伏見先生の多彩な活躍
伏見康治は愛知県名古屋市に生まれます。そして東京で育ちます。
何だか一般サラリーマン家庭の生まれ育ちを想像してしまいます。
伏見先生は20世紀の生まれの人ですから、それはそれで納得です。
ただし、その後の動きが活発です。
東大の 理物を卒業し東大で助手を務めた後に、
新設された阪大に着任して1934年には理学部長を務めます。
更には1936年には年には名古屋大学プラズマ研究所の新設に伴い、所長として就任しています。結果として
二つの旧制大学の名誉教授を務める事となります。
併せて1952年からは日本学術会議会長、
1958年から6年間は公明党所属の参議院議員として科学者の立場で政策に関わっています。
以下では国会議員も勤めた「伏見先生」について語っていきたいと思います。
「先生お願いします!」って感じです。
一貫した科学者サイドの見識
伏見先生は「原子力の平和利用」を推進し、大きな役割を果たしました。日本における原子力の研究がとても大事であると認識しています。被爆国である日本独自の視点から平和利用を考えていました。具体的に「原子力三原則」でまとめています。
「自主、民主、公開」の三原則を起草して茅誠司と連名で「茅・伏見の原子力三原則」を考えています。
対称の美
伏見先生は「対称の美」に対する美学を持っていました。特に、その数式的な表現と万人受けする印象に着目しています。
例えば自分の子供が幾何学模様に対して関心を抱いたら、そこを掘り下げて「どこまで習ったの?」とか「何で学校で教えないんだろう?」とか色々な視点で議論していったのです。1960年代には「紋様の科学」としてまとめています。
水素エネルギーの推進
朝日新聞が水素エネルギー開発の全面的にバックアップを表明したタイミングで、伏見先生は原子力開発に関わっていきます。
1952年に朝日新聞の木村部長(科学部の部長)から声をかけられたことがきっかけです。
伏見先生は2月に朝日講堂で開催された公開講演会で講師として「核融合の現状と問題点」と題して講演しました。
その時の御縁と元来、伏見先生が水素エネルギーを支持していたこともあり次世代燃料として水素を勧めておられました。クリーンなエネルギーだと考えていたのです。
〆
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nowkouji226@gmail.com
2023/04/02‗初稿投稿
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