2018年03月28日
プリンスグランドグロリア S44P-1
どうもです。
3月も後半に入りましたが花粉は容赦なく舞っているようでして毎日目がかゆくて堪りません。
薬を飲んでいるのでまだマシですが、出来るなら目玉を外して洗いたいくらいで。
・・・くしゃみの出そうな話はこの辺で終わりにして、今回はプリンスの旗艦だったグランドグロリアを取り上げたいと思います。
グランドグロリアは1964年(昭和39年)の5月に発売されたプリンスのフラッグシップモデルで、先に発売されたスーパー6に比べて装備はよりいっそう豪華でプリンスの最高級車に恥じない内容を誇っていました。
グランドグロリア(S44P)については以前の記事でも少し触れていますが、当時のトヨタクラウンエイト(VG10)や、日産のセドリックスペシャル(50)がガチのライバルに当たる高級車だったわけです。
この2台と比べても性能的には十分対抗する事の出来るものでしたが、ほぼ同時期に発売されたクラウンエイトは車幅が通常のクラウンよりもかなり大きく存在感が段違いでエンジンは3車中唯一V8を搭載。
前年に発売されていたセドリックスペシャルは同じ6気筒エンジンではありますがこちらはOHVでした(プリンスはOHC)
しかしホイールベースが通常のものよりもかなり長く、後席はかなり広いものでありました。
それに比べるとグランドはサイズ的には通常のグロリアと全く同じで、違いは内外装とエンジンのみと言う事でイマイチ押し出しが弱かったと思われます。
外観はグリルやホイールキャップ等が専用デザインになり、バッジ類も専用品。
内装は木目仕様となり、シート生地も違います。
また、スーパー6と違いフロントシートにもアームレストが備わります。
パワーウインドウも標準となり、スーパー6と装備品に関してはかなり差別化されていましたが、実際のところ遠目にはスーパー6など他のグロリアシリーズとの区別が付き難く、動力性能的にはダントツだったんですが当時の会社関係やお金持ちの方々に対してのアピールは少々物足りなかったのかもしれません。
後年、トヨタは67年にセンチュリーを、日産は65年には早くもプレジデントを発売して高級車路線を継続しましたが、グランドグロリアは合併により後継車は作られずに消えていきました。
まあ、グランドの場合はロイヤルが後継車と言えなくもないですが、あれはまた特別なんで・・・
そんなグランドグロリアですが、当然のことながら残存数は少ないです。
それでもクラウンエイトやセドリックスペシャルに比べてとてつもなく少ないかと言えばそう言うわけでもなく、それなりの台数はあるようですが・・・
いずれにしてもグランドグロリアの生産数自体がかなり少ないので、スーパー6に比べると相当貴重な事は確かです。
凡そですがグランドの1型(S44P-1)の生産数は1,300台弱です。
車両番号で見るとその程度なんですね。(2型の車両番号はS44PS-1291から始まりますんで)
スーパー6は最終的には3万台程度の生産数はあるようですので相当な差があります。
(実車ではなく2型のプレートのみでの確認ですが、車両番号29,000番台のものがあるのでそう判断しました)
それでも月平均にすると700台弱といったところですが・・・(生産時期を63年6月から66年末までの43ヶ月と計算して)
2型まで含めた総数は分からないのですが、グランドグロリア全体の生産数は初期の月間生産ペースからみて大体2,000台程度ではないだろうかと思ってます。
自分の感覚ではどんなに多く見積もっても3,000台は作ってないだろうなと。
発売当時の月間生産数が、多い月で200台あるかどうかといったところで、最後のほうになると一桁ということもあったようなので、平均すると100台までは無さそうな感じ。
それに比べればクラウンエイトもセドリックスペシャルも台数はそれほど多くは無いようですが、グランドに比べれば生産数はまだ多いようです。
クラウンエイトの総生産数は1964年4月から1967年7月までの間で4,000台弱だったようですが、発売1年ほどでマイナーチェンジをしたので残存数は後期型のほうが多いようです。
セドリックスペシャルの総数は資料がないので分かりませんが、前期・中期・後期とあってそれぞれ結構な違いがあり、1963年2月から1965年10月までの間に毎年マイナーチェンジをしています。
時期的に少々中途半端ですが、手元に1963年4月度の自動車工業会・日本小型自動車工業会による各メーカーの生産実績の一覧があるので載せます。
これによると4月の日産自動車の普通乗用車生産数は347台となっています。
これはイコールセドリックスペシャルと言う事になると思うので、個人的に思っていたよりも結構な台数を生産していたと思われます。(表を良く見ると3月よりも18%生産増のようです)
やはり残存数は中期後期のほうが多いようです。
やはりクラウンエイトと同じく前期はあまり残っていないとか。
因みに日産ヘリテージコレクションに保管されている東京オリンピックの聖火を運んだスペシャルは64年式で後期型に当たります。(後期型は64年の9月からなので時期的には合致していますね)
まだ基本的に一般公開をしていない頃に撮影したので背景がいかにも倉庫です
グランドグロリア発売当時の価格は東海道統一価格で¥1,385,000−
同時期のクラウンエイトは東京店頭渡価格で¥1,650,000−(3速トヨグライド)
セドリックスペシャルなら東京店頭渡価格が¥1,450,000−(3速AT)でした。
この時点でグランドグロリアだけATの設定がありませんでしたので、その分価格が安かったものと思われます。
写真は1965年版の自動車ガイドブックのものですので、クラウンエイトは既に後期型、セドリックスペシャルも後期型ですが、その当時の価格も載っているので参考までに・・・
今回もカタログ写真を載せてみましたが、早くもネタ切れになりそうです(泣)
状態も悪いものですが貴重なカタログですのでどうぞご覧ください。(表紙はあまりにも汚いので割愛させていただきます)
今回画像を大きめにしたので重いかもしれません。
初版は39年の4月で、これは39年8月版になります。
39年8月版なので日本グランプリ優勝のロゴ入りです
右下の説明文、「ゴルフバックがゆっくり入る大型トランク」(笑)
装備品の数々、パワーウインドウは標準装備。
それにしてもオートライティングコントロールのアップ部の埃っぽさ・・・
スーパー6ではエアクリーナーケースは付いていましたが、グランドの場合4バレルキャブをアピールするためかわざわざ外してありますね。
スーパー6と違いブレーキマスターはタンデムになっています。
発売約1年半後の1965年(昭和40年)の12月になり、グランドもようやくオートマチックトランスミッションが選べるようになって他社に追いつきました。
このとき同時に各部が改良され2型にマイナーチェンジしたと思われます。
プリンスの社内向け広報誌の「プリンス社報」66年1月版に解説が載っていましたので、読めるように大きいサイズで貼り付けておきます。
これによると、2型の特徴であるフロントフェンダーのバッジや1枚リーフスプリングへの変更、新たに採用したディスクブレーキや燃料タンクの容量アップなどについて触れられています。
既にプリンスには2速半自動のスペースフローがありましたがグランドグロリアには設定されなかったので、ここにきてやっとAT車が選べるようになったわけです。
ATはアメリカのボルグワーナー(BW)製3速フルオートマチックで、海外の実績あるメーカーのATを搭載しました。
外観上はリアにBWのバッジが付く程度で殆ど見分けが付きません。
スーパー6に自社製2速半自動のスペースフローが設定されたのは64年の9月のことでした。
既にグランドも発売されていたのに設定しなかったのは、エンジンとのマッチングの問題なのか、それとも性能的な問題なのか?
後にスーパー6もスペースフローをやめてBW(ボルグワーナー)に変更されましたが、こちらはグランドよりもさらに遅く66年に入ってからのことでした。
因みに、このプリンス独自のスペースフローは岡村製作所製でした。
ボルグワーナーはアメリカの自動車部品メーカーで、既に1940年代にはオートマチックトランスミッションの開発を始めていたという歴史あるメーカーで、当時の日本のクルマにも複数搭載されていました。
例えば31系セドリックやべレットのAT車は当初BWを搭載(だったはず)していました。
他にも三菱の初代デボネアは長らくBWを使い続けてました。
まあ、スペースフローとの出来の違いは明らかで、プリンスのスペースフローは1速発進しないとミッションが壊れると言われてました。(一応半自動と謳ってましたので、一度走り出せばそのままでOK)
グランドグロリアは、当時のプリンスでは最高級車でしたので、装備品に関しても先進的なものが多かったです。
カタログに載っていないものもありますが例えば、
・エアーコンディショナー オプション(クーラーではないところに注目)
・ノンスリップデフ オプション
・パワーウインドウ 標準装備(スーパー6はオプション)
・パワーシート オプション(スーパー6に試験的に取り付け後正式にオプションとなる)
・オートライティングシステム オプション(ライトのハイ・ロー切り替えを自動でしてくれるものでパッシング付)
・ルブリケーションシステム オプション(ボタンひとつで足回りのグリスアップが出来る装備→1型のみ)
・ディスクブレーキ 2型から標準装備
・オートマチックトランスミッション 2型のオプション(スーパー6の1型は2速半自動)
等々・・・
当然価格も上がり、標準車でスーパー6のエアコン付きとほぼ同程度、現在の貨幣価値ではベンツのお高いほうと同じ程度になるのでしょうか?
とにかく当時の車は物価で考えるとかなりの高級品で贅沢品扱いでしたから3ナンバー車なんて物品税も高かったので、本当に一部のお金持ちか社用車などで使われる以外にはほとんど需要がなかったと思われます。
当時個人でこの車を買うことが出来た人は相当なお金持ちだったはずです。
羨ましいこと山の如しですよ(?)
まあ、羨ましがってもしょうがないんですけどね。
ちょっと悔しいんで(笑)
S44Pグランドグロリアのお話はここで終わります。
毎回中途半端な内容ですいませんが、今回はかなり気合を入れて資料の公開も増やしました。
ただし先にも書きましたが、特に2型以降の資料をほとんど持ち合わせていないので、後期の部分に関しては毎回どうしても推測になってします。
ありがたいことに先日友人から社内報等の資料をかなり大量に借りることができたので、その中から面白そうな記事については今後少しずつピックアップして書いていけたらと思ってます。
いずれグランドグロリアでもかなり特殊なS45Pグランドグロリアのことも書いてみようと思っています。
(相変わらず中途半端な内容になりそうですのであまり期待はしないでください)
ではまた。
3月も後半に入りましたが花粉は容赦なく舞っているようでして毎日目がかゆくて堪りません。
薬を飲んでいるのでまだマシですが、出来るなら目玉を外して洗いたいくらいで。
・・・くしゃみの出そうな話はこの辺で終わりにして、今回はプリンスの旗艦だったグランドグロリアを取り上げたいと思います。
グランドグロリアは1964年(昭和39年)の5月に発売されたプリンスのフラッグシップモデルで、先に発売されたスーパー6に比べて装備はよりいっそう豪華でプリンスの最高級車に恥じない内容を誇っていました。
グランドグロリアと当時のライバル
グランドグロリア(S44P)については以前の記事でも少し触れていますが、当時のトヨタクラウンエイト(VG10)や、日産のセドリックスペシャル(50)がガチのライバルに当たる高級車だったわけです。
この2台と比べても性能的には十分対抗する事の出来るものでしたが、ほぼ同時期に発売されたクラウンエイトは車幅が通常のクラウンよりもかなり大きく存在感が段違いでエンジンは3車中唯一V8を搭載。
前年に発売されていたセドリックスペシャルは同じ6気筒エンジンではありますがこちらはOHVでした(プリンスはOHC)
しかしホイールベースが通常のものよりもかなり長く、後席はかなり広いものでありました。
それに比べるとグランドはサイズ的には通常のグロリアと全く同じで、違いは内外装とエンジンのみと言う事でイマイチ押し出しが弱かったと思われます。
外観はグリルやホイールキャップ等が専用デザインになり、バッジ類も専用品。
内装は木目仕様となり、シート生地も違います。
また、スーパー6と違いフロントシートにもアームレストが備わります。
パワーウインドウも標準となり、スーパー6と装備品に関してはかなり差別化されていましたが、実際のところ遠目にはスーパー6など他のグロリアシリーズとの区別が付き難く、動力性能的にはダントツだったんですが当時の会社関係やお金持ちの方々に対してのアピールは少々物足りなかったのかもしれません。
後年、トヨタは67年にセンチュリーを、日産は65年には早くもプレジデントを発売して高級車路線を継続しましたが、グランドグロリアは合併により後継車は作られずに消えていきました。
まあ、グランドの場合はロイヤルが後継車と言えなくもないですが、あれはまた特別なんで・・・
そんなグランドグロリアですが、当然のことながら残存数は少ないです。
それでもクラウンエイトやセドリックスペシャルに比べてとてつもなく少ないかと言えばそう言うわけでもなく、それなりの台数はあるようですが・・・
いずれにしてもグランドグロリアの生産数自体がかなり少ないので、スーパー6に比べると相当貴重な事は確かです。
凡そですがグランドの1型(S44P-1)の生産数は1,300台弱です。
車両番号で見るとその程度なんですね。(2型の車両番号はS44PS-1291から始まりますんで)
スーパー6は最終的には3万台程度の生産数はあるようですので相当な差があります。
(実車ではなく2型のプレートのみでの確認ですが、車両番号29,000番台のものがあるのでそう判断しました)
それでも月平均にすると700台弱といったところですが・・・(生産時期を63年6月から66年末までの43ヶ月と計算して)
2型まで含めた総数は分からないのですが、グランドグロリア全体の生産数は初期の月間生産ペースからみて大体2,000台程度ではないだろうかと思ってます。
自分の感覚ではどんなに多く見積もっても3,000台は作ってないだろうなと。
発売当時の月間生産数が、多い月で200台あるかどうかといったところで、最後のほうになると一桁ということもあったようなので、平均すると100台までは無さそうな感じ。
それに比べればクラウンエイトもセドリックスペシャルも台数はそれほど多くは無いようですが、グランドに比べれば生産数はまだ多いようです。
クラウンエイトの総生産数は1964年4月から1967年7月までの間で4,000台弱だったようですが、発売1年ほどでマイナーチェンジをしたので残存数は後期型のほうが多いようです。
セドリックスペシャルの総数は資料がないので分かりませんが、前期・中期・後期とあってそれぞれ結構な違いがあり、1963年2月から1965年10月までの間に毎年マイナーチェンジをしています。
時期的に少々中途半端ですが、手元に1963年4月度の自動車工業会・日本小型自動車工業会による各メーカーの生産実績の一覧があるので載せます。
これによると4月の日産自動車の普通乗用車生産数は347台となっています。
これはイコールセドリックスペシャルと言う事になると思うので、個人的に思っていたよりも結構な台数を生産していたと思われます。(表を良く見ると3月よりも18%生産増のようです)
やはり残存数は中期後期のほうが多いようです。
やはりクラウンエイトと同じく前期はあまり残っていないとか。
因みに日産ヘリテージコレクションに保管されている東京オリンピックの聖火を運んだスペシャルは64年式で後期型に当たります。(後期型は64年の9月からなので時期的には合致していますね)
まだ基本的に一般公開をしていない頃に撮影したので背景がいかにも倉庫です
発売当時の価格など
グランドグロリア発売当時の価格は東海道統一価格で¥1,385,000−
同時期のクラウンエイトは東京店頭渡価格で¥1,650,000−(3速トヨグライド)
セドリックスペシャルなら東京店頭渡価格が¥1,450,000−(3速AT)でした。
この時点でグランドグロリアだけATの設定がありませんでしたので、その分価格が安かったものと思われます。
写真は1965年版の自動車ガイドブックのものですので、クラウンエイトは既に後期型、セドリックスペシャルも後期型ですが、その当時の価格も載っているので参考までに・・・
今回もカタログ写真を載せてみましたが、早くもネタ切れになりそうです(泣)
状態も悪いものですが貴重なカタログですのでどうぞご覧ください。(表紙はあまりにも汚いので割愛させていただきます)
今回画像を大きめにしたので重いかもしれません。
初版は39年の4月で、これは39年8月版になります。
39年8月版なので日本グランプリ優勝のロゴ入りです
右下の説明文、「ゴルフバックがゆっくり入る大型トランク」(笑)
装備品の数々、パワーウインドウは標準装備。
それにしてもオートライティングコントロールのアップ部の埃っぽさ・・・
スーパー6ではエアクリーナーケースは付いていましたが、グランドの場合4バレルキャブをアピールするためかわざわざ外してありますね。
スーパー6と違いブレーキマスターはタンデムになっています。
発売約1年半後の1965年(昭和40年)の12月になり、グランドもようやくオートマチックトランスミッションが選べるようになって他社に追いつきました。
このとき同時に各部が改良され2型にマイナーチェンジしたと思われます。
プリンスの社内向け広報誌の「プリンス社報」66年1月版に解説が載っていましたので、読めるように大きいサイズで貼り付けておきます。
これによると、2型の特徴であるフロントフェンダーのバッジや1枚リーフスプリングへの変更、新たに採用したディスクブレーキや燃料タンクの容量アップなどについて触れられています。
既にプリンスには2速半自動のスペースフローがありましたがグランドグロリアには設定されなかったので、ここにきてやっとAT車が選べるようになったわけです。
ATはアメリカのボルグワーナー(BW)製3速フルオートマチックで、海外の実績あるメーカーのATを搭載しました。
外観上はリアにBWのバッジが付く程度で殆ど見分けが付きません。
スーパー6に自社製2速半自動のスペースフローが設定されたのは64年の9月のことでした。
既にグランドも発売されていたのに設定しなかったのは、エンジンとのマッチングの問題なのか、それとも性能的な問題なのか?
後にスーパー6もスペースフローをやめてBW(ボルグワーナー)に変更されましたが、こちらはグランドよりもさらに遅く66年に入ってからのことでした。
因みに、このプリンス独自のスペースフローは岡村製作所製でした。
ボルグワーナーはアメリカの自動車部品メーカーで、既に1940年代にはオートマチックトランスミッションの開発を始めていたという歴史あるメーカーで、当時の日本のクルマにも複数搭載されていました。
例えば31系セドリックやべレットのAT車は当初BWを搭載(だったはず)していました。
他にも三菱の初代デボネアは長らくBWを使い続けてました。
まあ、スペースフローとの出来の違いは明らかで、プリンスのスペースフローは1速発進しないとミッションが壊れると言われてました。(一応半自動と謳ってましたので、一度走り出せばそのままでOK)
グランドの装備品の数々
グランドグロリアは、当時のプリンスでは最高級車でしたので、装備品に関しても先進的なものが多かったです。
カタログに載っていないものもありますが例えば、
・エアーコンディショナー オプション(クーラーではないところに注目)
・ノンスリップデフ オプション
・パワーウインドウ 標準装備(スーパー6はオプション)
・パワーシート オプション(スーパー6に試験的に取り付け後正式にオプションとなる)
・オートライティングシステム オプション(ライトのハイ・ロー切り替えを自動でしてくれるものでパッシング付)
・ルブリケーションシステム オプション(ボタンひとつで足回りのグリスアップが出来る装備→1型のみ)
・ディスクブレーキ 2型から標準装備
・オートマチックトランスミッション 2型のオプション(スーパー6の1型は2速半自動)
等々・・・
当然価格も上がり、標準車でスーパー6のエアコン付きとほぼ同程度、現在の貨幣価値ではベンツのお高いほうと同じ程度になるのでしょうか?
とにかく当時の車は物価で考えるとかなりの高級品で贅沢品扱いでしたから3ナンバー車なんて物品税も高かったので、本当に一部のお金持ちか社用車などで使われる以外にはほとんど需要がなかったと思われます。
当時個人でこの車を買うことが出来た人は相当なお金持ちだったはずです。
羨ましいこと山の如しですよ(?)
まあ、羨ましがってもしょうがないんですけどね。
ちょっと悔しいんで(笑)
S44Pグランドグロリアのお話はここで終わります。
毎回中途半端な内容ですいませんが、今回はかなり気合を入れて資料の公開も増やしました。
ただし先にも書きましたが、特に2型以降の資料をほとんど持ち合わせていないので、後期の部分に関しては毎回どうしても推測になってします。
ありがたいことに先日友人から社内報等の資料をかなり大量に借りることができたので、その中から面白そうな記事については今後少しずつピックアップして書いていけたらと思ってます。
いずれグランドグロリアでもかなり特殊なS45Pグランドグロリアのことも書いてみようと思っています。
(相変わらず中途半端な内容になりそうですのであまり期待はしないでください)
ではまた。
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