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2021年08月17日

平賀源内【1728年生まれ-8/10原稿改定】

「平賀源内」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。いつか中国語訳も付けられたら良いですね。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしました。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていた懸念があり案す故、以後この点は改善します。原稿文字数は3772文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1728年生まれ ~ 1780年1月24日没】




平賀源内について


少し時代が古いです。平賀源内は江戸時代、


田沼意次が老中を務めていた時代で


多彩な能力を発揮しています。物理学関係に留まらない。


そもそも、平賀源内は讃岐の国に生まれます。


家祖は信濃源氏の平賀氏。平賀氏は武田氏に敗れ、


一度、改姓して源内の時代に平賀姓に復姓しています。



時代考察


 

科学史の観点から平賀源内の時代を考えてみると欧米と日本の時代のずれを感じます。その「ずれ」は大きなものでニュートンがバローからルーカス職を受けたのが1664年、万有引力を定式化したのが1665年であることを思い起こせば西洋と日本の隔たりはとても大きいです。加えて、平賀源内が「発明」したであろうものの独自性を考えていくと「新規性」という部分が殆ど見受けられません。内容は後述しますが、後世に残して人類の財産と出来るものは作り出せなかったのです。無論、当時の人々には目新しく、庶民に啓蒙をして意識を変えていった業績は大きいのですが、「数学」なりの学問体系を整えてはいません。足し算引き算が出来ても「微分。積分」それなあに?って有様でした。教育制度が大きく異なる事情があるのですが、結果は大きく異なるのです。日本ではその後、
数理学の学問体系は数百年間未開のままでした。



平賀源内の業績


 

平賀源内が手掛けた分野は医学、薬学、漢学、


浄瑠璃プロデュース、鉱山の採掘、金属精錬、


オランダ語、細工物の販売、


油絵、俳句と多岐にわたりました。


その一つが「発明」で平賀源内は物理現象の啓蒙に


一役買っているのです。所謂、エレキテルの紹介ですね。


エレキテルは不思議な箱で内部にガラスによる


摩擦起電部と蓄電部を持っています。実の所、


平賀源内が発明したというよりオランダ製の物を


平賀源内が紹介した訳ですが江戸時代の


庶民達には摩訶不思議な魔法に見えたでしょうね。


なにより、平賀源内の現象理解は現在の学問体系


とは大きく異なっていたようです。


念の為にコメントしておく、と新しい考えを作り出して発表して他の国の人に内容を問いかけたりする動きは見受けられません。平賀源内の時代から百年以上後に海外の学問理解を学び、自ら論文を書いていき、世界に内容を問いかけるのです。そこまでの道のりは、まだまだ長いのです。平賀源内はそんな時代の先人でした。



以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが
必ず返信・改定をします。


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2020/09/18_初稿投稿
2021/08/10_改定投稿


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(2021年8月時点での対応英訳)



about GENNAI


It's a little old story. Hiraga Gennai is demonstrating a variety of abilities during the Edo period and when Tanuma Okitsugu was a senior citizen. It goes beyond physics.


In the first place, Hiraga Gennai was born in Sanuki Province.


His ancestor is Mr. Hiraga of Shinano Genji Family. Mr. Hiraga was defeated by Mr. Takeda, and once changed his name to Hiraga in the Gennai era.


If you think about the times in Hiraga Gennai from the perspective of the history of science, you can feel the difference between the times of Europe, America and Japan. The "deviation" is large, and the gap between the West and Japan is very large, recalling that Newton received the Lucas job from Barrow in 1664 and formulated universal gravitation in 1665. In addition, when considering the uniqueness of what Hiraga Gennai would have "invented," there is almost no "novelty." I will explain the contents later, but I could not create something that could be left as a property of humankind for posterity. Of course, it was new to the people at that time, and although it was a great achievement to educate the common people and change their consciousness, it has not prepared an academic system like "mathematics". Even if addition and subtraction are possible, "differentiation. Integral" What is it? It was like that. There are circumstances where the education system is very different, but the results are very different. In Japan, the academic system of mathematics has remained undeveloped for hundreds of years since then.



Work of GENNAI


Hiraga Gennai's fields ranged from medicine, pharmacy, Chinese studies, joruri production, mine mining, metal refining, Dutch, craft sales, oil paintings, and haiku.


One of them is "invention", and Hiraga Gennai plays a role in enlightening physical phenomena. This is the introduction of so-called Elekiter.


Elekiter is a mysterious box that has a glass triboelectric generator and a power storage unit inside. As a matter of fact, Hiraga Gennai introduced a Dutch product rather than an invention by Hiraga Gennai, but it seemed like a mysterious magic to the common people in the Edo period.


Above all, it seems that the understanding of phenomena in Hiraga Gennai was very different from the current academic system.


If you comment just in case, there is no movement to create and announce new ideas and ask people from other countries about the content. More than 100 years after the time of Hiraga Gennai, he learned to understand foreign scholarship, wrote a treatise himself, and asked the world about the content. The road to that point is still long. Hiraga Gennai was a pioneer of that era.

2021年08月16日

マレー・ゲルマン
【1929年生まれ-8/16原稿改定】

「ゲルマン」の原稿を投稿します。原稿文字数は1105文字です。AISEOスコアは97点です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】【1929年9月15日 ~ 2019年5月24日】

ゲルマンは米ニューヨーク生まれの理論家です。
素粒子論の世界でノーベル賞を受けています。
ゲルマンの名を本来はゲル-マンと書きますが、
【Gell-Mannと書きますが、】本稿ではゲルマンとします。
記述が楽で、読みやすいからです。
ゲルマンはイェール大で学士号を受け、MITで博士号を受けました。その後、プリンストン高等研究所、コロンビア大、シカゴ大、カリフォルニア工科大で研究を続けます。サンタフェ研究所の設立者の一人でもあります。ゲルマンの研究実績としてはクォークの提唱が大きかったですね。加速器の開発後には様々な粒子が未整理のまま次々と発見され、それらの関係と性質は未解決な部分が残るままに、問題が蓄積されていきます。それらを整理・理解する手段がクォークだと言えるでしょうか。ゲルマンの理解体系では対象性が使われていて、ストレンジネスやカラーといった概念で素粒子が理解されていきます。
秩序ある奥深い理論だと思います。
さて、ゲルマンの業績として素粒子の分類に関する側面を取り上げてきましたが、ゲルマンの研究での真骨頂は粒子の反応に関しての研究ではないでしょうか。関連してR・P・ファインマンという論敵がいました。あくまで伝えられている内容なのですが、ゲルマンとファイン・マンの論争はまるで子供の喧嘩みたいにも思えます。激怒したファイン・マンが、「貴様の名前綴りからハイフォン消すぞ!」【Gell-Mann改めGellmannとするぞ!の意】と怒鳴りつけたら、「ゲルマンがお前の名前をハイフォン付きで書いてやる!」【Feynman改めFeyn-Manとしてやる!の意】と言い返す有り様だったようです。アメリカ人の感覚なのでしょうか。西部劇の勢いなのでしょうか。ただ少し理解出来るかも、と思ったのは互いの愛する家族を侮辱していたのですね。瞬間的に家祖も汚す発想は、頭の切れる天才同士の喧嘩だったのでしょう。より効果的な屈辱の与え方を考えて。。。
いや、やはり激怒して
子供じみた喧嘩してたのかもしれません。;)
そんなゲルマンとファイン・マンは
それぞれに素晴らしい業績を残しました。








以上、間違い・ご意見は
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2021年08月15日

大貫 義郎_1928年 ~ ご存命中
【1928年生まれ-8/15原稿改定】

「大貫義郎」の原稿を投稿します。AISEOでは97点を得ています。原稿文字数は768文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


↑Credit:Wikipedia↑


【1928年生まれ ~ ご存命中没】




大貫義郎の人脈


大貫義郎は名古屋大で坂田昌一に教えを受け、


群論を使った素粒子論の構築を


行いました。そもそも低温物理学


では名古屋で発展してきた部分が大きいです。


本ブログの別項で中嶋貞雄バーディン


のエピソードをご紹介しましたが、


後にノーベル賞を受賞する二人、


益川敏英と小林誠は大貫義郎が育てました。


名古屋大学のつながりが素粒子論で大きな


役割を果たしていたと言えるでしょう。



大貫義郎の研究業績


大貫義郎は素粒子を構成する素子の
対象性に着目して、数学的手法として
群論」を使って整理していきました。
素粒子の反応過程で関わる現象は多岐にわたり、個別の要素に拘っているだけでは話が進まないのです。反応に関わるグループを詳細に分類して個別の反応要素を考えるよりもまず、一団の性格を見極めたうえで、グループの性質に応じた個別様子の役割をしっかり考えていく作業が群論を使ったアプローチで可能になっていったのです。そのアプローチが大貫義郎の業績です。

より詳細には、坂田モデルにおける
基本粒子同士の入れ替えに対して
素粒子としての性質が変わらないと
いう考え方を足掛かりに群論を組み
立てたのです。


そうした考え方を駆使して議論を組み立てて、


大貫義郎はクォークを明確に分類し、


整理していったのです。



〆さいごに〆



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2020/12/21_初版投稿
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2021年08月14日

広重 徹
【1928年生まれ-8/14原稿改定】

「広重徹」の原稿を改定します。今回は広重の業績で社会学的なご紹介が不足していると感じ補足しました。原稿文字数は910文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1928年8月28日生まれ ~ 1975年1月7日没】



広重博士は京大理学部を卒業した後に


大学院をドロップアウトしてます。。。


戦争の時代に青春時代を過ごし、


占領下で多感な時期を過ごし、


世相としても色々あった時に研究者としてのスタート


させた時期だったので大変だったろうかと思います。


広重徹は初め素粒子論を専攻していたそうです。


広重徹は特に科学史の中で社会的側面に焦点


をあてて研究をしていました。村上洋一郎と


本を書いたりランダウローレンツの業績を


翻訳して日本に紹介していたりしました。


それだから文章を読んだ時に、きっと感じます。


広重徹の守っていた立場があるのです。


社会の中で占める


科学史の大きな役割を感じます。


社会から過度な期待がある半面で、


ある意味で無理解な評価があるのかな、と


覚悟しながら冷静に話して


一般人に理解してもらう事が大事です。


何よりも、その理解の中で文章を読んでいる人に


整理した形の「全体像」を伝えて、


現状での現象理解と問題点を出来るだけ


考えられるように出来れば、歴史を語りながら、


科学の発展に繋がっていくのです。


私も科学史の文章を作っている一人だと考えると、


少し身の引き締まる思いがします。


話し戻って、広重徹は30代で博士課程を終えて


(於、名古屋大学)、40代で早くして亡くなります。


もう少し話しが聞きたかったなぁ、って感じですね。


その後、斯様な議論はあまり無いかと思うのです。


また、広重徹の奥様が自分史を


残していたのでリンクを残します。


広重徹のお人柄が偲ばれると同時に


終戦後の世相が感じられて


興味深いかと思えます。ご覧下さい。


http://www.asahi-net.or.jp/~fv9h-ab/kamakura/DrMiki.html





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ダニエル・ベルヌーイ【1700年生まれ‐2021/8/14原稿改定】

「ダニエル・ベルヌーイ」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。いつか中国語訳も付けられたら良いですね。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしました。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていた懸念があり案す故、以後この点は改善します。原稿文字数は2038文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】




【1700年2月8日生まれ ~ 1782年3月17日没】

ダニエル・ベルヌーイの名前で

ダニエルって大事です。科学史

に詳しい人ならピンと来るの

ですが、ベルヌーイ一族は沢山、

科学史に出てきます。

3世代で8人が著名人です。


先ず、今回取り上げたダニエルはスイスに生まれ

3兄弟で、全て物理学者・数学者です。

また、ダニエルの父の世代にも何人かの

学者が居るようで、ダニエルの叔父の仕事を父が

引継ぐ場面もあったようです。




また、こんな事もありました。

1734年のパリ・アカデミー大賞で

父のヨハンと息子のダニエルが

同時に賞を受賞した事が父の名誉

を傷つけダニエルはベルヌーイ家

から出入り禁止の扱いを受けます。

父は死ぬまでダニエルを恨んで

いました。有名なダニエルの

流体力学に関する著作でヨハンによる

盗用もあったようです。家名が重い故に、

ヨハンは名誉で目がくらみ、良識を忘れています




そんな事もありましたが、ダニエルは研究を続け、

パリ・アカデミー大賞の受賞も10回になったようです。

何よりニュートン力学と数学を考え

合わせ「流体力学」を発展させました。

非粘性流体に対する「ベルヌーイの法則」は有益で、

変形する物体にニュートン力学の適用範囲を広めています。

そうした仕事は船舶の運航等に大変、役立ちました。








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(2021年8月時点での対応英文)

Daniel is important in the name of Daniel Bernoulli. If you are familiar with the history of science, it will come to you, but there are many Bernoulli families in the history of science. Eight people are celebrities in three generations.

First of all, Daniel, who was born in Switzerland, has three brothers, all of whom are physicists and mathematicians.

Also, it seems that there are some scholars in Daniel's father's generation, and there was a scene where his father took over the work of Daniel's uncle.

Also, there was such a thing.

The simultaneous award of his father Johann and his son Daniel at the 1734 Paris Academy Awards hurts his father's honor and Daniel is banned from the Bernoulli family.

His father had a grudge against Daniel until his death. It seems that there was plagiarism by Johann in the famous work on fluid dynamics of Daniel. Because of his heavy family name, Johann is dazzled by honor and forgets good sense.

However, Daniel continued his research and seems to have won the Paris Academy Awards 10 times. Above all, he developed "fluid mechanics" by considering Newtonian mechanics and mathematics.

"Bernoulli's principle" for non-viscous fluids is useful and extends Newtonian mechanics to deforming objects.

Such work was very useful for the operation of ships.

2021年08月13日

小出昭一郎
【1927生まれ-8/13原稿改定】

「小出昭一郎」の原稿を投稿します。原稿文字数は989文字です。AISEOスコアは97点です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1927年3月25日生まれ ~ 2008年8月30日没】



小出昭一郎は多くの専門書を残した事
で知られています。東京に生まれ
東京帝大で学びました。第5回
ソルベー会議が開かれた年に生まれています。


教育に時間を捧げた人生だったのでしょうか。研究成果としては余り伝わっていません。ただ、金属錯塩の光スペクトルを研究していたようです。そこで手掛かりとして錯体について調べを進めてみます。錯体とは広義には、「配位結合や水素結合によって形成された分子の総称」(Wikipedia)狭義には、「金属と非金属の原子が結合した構造を持つ化合物」(Wikipedia)


何だか亀の甲羅みたいな記号が沢山出てきます。
そこからもう少し考えてみると、
光の吸光や発光に伴い対象物資
内の状態遷移に関する情報が得られるのです。
そしてそこから、電磁気特性や、
触媒の効果が理解出来るかと。


具体的に主な錯体としては
アンミン錯体_テトラアンミン銅錯体_[Cu(NH3)4]^2+
シアノ錯体_ヘキサシアニド鉄錯体_[Fe(CN)6]^4-[Fe(CN)6]^3+
ハロゲノ錯体-テトラクロリド鉄錯体_[Fe(CN)6]^4-[FeCl4]-
ヒドロキシ錯体 - アルミン酸_[Al(OH)4]-(または_[Al(OH)4(H2O)2]-
などがあるようです。ただ、当時の日本物理学は
本丸を攻めきれてはいなかったのですね。


プランクの黒体輻射理論発表から数十年がたち、
他国で議論が交わされていた時代に対して、
小出昭一郎の暮らした敗戦国日本は
戦前・戦後の混乱の中で
情報がどこまで取れていたのでしょうか。
リアルタイムで議論が進まない環境で、
ソルベー会議の成果をタイムラグのある中で
把握しています。学会誌を見る度に興奮した筈です。


小出昭一郎はそんな中でも量子力学の
理解を進め国内に広めていたのです。
そして、何より後進を育てていたのです。
小出昭一郎は多くの教科書で
物理の世界を紹介していました。






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イタリア関係の物理学者
【コペルニクスからフェルミまでの系譜8/13原稿改定】

以下、原稿を改定します。ご覧下さい。【以下原稿です】

↑ Credit; Pixabay↑


イタリア共和国。人口は6千万人、


GDPは世界第7位。


欧州連合に所属する独立国です。


古代より地中海気質を受け継ぎ、


独自のラテン系文化を作り上げてきたイタリアですが、


物理学関係、数学関係でも多彩な人材を育んでいます。


何よりも歴史ある国ですよね。ご生誕順にご紹介します。


 

アルキメデス _BC287 - BC212


N・コペルニクス_1473年2月19日 ~ 1543年5月24日
(_独系ポーランド人_イタリアへ留学)


ジョルダーノ・ブルーノ_1548年 ~ 1600年2月17日


ガリレオ・ガリレイ_1564年2月15日 ~ 1642年1月8日


ロバート・ボイル_1627年1月25日 ~ 1691年12月31日


 

ルイージ・ガルヴァーニ _1737 - 1798 


アントニオ・ヴォルタ_1745年2月18日 ~ 1827年3月5日


アントニオ・パチノッティ _1841 - 1912 


エンリコ・フェルミ__1901年9月29日 ~ 1954年11月28日






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2021年08月12日

コリン・マクローリン【1698年生まれ‐2021/8/13原稿改定】

「マクローリン」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。いつか中国語訳も付けられたら良いですね。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしました。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていた懸念があり案す故、以後この点は改善します。原稿文字数は3228文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

 マクローリンについて

マクローリンの名を耳にするのは

数学の講義ではないでしょうか。

物理学者というよりも数学者ですが

一昔前の物理学と数学は境目があいまいでした。

その名を全て記すとコリン・マクローリン

(Colin Maclaurin)です。

Wikipedeaで「マクローリン」という言葉だけで検索したら
ロボットアニメが出てきたりしますが、
「マクローリン展開」で検索すると一発です

マクローリンの業績について

マクローリンは特に彼の名にちなんだ展開で有名です。
その内容は「0を中心としたテイラー展開」であって、
とても特別な場合なのですが
その有益性は非常に大きいのです。
その有益性は単純な私達では思い付かなかったでしょう。

込み入った話をすると、マクローリンが定式化した
数学的な定式化は「任意の関数の級数への分解」です。
任意の関数が持つ変化率を、
1次成分の寄与、2次成分の寄与、3時成分の寄与、、、
と分けて表現していくのです。

マクローリンと残した仕事 

 マクローリンは英スコットランドに生まれました。
ニュートン_と仕事をする中で彼の信頼を得て、
大学への推薦状を書いてもらう程でした。

マクローリン自身もニュートン_の考えに惚れ込んでいて、
ニュートンの紹介を目的として出版活動をしていました。
こうした仕事を通じてスコットランド啓蒙運動
に勤しんだ【いそしんだ】のです。

多くの人は高校時代以降に数学を使わなくなるでしょうが、
実生活の中で数学の世界はとても役に立っています。
特に、今回ご紹介しているマクローリンの考えは
一般関数の級数展開といった考えにつながり、
その考えは最終的にデジタル回路における近似処理
に繋がるのです。スマホの中とかの回路での処理原理です。
一般の人は意識しませんが恩恵を受けています。

理工学系の過程に進む初学者は出来るだけ

数学と産業のつながりを意識して下さい。

一見関係ないように思える数学の世界も、その概念を

土台として現代の応用技術が成り立っているのです。

無意味無乾燥に思える講義の内容が

貴方の人生で思わぬ成果を生む場合があります。

〆最後に〆






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2020/11/06_初稿投稿
2021/08/13_改定投稿

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About McLaughlin

Isn't it a math lecture that you hear the name of McLaughlin? He is a mathematician rather than a physicist, but a decade ago physics and mathematics had a vague line. The name is Colin Maclaurin.

If you search for "Macroline" in Wikipedea, you will see robot animation, but if you search for "Macroline expansion", it will be one shot.
Twice

About McLaughlin's achievements

McLaughlin is especially famous for his developments. The content is "Taylor development centered on 0", which is a very special case, but its usefulness is very great. Its benefits would not have come to our minds simply.

To put it in a complicated way, the mathematical formulation that McLaughlin formulated is "decomposition of an arbitrary function into a series". The rate of change of an arbitrary function is expressed separately as the contribution of the primary component, the contribution of the secondary component, the contribution of the 3 o'clock component, and so on.

Work left with McLaughlin

McLaughlin was born in Scotland, England.
While working with Newton, he gained his trust and even got a letter of recommendation to the university. McLaughlin himself fell in love with Newton's ideas and was publishing for the purpose of introducing Newton. Through these jobs, I worked for the Scottish Enlightenment Movement.

Many people will stop using math after high school, but the world of math is very useful in real life. In particular, the idea of ​​McLaughlin introduced this time leads to the idea of ​​series expansion of general functions, and that idea eventually leads to the approximation processing in digital circuits. It is a processing principle in a circuit such as in a smartphone. The general public is not aware of it, but they are benefiting from it. Beginners who advance to the science and engineering process should be aware of the connection between mathematics and industry as much as possible.

Even in the world of mathematics, which seems unrelated at first glance, modern applied technology is based on that concept. The content of a lecture that seems meaningless and dry may produce unexpected results in your life.

西島 和彦
【1926年生まれ-8/12原稿改定】

「西島 和彦」の原稿を投稿します。原稿文字数は934文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


 

【1926年10月4日生まれ ~ 2009年2月15日没】


【↑_Credit:Wikipedia】



西島和彦は茨城県に生まれました。
東大を卒業後に大阪市立大学で教鞭
をとります。その後イリノイ大学の後に
東京大学、京都大学で教鞭をとります。


そんな経歴の中において、西島和彦の業績として特筆すべきはストレンジネスの提唱でしょう。素粒子の性質を吟味していく中で当時は電荷量、バリオンといった値が知られていたようですが、それに加えてストレンジネスといったパラメターを西島和彦は導入して、素粒子の性質を語る礎を固めていったのです。


 西島和彦が素粒子を考えていく中で、特定の粒子と反粒子が対になって生成される場合が多く見受けられたりしましたが、そのメカニズムは説明されていませんでした。生成にかかる時間を考察して、反応の中間に存在するであろう中間子を考察していったのです。保存される量として質量の他に別の量を考えていき、散乱断面積の計算を追従し辻褄(つじつま)の合う理論を構築します。果てしない思考の作業です。


西島和彦は学生時代に中野董夫、
マレー・ゲルマンとストレンジネスを法則化
しました。強い相互作用や電磁相互作用
において反応の前後でストレンジネスが
保存されるのです。そうした物理量を一つ一つ
生み出していく事がとても大事です。


西島和彦らが考え出したストレンジネスは直接観測にかかるものでは無く、反応の前後で、ストレンジクォークと反ストレンジクォークの数を使って定義されます。そして、ストレンジネスを使った中野西島ゲルマン・モデルは坂田模型やSU3と呼ばれるモデルへ、クォークモデルと繋がり素粒子の振る舞いを明らかにしていくのです。


そして、統一的な現象理解へと繋がるのです。






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P・V・ミュッセンブルーク
【1692年生まれ‐2021/8/12原稿改定】

「ミュッセンブルーク」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。いつか中国語訳も付けられたら良いですね。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしました。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていた懸念があり案す故、以後この点は改善します。原稿文字数は3353文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1692年3月14日-1761年9月19日没】






その名はピーテル・ファン・ミュッセンブルーク

;Pieter van Musschenbroek。

ライデン瓶の発明で知られているオランダの物理学者です。

ポンプや顕微鏡、望遠鏡を作る職人の子として生まれます。

何より、最初の蓄電器であるライデン瓶

を作ったことで知られています。

ラテン語学校でギリシア語・ラテン語・フランス語・英語、ドイツ語などを学んだ後にライデン大学で医学博士となります。当時の学識の付け方は今と大きく異なっていたようですね。そして、ロンドンで当時の大物である物理学者ニュートンの講義を受けています。

その後、ミュッセンブルークは数学、哲学、医学、占星術の教授を歴任します。占星術は当時の教養の中で合理的な学問体系であると考えられていて、少し前の時代には王家に使えていたノストラダムスが天文学と占星術を修めていたという史実もあります。そして、ミュッセンブルークが1726年に刊行した「Elementa Physica」では広くニュートンの理論をヨーロッパに広めています。

その後、

静電気の力を中心にミュッセンブルークは関心を深め、

ガラス瓶の中に充満した水の中で帯電した棒が

反発しあう現象を形にします。非常に効果的な装置で

水の中で実験を行うことで重力の効果を

浮力で打ち消して微細な反発力をとらえられます。

また、支点を介した二つの棒が重力と直角方向に

開いていくので開いた角度がθの時に重力の分力が

Sinθで考えられるのです。

数学上、θが0の近傍ではSinθが殆ど0なのです。

理論で期待される効果が目視で確認できます。

浮力が重力を打ち消す効果と分力でSinθだけ考えればよい

事情が相まって電気による微細な反発力が目に見える

効果として現れます。開き角度が狭い時点では

殆ど重力の効果がない形で

帯電に起因する力が可視化出来るのです。

 

それまで帯電棒をこすり続けたりしなければ

示せなかった「静電容量に起因する力」が

ミュッセンブルークによって示されました。

後の電磁気学の発展に繋がっていきます。

確かな一歩が残されたと言えるでしょう。





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2021/07/01_初回投稿
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(2021年8月時点での対応英訳)

About Musschenbrook 


Its name is Pieter van Musschenbrook

; Pieter van Musschenbroek.

Musschenbruck is a Dutch physicist known for the invention of the Leyden jar. He is born as a child of a craftsman who makes pumps, microscopes and telescopes. He is best known for making his first capacitor, the Leyden jar.

He will become a Doctor of Medicine at Leiden University after studying Greek, Latin, French, English, German, etc. at a Latin school. It seems that his way of learning at that time was very different from what he is now. And he is taking a lecture in London by the then-big physicist Newton.

After that, Musschenbrook was a professor of mathematics, philosophy, medicine and astrology. Astrology is considered to be a rational academic system in the culture of the time, and there is a historical fact that Nostradamus, who was used for the royal family a while ago, studied astronomy and astrology. And in "Elementa Physica" published by Musschenbrook in 1726, Newton's theory is widely spread in Europe.

Method of Musschenbrook


After that, Musschenbrook deepened his interest around the force of static electricity, and formed a phenomenon in which charged rods repel each other in the water filled in a glass bottle. By conducting experiments in water with a very effective device, the effect of gravity can be canceled by buoyancy and a minute repulsive force can be captured.

Also, since the two rods that pass through the fulcrum open in the direction perpendicular to gravity, the component force of gravity can be considered in Sinθ when the opening angle is θ.

Mathematically, Sin θ is almost 0 near θ of 0.

You can visually confirm the effect expected in theory.

The effect of buoyancy canceling gravity and the fact that only Sinθ needs to be considered as a component force combine to make a minute repulsive force due to electricity appear as a visible effect. When the opening angle is narrow, the force caused by charging can be visualized with almost no effect of gravity.

Work of Musschenbrook


Musschenbrook showed the "force due to capacitance" that could only be shown by rubbing the charging rod until then. It will lead to the later development of electromagnetism.

It can be said that Musschenbrook has left a solid step.