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2021年01月07日

フィゾー_田中館愛橘_大河内正敏_中嶋貞雄_マイスナー_大貫義郎【12/08~12/28の記事】

先ずフィゾーの改定が漏れていました。順序が違いますが改定します。他、現在投稿分の原稿に対しての第一回最終の改定となります。ご参考にして下さい。

以下に草稿を残します。各項は、適時改定致します。

@A・H・ルイ・フィゾー
A田中舘愛橘
B大河内正敏
C中嶋 貞雄
DF・W・マイスナー
E大貫 義郎_

【@フィゾー原稿】


その名は正確には、アルマン・イッポリート・
ルイ・フィゾー(Armand Hippolyte Louis Fizeau,
1819年9月23日 - 1896年9月18日)
地上で光速度を始めて測定した人で、
フランス人です。





フィゾーの実験として有名な物は1849年に回転歯車
を使った公開実験です。明快に原理を示して光速度
を数値化しました。

フィゾーの示した数値が重要なのは、後に明らかに
なっていきますが、光が電気と関係してるからです。
後にマクスウェルが電磁気学をまとめる中で、
自分の理論での計算結果とフィゾーの示した値が
とても近い事実に気付きます。それはきっと、
今風に言えば、電磁波の伝播速度が光速度に近い、
という事実なのでしょう。

また、フィゾーはドップラー効果も予見してます。
この言葉はスマホ入力で一発変換されていますが、
フィゾー等が確かにしていった概念なのです。

フィゾーが実験を繰り返す困難は測り知れません。
当時は未だレーザー光線も無かったでしょうし、
当然デジタルのカウンター等も無いので、
計測系のイメージだけでも大変だったでしょう。





私が何より興味深いのはフィゾーの
頭の中にある理論的な考察が
閃きによって実験に昇華するプロセスです。
フィゾーは理論的な原理を優れた実験で
わかり易く示したと思います。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/01_初版投稿





OJISAN.png



【A田中館愛橘の原稿)


田中館愛橘、
その名は愛橘と書いてあいきつ、
と読ませます。生まれた年は
旧暦の時代で安政3年9月18日です。
【新暦で1856年10月16日です】
没年は新暦での昭和27年です。
先祖に南部藩の赤穂浪士と呼ばれた
方が居たそうですから、そうした
イメージから語り出したいと思います。
時代の変革期に若き日を過ごしました。



さて、田中館愛橘の父方は兵法師範の
家系であり、愛橘は藩校である作人館に
学びます。作人館での同窓生には原敬
がいて後輩には新渡戸稲造がいました。
存じませんでしたが立派な学校ですね。
東京に出て慶應義塾に通いますが
学費が高額なので東京開成高校に
進みます。

今で言えば東大教養学部のイメージ
でしょうか。そこで愛橘は山川健次郎
から物理学を学びます。政治にも
関心を持っていたようですが、山川から
諭され、我が国の理学での遅れを挽回
せんと愛橘は物理学を志しました。



1879年に東大で外国人教師である
メンデンホールとユーイングが
エジソンの発明したフォノグラフ
を日本に紹介しましたが、田中館愛橘は
早速試作を行いました。その音響や振動
の解析を行っています。1880年には
メンデンホールによる重力観測に参加し、
東京と富士山で観測作業を行いました。
当時の世界1の高精度方位計であると
称えられた電磁方位計を愛橘は制作しました。



ダイソン・私も使ってます♪

田中館愛橘は明治16年12月に福岡に帰っていた
父・稲蔵が割腹自殺したとの知らせを受けて
帰郷します。そしてその年に東京大学助教授
となりました。詳細は追って調べます。この時期
気になる動きです故。





その後、田中館愛橘はイギリスでケルビン卿に師事し
、大きな影響を受け、生涯を通じてケルビンを敬愛し
ました。その後1890年にヘルムホルツのいたベルリン
大学へ転学、電気学などを学びます。この時代の電気
に対する理解は、後ほど項を改めてマクスウェルらと
関連して語ります。愛橘は東京帝大理科大学教授となり
後にに理学博士の学位を受けます。更にデンマークの
コペンハーゲンで開かれた万国測地学協会 第14回総会
で地磁気脈動や磁気嵐の発表をします。

また時代柄もあって、田中館愛橘は陸軍や海軍
に対して貢献します。地磁気測量では指導の
中心的な役割を果たしています。旅順での戦闘
の際には敵情視察用の繋留気球の制作を依頼
されています。それが愛橘と航空研究のきっかけ
となりました。田中館愛橘は中野の陸軍電信隊内
での気球班で気球研究を始め、制作および運用法
を指導しています。試行錯誤の末に気球を完成させ、
旅順戦で戦闘に使用されています。




そして田中館愛橘が60歳になり、教授在職25周年
のパーティで愛橘は辞職する旨を伝えました。
後の東大での定年退職制度に繫がっていきます。
また、田中館愛橘は数多くの人材を育てました。
教え子としては長岡半太郎、中村清二、本多光太郎、
木村栄、田丸卓郎、寺田寅彦などが居ます。それ故、
愛橘は「種まき翁」、「花咲かの翁」と呼ばれた
そうです。95歳7か月の天寿を全うしました。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/16_初版投稿





OJISAN.png


【B大河内正敏の原稿】



大河内正敏は旧上総大多喜藩主にして
子爵であった大河内正質の息子として
生まれました。学習院初等科に進み、
大正天皇と共に学びます。

また大河内とは珍しい名字だなと思って
いたら奥様も大河内家から娶っていて、
華麗なる一族を感じさせました。政界で
は子爵議員として貴族院で議員を二期
務めます。若かりし無名の田中角栄を
可愛がっていたといわれます。
理化学研究所の3代目所長に就任したした
時は理研研究員にして、貴族院議員で子爵、
そして東京帝大教授でした。



大河内正敏は東大で物理学を学んでまし
たが時節柄、寺田寅彦と飛行弾丸の研究
をしていたようです。物理学を駆使すれ
ば流体力学や表面の解析が出来ます。



大河内正敏が進めた具体的な別の活用事例
としては、ピストンの開発があります。
ここでもシリンダー内の熱流体解析や、
摂動面の摩擦を解析出来ます。この研究は
後の株式会社、リケンにつながります。
戦後このグループは、GHQより十五大財閥の
一つとして指定を受けます。



こうした業績を残して今、大河内正敏は
埼玉県にある平林寺で永眠しています。









以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/17_初版投稿





OJISAN.png


【C中嶋貞雄の原稿】


映画監督で似た名前の方が居ますが
あちらは貞夫と書きます。
こちらは貞雄と書きます。

中嶋貞雄は私が昔使っていた教科書の著者
でした。超伝導現象の理論化に先鞭
をつけた方です。



中嶋貞雄は低温物理の物性に関わる
研究をしていきました。そんな中で
名古屋で会議の席で、くりこみ理論を
応用した電子物性の議論をします。
それをアメリカのバーディンが着目
し、コピーを中嶋に求めました。
その時点ではカメリー・オネスの
超伝導現象は実験的に示されていま
したが理論的説明はなされてません。
バーディンはそれを作ろうとしてた
のです。

中嶋はきっと研究の方向性に確信を
持った事でしょう。後に名古屋駅で
バーディンにコピーを渡します。
バーディンは帰国後に英訳し、
クーパー対のアイディアを盛り込み
BCS理論を完成させます。日本で無く
アメリカで生まれた事が残念ですが、
そうした議論の場は日本でも芽生えて
いたのです。



私は科学技術は人類が共有する財産
だと思っています。それだから、
コピーを届けた中嶋貞雄の行為は立派
だったと感じています。若い研究者達も
知を共有して育んで欲しいと思います。
そうした行為が、ひいては日本の発展に
繋がっていくかと。



ダイソン・私も使ってます♪










以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/19_初版投稿





OJISAN.png


【Dマイスナー原稿】


その名は正確には
フリッツ・ヴァルター・マイスナー_
Fritz Walther Meißner (Meissner)。
ドイツ・ベルリン生まれの物理学者です。



(無料レッスンいかがですか?)

ミュンヘン工科大学でプランクの師事を
受けた後に物理工学院で研究を進めます。
マイスナーが関心を持っていたのは
超伝導でした。1920年頃に色々な物資で
転移が起きる事を確認しています。
タンタル(化学記号はTa、転移温度4.47K)
ニオブ(化学記号はNb、転移温度は9.25K)
チタン(化学記号はTi、転移温度は0.4K)
トリウム(化学記号はTh、転移温度は1.38K)
に対して相転移を確認した後に化合物に
着目してNbCにおいて10ケルビンを超える
転移温度を確認しています。





その後、マイスナーはいわゆるマイスナー効果
を発見していてます。この現象は協同研究者の
オクセンフェルトの名前と合わせて
マイスナー―オクセンフェルト効果と呼ばれる
こともあります。また性質の側面から完全反磁性
とも呼ばれます。磁性を使って超電導現象を特徴
づけているとも言えます。



以上、間違いやご意見があれば以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが、必ずお答えします。
nowkouji226@gmail.com

2020/12/19_初回投稿






OJISAN.png


【E大貫義郎の原稿9】


大貫義郎は坂田昌一に教えを受け、
群論を使った素粒子論の構築を
行いました。そもそも低温物理学
では名古屋で発展してきた部分があります。



本ブログの別項で中嶋貞雄とバーディン
のエピソードをご紹介しましたが、
後にノーベル賞を受賞する二人、
益川敏英と小林誠は大貫義郎が育てました。



ダイソン・私も使ってます♪

大貫義郎は素粒子を構成する素子の
対象性に着目して、数学的手法として
群論を使って整理していきました。
より詳細には、坂田モデルにおける
基本粒子同士の入れ替えに対して
素粒子としての性質が変わらないと
いう考え方を足掛かりに群論を組み
立てたのです。






そうした組み立てを使い大貫義郎は
クォークを明確に分類、整理した
のです。






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時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/21_初版投稿





OJISAN.png


posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定
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