@コンプトン
A高木 貞治
Bヴィルヘルム・C・W・ヴィーン
Cハリー・ナイキスト
DJ・J・サクライ
E矢野 健太郎
F西嶋 和彦
【@コンプトン原稿】
コンプトンは波動の粒子性を示した実績と
マンハッタン計画で指導的役割を
果たしたことで知られています。
コンプトンは1919年にイギリスのキャンデビッシュ研究所
に留学し、そこでガンマ線の散乱・吸収を研究します。
そこで「波動のコンプトン効果」を発見するのです。
この考えは今では量子力学の基幹をはしていますが、
大まかには以下の理解をしていれば良いと思います。
つまり、「微視的に物事を考え始めた時に
粒子性と波動性が同時に具現化する」ということです。
具体的に量子力学では不確定関係という枠組みで
物事を考えますので2つの値が同時に確定しなかったりします。
例えば位置と運動量を同時に確定しません。
また、時間とエネルギーを同時に確定しません。
但し、時間×エネルギーや位置×運動量といった値を
物理量として確定出来るのです。
これは作用と呼ばれる物理量です。
以上は量子力学を理解した人々には納得出来ても
一般の人々には中々説明がし辛い部分です。
誤解無く伝わっているかいつも不安になります。
そんな意識改革をコンプトンが進めていたのですね。
ガンマ線に粒子性が見受けられたのです。
また、コンプトンはマンハッタン計画を進めた
主要メンバーでもあります。そもそも原子爆弾は
原子炉の製造から計画しなければいけません。
そこでウランをプルトニウムに変換して、
プルトニウムとウランの混合物から
プルトニウムを分離するプロセスが必要です。
コンプトンはこのプロセスをSEとして設計して
プロジェクトが進んでいく現場で働きました。
また、原子爆弾を兵器として使用するには
敵国で使用時出来るだけ早くに最大限の攻撃力を
発揮しないといけませんが、損場兵器を設計する方法
についてもコンプトンは設計をしていきました。
なお同計画はオッペンハイマーの設計もあり、フェルミや
ローレンスとの議論も経ています。全米の知能を集め
計画を進めていたのです。
そしてコンプトンの業績はノーベル賞を初めとする
蒼々たる栄誉で称えられています。
それと同時に、マンハッタン計画の主導者として
計画自体の是非を論じる際に何度もその名があがります。
もともとは、コンプトンはもともと星の好きな少年でした。
そんな始まりからガンマ線の究明に話が進みましたが、
彼の名はガンマ線検出の為のNASAの衛星に残されています。
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nowkouji226@gmail.com
2020/11/7_記
【A高木貞治原稿】
今回、日本人数学者をご紹介します。
高木貞治と書いて名前を「ていじ」と読みます。
高木貞治は岐阜に生まれ現在の京都大学を卒業した後に
東京大学に進みます。現在の学校制度と異なるようで、
今時の言い方をしたら
京大で学位をとって東大でマスターをとった感じでしょうか。
その後、高木貞治はドイツへ留学してヒルベルトの教えを受けます。
現代の代数幾何学の原型を体系立てていったのでしょう。
そもそも、個人的に高木貞治の名を知ったのは
ムツゴロウさんの著作でした。たしか「ムツゴロウの青春期」。
その中で彼が高校時代に地元の先生に紹介された本が
高木貞治の「解析概論」でした。
バンカラな青春時代を過ごしたムツゴロウは
東大の物理学科に進み、最後はどうぶつ王国を作ります。
話戻って解析概論ですが、岩波文庫から出ていた
その本を私も買って、夢中で読んだ思い出があります。
なお、2011年の時点で日本国内における著作権の
保護期間満了に伴いネットで著作が公開され始めています。
【Wikisourceや青空文庫を見てみて下さい】
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2020/11/8_記
【Bヴィーン原稿】
その名を正確に記すとヴィルヘルム・カール・
ヴェルナー・オットー・フリッツ・フランツ・ヴィーン
:Wilhelm Carl Werner Otto Fritz Franz Wien
熱力学における黒体放射の研究で有名です。
ヴィーンは東プロイセンで農夫の子
として生まれ、ベルリン大学でヘルツ
の元で学位を取ります。そこでの
学位論文は光の回析特性でした。
レントゲンの後任としてヴュルツブルク大学
で教鞭をとっています。
またヴィーンはドイツ物理学会で会長
を努めていて、前任はゾンマーフェルト
でした。
さて、ここまでヴィーンの記載を
調べていて断片的な印象を持ちました。
人柄が伝わらないのです。考えてたら
時代背景が大きいと思えてきました。
ヴィーンはドイツで生まれ
ドイツで亡くなっています。
その時代のヨーロッパは大戦を経ていて
特にドイツはユダヤ人を迫害し、
何人ものユダヤ人物理学者が
反ドイツの体制で活動していました。
ヴィーンはソルベーユ会議に出ていて
物理学会に関わっていたでしょうが、
政治絡みの考えは独自のものとなって
いたと考えます。修業を兼ねて他国へ
留学したり協同研究をしたりする
現代とは異なった環境にあったのです。
ヴィーンの法則はプランクの法則の極限
として考える事が出来ます。この法則は
反応を起こす物質の温度と放出される
電磁波の波長を関連付けますが、
対象物質の内部構造迄、踏み込んだ議論
が成された形跡はありません。現象の
不完全な定式化であって独自の理論です。
私の理解不足もありますが、
マッハとボルツマンの考え方の差異
が思い起こされます。ヴィーンもまた
伝統的な枠組みの中で葛藤していたの
でしょうか。いつかまた考えてみたい
と思えてきました。
それにつけても、
ヴィーンの法則は我々に新しい知見を
もたらしていて、物質内部での反応に対し
変化を定量的議論の枠組みに乗せて
次なる議論の礎を作っています。
確かな一歩でした。
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2020/11/9_記
【Cナイキスト原稿】
ナイキストはスウェーデンに生まれました。
1907年に家族がアメリカ合衆国に移り住み
その後、帰化しています。
その時点でナイキストはハイスクール修了
くらいでしょうか。アメリカの名門イェール大学
を卒業した後に1917年からAT&T研究所で研究します。
後にベル研究所で研究します。
ベル研究所でナイキストは熱雑音や
FB増幅器の安定性を研究しますが、
特筆すべきは離散化された信号の
サンプリングに関する物でしょう。
そのナイキストが提唱した周波数は
ナイキスト周波数と呼ばれ
信号処理の世界では基礎的な
理念となっています。実用的には
2の8乗である256から2.56倍の
サンプリング周波数を使い計測する事
でナイキスト周波数を保証しています。
また、彼の考案したナイキスト線図は
極座標を使い対象系の安定性を議論します。
ナイキスト線図も系の安定性を考える為に
現代の信号処理の世界で使われていて
市販のアナライザーに機能として
搭載されています。
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2020/11/10_記
【JJサクライ原稿】
Jサクライの日本語表記は桜井純で日本生まれ。
私が使っていていた教科書でカタカナ表記
でしたので個人的にはカタカナ表記も好きです。
JJサクライは新制高校に在学していた
16歳の時期に留学生選抜試験に合格し、
アメリカに渡りました。学問好きの少年
だったのでしょう。その後、ニューヨーク
にある高校を卒業した後に、ハーバードを
主席で卒業しています。
その後、JJサクライはコーネル大の院
で研究を進め、在学中に弱い相互作用の
考えを提唱しています。彼の研究では
弱い相互作用と強い相互作用が出てくるので
少し言及します。そもそも自然界には
4つの力があると言われていて、
ここでの2つは4つの内の2つなのです。
具体的に弱い力は、働く範囲が陽子直径
より小さいのです。また、素粒子や準粒子が
ボゾンを交換して相互作用する中で
弱い力は強い力や電磁学に比べ
数桁小さな力として作用します。
弱い相互作用は標準模型での
全てのフェルミ粒子とヒッグスボソン
に作用します。特にニュートリノは
重力と弱い相互作用のみを使って
相互作用します。弱い相互作用は
束縛状態をもたらしません。これは
重力が天文学的スケールで月と地球
の間の相互作用に関与していたり、
電磁力が原子レベルで互いに力を
与えあったりする束縛状態とは
異なるのです。また、弱い相互作用
とは違い強い核力は原子核の内部で
非常に強い束縛状態を持ちます。
別言すれば、弱い相互作用は
結合エネルギーに関与しません。
JJサクライはこうしたメカニズムを
深く研究しました。そして49歳で
突然、他界してしまいました。合掌。
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nowkouji226@gmail.com
2020/11/11_記
【E矢野健太郎原稿】
矢野健太郎は私が使っていた教科書の著者でした。
幾何学関係か解析学関係だったかと。
彫刻家の子として生まれ東京帝大で学びます。
矢野健太郎はは小学生時代にアインシュタインが
来日し刺激を受け、帝大の山内恭彦から
物理学の理解には代数幾何学が必要だ
と教えを受けました。物理現象のモデル化
の観点から有用性を感じたのかと。
その後、矢野はカルタン先生の下で学ぶべく
パリ大学へ留学します。そこで纏めた博士
論文は射影接続空間に関する論文でした。
この頃から統一場理論に関心を持ちます。
戦後にはプリンストン高等研究所で
微分幾何学の研究をしていき、同時期に
在席していたアインシュタインと
交流を持ちます。奥様とアインシュタイン
が写った写真は大事に家宝としたそうです。
矢野健太郎の著者は多岐に渡り、受験参考書の定番、
解法のテクニックは矢野健太郎の著作です。
またアイザックアシモフ、ポアンカレ、
アインシュタインの書物を日本に紹介
する際に監修をしたりしました。また、
矢野健太郎はバイオリンが好きでした。
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nowkouji226@gmail.com
2020/11/12_記
【F西嶋和彦原稿】
西島和彦は茨城に生まれました。
東大を卒業後に大阪市立大学で教鞭
をとります。その後イリノイ大学で
教鞭をとります。
そんな経歴の中において、
西島和彦の業績として特筆すべきは
ストレンジネスの提唱でしょう。
素粒子の性質を吟味していく中で
当時は電荷量、バリオンといった値が
知られていたようですが、それに加え
てストレンジネスといったパラメター
を西島和彦は考え、素粒子の性質を
語る礎を固めていったのです。
西島和彦は学生時代に中野董夫、
マーレ・ゲルマンとストレンジネスで法則化
しました。強い相互作用や電磁相互作用
では反応の前後でストレンジネスが
保存されるのです。
西島和彦らが考え出したストレンジネスは
直接観測にかかるものでは無く、
反応の前後で、ストレンジクォークと
反ストレンジクォークの
数を使って定義されます。
そして、ストレンジネスを使った
中野西島ゲルマン・モデルは坂田模型や
SU3モデルへ、クォークモデルと繋がり
素粒子の振る舞いを明らかにしていくのです。
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nowkouji226@gmail.com
2020/11/12_記
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