2017年12月01日
三輪トラック色々
どうもです。
今日は高校生の頃に一時期マイブームになった「三輪トラック探し」について書こうと思います。
その当時、既に旧車道に両足を突っ込んでいた自分は、同じく旧車の世界に足を踏み入れていた小学校時代からの友人と近所にひっそりと残っているであろう旧車を日々捜し歩いていました。
中学生から高校生になる頃には行動半径も増え、区内だけではなく隣の鎌倉市や横浜市内でも別の区にまで探索の網を広げていっていたのですが、やはり中々簡単には見つからずあまり結果は芳しいものではなかったんですね。
それでも、今に比べれば道を走っている旧車に出くわす確立は案外高く、定期的に見かけるクルマも何台かありました。
でも、そのクルマの根城までは発見できず、運が良ければたまたま出先で路駐しているところをキャッチできるかも、といったある意味ギャンブルのような確率でしたね。
こんな事を始めた最初のきっかけは、友人が江ノ電バスの写真を取り始めたことからでした。
その友人もちょっと他人とは目の付け所が違ったので、江ノ電バスにある次期急に中古バスが増えたことに気が付いたんですね。
自分もある頃から急にバス窓の三菱MR系の呉羽ボディ(垂れ目に見えるヤツ)が増えて、しかも年式の割には皆塗装が新しくて、なんだろうと思っていたんですね。
神奈川中央交通からの譲渡車だったことは後になって知る事となりましたが、当時は古いのにピカピカのこのバスを友人は撮影していました。
そんな事からそもそも始めたのはその友人なんですが、いつも間にか自分も一緒に古いクルマを探して撮影をするようになっていました。
その頃、その友人がどこからかマツダの三輪トラックがあるという情報を持ってきました。
家からは結構離れた場所だったので、友人とは別々に行動してその場所を目指したんですが、肝心の友人が場所を失念して発見出来ず・・・
しかたなく付近をウロウロしていたところ何とか無事発見!
しかし、友人曰く別の三輪トラックとのことで、怪我の功名といいますか探していたのとは別の三輪トラックに偶然めぐり合ったわけです。
探していたのは三輪トラックの中でも割とポピュラーだったマツダのT2000だったんですけど、見つけたのは同じマツダでも一回り小さいT1500でした。
現役感バリバリです
まあ、時間をかけて探し出したので、路肩に駐車していたそのトラックの写真をしっかり撮影して家路についたのはいうまでもありません。
その後、いくつかの有力な情報を入手するのですが、全て三輪トラックの情報で乗用車とかは中々ありませんでした。
それでも情報があればその友人と二人して探しに行き、見つけると撮影するということをしばらく続けていました。
そんな中、あるときその友人が何とグランドグロリアを見つけてきたんですね。
グランドグロリアカタログより
話を聞くと、ここ一週間くらい大船駅の裏の通りに路駐したままになっているというので、夕方でしたがとりあえず現場に急行しました。
果たして、確かに間違いなくそこにはグランドグロリアが駐車していました。
色はグレー系、ナンバーは相模33でこれといって不具合があるようにも見えず、何故こんな路上に一週間もの間駐車しているのか不思議でした。
まあ、とりあえず友人が持っていた「写ルンです」で何枚か撮影してとりあえずは帰宅。
数日後に現場に行くとそこにはもうグランドは居ませんでした。
仕方ないので友人の写真が現像されるのを待つ事にしましたが、何と写真は暗くて失敗!
結局貴重なチャンスは物に出来ませんでした。
その後もしばらく旧車探しは続いていましたが、あるとき高校のクラスメートの自宅近くの米屋で現役のミゼットが居るという衝撃情報を入手し、友人と確認しに土曜の放課後に鎌倉まで向かいました。
話に聞いた米屋さんに行き、ミゼットの事を聞いてみると確かに現役で使用中とのことで、当日は近くの農業倉庫においてあるというのでお願いして写真撮影の許可を取り喜び勇んで倉庫に向かいました。
その米屋さんから歩いて数分の倉庫には確かにダイハツミゼットMP5が佇んでいました。
その頃はまだミゼットUも無かったので間違いようがない情報でしたが、実際にこの目で確認できるまではやはり素人の情報だったので半信半疑ではありました。
しかし、そこにあるのは紛れも無く三輪のミゼットでした。
現車は最終期の特徴であるサイドマーカー付きの個体でしたが、年式は確認し忘れました。
残念ながらエンブレムは欠品
初めて見る生きたミゼットは感動でした
クラスメイトから話としては聞いていたものの、初めて目にする「生きたミゼット」に興奮して、暫くは小躍りしながら嘗め回すように観察していました。
多少の傷はあるものの、大きな錆等は無く大事にされていたことが分かりました。
走行距離はメーター読みだと3万キロは走ってませんでしたが、一周回って10万キロ超えには見えない程度でしたのでたぶん実メーターだと思います。
その後は少し落ち着いたのでじっくりと写真撮影をさせていただき、夕方には充実した半日を過ごせた満足感と共に帰宅の途につきました。
後年のことですが、このミゼットが千葉の人に引き取られたと聞き、ちょっと嬉しかった思い出があります。
高校生の頃、既に米屋さんのご夫婦はご高齢のようでしたので気にはなってたんです。
その数年後に旧車ショップに修理で入庫していたこのミゼットにたまたま出会ったときは本当に懐かしかったです。
今でもどこかで大事にされてると良いんですけどね。
他にも藤沢市内の解体屋で三輪トラックを使っているというので行って見ると、地元では珍しいダイハツの三輪トラックでした。
しかも通常ボディの他に、もう一台同系のダンプまであり、嬉々として撮影した事もありました。
通常の平ボディのダイハツCM8。
一緒に写っているのが最初に撮影を始めた友人のS山君
ナンバーはシングル
こちらはダンプ仕様のダイハツ。型式は聞き忘れた・・・このときは物置代わりになっててタイヤが山積みでしたが後日走行しているのを確認してます。
ダンプ仕様のほうが登録が新しく、昭和47年登録と言っていたような・・・
こちらの二台もエンブレムが欠品してました。
しかし、この後が続かず結局はダイハツ辺りで情報も打ち止めとなってマイブームも自然に終わりました。
他にも何箇所か知ってはいましたが、高校卒業後はあまり熱心に撮影に行く事も無く、気付いたときにはもう無くなっていた・・・ということもしばしば。
今となってはあの熱気は何だったのだろうかと思うこともありますが、そのときはとても楽しくて充実した日々を過ごしていたので良かったのかも。
本当はその情熱を恋愛に少しでも回すことが出来ていたならば、もしかしてもっと充実した高校生活を送れたのかも・・・などとは考えないようにしています。
おまけ
マツダのダンプ仕様の草ヒロ。
撮影した場所も覚えてなく、そもそも撮影した記憶も無いのでもしかすると友人が撮影したものかも・・・
三輪トラックは子供の頃には既に珍しいものとなっていたので、小さいときから見つけると嬉しい車でした。
当時はマツダ以外をまず見ることが無かったので、三輪トラック=マツダでありました。
大きくなって、色々と詳しくなってくると共に他にもたくさんの種類があったことを知り、ますます興味が湧いてきて独自に調べてひとりで詳しくなったつもりで喜んでいました。
しかし今となってはかなりディープな世界であることが分かり、自分の知識はまだまだだと再認識させられました。
最近は各種のイベントにとんでもないレアな三輪が現れたりするのでこれからも目が離せません。
今はこんなマニアックなトラックでも専門の書籍が出ていたりと、若い頃からすればまさに「隔世の感」があります。
いくつかの書籍は大人になってから実際に購入して読ませていただきましたが、やはりあの形を見ているだけで今でも楽しくなります。
今日はこんなところで終わります。
ではまた
今日は高校生の頃に一時期マイブームになった「三輪トラック探し」について書こうと思います。
その当時、既に旧車道に両足を突っ込んでいた自分は、同じく旧車の世界に足を踏み入れていた小学校時代からの友人と近所にひっそりと残っているであろう旧車を日々捜し歩いていました。
中学生から高校生になる頃には行動半径も増え、区内だけではなく隣の鎌倉市や横浜市内でも別の区にまで探索の網を広げていっていたのですが、やはり中々簡単には見つからずあまり結果は芳しいものではなかったんですね。
それでも、今に比べれば道を走っている旧車に出くわす確立は案外高く、定期的に見かけるクルマも何台かありました。
でも、そのクルマの根城までは発見できず、運が良ければたまたま出先で路駐しているところをキャッチできるかも、といったある意味ギャンブルのような確率でしたね。
こんな事を始めた最初のきっかけは、友人が江ノ電バスの写真を取り始めたことからでした。
その友人もちょっと他人とは目の付け所が違ったので、江ノ電バスにある次期急に中古バスが増えたことに気が付いたんですね。
自分もある頃から急にバス窓の三菱MR系の呉羽ボディ(垂れ目に見えるヤツ)が増えて、しかも年式の割には皆塗装が新しくて、なんだろうと思っていたんですね。
神奈川中央交通からの譲渡車だったことは後になって知る事となりましたが、当時は古いのにピカピカのこのバスを友人は撮影していました。
そんな事からそもそも始めたのはその友人なんですが、いつも間にか自分も一緒に古いクルマを探して撮影をするようになっていました。
その頃、その友人がどこからかマツダの三輪トラックがあるという情報を持ってきました。
家からは結構離れた場所だったので、友人とは別々に行動してその場所を目指したんですが、肝心の友人が場所を失念して発見出来ず・・・
しかたなく付近をウロウロしていたところ何とか無事発見!
しかし、友人曰く別の三輪トラックとのことで、怪我の功名といいますか探していたのとは別の三輪トラックに偶然めぐり合ったわけです。
探していたのは三輪トラックの中でも割とポピュラーだったマツダのT2000だったんですけど、見つけたのは同じマツダでも一回り小さいT1500でした。
現役感バリバリです
まあ、時間をかけて探し出したので、路肩に駐車していたそのトラックの写真をしっかり撮影して家路についたのはいうまでもありません。
その後、いくつかの有力な情報を入手するのですが、全て三輪トラックの情報で乗用車とかは中々ありませんでした。
それでも情報があればその友人と二人して探しに行き、見つけると撮影するということをしばらく続けていました。
そんな中、あるときその友人が何とグランドグロリアを見つけてきたんですね。
グランドグロリアカタログより
話を聞くと、ここ一週間くらい大船駅の裏の通りに路駐したままになっているというので、夕方でしたがとりあえず現場に急行しました。
果たして、確かに間違いなくそこにはグランドグロリアが駐車していました。
色はグレー系、ナンバーは相模33でこれといって不具合があるようにも見えず、何故こんな路上に一週間もの間駐車しているのか不思議でした。
まあ、とりあえず友人が持っていた「写ルンです」で何枚か撮影してとりあえずは帰宅。
数日後に現場に行くとそこにはもうグランドは居ませんでした。
仕方ないので友人の写真が現像されるのを待つ事にしましたが、何と写真は暗くて失敗!
結局貴重なチャンスは物に出来ませんでした。
その後もしばらく旧車探しは続いていましたが、あるとき高校のクラスメートの自宅近くの米屋で現役のミゼットが居るという衝撃情報を入手し、友人と確認しに土曜の放課後に鎌倉まで向かいました。
話に聞いた米屋さんに行き、ミゼットの事を聞いてみると確かに現役で使用中とのことで、当日は近くの農業倉庫においてあるというのでお願いして写真撮影の許可を取り喜び勇んで倉庫に向かいました。
その米屋さんから歩いて数分の倉庫には確かにダイハツミゼットMP5が佇んでいました。
その頃はまだミゼットUも無かったので間違いようがない情報でしたが、実際にこの目で確認できるまではやはり素人の情報だったので半信半疑ではありました。
しかし、そこにあるのは紛れも無く三輪のミゼットでした。
現車は最終期の特徴であるサイドマーカー付きの個体でしたが、年式は確認し忘れました。
残念ながらエンブレムは欠品
初めて見る生きたミゼットは感動でした
クラスメイトから話としては聞いていたものの、初めて目にする「生きたミゼット」に興奮して、暫くは小躍りしながら嘗め回すように観察していました。
多少の傷はあるものの、大きな錆等は無く大事にされていたことが分かりました。
走行距離はメーター読みだと3万キロは走ってませんでしたが、一周回って10万キロ超えには見えない程度でしたのでたぶん実メーターだと思います。
その後は少し落ち着いたのでじっくりと写真撮影をさせていただき、夕方には充実した半日を過ごせた満足感と共に帰宅の途につきました。
後年のことですが、このミゼットが千葉の人に引き取られたと聞き、ちょっと嬉しかった思い出があります。
高校生の頃、既に米屋さんのご夫婦はご高齢のようでしたので気にはなってたんです。
その数年後に旧車ショップに修理で入庫していたこのミゼットにたまたま出会ったときは本当に懐かしかったです。
今でもどこかで大事にされてると良いんですけどね。
他にも藤沢市内の解体屋で三輪トラックを使っているというので行って見ると、地元では珍しいダイハツの三輪トラックでした。
しかも通常ボディの他に、もう一台同系のダンプまであり、嬉々として撮影した事もありました。
通常の平ボディのダイハツCM8。
一緒に写っているのが最初に撮影を始めた友人のS山君
ナンバーはシングル
こちらはダンプ仕様のダイハツ。型式は聞き忘れた・・・このときは物置代わりになっててタイヤが山積みでしたが後日走行しているのを確認してます。
ダンプ仕様のほうが登録が新しく、昭和47年登録と言っていたような・・・
こちらの二台もエンブレムが欠品してました。
しかし、この後が続かず結局はダイハツ辺りで情報も打ち止めとなってマイブームも自然に終わりました。
他にも何箇所か知ってはいましたが、高校卒業後はあまり熱心に撮影に行く事も無く、気付いたときにはもう無くなっていた・・・ということもしばしば。
今となってはあの熱気は何だったのだろうかと思うこともありますが、そのときはとても楽しくて充実した日々を過ごしていたので良かったのかも。
本当はその情熱を恋愛に少しでも回すことが出来ていたならば、もしかしてもっと充実した高校生活を送れたのかも・・・などとは考えないようにしています。
おまけ
マツダのダンプ仕様の草ヒロ。
撮影した場所も覚えてなく、そもそも撮影した記憶も無いのでもしかすると友人が撮影したものかも・・・
三輪トラックは子供の頃には既に珍しいものとなっていたので、小さいときから見つけると嬉しい車でした。
当時はマツダ以外をまず見ることが無かったので、三輪トラック=マツダでありました。
大きくなって、色々と詳しくなってくると共に他にもたくさんの種類があったことを知り、ますます興味が湧いてきて独自に調べてひとりで詳しくなったつもりで喜んでいました。
しかし今となってはかなりディープな世界であることが分かり、自分の知識はまだまだだと再認識させられました。
最近は各種のイベントにとんでもないレアな三輪が現れたりするのでこれからも目が離せません。
今はこんなマニアックなトラックでも専門の書籍が出ていたりと、若い頃からすればまさに「隔世の感」があります。
いくつかの書籍は大人になってから実際に購入して読ませていただきましたが、やはりあの形を見ているだけで今でも楽しくなります。
国産三輪自動車の記録 型録で知る マツダ・ダイハツ・三菱 オリエント・ホープスター・他編 1930〜1974 新装版/小関和夫【1000円以上送料無料】 価格:2,592円 |
今日はこんなところで終わります。
ではまた
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おはようございます。
TLV熱再燃ですか(笑)
私は今のところ治っていますが、またプリンス系がモデル化されるとどうなることやら・・・
三輪トラックは子供の頃既に珍しく、殆ど材木屋でしかお目にかかれませんでした。
しかもダイハツはなくマツダオンリーで、三輪トラック=マツダの時代が長かったです。
TLVの三輪トラックを入手とのことですが、自分も一時期ダイハツの日通仕様は手元にありました。
日通の三輪トラックが子供の頃の記憶と結びついてるんですね。
何だか羨ましい思い出です。
当時の美人の女の子、思い出の中で今も美人なんでしょうね〜
不思議とそういった思い出は幾つになっても覚えてますよね。
また昔のエピソードがあればコメントください。
お待ちしております(笑)
最近3輪トラック熱が復活してTLVをオークションで2台続けて購入しました。
発売当時購入したマツダT2000に加えてダイハツCO10TとT2000ダンプカー、いずれも思い出の日通仕様です。
とんでもない価格が付いてる物もありますが、千円代後半と2千円ほどで落札できいい買い物だったと思います。
私は父親が転勤族で社宅に住んでいましたが昇進すると敷地内の別棟に転居になりました。これに来るのが日通のマツダT2000の13尺ボディで私も早く引っ越したいなと思ったものでした。
数年後願いがかなったもののもう3輪トラックは街でも見ることがなくなり、引っ越しにきたのも日通だったものの車種を覚えていません。
それより当日に幼稚園から一緒で小学校の同級生、習字教室も一緒だった女の子が家に来て「一緒に行こうよ!」と誘われたのに母親に道具をどこに入れたかわからないと言われ「ごめん、今日はいけないわ」と断った思い出の方が鮮明です。
彼女は美人で優等生、密かな思いはありましたが数か月後他都市へ転校することになりお別れすることになってしまいました。もちろん2年生なので付き合うとかいうレベルではありませんでしたが。
話が脱線してしまいました、ごめんなさい。
いつもありがとうございます。
子供の頃は今に比べて当然ですが所謂旧車が普通に走っていましたね。
それでも三輪トラックは当時でもすでに珍しい部類で、自分の周りでは材木屋くらいでしかお目にかからないモノでした。
それも記憶にあるのはマツダのみで、ダイハツはこの時撮影したのが初めてで興奮したのを思い出します。
タイムスリップして昔に戻ってみたいという思いは旧車を趣味にしている人ほぼ全ての人たちの願望でしょう(笑)
子供の頃の記憶にある懐かしい場所とか線路際とか是非行ってみたいですね。
でも、もし自分があの時代に行けるならば真っ先にプリンス部販にいって部品を買い漁ると思いますw
三輪トラック懐かしいです。私の幼児期の昭和40年代後半は三輪トラックは普通に走っていて日通所有のマツダT2000(いわゆる13尺ボディ)をよく見かけたものでした
。
高校時代鉄道撮影の傍ら旧車にもはまり、古いトラック・バスや乗用車を追いかけたものでしたが当時は情報も少なく金銭的にも行動範囲は限られており大した成果はありませんでした。
ボンネットバスは一部が観光用に復活させたものがある程度で一般乗合車はほとんど絶滅、トラックも珍しい存在になっていました。
乗用車は今より平均車齢がずっと短く、憧れのプリンスグロリアや日野コンテッサを見ることはありませんでした。小中と同級生の家の自家用車が昭和41年式三菱コルト1000(彼より先輩)でしたが、当時としては異例に長寿だったと思います。
今では各種書籍やネットの情報に恵まれていることに隔世の感があります。
でもせっかく惜しげもなく撮影できるデジカメやスマホを持っているのに撮りたい被写体が少ない、タイムスリップしてあの時代に行ってみたいです。
あまり関係ないコメントでごめんなさい。