また、当ブログへのアクセスを増やしたくてツイッターしていましたが方針転換します。4アカ計で考えて4/9(金)朝の時点でフォロワ数ーは【11558】です。今日以降はこの数を目安にして、作業としてフォロワー数を増やしません。今日の数字を材料として以後は紹介の内容を吟味していきます。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に現状の一万垢が無関心ならツイッターには意義を感じないからです。バーナーの情報を含めてhttp.www://nowkouji226.comへの投稿原稿を残します。
【以下が投稿原稿です】
大河内正敏は旧上総大多喜藩主にして子爵であった大河内正質の息子として生まれました。学習院初等科に進み、大正天皇と共に学びます。また大河内とは珍しい名字だなと思っていたら奥様も大河内家から娶っていて、なんだか皇族みたいな感じがしてしまいました。華麗なる一族って感じです。政界では子爵議員として貴族院で議員を二期務めます。そんな中で若かりし無名の田中角栄を可愛がっていたといわれます。そんな人なので理化学研究所の3代目所長に就任したした時は理研研究員にして、貴族院議員で子爵、そして東京帝大教授でした。そんな偉人を今回はご紹介します。
大河内正敏は東大で物理学を学んでましたが時節柄、寺田寅彦と飛行弾丸の研究をしていたようです。物理学を駆使すれば流体力学や表面の解析が出来ます。大河内正敏が進めた具体的な別の活用事例としては、ピストンの開発があります。ここでもシリンダー内の熱流体解析や、摂動面の摩擦を解析出来ます。この研究は後の株式会社、リケンにつながります。戦後このグループは、GHQより十五大財閥の一つとして指定を受けます。
こうした業績を残して今、大河内正敏は埼玉県にある平林寺で永眠しています。
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nowkouji226@gmail.com
2020/12/17_初版投稿
2021/04/14_改訂投稿
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