@ムツゴロウさん
A小出昭一郎
Bハンス・アルプレヒト・ベーテ
C西川 正治
D仁科 芳雄
Eセシル パウエル
Fジョゼフ=ルイ・ラグランジュ
【@ムツゴロウさん原稿】
2020/11/21現在でご存命中の方で恐縮ですが
ムツゴロウさんの一面を紹介したいので投稿します。
私は若い時に面白い人生だと思いました。
ムツゴロウさんという愛称で知られていますが、
中身は九州男児です。大分県でバンカラな少年時代を過ごします。
その様子はムツゴロウさんの著書である
ムツゴロウの青春期で読みました。
高校時代に今の奥様に出合い結ばれる様子が
生き生きと描かれ、同時に東京大学を目指し
猛勉強する様子が描かれていました。確か、
口癖が「君等が知っちょるか知らんか、しらんが」
という先生が居て物理学への魅力を伝えていて、
若き日のムツゴロウさんが奮起する筋だったかと。
後で時間を作りムツゴロウの青春期に続く著作、
結婚紀、冒険記等も読んでみたいと思いますが、
ムツゴロウさんは文筆での人生を選び
当時の学研社で活動を始めます。ここに至るまでに
色々と考えたと思います。
東大では駒場寮に暮し医学・動物学・文学を学びます。
物理学科という呼び名ではなく東大はT塁・U類・・・
と分けるので対象が無機質の剛体であろうがアメーバであろうが
関係ない訳です。そもそも、微視的な視点に立ち見てみたら
其々に性質があり、寿命がある訳です。
話戻ってムツゴロウさんですが、
何時か時間をとって調べて書き足します。
彼の人生は喜びとがっかりに満ちていますので。
そんな中でムツゴロウさん突き進んでいるんです。
もう少し見続けていたい生き様だと感じでいます。
ムツゴロウさんには
6億円あると言われていた借金がありましたが、
それも全て返済して現在も王国に携わっています。
リンク:有限会社ムツ牧場
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2020/11/14_記
【A小出昭一郎の原稿】
小出昭一郎は多くの専門書を残した事
で知られています。東京に生まれ
東京帝大で学びました。第5回
ソルベー会議が開かれた年に生まれています。
教育に時間を捧げた人生だったのでしょうか。
研究成果としては余り伝わっていません。
ただ、金属錯塩の光スペクトルを研究していた
ようです。そこで手掛かりとして錯体について
調べを進めてみます。錯体とは広義には、
「配位結合や水素結合によって形成された分子
の総称」(Wikipedia)狭義には、「金属と非金属
の原子が結合した構造を持つ化合物」(Wikipedia)
何だか亀の甲羅が沢山出てきます。もう少し
考えてみると、光の吸光や発光に伴い対象物資
内の状態遷移に関する情報が得られ、
電磁気特性や、触媒の効果が理解出来るかと。
具体的に主な錯体としては
アンミン錯体_テトラアンミン銅錯体_[Cu(NH3)4]^2+
シアノ錯体_ヘキサシアニド鉄錯体_[Fe(CN)6]^4-[Fe(CN)6]^3+
ハロゲノ錯体-テトラクロリド鉄錯体_[Fe(CN)6]^4-[FeCl4]-
ヒドロキシ錯体 - アルミン酸_[Al(OH)4]-(または_[Al(OH)4(H2O)2]-
などがあるようです。ただ、当時の日本物理学は
本丸にを攻めきれてはいなかったのですね。
プランクの黒体輻射理論発表から数十年がたち、
他国で議論が交わされていた時代に対して、
小出昭一郎の暮らした敗戦国日本は
戦前・戦後の混乱の中で
情報がどこまで取れていたのでしょうか。
小出昭一郎はそんな中でも量子力学の
理解を進め国内に広めていたのです。
そして、何より後進を育てていたのです。
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2020/11/20_記
【Bハンス・ベーテ原稿】
ベーテはユダヤ系なのでナチス政権下で苦労します。
国を追われイギリスに逃れ、マンチェスター大学で職を得ます。
第二次大戦の間はオッペンハイマーの招きで
UCB(カリフォルニア大バークレー校)の特別会議に参加します。
そこでは核兵器の開発が始められ、ロスアラモス研究所が出来ると
ベーテは理論部門の監督を務めます。
戦後はトルーマン大統領が水素爆弾の開発を断行した流れで
ベーテは引き続き開発において重要な役割を果たします。
その他、ベーテの業績としては大きく二点があげられると思います。
一つは恒星の内部で核融合反応が起きうる指摘をして、
重力と釣り合う内側からの力を考えたことです。加速器で実現される
様々な現象を説明していく内に超高圧下・超高温下で起こり得る
原子核の崩壊状態をベーテは理論立てて説明して新たな知見としました。
また、ベーテのもう一つの業績は量子電磁気学に繋がっていく
ラムシフトを非相対論的に厳密に突き詰めていって極めて正確な
計算をしていったのです。この面でファインマンは弟子にあたります。
ベーテは大変な時代を生きた偉大な理論家でした。
「原子核反応理論への貢献、特に星の内部におけるエネルギー生成に関する発見」
でノーベル賞を受けています。。
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2020/11/23_記
【C西川 正治の原稿】
西川 正治は寺田寅彦の指導を受け
物理学を学んでいきます。特に、
彼は竹や麻等の植物由来の構造体
に着目して繊維構造物質に対して
電磁波がどう作用するか考えました。
手法としてはX線回折を駆使して
スピネル群結晶内の電子配置を
決定しています。
そもそも、電子は不可視の存在ですが、
電磁波に対して作用して結果を残すので
その結果を画像で解析すれば結晶内での
微視的な電子配置の情報が得られるのです。
新しい計測手法を手掛かりに西川正治は
解析したのです。
西川正治はそうした業績を残しながら
二人のお子様を育て、其々が学者として
名を残しています。また、同時に
幾人もの弟子を育て日本物理学会に
今も続く、大きな足跡を残しています。
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2020/12/13_初稿投稿
【D仁科芳雄の原稿】
仁科芳雄は稀代の人たらし
だったと言われています。
人に入れあげ、彼の元に人が集まり、
人々を育てあげた凄さがあります。
仁科本人はニールス・ボーアのもと
で育ち、その自由闊達な学風を持ち込み
日本で多くの学者を育てました。
1928年にオスカル・クラインと
コンプトン散乱の有効断面積を
議論しています。また帰国後には
ハイゼンベルクやディラックを
日本に招待して理解を深めています。
また、師であるボーアも日本に
呼び寄せています。
研究内容として仁科はサイクロンの
建設を進め様々な成果をあげてます。
そのサイクロンを大型化する際には
仁科は大変苦労しています。先行する
カリフォルニア大学のローレンスとは
日米関係に伴い関係が悪くなっていき、
終戦共にサイクロンはGHQにより
東京湾に破棄されてしまいます。
戦後には仁科は理研の所長を務め、
科研製薬の前身で社長を務めましたが、
肝臓ガンを患い61歳で亡くなります。
放射線被ばくの影響もあったであろう
と言われています。多くの人材育成に
捧げた人生だったと感じています。
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2020/12/13_初版投稿
【Eパウエルの原稿】
単なる偶然の産物かも知れませんが、
今回ご紹介するセシル パウエルと
ハイゼンベルクとゾンマーフェルトは
同じ誕生日でした。また、また、西川 正治
も同じ誕生日でした。
さて今回の紹介はセシル パウエルですが、
原子核乾板に素粒子の軌跡を記録する方法
を改良しました。当時は未知なる粒子が
次々と発見され様々に予想されていた
のですが、観測手段も試行錯誤が成され
ていました。霧箱で飛んでくる粒子の
軌跡を捉えたり、高い山の上で観測して
飛来宇宙線の大気減衰を克服したり
写真技術を活用したりしました。
パウエルの手法は写真のイメージ
でしょうか。更に確認したいところです。
またパウエルは湯川秀樹が予想した
パイ中間子の観測・発見の為に
研究スタッフを派遣しています。生成後の
寿命が短く地表に到達できないパイ中間子
観測の為にボリビアにあるアンデス山脈の
標高5000mの山から上記乾板を使って発見
しています。ダイナミックな観測だった
と言えるでしょう。他、気球を使い
高度を確保したりもしています。
観測の為に様々な工夫をこらして
結果を得ています。
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2020/12/15_初稿投稿
【Fラグランジュ原稿】
ラグランジュはフランスに生まれ革命の時代を生きました。
同時代のラボエジェが処刑された事に際し
ラグランジュは何故自身が生き延びたか自問自答しました。
特に彼はマリー・アントワネットの先生を務めていたからです。
学問の世界ではラグランジュは多大な業績を残しています。
物理学者というより数学者として力学体系の整理をして
ラグランジュ形式と言われる理解を進めています。
私も学生時代にラグランユアンと呼ぶ関係を多用しました。
解析力学と呼ばれる分野で、ラグランジュ方程式につながります。
後の数論につながる議論もしていますし、
時代がら天体に関する研究もしています。
ラグランジュの解析的な考えが有効だったのは各種物理量を
一般化して変分と呼ばれる類の数学的な形式につながるからです。
後の量子力学はニュートンの作った微積分だけではなく
物理量の関係をラグランジュの使ったような関係で表現します。
また、ラグランジュはエネルギー保存則から最少作用の原理を導き
その考えは力学に留まらずに電磁気学・量子力学でも
使われています。
こういった定式化でのパラダイムシフトが後の体系に不可欠です。
ラグランジュの未定乗数法や定式化されたラグランジュアン
は誰しもが認める見事なものです。
そして、ラグランジュの名は今でもエッフェル塔に刻まれています。
彼の残した仕事と栄誉と共に。
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2020/10/02_初稿投稿
2020/12/23_改定投稿
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