2015年08月02日
アメリカで公聴会、中国内の弾圧と支配について1
アメリカで公聴会、中国内の弾圧と支配について1
に焦点を当て、新疆ウイグル地区のイスラム教徒、チベットの
仏教徒、中国各地のキリスト教徒、気功集団の法輪功信者の
4集団の各代表が証人となったということです。
中国政府は外国政府に対して「内政干渉」と言ってメディアの
取材や情報公開を避けている部分です。しかし、現実では21
世紀と思えないような過酷なことをしています。状況の実態が
広がると国際的に非難が起こるかもしれません。
中国政府の一般的な理解は、宗教を認めない、信仰を認めない
となっているのですが、それ以上に過酷なようです。市民や
子供も容赦なく対象になり、民族絶滅を狙っているとも言わ
れています。
この記者はウィグル族のカーディルさんと長い面識があるよう
です。ウイグル族が受けている悲惨な弾圧について詳しく記述
しています。中国政府の上のほうの中華思想を傷つけるととん
でもない仕返しがあるようです。まさに皇帝の意向みたいです。
この報道記事は2ページに分かれています。以下をお読みく
ださい。
米国で怒りが広がる中国政府のウイグル人弾圧1
JBpress 7月29日(水)6時20分配信
久しぶりに会ったラビア・カーディルさんに力強く抱擁された。相変わらず強靭な気力と品のある優雅さを同時に感じさせる女性だった。
カーディルさんは「世界ウイグル会議」の議長である。彼女は私との数年ぶりの再会を大いに喜んでくれ、私にこう語りかけた。
「また近いうちに、ぜひ日本を訪問したいと思います。日本のみなさんの支援を期待しています」
彼女と話をしたのは、7月23日、米国連邦議事堂の一室で「中国に関する議会・政府委員会」が開いた公聴会の合間だった。
委員会は米国の立法府と行政府が合同で設立しており、公聴会の名称は「習近平の中国での弾圧と支配」であった。
公聴会は主に中国での信仰の弾圧に焦点を当て、その弾圧対象となっている新疆ウイグル地区のイスラム教徒、チベットの仏教徒、中国各地のキリスト教徒、気功集団の法輪功信者の4集団の各代表が証人となった。
カーディルさんは最初に登場し、新疆ウイグル地区での中国当局によるウイグル民族への過酷な弾圧の近況を語った。
■ 民族抑圧批判の演説で中国政府が激怒
私がカーディルさんに初めて会ったのはちょうど10年前の2005年9月だった。ワシントン市内のジョンズホプキンス大学院の講堂で彼女の講演会が催されたときである。
中国の新彊ウイグル自治区で当局に国家安全危害罪で逮捕された彼女は6年近くも投獄され、ようやく米国政府の中国当局への圧力により米国への移住がその年の春に認められたばかりだった。
そして彼女はワシントン郊外に移り住み、米国での活動を始めたのだった。
新彊ウイグル自治区出身のカーディルさんは、刻苦と商才でビジネスに成功し、中国十大富豪の1人にまで列せられるようになった。だが、1996年の人民大会堂の政治協商会議での演説で、中国政府の逆鱗に触れてしまう。
彼女の演説の内容は、事前に提出した草稿とは異なっていた。「中国政府はウイグル人の信教の自由や母語を使う権利を奪い、多数の政治犯を不当に処刑している」と述べ、中国政府のウイグル民族抑圧への非難を表明したのである。
その結果、中国政府による抑圧が始まった。1999年、新彊ウイグル自治区を訪れた米国議会の代表団に、政治犯についての資料を渡そうとして逮捕され、懲役8年の刑で投獄された。米欧諸国や国連関連機関などからは、抗議や釈放の嘆願が沸き起こった。
■ 「日本の人たちに抑圧の悲惨さを知ってほしい」
2005年、そんな国際的注視を浴びた人物がワシントンで講演をするというので、私も取材に出かけた。講演が終わり、会場を出ようとすると、後ろから小走りに寄ってきた若い男性に呼び止められた。
「ちょっと待ってください。カーディルさんが日本の記者のあなたに、ぜひとも直接お話をしたいと言っています」
私を呼び止めたのは、カーディルさんの秘書兼通訳を務めるウイグル人男性だった。私が所属や名前を入り口の名簿に記入するのを見たようだった。彼に連れられてカーディルさんに会うと、彼女から熱を込めた言葉をかけられた。
「アジアで最も民主主義の発展した日本の人たちに、私たちウイグル人が受けている非民主的な抑圧の悲惨さをぜひとも知ってもらいたいのです。そのためには、いつか日本に行きたいと思っています」
正面からこちらを見つめ、手を固く握って語りかけるカーディルさんはカリスマ性さえ感じさせる迫力と魅力に満ちた女性だった。当時の彼女は58歳だった。
この会合を機に私は彼女とときどき接触するようになり、日本側の関係者たちにも紹介した。
それ以後、彼女は在外ウイグル人の国際組織「世界ウイグル会議」の議長に選ばれ、ノーベル平和賞の候補にもなった。念願の日本訪問を初めて果たしたのは2007年11月だった。
1930年代にウイグル人は東トルキスタン共和国を建国し、初めて独立を宣言する。しかしまもなく崩壊し、その際、指導者たちは日本に亡命した。そうした歴史的経緯もあり、ウイグル民族は日本への独特の思いがあるのだという。日本を訪れたカーディルさんは靖国神社に参拝し、尖閣諸島については日本の領有権を明確に支持した。
以下は2へ続きます。
古森 義久(ヤフーニュース 雑誌から)
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