こんにちは。コウジです。
パウリの原稿を改訂します。
今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)
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【1900年4月25日生まれ ~ 1958年12月15日没】
その名はWolfgang Ernst Pauli
パウリはオーストリア生まれの
スイス人物理学者。パウリの排他率律で有名です。
排他律を排他率と書いてしまいがちですが
排他律です。その「パウリの排他律」は
「パウリの原理」とも呼ばれています。
1945年にアインシュタインの推薦で
ノーベル物理学賞を受けています。
ミドルネールのエルンストはパウリの名付け親、
パウリが尊敬するマッハに由来します。
父方はユダヤ系の血をひき、
有名な出版社を経営していたようです。
ヴォルフガング・エルンスト・パウリは
ヴォルフガング・ヨーゼフ・パウリの息子でした。
(ヨーゼフはウィーン大学の化学者で世界的な学者でした。)
そうした人脈の影響を受け(エルンスト・)パウリ自身は
自らを「反形而上学の一門の出」であるとみなしていました。
(太字部は後述の「137」より引用)
そんなエルンストを父であるヨーゼフは大事に育てています。
にわかに信じがたいエピソードとして「パウリが12歳の時に
ゾンマーフェルトのウィーンでの講義を聴く機会を作った」のです。
そして、理解を問われたエルンストが
「黒板の右上の式だけは分かりませんでした。」と答えた所、
ゾンマーフェルトは「やれやれ、私としたことが間違いをしでかしてしまった!」
と言ったそうです。Jordan(1971)P.33.(太字部は後述の「137」より引用)
恐るべき12歳ですね。
さて、
排他律の具体的な内容に関してですが、
ナトリウムの分光実験から話が始まります。
再現性の高い事実として
「磁場付加時の分光は電子の
自転(相当の動き)に由来する」
という仮説をパウリは立て、
後にそれをスピンと名付けます。
新しい量子的自由度です。
後に行列力学を基盤とした定式化が行われ
数学的に表現します。これが絶妙
パウリと著名人の交流
個人的に興味を引くのはミュンヘン大学でパウリが
ゾンマーフェルト_の指導を受けている点です。
私が講義を受けた先生がゾンマーフェルト_を研究していて、
マッハの名前も、その先生から教えてもらいました。
そして、
マッハ・ゾンマーフェルト・パウリとつながったのです。
そしてもう一つ個人的な話を続けます。
今使っているドメインへの投稿です。
何故か半年程、投稿漏れに気づかずにいたのですが、
ある日「パウリ」について気になって
上記ゾンマーフェルトとの関係を思い出したのです。
そして急ぎ作業を続けていて驚いたのは、
その日がパウリの誕生日だったのです。
パウリが生まれてから220年が終わった瞬間でした。
後述するユング達が極めた深層心理の世界では
意識下と無意識下の間に「潜在意識」を想定しますが、
そんなことも少し考えてしまいました。
よもや潜在意識下で決めた投稿日だったのでしょうか。
または深層意識下で「投稿していませんよ!」
と告げてくれた人がいたのでしょうか。
とか色々と考えてしまいました。
まぁ、普通に考えたら単なる偶然ですね。
私の頭の中での奇妙な三角関係はさておき、
パウリは人間的にも面白い人だと思えます。
独自に培った知性で各界の著名人を魅了しているのです。
例えば、博士号を習得した直後、パウリは
ゾンマーフェルトに独逸語での百科事典の記事執筆
を依頼されます。内容は相対性理論に関する記事
でしたが、2か月ほどを使って完成させました。
その結果はアインシュタイン本人の査読にかなう見事なもので、
今日においても読み応えのあるものとなっているそうです。
後のプリンストン大学時代にはパウリを自分の後継者として
アインシュタインは高く評価しています。
アインシュタインはパウリのミドルネームを
どの程度、意識していたのでしょうか。
マッハとの関係を知っていたのでしょうか。
機会があれば調べてみたいと思います。
マッハ・アインシュタイン・パウリの三角関係です。
更に妙な繋がりは心理学者C・G・ユングとの関連です。
パウリは離婚後に精神を病んでいた時期がありました。
もともとパウリは夜遊びが好きで朝起きるのが遅い
タイプの「遊んでいる」性格でしたが、特に
離婚騒動の時期に精神不安定になったのです。
今や、夢分析の世界で有名なユングに
完璧主義者のパウリが出合ったのです。
先生と生徒という関係を築き、
生徒としてユングにパウリは科学的な批評を加えます。
互いに有益な関係だったのでしょう。
パウリは「中国人女性の夢」を何度も見て、意識化出来ない
自分の内面の考察を進めます。そして、この時代の物理学に詳しい人
ならご存じかと思いますが、後に「現実で大きな衝撃」を受けます。
チェン・シュン・ウーのパリティー非保存の実験です。
因みにユング関連でのフロイトもユダヤ系です。
アインシュタインもユダヤ系です。ナチスの時代に
パウリのユダヤ関係の史料は意図的に隠されている
ようですが、心理的に大きな一面となった筈です。
この切り口で考えていっても特有の文化に起因する
思考的な共有点が見いだせると思います。
思考の方法を考えるうえで、興味深い対象です。
パウリと1/137
そして、
パウリは最後まで愛した物理学を愛し続けました。
戦争での苦難の時代の後に帰国して、
病床でも完璧主義者として見舞客と議論を続けました。
その中で語り継がれている話があります。
「微細構造定数」と呼ばれる無次元量があります。
ユダヤ教の教義「カバラ」の綴りをヘブライ語で
数値化した値の和が137だとも言われます。
【アーサー・ミラー著「137」参照の事】
それはプランク定数に関わる相互作用を
特徴付ける量です。パウリはその値に最後まで、
こだわり抜きました。137号室で亡くなります。
もし、パウリが神に謁見したら、
神に微細定数 1/137.036...の
理論的根拠を尋ねたとしたら、
神様は物凄い速度で計算式を
書き連ねるだろう。その後、
きっとパウリは「違う!」
と唱えて、話し続けるであろう。
よもや、神様さえも「あ!」
と唱えるのではないか、
と不遜にも想像してしまいました。
そしてパウリの葬儀について語ります。
天に召される時は誰にも訪れます。
パウリの亡骸(なきがら)は12/20に火葬されました。
由緒ある教会に多くの物理学者・著名人が参じました。
ニールス・ボーァ、パウル・シェラーが弔辞を述べ
82歳だったユングも参列していました。
そして、
ハイゼンベルグが参列しなかった理由を前出の著者
であるアーサーは「物理への溢れる情熱」に帰しています。
ハイゼンベルグの心中は複雑だったのでしょう。
パウリもハイゼンベルグも徹底的に理論を愛していました。
考え抜く為に自身の身をすり減らして時間を使いました。
そうした本気の議論が生涯、彼らの心に残っていたのでしょう。
〆
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〆
以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが
必ず返信・改定をします。
nowkouji226@gmail.com
2020/09/19_初稿投稿
2021/04/25_原稿改定
2024/08/29_改定投稿
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(2021年10月時点での対応英訳)
Its name is Wolfgang Ernst Pauli
Pauli is an Austrian-born Swiss physicist. It is famous for Pauli exclusion principle. It is easy to write the exclusion principle as the exclusion rate, but it is the exclusion principle. The "Pauli exclusion principle" is also called the "Pauli principle". He received the Nobel Prize in Physics in 1945 on the recommendation of Einstein.
Middlener Ernst comes from Pauli's godfather, Pauli's respected Mach. His father seems to have run a well-known Jewish publisher.
Now, regarding the specific content of the exclusion principle, the story begins with a spectroscopic experiment of sodium.
As a highly reproducible fact, Pauli hypothesized that spectroscopy when a magnetic field was applied was derived from the rotation of electrons, which he later named spin. A new quantum degree of freedom. He later formulates based on matrix mechanics and expresses it mathematically. Twice
Exchange between Pauli and celebrities
Personally, I'm interested in Pauli's guidance at Sommerfeld at the University of Munich. The teacher I was giving a lecture on was studying Sommerfeld, and he also told me the name of Mach. And he was connected to Mach Sommerfeld Pauli. And I will continue with another personal story. This is a post to the domain you are currently using. For some reason, I was about half a year old and didn't notice the omission of posts, but one day I was worried about "Pauli" and remembered the relationship with Sommerfeld.
And what surprised me as I continued to work in a hurry was that day was Pauli's birthday. It was the moment when 220 years had passed since Pauli was born. In the world of deep psychology, which Jung and his colleagues have mastered, we assume a "subconscious" between consciousness and unconsciousness, but I have thought about that for a moment. Was it the posting date decided under the subconscious? I have thought about it.
Well, if you think about it normally, it's just a coincidence.
Aside from the strange love triangle in my mind, Pauli seems to be a humanly interesting person. His unique intelligence attracts celebrities from all walks of life.
For example, shortly after completing his PhD, Pauzo was asked by Nmarfeld to write an encyclopedia article in German. The content was an article about the theory of relativity, but it took about two months to complete. The result is excellent enough to be peer-reviewed by Einstein himself, and it seems to be readable even today. Did Einstein notice Pauli's middle name? Did he know his relationship with Mach? I would like to find out if I have the opportunity. It is a love triangle of Mach Einstein Pauli.
A more strange connection is with the psychologist CG Jung. Pauli had a period of mental illness after his divorce. Now, the perfectionist Pauli meets Jung, who is famous in the world of dream analysis. He builds a teacher-student relationship, and Pauli gives Jung a scientific critique as a student. It must have been a mutually beneficial relationship. By the way, Jung's brother and disciple Freud are also Jewish. Einstein is also Jewish. Even if you think from this perspective, you can find a thoughtful shared point due to the unique culture. It's a little interesting when thinking about how to think.
Pauli and 1/137
And Pauli continued to love his beloved physics until the end. He returned home after a period of hardship in the war and continued to discuss with visitors as a perfectionist in bed. There is a story that has been handed down in it.
There is a dimensionless quantity called the fine constant, which is the quantity that characterizes the interactions involved in Planck's constant. Pauli was particular about that value until the end. If Pauli had an audience with God and he asked God for the rationale for the fine constant 1 / 137.036 ..., God would write the formulas at a tremendous speed. After that, Pauli will surely say "No!" And continue talking.
I have imagined that even God would say "Ah!".