではまた
【このカテゴリーの最新記事】
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/8985024
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック