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2024年09月15日

ネイサン・ローゼン
9/15改訂【ワームホールを考案|EPRパラドックスで相関を追及】

こんにちは。コウジです。
ネイサン・ローゼンの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


【Nathan Rosen, 1909年3月22日 - 1995年12月18日】



パラドックス大図鑑
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【1909年3月22日 - 1995年12月18日】



 

ユダヤ人物理学者ローゼン


その名前は Nathan Rosen。
ローゼンはイスラエル建国後はイスラエルでも活動しました。
ニューヨーク出身のユダヤ人物理学者。MITで学んでいます。

ローゼンはいわゆるワーム・ホールの発案者でもあり、
EPRパラドックスを考えた三人のひとりです。
量子的ふるまいの局所性を相対論的に完全に
説明できない(矛盾するだろう)という指摘であって、
量子力学的なモデルと相対論的モデルでの記述が
同時に記述できないのです。

簡単に言えば「もつれた状態」で空間的
距離を置いたスピン(別の議論では光子)
妙なふるまいを示すのです。


量子的なもつれ(エンタングルメント)の
記載に修正の必要があるのか、
相対論での記述に修正が出来るのか、
突き詰めていく手掛かりになります。

EPRパラドックスにおいてはもつれ
(エンタングルメント)
の状態が議論され、


「EPRの 前提の下では量子力学の確率的手法を
再現で きない場合がある」と考えると良いです。


または
「統計的な条件設定をしなければいけない」
特殊な場合があって、量子もつれが背景にあり
「理解しにくい現象もあるんだなぁ。」
という前提から話始めた方が良い、
と考えた方が良いです。

ベルの不等式が成り立ち、
量子テレポーテーションが議論される昨今、
基礎理論の解釈は完全になされているか
色々な側面で説明がなされています。


量子論も相対論も其々で様々な説明(効果)を
可能にしているのですが、完全に全てを
記述できると言えないのでしょうか。
この記載をするとどうしても
歯切れの悪い文章になってしまいます。
「局所的実在論」という言葉がありますが、
物理量の把握には究極の難しさがあります。

私もこの場でうまく説明が出来ているとは思えません。
ただ、物理の記載であることは確かで、
発展していく可能性を含めた議論ではあります。





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以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全て返事できていませんが
問題点に対しては適時、返信・改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2022/01/04_初稿投稿
2024/09/15_改定投稿


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(2022年1月時点での対応英訳)


Jewish physicist Rosen


Its name is Nathan Rosen.
Rosen was also active in Israel after the founding of Israel.
He is a Jewish physicist from New York. He had studyied at MIT.


Rosen was also the inventor of the so-called wormhole,
He is one of the three in the EPR paradox.
Relativistically complete locality of quantum behavior
It was pointed out that it could not be explained (it would be inconsistent),
The description in the quantum mechanical model and the relativistic model
It cannot be described at the same time.
Quantum entanglement
Is it necessary to correct the description?
Is it possible to correct the description in relativity?
It will be a clue to the end.


Various explanations (effects) for both quantum theory and relativity
It's possible, but it's completely everything
Can't you say that you can describe it?
If you make this description,
The text will be crisp.
There is a word "local realism",
Understanding the physical quantity is the ultimate difficulty.
However, it is certain that it is a description of physics,
It is a discussion that includes the possibility of development.


2024年09月14日

ジョン・バーディーン
9/14改訂【トランジスタの発明とBCS理論で二度のノーベル賞受賞】

こんにちは。コウジです。
バーディーンの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


金属絶縁体転移
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【1908年5月23日 ~ 1991年1月30日】



超電導現象の理論的基礎を与えたバーディン


本稿は何度も追記したいです。


それは私にとって、関心のある


低温電子物性の話だからです


今回は極低温での現象理解を進めたバーディンについて
ご紹介致します。
バーディンは
二回のノーベル賞を受けています。


一回目はベル研での仲間とのトランジスタの発明、
二回目はイリノイ大学の仲間たちと確立したBCS理論です。


前述したカメリー・オネスの超電導現象の発見以後、その現象を説明する為に色々な理論が試みられでしょうが、イリノイ大学のバーディンを中心とした3人がBCS理論を確立します。バーディン、レオン・クーパーロバート・シュリーファー  3人の名前の頭文字を並べてBCS理論と呼ばれます。


このコンビの始まりはバーディンがクーパーを招聘する事から始まります。そこにバーディン研究室の大学院生、シュリーファー が加わり研究が進みます。


後に話す中嶋氏とのエピソードやベル研での仲間たちとのトランジスタの発明を考えてみて下さい。物理で理論を切り開いていく楽しさが感じられるのではないでしょうか。(他の専門分野の方でも感じられるでしょう。)
自分自身で思索にふける時間を経て、
議論をすることで理論が発展していくのです。
特にバーディンは議論の上手い人だったといえます。


バーディンは議論をして「興奮する時間」
を大事に使えたのです。


また別ブログで少しバーディンについてつぶやいてみました。



BCS理論とは 


BCS理論の内容はフォノン(音子)を介した電子が対になった結果(クーパ対の考え方)、そのコンビがスピンを打ち消し合って結合するという理論でした。相転移温度をその理論で説明し、今日、超伝導を考えるうえで理論の基礎となっています。


このBCS理論の妙はフェルミオンである電子が凝縮状態をとるところにあります。本来、同じ状態(位相等を考えた時のパラメター)をとる事が出来ない電子が対になってボゾン化することで巨視的な現象にとして観察される超伝導現象が実現するのです。


そもそも、金属中を移動する電子を単純な質点のモデルで考えると
「正荷電をもった原子核の間を負電荷が自由自在に無抵抗で動き回る事」は到底出来ません。何らかの相互作用が起きて金属内での抵抗が生じます。ところが、電子の波動関数を考え、波動的側面が顕著に現れる状態を考えていくのが超伝導現象だと言えます。


そして現象発現の条件として大事な尺度の一つが
温度だったのです。2023年時点での関心は
遷移を起こす温度のメカニズムを解明する事です。


現在での転移温度は「高温超電導」
と言ってもマイナス百℃以下ですので
転移温度に至るまでは液体ヘリウムや
液体窒素を使って冷却しなければいけません。



超電導現象の応用 


実用化しているリニアモーターカーや量子コンピューター等の応用技術も冷却した上で超電導現象を実現しているので、コストと安定性が課題となっています。転移温度が変わっていって、より常温に近い温度で現象を起こすことが出来ればメリットは非常に大きいです。


温度に関わるメカニズムとして中嶋貞雄がバーディンに与えたヒントが繰り込み理論の応用でした。そのヒントは手法だったともいえますが、電気伝導に関わる要素(素粒子)が「どういった条件で」、「どういった役割を果たすか」が重要です。その手掛かりの一つが「ゆらぎ」に関するメカニズムではないかと考えている人が居ます。今後の大きな課題です。


また、最後に一つ気付きました。バーディンはランダウと同じ年に生まれています。そして、没年は大きく違います。二人の人生を比べてしまうのは失礼ですが、バーディンは「色々な人と沢山議論した人」だという事は出来るでしょう。きっと、バーディンは色々な視点で長く考えていました。


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以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが
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2020/09/15_初稿投稿
2024/09/14_改定投稿


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(2021年11月時点での対応英訳)



Theoretical basis of superconducting phenomenon


I would like to add this article many times. That's because it's about the low-temperature electronic characteristics that I'm interested in. This time, I would like to introduce Birdin, who has advanced the understanding of the phenomenon at extremely low temperatures.


Birdin has received two Nobel Prizes. The first is the invention of the transistor with his colleagues at Bell Labs, and the second is the BCS theory described below. Since the discovery of the superconducting phenomenon of Camery Ones mentioned above, various theories may have been tried to explain the phenomenon, but three people led by Birdin of the University of Illinois establish the BCS theory. Bardeen, Leon Cooper, and Robert Schrieffer are called BCS theory by arranging the initials of the three names.


The beginning of this duo begins with Birdin inviting Cooper. Schrieffer, a graduate student from the Badin laboratory, will join the group to advance the research.



What is BCS theory?


The content of BCS theory was the theory that as a result of pairing electrons via phonons (sounds) (the idea of ​​Cooper pairs), the combinations cancel each other out and combine. The phase transition temperature is explained by the theory, and today it is the basis of the theory when considering superconductivity.
The mystery of this BCS theory is that the fermion electrons take a condensed state. Originally, electrons that cannot take the same state are paired and bosonized, and the superconducting phenomenon observed as a macroscopic phenomenon is realized.


In the first place, considering the electrons moving in a metal as a simple mass model, it is impossible for a negative charge to move around freely and without resistance between nuclei with a positive charge. Some interaction occurs and leads to resistance. However, it can be said that the superconducting phenomenon is to create a state in which the wave function appears prominently by considering the wave function of electrons.


One of the important measures for that condition was temperature. At this time, the interest is to elucidate the temperature mechanism that causes the transition. At present, the transition temperature is less than minus 100 ° C even if it is called high-temperature superconductivity, so it is necessary to cool it with liquid helium or liquid nitrogen until the transition temperature is reached.



Application of superconducting phenomenon


Since the superconducting phenomenon is realized after cooling the applied technologies such as linear motor cars and quantum computers that have been put into practical use, cost and stability are issues. If the transition temperature changes and the phenomenon can occur at a temperature closer to room temperature, the merit is very great.


The hint given to Bardeen by Sadao Nakajima as a mechanism related to temperature was an application of renormalization theory. It can be said that the hint was a method, but "under what conditions" and "what role" the elements (elementary particles) involved in electrical conduction play are important. Some people think that one of the clues is the mechanism related to "fluctuation". This is a big issue for the future.

2024年09月13日

レフ・D・ランダウ
9/13改訂【反磁性の研究を行い優れた教科書を残した天才】

こんにちは。コウジです。
ランダウの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)

マグネット・ベース
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【1908年1月22日生まれ ~ 1968年4月1日没】



レフ・ダヴィドヴィッチ・ランダウ


その名をフルネームで表記すると、


レフ・ダヴィドヴィッチ・ランダウです。


ランダウは有名なユダヤ系ロシア人の科学者で
日本では教科書でその名を目にして
る人が
多いのではないでしょうか。1962年に


「絶対零度近傍でのヘリウムの理論的研究」


でノーベル物理学賞を受けています。
何よりランダウは天才です。個人的に考えたら
アインシュタイン・ランダウ・ノイマン・ディラック
が20世紀初頭の「(物理学者天才)四天王」でしょう。
パウリも仲間に入れたい気がしますが、情熱溢れる
イメージが私の中ではあるのでパウリは何となく別枠。
⇔パウリは情熱の理論家です。


さて、
ランダウは石油技術者の父と教育者の母
から生まれます。
12歳で微分法を理解し、
14歳で国立大学に入学、
物理数学科と化学学科
を同時に履修します。


19歳で学士の称号を得るとレニングラード物理工学研究所で
電磁場の中での電子性質である量子電磁気学を研究していきます。
そしてコペンハーゲン
にあるボーアの研究所で大きな影響を受けました。



ランダウの主な業績


その後、ケンブリッジでディラック・カピッツァと
共同研究を進め所謂「ランダウ反磁性」の研究をまとめます。


その後にチューリッヒでパウリと共同研究をした後に
ランダウはレニングラードに戻りました。


こうした海外の研究者との交流はとても大事で、
互いに刺激を与えあって自分の研究性の方向を
確認する経験を積んでいくことが出来ます。


単純には他大学のゼミに参加して普段交流しない人達と
議論出来るだけでも自分の成長につながるのです。


また、自分の作った意見(理論)が他人の目から見て
色々な整合性を持っているか、
問いかけることが出来るのです。


物理学者は初学者に限らず、
常に向上していく機会を作るべきだと思います。


ランダウの幸せだった時期を中心に記載しましたが
モスクワの研究所で要職を務めていながら
スターリン批判をしたことで、
刑務所に服役したりしています。


そして交通事故にあったりもしています。
水素爆弾の製造にも不本意ながら加担しています。
そして60歳でこの世を去ります。


ただ、ランダウの業績は不変です。


準粒子・フェルミ流体やギンツブルグ&ランダウ理論は
低温凝縮系の世界を大きく進ませました。




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2020/09/24_初稿投稿
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(2021年11月時点での対応英訳)



Lev Davidovich Landau


The full name is Lev Davidovich Landau. Landau is a well-known Jewish-Russian scientist who may have seen textbooks in Japan. He received the Nobel Prize in Physics in 1962 for his "Theoretical Study of Helium Near Absolute Zero". Now, Landau is born of a father of oil engineers and a mother of educators.


He understood differential calculus at the age of 12, entered a national university at the age of 14, and he took both physical mathematics and chemistry at the same time. When he earned his bachelor's degree at the age of 19, he studied quantum electrodynamics, which is an electronic property in an electromagnetic field, at the Leningrad Institute of Physical Engineering. And I was greatly influenced by Bohr's laboratory in Copenhagen.



Landau's main achievements


He then collaborated with Dirac Kapitsa in Cambridge to conclude his so-called "Landau diamagnetism" research. Landau then returned to Leningrad after collaborating with Pauli in Zurich.


I mainly described Landau's happy times, but he was sentenced to jail for criticizing Stalin while he was in a key position at a research institute in Moscow. And he is also in a car accident. He is also reluctantly involved in the production of hydrogen bombs. And he died at the age of 60.


However, Landau's performance remains unchanged. Quasiparticle-Fermi liquid theory and Ginzburg-Landau theory have made great strides in the world of low-temperature condensate systems.


2024年09月12日

エドワード・テラー
9/12改訂【ハイゼンベルグに学ぶ|原爆開発推進・水爆の父】

こんにちは。コウジです。
エドワード・テラーの原稿を改訂します。


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オッペンハイマーとテラー
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【1908年1月15日生まれ ~ 2003年9月9日没】



水爆の父・テラー


エドワード・テラーは水爆の父と呼ばれ、


晩年のオッペンハイマーと何かにつけて対立します。


エドワード・テラーはハンガリーのブタペストで弁護士の父と
4か国語を使う母から
生まれました。


ユダヤ系であったエドワード・テラーの父は職を追われ、
ハンガリー・ドイツ・
アメリカと移住を重ねました


ただ、学問の世界では良い出会いに恵まれています。
ハイゼンベルクの下で
博士論文を書き、
ボーアの居たコペンハーゲンで有益な
時間を過ごします。


有益な時代に原子核物理学分子物物理で多くの業績を残しました。
ヤーン・テラー効果やBETの吸着等温式
その時代のエドワード・テラーの業績です。



マンハッタン計画とテラー


アインシュタインと共にエドワード・テラーは
原爆の研究をアメリカ政府に働きかけ、
実際に
その計画は進んでいきます。


政治的な思想ではドイツ時代に資本主義の崩壊を
目の当たり
にしたテラーは共産主義に対して
当初は関心を
抱いていたようです。


ところが、友人のランダウソ連政府に
逮捕された時期に反共思想
を強めます。


反共思想と新兵器の開発にかける
熱意
が結びついていくのです。
そしてまた、
核兵器に対して考えていきます。



テラーとオッペンハイマー


ランダウが逮捕された時期以降
エドワード・テラーと
オッペンハイマーとの確執の始まります。


特に兵器としての原爆の利用に関しては
エドワード・テラーとオッペンハイマーは
対極の立場をとります。


エドワード・テラーは原爆開発の推進派で、
オッペンハイマーは開発否定派でした。


実際に、エドワード・テラーは原爆・水爆と兵器の
開発の中心に居ました。水爆を
「My・Baby」
と呼んでいた
と言われています。


その立場は変わらず、
生涯その事を悔いることはなかったと言われています。
エドワード・テラーはそんな研究人生を歩みました。




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2020/09/22_初稿投稿
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Teller, the father of the hydrogen bomb


This main person,Edward Teller, called the father of the hydrogen bomb, confronts Oppenheimer in his later years. Edward Teller was born in Budapest, Hungary, to a lawyer's father and a four-language mother. Edward Teller's father, who was of Jewish descent, was forced out of work and emigrated to Hungary, Germany, and the United States. However, I am blessed with good encounters in the academic world. He writes his dissertation under Heisenberg and spends a useful time in Copenhagen, where Bohr was. Under such circumstances, he made many achievements in nuclear physics and molecular physics. The Jahn-Teller effect and the adsorption isotherm of BET are the achievements of Edward Teller.



Manhattan Project and Teller


So,Edward Teller, along with Einstein, urged the US government to study the atomic bomb, and the plan actually goes on. In political terms, Teller, who witnessed the collapse of capitalism during the German era, seemed initially interested in communism. However, when his friend Landau was arrested by the Soviet government, he intensified his anti-communism. His anti-communist ideas and enthusiasm for the development of new weapons are linked. and again,



Teller and Oppenheimer


After that time, the feud between Edward Teller and Oppenheimer began. Edward Teller and Oppenheimer are at the other end of the spectrum, especially when it comes to the use of the atomic bomb as a weapon. Edward Teller was a proponent of atomic bomb development, and Oppenheimer was a denial.


In fact, Edward Teller was at the center of the development of atomic and hydrogen bombs and weapons. He is said to have called the hydrogen bomb "My Baby". His position has not changed and it is said that he never regretted it throughout his life. Edward Teller went through such a research life.


2024年09月11日

湯川秀樹
9/11改訂【電子の数百倍の質量を持つ中間子の仮説を提唱しノーベル賞を受賞】

こんにちは。コウジです。
湯川秀樹の原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


【1907年1月23日生まれ ~ 1981年9月8日没】



湯川秀樹の生きた時代


旅人
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湯川秀樹の書いた本「旅人」は湯川秀樹の


自伝です。その湯川秀樹は朝永振一郎と同じ時代


を生きています。


互いに刺激しあう関係を築き、共に


時代のテーマに取り組んでいます。


伝記を読んでいくと湯川秀樹が情熱を持って


物理学に取り組んでいた様子が分かります。


色々な所で引用されているのですが


「アイデアの秘訣は、執念である。」


と湯川秀樹は明言しています。一見、


不可解な現象を紐解き、単純明快な原理を抽出


する仕事をしてきたのです。


 

湯川秀樹の興味


そもそも、湯川秀樹の関心は物質の相互作用であって、
その世界は全く目に見えません。


湯川秀樹は情熱で綿密に話を組み立てます。
重力・電磁力以外の微細粒子間の相互作用を
引き起こす「強い力」
に着目して議論を進めました。


湯川秀樹の時代には場の考えが発展していく過程で
原子の中での相互作用を湯川秀樹は中間子という概念で
相互作用を紐解いたのです。
湯川秀樹のアイディアは
「場を担う粒子」
という考え方です。


そもそも、重力(万有引力)を考えると二つの質点が
存在した時に
その質点同士が互いを引き合い
現象が説明
されます。この明快なモデルに反して、


「電子の数百倍の質量をもつ中間子の仮定」


は当時の観測とは別に設定されていて、
ボーアハイゼンベルクは内容の吟味を求めていたと言われます。


最終的には1947年の英国物理学者セシル・パウエルによる
「中間子観測」が契機となり、湯川秀樹はノーベル賞を受けます。
「物理での概念確立の危うさ」を感じてしまう歴史です。


理論的な要請と言えなくはないですが、
辻褄合わせの為の概念は色々な角度から
真剣に議論されなければいけません。


別の言い方をすれば、その概念を磨き上げて
納得のいく説明をすることが出来た時に
「大きな仕事をした」と言えるのではないでしょうか。


湯川秀樹はボゾンの一つとして中間子を
「仮定」して強い力を説明してみせたのです。
この仮定での中間子が物理的にどういった意義を持つか
一般の人々にも分かりづらいと思えます。



湯川秀樹こぼれ話 


湯川秀樹の業績は京都大学の原子力研究を初めとして
日本の物理学者たちに引き継がれています。


個人的なご縁としては私が幼少時代を過ごした東京板橋にあった
理化学研究所の分室でも研究をしていたようです。


少し時代がずれますが、私の故郷で彼が活動していたと思うと
不思議な気持ちです。ノーベル賞受賞者の朝永振一郎もそこに居ました。


最近までは、理化学研究所は本駒込にも拠点があり、
今でもホンダ朝霞の近くに拠点があります。


何故か、と調べを続けていったら埼玉県にある平林寺に
創始者の一人である大河内氏の墓所があります。


そんな、理化学研の霊的な側面を知って、
私は何となく納得してしまいました。


また、湯川秀樹は
ラッセル=アインシュタイン宣言にも参加しています。
以前のブログでもこの関連の話は盛り込んでいますが
私は研究者が異議を唱えても社会が破滅的な兵器を作る現実を
大変、問題だと思っています。


アインシュタインであれ湯川秀樹であれアシモフであれ
社会が叡智を集結して対応することを私は夢見ています。




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2020/09/07_初稿投稿
2024/09/11_改定投稿


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The time when Hideki Yukawa lived


The book "Traveler" introduced at the beginning is an autobiography of Hideki Yukawa. Hideki Yukawa lives in the same era as Shinichiro Tomonaga. We build relationships that inspire each other and work together on the themes of the times. As you read the biography, you can see that Hideki Yukawa was passionate about physics.


Although quoted in various places, Hideki Yukawa clearly states, "The secret of the idea is obsession." At first glance, he has worked to unravel mysterious phenomena and extract simple and clear principles.


Hideki Yukawa's interest


In the first place, Hideki Yukawa's interest is in the interaction of matter, and the world is completely invisible. He assembles the story with passion.


He focused on the "strong force" that causes the interaction between fine particles other than gravitational and electromagnetic forces. In the days of Hideki Yukawa, Hideki Yukawa unraveled the interaction in atoms with the concept of mesons in the process of developing the idea of ​​the field.


Hideki Yukawa's idea is the idea of ​​"particles that carry the field." In the first place, considering gravity (universal gravitational force), when two mass points exist, the mass points attract each other and the phenomenon is explained.


Contrary to this clear model, the "assuming of a meson with a mass several hundred times that of an electron" was set separately from the observations at that time, and it is said that Bohr and Heisenberg sought scrutiny of the content.


Eventually, Hideki Yukawa received the Nobel Prize, triggered by "Meson Observation" by British physicist C. Powell in 1947. It is a history that makes us feel "the danger of establishing a concept in physics".


It can be said that it is a theoretical request, but the concept for Tsuji matching must be seriously discussed from various angles. In other words, when you can refine the concept and give a convincing explanation, you can say that you have done a big job.


Hideki Yukawa explained the strong force by assuming a meson as one of the bosons.



Hideki Yukawa Spill Story


Hideki Yukawa's achievements have been handed down to Japanese physicists, including nuclear research at Kyoto University.
As a personal connection, it seems that I was doing research in a branch office of RIKEN in Itabashi, Tokyo, where I spent my childhood. It's a little out of date, but it's strange to think he was active in my hometown.


Nobel laureate Shinichiro Tomonaga was also there. Until recently, RIKEN also had a base in Hon-Komagome, and it still has a base near Honda Asaka. If you continue to investigate why, there is a graveyard of Mr. Okochi, one of the founders, at Heirinji Temple in Saitama Prefecture. Knowing such a spiritual aspect of RIKEN, I somehow convinced myself.


Hideki Yukawa also participates in the Russell-Einstein Declaration. I've included this related story in my previous blog, but I think the reality of society making catastrophic weapons is a big problem, even if researchers disagree. Whether it's Einstein, Hideki Yukawa or Asimov, I dream of society gathering wisdom and responding.

2024年09月10日

H・アルプレヒト・ベーテ
9/10改訂【星の進化を考え、また原子核反応を考えた】

こんにちは。コウジです。
Hベーテの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


核兵器の書籍
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【1906年7月2日~2005年3月6日没】



イギリスに逃れたベーテ


ベーテはユダヤ系なのでナチス政権下で


苦労します。国を追われイギリスに逃れ、


マンチェスター大学で職を得ます。


第二次大戦の間はオッペンハイマー招きでUCB
(カリフォルニア大バークレー校)
の特別会議に参加します。
そこでは核兵器の
開発が始められ、ロスアラモス研究所が出来る
とベーテは理論部門の監督を務めます。


戦後はトルーマン大統領が水素爆弾の開発を断行した流れで
ベーテは引き続き開発
において重要な役割を果たします。



ベーテの提唱した星の進化


その他、ベーテの業績としては大きく二点があげられます。
一つは恒星の内部で核融合反応が起きうると指摘をして、
重力と釣り合う「
内側からの力」を考えたことです。


星の進化を考える時に超高圧下で起こりうる現象を予見したのです。
現在考えられている進化過程でベーテの考え方は不可欠です。
大まかに星の進化を考えていくと


@万有引力でガスや、チリが集まっていき、
段々に中心方向に向かって『まとまり』が出来てきて
Aまとまりの質量がどんどん増えていくのですが、
この時にB星の内部で内部で核融合反応が起きて
外側方向に広がる力が働き、
C万有引力で集まる力と内部から核反応で
外側へ広がっていく力がつりあう」


と考えられています。


そして、重量が増えていき星の進化が進むと
恒星として光を発するようになり、
白色矮星、ブラックホールの段階を踏むだろうと考えます。


地球や木星などの光っていない星は現在内部からの
核融合の膨張と、内部への引力でが釣り合っている状態です。
地球の中でもマグマが沢山対流していて
中心の温度は6000度と推定されています。


また星の話とは別に、加速器で実現される様々な現象を
説明していく内に超高圧下・超高温下で起こり得る
原子核の崩壊状態をベーテは理論立てて説明して新たな知見としました。



ベーテとラムシフト


また、ベーテのもう一つの業績は
量子電磁気学に繋がっていくラムシフト
を非相対論的に厳密に突き詰めていって
極めて正確な計算をしていったのです。
この面でファインマンは弟子にあたります。


ベーテは大変な時代を生きた偉大な理論家でした。


「原子核反応理論への貢献、特に星の内部


におけるエネルギー生成に関する発見」で


ノーベル賞を受けています。




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Bethe fled to England


Bethe is of Jewish descent, so he has a hard time under the Nazi regime. He was driven out of the country and fled to England to get a job at the University of Manchester. He attends a special UCB (University of California, Berkeley) conference at the invitation of Oppenheimer during World War II. Bethe will oversee the theory department when the development of nuclear weapons begins there and the Los Alamos National Laboratory is established. After the war, Bethe continued to play an important role in the development of the hydrogen bomb as President Truman decided to develop it.



Bethe's advocated evolution of stars


In addition, I think there are two major achievements of Bethe. One is to point out that a fusion reaction can occur inside a star, and to consider the internal force that balances gravity. When he considered the evolution of stars, he foresaw possible phenomena under ultra-high pressure. Bethe's thinking is indispensable in the evolutionary process currently being considered. Roughly thinking about the evolution of stars,


"(1) gas and dust gather with universal gravitation, and gradually" cohesion "is formed toward the center, and (2) the mass of the cohesiveness increases steadily. At this time, (3) a nuclear fusion reaction occurs inside the star and the force that spreads outward works, and (4) the force that gathers by universal gravitation and the force that spreads from the inside to the outside by the nuclear reaction are balanced. "


Then, as the weight increases and the evolution of the star progresses, it will emit light as a star, and I think that it will go through the stages of white dwarfs and black holes. Non-shining stars such as Earth and Jupiter are currently in a state where the expansion of nuclear fusion from the inside and the attractive force to the inside are in balance. In addition to the story of stars, Bethe theoretically explained the decay state of atomic nuclei that can occur under ultra-high pressure and ultra-high temperature while explaining various phenomena realized by accelerators, and made new knowledge. bottom.



Bethe and Lamb shift


In addition, Bethe's other achievement was to rigorously and non-relativistically scrutinize the Lamb shift that leads to quantum electrodynamics, and to perform extremely accurate calculations. Feynman is his disciple in this respect.


Bethe was a great theorist who lived in difficult times. He has received the Nobel Prize for his "his contributions to his theory of nuclear reactions, especially his discoveries of energy generation inside the stars."


2024年09月09日

朝永 振一郎
9/9改訂【繰りこみ理論を駆使して素粒子間の反応を理論的に解明】

こんにちは。コウジです。
朝永 振一郎の原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


【↑_Credit:Wikipedia】


物理学とは何だろうか
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【1906年3月31日生まれ ~ 1979年7月8日没】



朝永振一郎の生い立ち


朝永振一郎は私が使っていた教科書


Diracの「量子力学」】の翻訳者でした。


また、朝永振一郎の著作では「スピンはめぐる」と
「物理学とは何だろうか」が有名です。(AmazonへGo)
沢山の著書を残しました。


 

他著書のご紹介@;鏡の中の物理学


朝永振一郎のご先祖様は大村藩


(現在の長崎県内にありました)の流れをくみます。


そして、そんな朝永振一郎の父は京都大学哲学科教授でした。そんな生い立ちをもった、朝永振一郎は現在の筑波大学の前身となった大学、東京教育大学で教鞭をとり、最終的には学長を務めます。東京に生まれ京都で育ち、世界で議論しました。



朝永振一郎の業績


朝永振一郎の研究業績で私が最も偉大である
と思えるのは繰り込み理論です。
ファインマン・ダイアグラムと呼ばれる不可思議な模式図で
表現される
素粒子の反応がありますが、そこでの過程における
数学的矛盾を見事に説明しています。


ファインマンの経路積分にも数学的な美点を感じますが
朝永振一郎の理論の方が
直感に訴える説得力を持っています。


好みといえば好みの問題ですが、発散・∞という大問題に対して
ラムシフトを正しく吟味して相対論的に計算が出来た時に
一瞬にして話が繋がり
感覚的に
「正しかったんだ」と思えるのです。


朝永振一郎の理解で量子電磁気学の整理が進み、
素粒子物理学が大きく進歩したのです。


朝永振一郎は晩年、大学入学以前の若者に対し
科学的な啓蒙を進めていました


最後に、朝永振一郎は湯川秀樹


京都大学で同期でした。それぞれの形で


当時の物理学で完成形を作り上げたのですね。




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The background of Shinichiro Tomonaga


Shinichiro Tomonaga was the translator of the textbook I was using [Dirac's "Quantum Mechanics"]. Its ancestors follow the flow of the Omura domain (currently in Nagasaki prefecture).


And Shinichiro Tomonaga's father was a professor of philosophy at Kyoto University. With such a background, Shinichiro Tomonaga teaches at Tokyo University of Education, the predecessor of the current University of Tsukuba, and eventually becomes the president. He was born in Tokyo, raised in Kyoto, and discussed around the world.



Achievements of Shinichiro Tomonaga


The greatest research achievement of Shinichiro Tomonaga is the renormalization theory. There is a reaction of elementary particles that is also expressed in a mysterious schematic diagram called the Feynman diagram, but it explains the mathematical contradiction in the process. Feynman's path integral also has a mathematical beauty, but Shinichiro Tomonaga's theory is more intuitive and convincing.


Speaking of taste, it is a matter of taste, but when the Lamb shift is correctly examined for the big problem of divergence and ∞ and the calculation can be done relativistically, the story is connected in an instant and it seems that it was "correct" sensuously. is.


With the understanding of Shinichiro Tomonaga, quantum electrodynamics was organized and particle physics made great progress. Shinichiro Tomonaga also promoted scientific enlightenment for young people before entering university in his later years.


Finally, Shinichiro Tomonaga was in sync with Hideki Yukawa at Kyoto University. Each form was completed by the physics of the time.

2024年09月08日

J・ロバート・オッペンハイマー
9/8改訂【あだ名はオッピーとか原爆の父とか】

こんにちは。コウジです。
オッペンハイマーの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


Blu-ray ※日本語無し](輸入版) OPPENHEIMER
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【1904年4月22日生まれ~1967年2月18日没】



 原爆の父オッペンハイマー


オッペンハイマーは原爆の父と呼ばれている側面
ありますが、UCB(カリフォルニア大学バークレー校)
では学生からオッピーという愛称で呼ばれていた
側面もありました。オッペンハイマーの人生は
喜怒哀楽に満ちています。


オッペンハイマーの人生を考えるにあたり、
筆者の第一の着眼点は彼もユダヤ系の血を
引いている
という部分です。


ヒットラーが民族としてのユダヤ人達に焦点を当て迫害し、
敵視していた現実は
動かしがたい事実です。
強制収容所に連行
されるような世相の中で
ユダヤ人達は非常な
危機感を感じていたはずです。


ユダヤ人たちが抱く危機感の中で20世紀初頭の歴史は進み、
天才達が育ち・団結して
新しい物を生み出していた
という側面があるのだと言えます。


そんな時代に兵器製造の行為は肯定される話ではないのですが、
当時の論客達はユダヤ人迫害
から話を初めて、
マンハッタン計画に進む流れ
を紹介していき、
大衆に納得し易い話を組み立て
られたでしょう。



ユダヤ系の物理学者達


世界大戦終結後、100年近くがたとうとしています。
ユダヤ人に対しての考えは幾多の人が繰り広げてきた
のではないかと思えますが、再度、私も強調します。


具体的な物理の世界での登場人物はアインシュタイン 、
シュテルンマックス・ボルンネイサン・ローゼン
D・J・ボームE・パウリ 、ランダウファインマン
ハンスベーテ


そして今回ご紹介するオッペンハイマーです。


(今は此処迄しか思い浮かびませんが
後日、思い付くたびに補記します。)


ユダヤ人メンバー中心に居てがもたらした今世紀初頭の
物理学の進展は急速でした。


その進展は物理学に留まらず、工学、産業、
果ては政治体制に繋がっていきました。


1917年ロシア革命に始まった社会体制の変化とも
同期していた、
と言えるのでは無いでしょうか。


20世紀初頭の閉塞感は、それを打ち破る様々な努力によって
大きく様変わりしていたと思えます。そして、昨今コロナで
不満が高まり、米中関係が緊張していく世相は、やもすれば
危ない世界に近づいてるようにも思えます。


各人で理性的な判断・発言をしましょう。
今、方向付けが重要です。



 オッペンハイマーの関心


さて実際、オッパンハイマーは経済的に恵まれた
家庭で育ち、沢山のお小遣いをもらいながら
すくすくと育ちます。そして、
オッペンハイマーは最終的に6つの言葉を操ります。
少年時代には
鉱物学・数学・地質学・化学に関心を示し
ハーバードを三年で終えてケンブリッジに留学します。


そこから理論物理学のゲッティンゲン大学に進み
ボルンと出会います。オッペンハイマーは
ボルンの指導の下で
研究を進め共同で
ボルン・オッペンハイマー近似等の業績を上げます。


若い時代にボルンと近似に関する仕事をする以外に
一度帰国した後に二度目の訪欧でエーレンフェストパウリボーア
等と交流し物理学での知見を育みます。暖かい人々が
次の時代の人材を育てたのです。
2023年に別記事にまとめました)。


その後、アメリカに戻りカリフォルニア工科大学やUCBで
教鞭をとりますが、第二次大戦勃発に伴い、
オッペンハイマーは
ロスアラモス国立研究所の
初代所長に任命されます。


ロスアラモス国立研究所で原爆を開発したのです。
この仕事は、世界のパワー・バランスを変え、
後の世界を大きく変えました。



晩年のオッペンハイマー


晩年、オッペンハイマーは成し遂げた仕事の意味を自問し、
後悔の言葉さえ残しています。


戦争時代の原爆開発・使用は国としての
アメリカの中で必要と判断されていましたが、
それ以後の時代では原爆を使わなくても各国が
持つだけで攻撃対象とされたりしますし、
外交で原爆が脅迫の道具として使われていたりします。


そういったことにつながった発明をオッペンハイマーは
「罪」として捉えていて、
水爆の開発には反対していたりもしました。


オッペンハイマーには別の罪(?)もあります。
オッペンハイマーの時代は冷戦時代なので
学生時代からの共産党とのつながりを指摘され、
最終的には赤狩りの標的とされ続けていました。


常時FBI(司法省管轄のアメリカ連邦捜査局)
監視下にあったのです。1965年、
がんの為に
ニュージャージーの自宅で
静かに生涯を終えました。


合掌。


そして、2023/8/19に追記します。
映画宣伝の思惑でこの夏に「バーベンハイマー騒動

が起きました。オッペンハイマーの伝記映画と
バービー人形の映画が同日に放映されていました。
その中で、
米国の配給会社が「忘れられない夏になりそう!
と発言した事に日本法人は遺憾の意を示しています。
米国の商戦主義が終戦記念日を控えた日本人の
感性に「カチン」ときたわけです。




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Atomic bomb father Oppenheimer


Oppenheimer was sometimes called the father of the atomic bomb, but at UCB (University of California, Berkeley), he was also nicknamed Oppenheim by students. Oppenheimer's life is full of emotions. When thinking about Oppenheimer's life, the first point to look at is that he also has Jewish blood.


The reality that Hitler focused on and persecuted the Jews as an ethnic group and was hostile to them is an immovable fact. The Jews must have felt a great sense of crisis in the world of being taken to concentration camps. In that sense of crisis, the history of the early 20th century may have been that geniuses grew up and united to create new things. The act of manufacturing weapons is not affirmed in such an era, but the debaters at that time also started talking about the persecution of Jews and introduced the flow to the Manhattan Project, and assembled a story that is easy for the public to understand. Probably.



Jewish physicists


Almost 100 years have passed since then, and I suspect that many people have developed this idea, but I would like to emphasize it again. The characters in the concrete world of physics are Einstein, Stern, Max Born, DJ Baume, E. Pauli, Landau, Feynman,


And this is Oppenheimer. (I can only think of it here now, but I will add it later whenever I come up with it.) The progress of physics at the beginning of this century brought about by such members was rapid. Its progress went beyond physics to engineering, industry, and even the political system.


It can be said that it was in sync with the changes in the social system that began in the Russian Revolution in 1917. It seems that the feeling of obstruction at the beginning of this century was greatly changed by various efforts to overcome it. And it seems that the world, where dissatisfaction with Corona has increased and US-China relations have become tense these days, is approaching a dangerous world. Let's make rational judgments and remarks by each person. Direction is important now.



Oppenheimer's interest


Well, in fact, Oppanheimer finally manipulates six words. As a boy, he became interested in mineralogy, mathematics, geology and chemistry, finishing Harvard in three years and studying abroad in Cambridge. From there he goes to the University of Göttingen in theoretical physics and meets Born.


Oppenheimer conducts research under the guidance of Born and jointly achieves achievements such as the Born-Oppenheimer approximation. He then returned to the United States to teach at the California Institute of Technology and UCB, but with the outbreak of World War II, Oppenheimer was appointed as the first director of the Los Alamos National Laboratory. So he developed the atomic bomb. This work changed the power balance of the world and changed the world later.



Oppenheimer in his later years


In his later years, Oppenheimer asked himself what the work he had accomplished and even left a word of regret. It was judged that the development and use of the atomic bomb during the war was necessary in the United States as a country, but in the subsequent era, even if each country did not use the atomic bomb, it would be the target of attack, and diplomacy. The atomic bomb is used as a threatening tool. Oppenheimer saw the invention that led to that as a "sin," and he even opposed the development of the hydrogen bomb.


Oppenheimer also has another sin (?). Since Oppenheimer's era was the Cold War era, he was pointed out that he had a connection with the Communist Party since he was a student, and eventually continued to be the target of the Red Scare. He was always under the supervision of the FBI (Federal Bureau of Investigation under the Department of Justice). In 1965, he quietly ended his life at his home in New Jersey because of cancer. Gassho.

2024年09月07日

こんにちは。コウジです。
フォン・ノイマン<の原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


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【1902年8月8日生まれ ~ 1984年10月20日】

フォン・ノイマンの生涯
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【1903年12月28日 - 1957年2月8日】



フォン・ノイマンの生い立ち


ノイマンはハンガリー人で恵まれた家庭に育ちました。
晩年のヒルベルトと交流をし、数学センスに
磨きをかけた逸話が残っています。




【(1925年ころ)ヒルベルトの伝記を読んだジョニーはしきりにヒルベルトを訪れるようになったらしい。「40以上も歳の離れた2人の数学者が ヒルベルトの家の庭や書斎で何時間も話し合った。】
ノーマン・マクレイ著「フォン・ノイマン生涯」より)


そして、戦争の時代にドイツを経てアメリカに亡命します。
ハンガリー名ではナイマン・ヤーノシュ:nɒjmɒnˌjɑ̈ːnoʃ、
ドイツ名ではヨハネス・ルートヴィヒ・フォン・ノイマン
:Johannes Ludwig von Neumann、
アメリカではジョン・フォン・ノイマン(ジョニー)

と名乗りました。


理論家としてのノイマンの業績



大きな業績として量子力学の黎明期に数学的定式化
を進めたのがノイマンです。「量子力学の数学的基礎
という名著を1932年に残しています。また、ノイマン型
コンピューターを開発した業績も見逃せません。
経済学、気象予報学にも足跡を残す多才な人です。


また、ノイマンは数値気象学を創設したと言えます。
自ら発展させたコンピューターの活用法として
地球の各場所での情報をもとに
数日後のお天気を予測していったのです。


そんな、ノイマンは誰しもが認める天才です。
後述するプリンストン高等研究所時代にアインシュタインが
ノイマンを評して天才と呼んでいたそうです。
(ノイマンもアインシュタインを天才と呼んでいたそうです)
ノイマンは少年時代から英才教育を受け、ディケンズの小説を
一字一句間違えず暗唱していたと言われます。
また、車を運転しながら読書していたと言われます。
(しかそそもそも、ノイマンは運転が苦手。zwz)


数学・物理学・コンピューター科学・気象学・経済学
で多才な才能を発揮した人です。
映画のモデルにもなっています。


以前このサイトで掲載した映画作品「博士の異常な愛情」は
フォン・ノイマンをモデルにしたと言われています。
(実際のキャラとはだいぶ違いますよ!!:))




原子爆弾やコンピューターの開発


フォン・ノイマンは1930年にプリンストンに招かれ、
プリンストン高等研究所の所員に選ばれています。


因みに、その時に同時にメンバーとして選ばれた一人が
アルベルト・アインシュタインでした。
戦争へ向かうアメリカで軍事関係の研究を進めます。





特に、フォン・ノイマンはロスアラモス国立研究所で
アメリカ合衆国による原子爆弾開発のための
マンハッタン計画に参加します。アメリカという国家が
多くの才能をアメリカの理想の為に集めていました。
沢山の予算が動きます。


そして、
弾道研究所に関わるENIACのプロジェクトに参加して以降、
ノイマンも電子計算機のプロジェクトを進めていくのです。


ノイマンの別関心事として衝撃波の伝達
の研究分野がありました。
所謂「FAT・MAN」(長崎に投ちたプルトニウム型原子爆弾)
のための爆縮レンズを開発していくのです。


兵器開発に科学者が関わっていく良い例です。
「(効率的に)人を沢山殺そう」という考えと
「科学的探究心」は瞬時に置き換える事が出来るのです。
結果として科学者に殺意がなくても効果的な兵器が作れます。



フォンノイマンの考え方を表す言葉



名言として残されている一つをご紹介します。

「思考こそが一次言語であり、
数学は二次言語である。

数学は、思考の上に作られた、
一つの言語に過ぎない。」


私的に考えてみても
実際に物理モデルを構築する前の「思考」が大事で、
それは掴み様の無い物です。幾何学的な図形で抽象的に
表現してみたり群論を使って整理してみたりします。
数学や物理モデルは思考を表現する道具となります。

見つかった「秩序」を数学的表現で表すのはその後の段階で、
さらには大衆に分かるように色々な言葉で肉付けします。


物理学者はこの作業を無限に繰り返さなければいけません。
そんなノイマンは1955年に骨腫瘍・あるいは、すい臓がん
と診断されました。


放射能に関わる研究を重ねた結果でもあります。
同僚のエンリコ・フェルミも1954年に
骨がんで亡くなっています。


「ジョニー(フォン・ノイマン)が臨終を迎えたウォルター・リード
陸軍病院では国防長官と副長官、それに陸海空軍の長官も参謀長たちもぐるり
とベットを取り巻いて最後の一言にじっと耳を傾けていた」と言われます。」
ノーママンクレイ著‗渡辺正訳「フォン・ノイマンの生涯」より)


科学技術の発展の為に晩年を捧げた人生でした、
ご冥福をお祈りいたします。



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The background of von Neumann


Neumann is a Hungarian German who goes into exile in the United States. He is said to have been reciting Dickens' novels word for word, having been educated as a gifted boy in Hungary for Naiman Janos: nɒjmɒnˌjɑ̈ːnoʃ and in Germany for Johannes Ludwig von Neumann. increase.


He is also said to have been reading while driving a car. He is a versatile talent in mathematics, physics and computer science and is also a movie model. The movie work posted at the beginning is
It is said to have been modeled after von Neumann.



Development of atomic bombs and computers


Von Neumann was invited to Princeton in 1930 and was selected as a member of the Princeton Institute for Advanced Study. By the way, one of the members who was selected at the same time was Albert Einstein. He pursues military research in the United States heading for war.


In particular, von Neumann will participate in the United States' Manhattan Project for the development of an atomic bomb at the Los Alamos National Laboratory. And Neumann will also proceed with this computer project by participating in the ENIAC project related to the Ballistic Research Laboratory.


Another concern of Neumann was the field of study of shock wave transmission. He will develop a detonation lens for the so-called FAT MAN (plutonium-type atomic bomb thrown at Nagasaki). It's a good example of how scientists get involved in weapons development. The idea of ​​"killing a lot of people (efficiently)" and "scientific inquiry" can be instantly replaced.



A word that expresses the idea of ​​von Neumann


I would like to introduce one that remains as a saying.
"Thinking is the primary language,
Mathematics is a secondary language.
Mathematics was built on thought,
It's just one language. "


It is important to think before actually building a physical model, which is something that cannot be grasped. Try to express it abstractly with geometric figures or organize it using group theory. The mathematical expression of the found "order" will be expressed later, and will be fleshed out in various words so that the public can understand it.


Physicists have to repeat this task indefinitely. Neumann was diagnosed with bone tumor or pancreatic cancer in 1955. He is also the result of his repeated research on radioactivity. His colleague Enrico Fermi also died of bone cancer in 1954. I pray for the souls of his later life for the development of science.


2024年09月06日

セシル パウエル
9/6改訂【素粒子の軌跡を記録する方法 を改良|アンデス山脈でπ中間子を観測】

こんにちは。コウジです。
セシル パウエルの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


世界の発見
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パウエルとハイゼンベルグとゾンマーフェルト


単なる偶然の産物といえば偶然ですが、
今回ご紹介するセシル パウエルと
ハイゼンベルクとゾンマーフェルトは
同じ誕生日でした。また同様に
西川 正治も同じ誕生日でした。
(別の分野ではウォルトディズニー、小林幸子


さて、
今回の紹介は英国のセシル パウエルです。

素粒子の軌跡を記録する方法
を改良しました。


つまり、


Photographic Emulsionsの中での粒子軌跡を


直接記録する方法を採用したのです。


当時は未知なる粒子が次々と発見され様々に予想
されていたのですが、
観測手段も試行錯誤されていました。
例えば、霧箱で飛んでくる粒子の軌跡を捉えたり、
高い山の上で観測して飛来宇宙線の大気減衰を克服したり
写真技術を活用したりしました。


パウエルの手法は写真のイメージから考えるのでしょうか。
そもそも、
博士課程の指導教員が霧箱の実験で有名なウィルソンと
ラザフォードなのです。基本は感光のイメージですね。
もっとも一般的には「Geltin silver process(銀塩写真)
」。



 パウエルによるπ中間子の観測


またパウエルは湯川秀樹が予想したパイ中間子の
観測・発見の為に
研究スタッフを派遣しています。


生成後の寿命が短く地表に到達できないパイ中間子観測の為に
ボリビアにあるアンデス山脈の
標高5000mの山から
上記乾板を使って発見
しています。


ダイナミックな観測だったと言えるでしょう。
加えて、気球を使い
高度を確保したりもしています。
観測の為に様々な工夫をこらして結果を得ています。



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Powell, Heisenberg and Sommerfeld


It's just a coincidence, but C. Powell, Heisenberg, and Sommerfeld have the same birthday. Similarly, Shoji Nishikawa had the same birthday.


By the way, this time I would like to introduce you to Cecil Powell in the United Kingdom. The method of recording the trajectory of elementary particles has been improved. In other words, we adopted the method of directly recording the particle trajectory in Photographic Emulsions. At that time, unknown particles were discovered one after another and various expectations were made, but the observation method was also trial and error. For example, we captured the trajectory of particles flying in a cloud chamber, observed them on a high mountain to overcome the atmospheric attenuation of flying cosmic rays, and used photographic technology. Do you think of Powell's method from the image of a photograph? I will check further if there is an opportunity.



Observation of pions by Powell


Powell also dispatches research staff to observe and discover the pions predicted by Hideki Yukawa. It has been discovered using the above-mentioned dry plate from a mountain at an altitude of 5000 m in the Andes Mountains in Bolivia for the purpose of observing pions that have a short life after formation and cannot reach the surface of the earth. It can be said that it was a dynamic observation. In addition, we also use balloons to secure altitude. We have obtained results by making various efforts for observation.