ドイツに生まれたケプラーは天文学者にして数学者、哲学者、占星術師でありました。母は薬草治療をしてました。天文物理学の仕事として素晴らしい点は、年間の観測情報から数学を使った考察を進め、天体が楕円軌道を描くとか公転周期と面積速度の関係を導き出すといった秩序だった理論的な結果をケプラーが導き出した点です。
「数学モデル」を物理学に当てはめた初めての物理学者
だったという点も見逃せ無いポイントです。
ケプラーは幼少期に苦労します。
ケプラーの父は家計を支える為に傭兵として戦いに参加します。ケプラーが5歳から17歳の間、その父は家族と離れ暮らしていました。そして八十年戦争と呼ばれた戦いでお父様はネーデルランドで亡くなります。加えてケプラー本人は天然痘にかかり視力低下にあい、一生苦労をしました。また天然痘でケプラーは妻子を失ってしまいます。
そんなケプラーは天文学者として地動説に出合いました。
特にコペルニクスがコペルニクス的転回を打ち出した
所でケプラーはコペルニクスを全面的に支持します。
そういった考え方を読んだケプラーを
今度はガリレオ・ガリレイが支持します。
そして最後にケプラーはティコ・ブラーエに出会います。
ティコ・ブラーエが集めた膨大な
データを遺産としてケプラーが受け取り
そして整理して様々な法則を作り出します。
二人の業績から今でも残るケプラーの法則が完成したのです。
惑星の運動は体系立てて幾何学上で表現されています。
ケプラーは星を考える枠組みを作り出したのです。
そして次なる様々な理論体系に繋がっていったのです。
〆
【舞台別のご紹介】
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最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。
nowkouji226@gmail.com
2020/10/19_初版投稿
2021/01/16_改定投稿
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