マックスボルンと確率解釈
M・ボルンはユダヤ系ドイツ人なので、
第二次世界大戦時は大変苦労しています。
そんな中で前期量子論において本質的な
現象理解である「確率解釈」を提唱しています。
簡単に確率解釈を表現してみると、
観測にかかる現象は一意的に求まるものだけではなく
一定の確率で観測される事象も含まれるという解釈です
別言すると観測値が一定の確率との掛け合わせ
である場合が許されるのです。
ボルンの人間関係
ボルンはドイツ本国で教授職を解雇されたり
していて、反戦の姿勢、非核の姿勢を貫き
ラッセル=アインシュタイン宣言にも参加しています。
この点ではドイツに残り、原爆開発に参加していた
ハイゼンベルクとは全く別の人生を歩んでいます。
ちなみに、
ハイゼンベルクはボルンの門下生です。
オッペンハイマーもまた弟子にあたります。
オッペンハイマーとは「ボルン・オッペンハイマー近似」
と呼ばれる業績を残し、共に研究していた時代があります。
共にユダヤ系でしたのでボルンはイギリス、
オッペンハイマーはアメリカに追われます。
ユダヤ人排斥運動の中でボルンは教授職を奪われたのです。
戦時下でのどうしようもない事情でした。
彼の解釈で有名なやり取りがあります。
ボルンの考え方である確率解釈に対して
反論したアインシュタインが量子力学の解釈を
サイコロ遊びに例えたのです。
【Wikipedeaより引用:アインシュタインの有名な言葉
「彼(神)はサイコロを遊びをしない」は1926年
にボルンに当てた手紙の中で述べられたものである。】
この手紙が交わされた翌年の1927年に
ハイゼンベルグが不確定性関係を定め、
このサイトTOPで写真を使っている
第五回ソルベー会議が開かれます。【於10月】
其処で本質に対して真剣な議論が交わされるのです。
人類の理解が大きく変化していった時代でした。
確率解釈は人類の思想にとって大きなパラダイムシフトです。
ボルンの考え方は、それまでの発想を大きく変えました。
最後にトリビア話
ボルンの孫の一人に歌手であるオリヴィア・ニュートン・ジョンが居ました。私も初稿を書く際に分かったのですが意外ですね。勝手に想像するとボルンは如何にもドイツ人らしい人だったのでしょうね。アインシュタインとのやり取りは、そんな彼を偲ばせます。イギリスに亡命後にドイツへ帰国しており、プランクと同じゲッティンゲン市立墓地に眠っているそうです。母国の土に帰りたい想いもあったのでしょう。そしてきっと、お孫さんのオリビア・ニュートンジョンも墓参りに来るのでしょう。
関連URL(YouTubeへ:)
https://www.youtube.com/watch?v=E-JGTk_WM1k
〆
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nowkouji226@gmail.com
2020/08/30_初版投稿
2021/07/26_改定投稿
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