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2021年04月01日

コペルニクス_【2021/04/01_原稿投稿】

本日、以下原稿を投稿します。天文学の土台を築いた偉人コペルニクスです。


また、当ブログへのアクセスを増やしたくてツイッターしてて、以下の4アカ計で考えて4/1(木)朝の時点で、前日と比較すると【11144⇒11214】です。こんなペース。焦らず作業。
@コウジ@kouji_Aバンドリ好き太郎_B浩司_Ckouji kazeno

【以下は原稿です】


  


コペルニクスは王領プロイセンの一部であった現在のポーランドで生まれました。特に第2次大戦までのナショナリズムの時代には、その地に生まれた人々はドイツ人であると言われたりしていましたが、今日ではドイツ系ポーランド人と呼ばれることが多いです。コペルニクスはもともと職業として天文学に専念出来る仕事に従事していませんでした。日常の仕事としては宗教の布教に伴う様々な仕事をしていたようです。


Bloomee LIFE


そういった仕事の一つとして、聖堂参事会の財産管理をしていましたが、その仕事の中で「悪貨は良貨を駆逐する」という概念を初めて用いています。そういった社会的な貢献も行っていたという事実は特筆すべきです。ドイツ騎士団国がポーランド王領プロイセン内ヴァルミアに進行する中でコペルニクスの生活は色々と変わっていきます。


1539年にヴィッテンベルク大学の教授であったゲオルク・レティクスがコペルニクスを尋ねましたが、そこで彼はコペルニクスから地動説の思想を説明してもらい得心し、その考えを継承・発展したいと思うようになりました。コペルニクスとの師弟関係が始まっていきます。レティクスはコペルニクスの理論を急速に吸収し、理論体系の流布へ向け出版をするように進言します。。そうした話を受けコペルニクスは自らの理論を纏めていこうと考えました。1539年にはレティクスが自身の天文学の師、ヨハネス・シェーナーに長い手紙を送りました。その手紙の中においてコペルニクスの理論の抜粋を盛り込んでいます。その写しをレティクスはグダニスクの出版業者に持ち込み、翌年には「最初の報告」として出版しました。そこでコペルニクスはレティクスと共に推を進めました。その2年後には「天球の回転について」の草稿が完成し印刷されたのです。所がレティクスのライプツィヒ大学の数学教授に伴い、レティクスが後任指名した神学者アンドレアス・オジアンダーが校正を続けます。しかしそうした中、コペルニクスは脳卒中で倒れ、半身不随となり、原稿を読むことはできませんでした。最終的に仕上がった印刷物は、コペルニクスが亡くなった当日に彼のもとに届いていたという逸話が残っています。享年70歳の生涯でした。












以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

【舞台別のご紹介】

2021/04/01_初稿投稿






OJISAN.png




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