アフィリエイト広告を利用しています
ファン
検索

メンズエステサロン
【エルセーヌMEN】

メタボリック対策やヒゲ脱毛など、男の魅力を引き出すエステ体験実施中!
<< 2024年04月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
最新記事
最新コメント

2021年07月31日

ピエール・キューリ
【1859年生まれ‐2021/7/31原稿改定】

「pキューリ」の原稿を投稿します。原稿文字数は1977文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1859年5月15日生まれ 〜 1906年4月19日没】



ピエール・キューリって有名なマダム・キューリの旦那様


ですが、調べていけばいくほど良い男です。


ピエールはフランスのパリに生まれましたが、


学校に行きたがらず、お医者だったお父様や家庭教師等に


勉強を教えてもらって自宅で勉強していました。


特に数学で優秀さを発揮して、とりわけ幾何学で光る所


を見せるようになっていき、16歳でパリ大学に入学します。


そしてなんとピエールは18歳で学士号を得てしまいます。


今の日本では現役学生が入学試験を受ける年齢ですね。


びっくりです。ご家庭の事情で博士号習得はあきらめて


物理研究室の助手として働きます。


原子に対して知見が集まりつつあった未開の時代に


数々の業績を残しています。


 

同じくパリ大学鉱物学助手をしていた兄ジャックと協同で


研究を進めます。水晶等の結晶に圧力差が


生じた時に電位差が発生する現象を定理化して


「圧電効果」または「ピエゾ効果」と呼ばれる


法則を明確にして、公表しました。


更に、彼等はもう一つの現象も示します。


水晶に電界を加えた時に形が変わるという


現象を発表しましています。


現在の工業製品ではこの応用である


水晶振動子がデジタル回路で使われています。


固有周波数を持つので時計やコンピュータの回路で


時間(クロック)の基準となっているのです。


 

ピエールは磁性に関して研究を進めています。


その中で自差係数を計測するための精密な


ねじりばかりを使っていますが、


その装置はその後に精密計測で世界中の


研究者に広く使われています。


ピエール・キュリーは博士論文のテーマとして


強磁性、常磁性、反磁性について研究をおこないました。


特に常磁性への温度特性を「キュリーの法則」として


定式化しています。。その式に出てくる物質固有の定数は


「キュリー定数」と呼ばれています。更に


強磁性体の磁性損失も明らかにしています。


「キュリー点」です。キュリー天秤も作りました。


沢山の業績を残していますね。


 

そんな沢山の成果をあげていましたが、


ピエールは薄給に甘んじ出世に興味をもたず


教育功労勲章も断っていました。そんなピエールを


外国では高く評価していて、1893年には


英国のケルヴィン卿が訪問してきています。


その後ピエールはポーランド人のマリア・スクウォドフスカ


(後のキューリ夫人)と出逢い結婚しています。


何度もピエールは恋文を送っていたようです。


簡素な下宿で温かい時間を過ごしていました。


その後は夫婦共同で放射性物質の研究をしていて、


ポロニウムとラジウムを発見、放射能という


用語の提案を行っています。そして遂に


ピエールは学生と共に核エネルギーを発見します。


原子核の遷移は熱を生んでいたのです。


学生との発見は続き、アルファ線、ベータ線、ガンマ線


を見付けています。それぞれの放射線の


帯電特性に気付いた訳です。


 

こうした成果をピエールがあげていく中で、


過度の研究の中でピエールの心身のダメージは


徐々に蓄積していきました。リウマチの症状で毎晩


ピエールは激痛に襲われて悲鳴をあげていたそうです。


妻マリアとベクレルと共にノーベル物理学賞を受賞


した際には体調不良で授賞式に出られませんでした。


 

そして運命の日が来ます。1906年4月19日木曜日です。


当時パリ大学教授になったばかりのピエールは昼


食後2時半頃に目的地に徒歩で移動していました。


パリの狭い道を多くの馬車が混走していました。


道を渡り損ねた彼は馬車にひかれてしまい、


頭蓋骨にひどいダメージを負って即死してしまうのです。


一瞬の悲劇でした。フランスは宝を失います。


 

彼の死後に妻マリアは2度目のノーベル賞を得ています。


また娘のイレーヌ・ジョリオ=キュリーとその夫で


研究所の助手だったフレデリック・ジョリオ=キュリーも


放射性元素の研究でノーベル賞を受賞しています。


もう1人の娘エーヴは、母の伝記を書き残しました。


孫の ヘレン ランジュバン ジョリオ は


パリ大学の核物理学教授で、同じく


孫の ピエール ジョリオ は生化学者です。


 

そして今ピエールとマリの魂はパリのパンテオンの


地下聖堂に眠ってます。他のフランスの産んだ


偉人達と共に。フランスの名誉と共に。


夫婦で深い安らかな眠りを続けています。





以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
この頃は全て返信できていませんが
頂いたメールは全て見ています。
適時、返信・改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2021/01/21_初稿投稿
2021/07/20_改定投稿


(旧)舞台別のご紹介
纏めサイトTOPへ】
舞台別のご紹介へ】
時代別(順)のご紹介】
フランス関連のご紹介へ】
熱統計関連のご紹介へ】
量子力学関係へ】

力学関係のご紹介へ】


【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】


この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/10870736
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック