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2024年05月03日

アイザック・ニュートン
5/3改訂【微積分を駆使して空間・時間・力を明確に定式化】

こんにちは。コウジです。
ニュートンの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


「数学の世界史」
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【1642年12月25日 ~ 1727年3月20日】



物理学を変えたニュートン


物理学でのパラダイムシフトを語るうえで
外せない人物が、このニュートンでしょう。


物理学に於いてそれまでの常識を覆しました。
数学を駆使して物理学を大きく変えています。


今では世界で彼の名を冠した科学関係の雑誌が
刊行されている程です。
多くの人がその名と
業績を知っています。


イギリスで生まれたニュートンはケンブリッジでアイザック・バローに師事し研究をしていきます。家庭的に問題を抱えていたことに加えて、ニュートンは体も小さく体力も無かったので紆余曲折のがあってアイザック・バロー教授と出会ったのです。


特に大きな転機となったのは学位を習得する時期です。ペストがヨーロッパ中に大きな被害をもたらし、ケンブリッジも封鎖された時期があったのです。その時期にニュートンは地元に戻り思索の時間を多くとれたのです。その時間が1665年の万有引力発見に繋がります。



ニュートンの業績 


ニュートンが示したものは大きいのです。


力が「相互作用」であって小さなリンゴと大きな地球が


相互作用するように、全ての物質が相互に作用して、


互いに引き合う事象を見出しました。


ニュートンの著書「プリンキピア」の中で法則として体系化しました。その数学的定式化として微分の考え方を使って洗練された形を残し、その後の学問の発展に大きな基礎を築いています。



ニュートンの足跡 


何年もの後にマッハが「力学の哲学的批判史」の中でニュートン独自の空間概念の定式化を批判しますが、それもニュートンの整理・確立した空間概念、慣性の法則、などがあって初めて気づき得る話なのです。


特に神との関りにおいてニュートンは「人格神に対する信仰を固辞している」(ハイゼンベルグ「現代物理現象の自然像」(1955)より)という指摘が重要です。神を想定して「絶対空間」を想定している時点で、後世の相対的(人間的)思想とニュートンの理解体系は少しずつ乖離していくのです。


 実際にはアインシュタインが空間の相対性を明確化する中でも基礎理論としてのニュートン力学は依然として有益な理論なのですが、特に20世紀初頭の物理学の進展で適用範囲に大きな疑問を投げかけました。ニュートンの力学を土台の一つとして更に量子力学が出来てくるのです。


その他、ニュートンの業績は光学、微積分学、と尽きませんが空間・時間・力を明確に定式化した点が後世の我々にとっても、物理学にとっても何より大きいと思えます。


ニュートンは人々の物に対する考え方を大きく変えました。



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問題点には適時、返信・改定をします。


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(2021年8月時点での対応英訳)



The Newton


This Newton is a must-have person when talking about the paradigm shift in physics.Newton overturned conventional wisdom in physics. He uses mathematics to make a big difference in physics.


Nowadays, science magazines bearing his name have been published in the world. Many know the name and his achievements. Born in England, Newton will study under Isaac Barrow in Cambridge. In addition to having problems at home, Newton met Professor Isaac Barrow under twists and turns because he was small and weak. A particularly big turning point was when the plague caused great damage throughout Europe during his bachelor's degree and Cambridge was also blocked. At that time Newton returned to his hometown and had more time to think about him. That time will lead to the discovery of universal gravitation in 1665.



Newton’s Work


What Newton has shown is great. He found that all matter interact and attract each other, just as forces are "interactions" and small apples and large earths interact.


It was systematized as a law in Newton's book "Principia". He used his idea of ​​differentiation as his mathematical formulation to leave a sophisticated form, laying a great foundation for the subsequent development of scholarship.


Newton’s Footprint


Years later, Mach criticizes Newton's concept of space in "History of Philosophical Criticism of Mechanics", but it is a story that can only be noticed with Newton's organized and established concept of space, the law of inertia, etc. It is.


In addition, Newton's achievements are not limited to optics and calculus, but the fact that space, time, and force are clearly formulated seems to be greater for us in posterity and for physics. Newton has changed the way people think about things.


2024年05月02日

ロバート・フック5/2改訂【ばねの運動に働く力学を法則化した英国人】

こんにちは。コウジです。
フックの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


「ニュートンに消された男(中島秀人著)」
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【1635年7月28日生まれ ~ 1703年3月3日没】



ボイルの助手フック


イギリスに生まれたフックは若い時代にボイル


下で実験助手を務め、様々な経験を積みます。


そしてまた、ユークリッドの原論や、光の屈折


など様々な考え方を身に着けていきます。


フックの情報を調べてみると性格的側面で、


人間関係の問題を抱えていったように思われます。


そもそもフックの父は英国国教会の聖職者でした。


2人の兄も聖職者として人生を歩んでいるようです。



フックの美学


そんな家庭で育ったロバート・フックは


科学・数学といった理論の世界で神に通じる


美学を構築していったのではないでしょうか。


宗教的側面は精神的な土台として考慮すべきです。


そこから生まれる高潔な理想と現実世界での不条理が


彼の抱えていた問題だったのです。


数学で「問題の壁を乗り越えた時の感動」や


「誰の手も借りずに新しい発見をした時」の


感謝は完全に人に伝えられない部分だと思えます。


そこで感動の共有が出来なかったとしたら、


フックはきっと孤独を感じたのです。





この紹介を書くにあたり調べ直してみた所、最終的にフックは寂しい人生を送っています。フックには子孫が居ませんでした。また、同時代のニュートンに比べ業績は見劣りします。年配のフックをニュートンは敬っていたようですが最後はどうしても論戦になり、科学的な思考の深さと明快な視点で反論されてしまったのでしょう。


自らが痩せて「醜く見える」要望であった事情もあるようです。その為に肖像画を描かせることも控えていたようです。 


とはいえ、その業績は特筆に値します。



フックの業績 


有名な仕事はバネでの、フックの法則です。


ばねに働く力が長さの一乗に比例するという法則は


非常に明快で今でも色々な分野に応用されています。



また、惑星間に働く力が距離のマイナス2乗に働く


という法則もフックの発案であるという主張もありました。


もはや今となっては真相は不明です。


理論として体系立てることも大事ですが


先ずは気付きを与えるという事も大事です。


その意味でフックは議論をしてたというだけで


素晴らしいと感じます。




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Hook in yonger Days


Born in England, Hook worked as an experimental assistant under Boyle when he was young and gained a lot of experience. And again, he learns various ideas such as Euclid's Elements and refraction of light. Looking at Hook's information, he seems to have had a relationship problem on the personality side. In the first place, Hook's father was a priest of the Anglican Church.


It seems that the two older brothers are also living their lives as priests. .. Robert Hooke, who grew up in such a family, may have built a divine aesthetic in the world of theory such as science and mathematics. Religious aspects should be considered as a spiritual foundation.



noble ideals and Hook


The noble ideals and absurdities of the real world that emerged from it were his problems. In mathematics, gratitude for "impression when overcoming a problem wall" and "when making a new discovery without the help of anyone" seems to be a part that cannot be completely conveyed to people. If you couldn't share the excitement there,


Hook must have felt lonely. After re-examining it when writing this introduction, Hook is finally living a lonely life. Hook had no descendants. Also, his achievements are inferior to his contemporaries Newton. It seems that Newton respected the elderly Hook, but in the end it was a debate, and he would have been argued with his depth of scientific thinking and a clear perspective.



Hook's Work


However, his achievements deserve special mention. His famous work is Hooke's Law in Spring. The law that the force acting on a spring is proportional to the first power of length is very clear and is still applied in various fields.


It was also argued that the law that the force acting between planets acts on the minus square of the distance was also the idea of ​​Hook. The truth is unknown now. It is important for him to systematize as a theory, but it is also important to give awareness first. In that sense, Hook feels great just because he was having a discussion.



2024年05月01日

アイザック・バロー
5/1改訂【幾何学的に微積分を考えニュートンを育てた】

バローの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


「遥かなるケンブリッジ」藤原正彦著
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【1630年10月生まれ ~ 1677年5月4日没】



 バローとルーカス職


今回のご紹介するバロー教授は
イギリス・ケンブリッジ大学の数学者です。
バローはケンブリッジ大学での
ルーカス教授職に初めて任命されています。
ルーカス職とはケンブリッジ内大学の称号(職位)で
クール(Cool)な物理学者に国王から贈られる称号です。
特に数学系の理解が高い人物に贈られます。



 筆者とバローの出会い


私がバローの名を初めて知ったのは
高校の時の英語の教材で、
次の様な文章だった気がします。


Just under three hundreds years ago,
the professor of mathematics
at Canbridge did distinctly unusual
thing. He decided one of his pupil was..…


上記英文での教授がバロー先生で
その後に出てくる弟子(生徒)がニュートン
なのです。バローはニュートン
ルーカス職を譲ります。(1669年の話です)
当時20代のニュートンの方が
ルーカスの職位に相応しいと判断したのです。


異例な判断だったようですが
その後のニュートンの業績を考えると
バローの判断は素晴らしいと分かります。
因みにその後、名誉あるルーカス職は
ディラック
ホーキング

引き継いでいきます。



 バローの業績


上記、英語の文書が書かれた時代
から更に時代は進んでますが、
バローの残した業績は物理学のみ
ならず、工学、ひいては産業に
大きな成果を残しています。


具体的にバローが残した業績で
特筆すべきは微分と積分が
真逆の数学的行為であると幾何学的
に証明した事だと言われています。
今では当たり前なのかも知れません
がバローが整理、体系化した結果
なのです。


また正割(secant; セカント・Arccos;アークコサイン)関数
の積分を「閉じた式」で表現しました。ここで
閉じた式と表現しましたが無限に続く漸化式や、
点線(・・‣)を含む式は使わない表現です。


こうした整理・体系化をバローは進めました。
ニュトンに教授職を引き継いだ後は
神学の研究に移ったと言われています。
 



〆最後に〆


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2020/10/06_初稿投稿
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 Barrow and Lucas


Professor Barrow is a mathematician at the University of Cambridge, England. Barrow has been appointed for the first time as a Lucas professor at the University of Cambridge. The Lucas professor is the title (position) of the University of Cambridge and is given by the king to a cool physicist. It is especially given to those who have a high understanding of mathematics.



 My Memory


The first time I learned the name of Barrow was in English teaching materials when I was in high school, and I think it was the following sentence.


Just under three hundreds years ago,
the professor of mathematics
at Canbride did distinctly unusual
thing. He decided his pupil his was ..…


The professor in English above is Mr. Barrow, and the disciple (student) who appears after that is Newton. Barrow hands over Lucas to Newton. He decided that he was more suitable for his position.


It seems that it was an unusual decision, but considering Newton's subsequent achievements, Barrow's decision is wonderful. By the way, Dirac and Hawking will take over the prestigious Lucas profession after that.



 Barrows work


Although the times have progressed further from the time when the above English documents were written, Barrow's achievements have made great achievements not only in physics but also in engineering and eventually in industry.


Specifically, it is said that what is remarkable about the achievements left by Barrow is that he geometrically proved that differentiation and integration are the opposite mathematical acts. It may be natural now, but it is the result of Barrow's organization and systematization.


 

2024年04月30日

クリスティアーン・ホイヘンス
4/30改訂【オランダ物理学の黎明期に光学を研究】

こんにちは。コウジです。
ホイヘンスの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
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【1629年4月14日‐1695年7月8日】



ホイヘンスの生い立ち


ホイヘンスはオランダ物理学の歴史を感じさせます。


17世紀前半からホイヘンスのような
大物が出てくるのです。 


オランダの名家にホイヘンスは生まれライデン大学で


数学と法律を修めました。物理学はその知見を活かす


フィールドだったと言えます。特に


数学で優秀さを発揮していたと言われています。


光学でのモデルは幾何学的なイメージを


しっかり作ると分かり易く話が整理しやすいのです。



ホイヘンスの業績


物理学関係の業績としては何より光学での業績が


顕著です。所謂「ホイヘンスの原理」は後の物理学者達


が波動を考えていく上でとても有益だった筈です。


波の性質が突き詰められていき、縦波とか横波とか


周波数とか周期とか最終的には波面や、さざ波も、


光も同じ定数で表現出来る現象となるのです。


この理解が重ね合わせの原理の土台として役立ち、


振動解析や音響解析へと話が進んでいくのです。



ホイヘンスから繋がる人脈


更に20世紀初頭にエーレンフェストアインシュタインがホイヘンスの母校であるライデン大学で議論していたと考えてみると、人々の繋がりに小さな感動さえ覚えます。加えてライデン大学ではローレンツカメリー・オネスも研究を進めていくのです。


科学での一番最初の障壁は一般化を含めた


「理解」だと感じます。


一般の人々にも説明出来る


「言葉」を出来るだけ沢山、科学者が


作り出すことが大事です。その点で


ホイヘンスは初めの難しさを超えたのです。


 

ホイヘンスの他の業績


別途、ホイヘンスは土星の衛星タイタンの発見したり、振り子の原理を理解して時計を制作したり、オリオン大星雲を発見してスケッチしたり、その進取の精神には驚かされます。特に1675年に世界で初めて火薬を使った往復型の内燃機関を形にしているそうです。ニュートンのプリンキピア刊行が1687年ですので、「瞬時に伝番していく撃力」に関する考察を、ホイヘンスが独自に形にしているとも言えます。特筆すべき一面かと思えます。


なお、いわゆるエーテルの存在をホイヘンスは想定して


後の物理学に議論の土壌を残しました。


この功績も非常に重要だと思います。



〆最後に〆


 



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2020/10/18_初版投稿
2024/4/30_改定投稿


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(以下は2021年8月時点での対応英訳です)



Base of Huygens's LIFE


Huygens was born into a well-known Dutch family and studied mathematics and law at Leiden University. It can be said that physics was a field where he could make use of his knowledge. He is especially said to have showed his excellence in mathematics. An optical model is easy to understand if you make a solid geometric image, and it is easy to organize the story. His physics-related work is particularly remarkable in "Optics". The so-called "Huygens principle" should have been very useful for later physicists to think about waves.



Huygens's work


The nature of the wave is scrutinized, and it becomes a phenomenon that the longitudinal wave, the transverse wave, the frequency, the period, and finally the wavefront, the ripples, and the light can be expressed by the same constant. This understanding serves as the basis for the principle of superposition, and the discussion progresses to vibration analysis and scale analysis.



Huygens's reration


Also, given that Ehrenfest and Einstein were discussing at Leiden University, Huygens' alma mater, at the beginning of this century, I am even impressed by the connections between people. In addition, Leiden University will also pursue research by Lorenz and Kamerlingh Ones.


I feel that the very first barrier in science is understanding, including generalization. It is important for scientists to create as many "words" as possible that can be explained to the general public. In that respect, Huygens surpassed his initial difficulties.



Huygens's other works


You will also be amazed at the enterprising spirit of discovering Saturn's moon Titan, understanding the principles of the pendulum to make watches, and discovering and sketching the Orion Nebula. Especially in 1675, it is said that the world's first reciprocating internal combustion engine using gunpowder was formed. Since Newton's Principia was published in 1687, it is assumed that Huygens has uniquely shaped his thoughts on "instantaneous transmission power." I think this is a noteworthy aspect.


Huygens also left the ground for debate in later physics, assuming the existence of so-called ether. I think this achievement is also very important.

2024年04月29日

ロバート・ボイル
4/29改訂【「元素」を想定し混合物と化合物を明確に区別】

こんにちは。コウジです。
ボイルの原稿を改訂します。


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ご覧ください。(以下原稿)


1688年の関連原稿
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【1627年1月25日生まれ ~ 1691年12月31日没】



アイルランドの貴公子ボイル


その名は正確には


サー・ロバート・ボイル: Sir Robert Boyle_


英国アイルランド生まれの物理学者です。


初代コーク伯爵リチャード・ボイルと


キャサリンの間に7番目の男子として生まれ


アイルランド現地の家庭に里子に出されます。


その結果、ボイルはアイルランド語を


理解し、通訳レベルまで習得しました。


ボイルはフランス人の家庭教師と


海外旅行をしていて、1641年冬には


イタリアのフィレンツェで過ごし、


ガリレオ・ガリレイの教えを受けます。


ガリレオは1642年に亡くなりますが、


まさに晩年のガリレオと接したのですね。


今の日本人ならボイルは中学生の年齢でしょうか。


多感な時期に良い刺激を受けた事でしょう。



帰国後のボイル


1644年に大陸の長旅を終えるとボイルは


多くの時間を科学に使い、後の王立協会


に繋がる集まりである「ロンドン理学協会」、


別名、「不可視の学院」とも呼ばれた集まりに


参加するようになります。


ボイル家の先代が亡くなって


いましたので、ボイルはアイルランドでの


立場もあったのですが、その時期ロンドンで頻繁に


会合が開かれていました。ボイルは最終的には


オックスフォードに移り住みます。


実験器具が入手し辛いといった切実な


側面もあったようです。



ボイルとその法則


その後、フックを助手としてボイルは空気


ポンプを制作して圧力の研究を始めます。


フランスのパスカルが同じ時代に研究をしていること


を考えると当時の物理学会での関心が


圧力にあった事が分かりますね。ニュートン力学


が成立していない時代には「力を加える」こと


よりも「圧力を加える」方が定量的に現象を把握出来る


作業だったとも言えるでしょうか。フック


ボイルの助手なので、ばねに関わる力の定式化が


出来ていないと思われます。そんな時代に力は


重力と関連して評価するしかなかったのでしょうか。


個人的に関心を持ってしまいました。


やがてはボイルの研究は圧力と体積との関係を


示す、ボイルの法則に繋がります。


ただ1660年迄にボイルは


「体積は圧力に反比例する」と明言していて、


書物での記録はあるようですが、


温度や分子量との関連を含め、


現象の定式化には至らなかったようです。


『実際の定式化はヘンリー・パワー


Henry Power FRS (1623–1668))によって


1661年になされているようです。』


【以上、3行は英語版Wikipedia情報】


このボイルの考案した「ボイルの法則」が一つの基礎となり


熱・統計力学の土台が構築されていきます。


更にこの後、


J・C・シャルルが考案した「シャルルの法則」が


温度との関係を与えますので高校レベルの知識として


「ボイル・シャルルの法則」が確立される訳です。


低圧力・高温度の条件下で、異なる気体間で法則が成


り立つことは自明ではないのですが


経験的法則として成り立ち、


後に様々な方式で発展していきます。


最後に、ボイルは錬金術の伝統を受継いで


いましたが、近代的な視点を持ち「元素」を想定して、


混合物と化合物を明確に区別した点で秀でています。


ボイルが明確にしたパラダイムシフト


は非常に大きな業績だと言えるのではないでしょうか。



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2020/11/04_初稿投稿
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【対応英訳】



His name is Sir Robert Boyle.


He is a physicist born in Ireland, England. He was born as the seventh boy between the first Earl of Cork Richard Boyle and Catherine and is fostered in a local Irish family. As a result, Boyle understood Irish and mastered it to the level of an interpreter.


In his younger days, Boyle travels abroad with a French tutor and spends the winter of 1641 in Florence, Italy, where he is taught by Galileo Galilei.


Galileo died in 1642, and Boyle had in contact with Galileo in his later years. Is Boyle the age of junior high school for Japanese people today, isn't it? He would have been well inspired during a sensitive period.


After completing his long journey on the continent in 1644, Boyle spent a lot of his time in science, attending a gathering that later led to the Royal Society, also known as the "London Science Society," also known as the "Invisible College." 


Boyle had a position in Ireland because the predecessor of the Boyle family had died, but due to frequent meetings in London, Boyle eventually moved to Oxford.


He seems to have had an urgent aspect that it was difficult to obtain laboratory equipment. After that, with Hook as his assistant, Boyle created an air pump and began researching pressure.



Pascal in France 


Considering that Pascal in France was doing research at the same time, you can see that the interest at the Physical Society  at that time was about" pressure ". In an era when Newtonian mechanics was not established, it can be said that "applying pressure" was a task that could quantitatively grasp the phenomenon rather than "applying force". Since the hook is a boil assistant, it seems that the force related to the Spring has not been formulated. Was force only evaluated in relation to gravity in such an era?



I'm personally interested. Boyle's research eventually led to Boyle's law, which shows the relationship between pressure and volume.


However, by 1660, Boyle had stated that "volume is inversely proportional to pressure," and although there seems to be a record in his book, the phenomenon was not formulated, including the relationship with temperature and molecular weight. It seems.


"The actual formulation seems to have been done in 1661 by


Henry Power FRS (1623–1668))."


[The above 2 lines are English translation version of Wikipedia information]



Boyle-Charles's law


The "Boyle's Law" devised by Boyle will be the basis for building the foundation of statistical mechanics. Furthermore, after this, "Charles's law" devised by JC Charles gives a relationship with temperature, so "Boyle-Charles's law" as high school level knowledge is established. It is not obvious that the law holds between different gases under low pressure and high temperature conditions, but it holds as an empirical law and later develops in various ways.


Finally, Boyle has inherited the tradition of alchemy, but excels in having a modern perspective and assuming "elements" to make a clear distinction between mixtures and compounds. It can be said that the paradigm shift that Boyle clarified is a very big achievement.


2024年04月28日

ブレーズ・パスカル
4/28改訂【「人間は考える葦である」|圧力の定量化】

こんにちは。コウジです。
パスカルの原稿を改訂します。


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パンセ(岩波文庫)
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【1623年6月19日 〜 1662年8月19日没 】


数学者にして哲学者のパスカル


フランスに生まれたブレーズ・パスカルは


物理学者にして数学者にして哲学者です。


17世紀頃までの自然科学に関わる学者達は


細分化が出来ていない傾向があり、


時代を感じさせる部分でもあります。


 

そして何よりパスカルといえば、その残した言葉、


「人間は考える葦である」がまず思い浮かびます。


思考法を確立していった人であって、


その点では古代ギリシャの哲学者に近い印象です。


中世に至るまでの人間の歴史には「科学的な側面」を


あまり感じません。経験の蓄積、文化の蓄積から生じた


機能美があるのですが、素材も含めて経験からの


アプローチが大きかったのではないでしょうか。


 

無論、思想の停滞は今迄に沢山の場で


論じられてきた話題だと思えます。話戻って、


パスカルは考え続けた人でした。



パスカルの業績 


パスカルの遺稿集であるパンセは有名です。


総合的に物事を考えています。


死後、遺品整理で改めて分かったのは


「神」をも思考の対象として考えて、


様々な思考を繰り返し


確率論、優先順位を考え、様々な証明方法


を使っていたということです。


 

実際に分かり易い例として、


数学の上では三角形の内角の和を考えた時に


合計180度であると子供時代に証明していたようです。


平行になる工夫をして補助線を一本引く


だけなのですが、それを思い付いたときは


どれだけ嬉しかったことでしょう。


きっと感動があったはずです。



パスカルが残した沢山の発明


 

物理学の面では圧力に関する


明確な定量化、パスカルの原理が有名で


その後、今に至るまで油圧機器等に多用されてます。


またパスカルは実業家としての側面も持っていて、


今日で言うバスのシステムを乗り合いタクシー


という形で実現しています。より


お手軽に交通機関を利用する仕組みですね。


 

またパスカルは


子供時代から機械式計算機の制作をしています。


徴税吏員である父親の仕事軽減が目的だったようです。


少し、ほのぼのする逸話ですね。また、


昔フランスでの500フランにパスカルの顔


が描かれていたようです。そしてパスカル


39歳で亡くなっています。


何よりも圧力の概念を面積との関係で確立していき、


後の定量的議論の土台として確立した


功績は大きいのではないでしょうか。


現在では圧力の単位としてパスカルは名を残してます。



フランスの誇る偉人ですね。




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(対応英訳)


 Blaise Pascal ,Born in France, is a physicist, mathematician and philosopher. Until around the 17th century, scholars involved in the natural sciences tended to be undivided, which is a part that makes us feel the times.


And above all, when it comes to Pascal, the remaining word, "human beings are reeds to think about," comes to mind first. He was the one who established the way of thinking, which gives an impression close to that of an ancient Greek Philosopher. I don't really feel the "scientific side" of human history up to the Middle Ages.


There is a functional beauty that arises from the accumulation of experience and culture, but I think the approach from experience, including the materials, was the main part of Way Of Tinking. Of course, the stagnation of thought seems to be a topic that has been discussed in many places. Returning to the story, Pascal was the one who kept thinking. His collection of Pascal's manuscripts, Pensées, is famous. He thinks about things comprehensively.



After his death,


what he learned from his relics was that he also considered "God" as an Object  Of Thought, repeated various thoughts, considered probability theory and priorities, and used various proof methods. ..


As a practically straightforward example, he seems to have proved in his childhood that mathematically, when considering the sum of the angles of a triangle, the total is 180 degrees. He only draws one auxiliary line, but how happy he was when he came up with it. He must have been impressed.



Pascal’s works


In terms of physics, Pascal's principle regarding pressure is famous, and since then, it has been widely used in hydraulic equipment. Pascal also has an aspect as a businessman, and realizes the Bus System that we call today in the form of a shared taxi.


Pascal has also been making mechanical calculators since his childhood. It seems that his purpose was to reduce the work of his father, his tax collector. It's a little heartwarming anecdote. Also, it seems that Pascal's face was drawn on 500 francs in France long ago. And Pascal died at the age of 39.


Above all, he established the concept of pressure in relation to area, and I think he has made great achievements in establishing it as the basis for later quantitative discussions. Today, Pascal has left its name as a unit of pressure.
He is a great man in France.

2024年04月27日

ヘンリー・パワー:H Power FRS
‗4/271改訂【圧力と体積の関係の定式化】

こんにちは。コウジです。
パワーの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


止水圧力計測器
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【1623年生れ ~ 1668年没】


ヘンリー・パワー:Henry Power FRS



ヘンリー・パワーの来歴


ヘンリー・パワーは日本ではあまり聞かれない名前です。
調べてみると英国物理学で「しっかりとした仕事」をしています。
それにも関わらず日本ではあまり紹介がされていません。
日本語版ウィキペディアでの紹介が無く、
紹介は英語版のみです。(2023年4月情報)


実際には
「圧力と体積の関係の定式化」を考えていくともう少し後の時代に
ウィリアム・へンリーという別人も「気体の研究で出てくる」ので
注意が必要です。ヘンリーの法則はヘンリーパワーとは無関係です。


今回ご紹介しているヘンリー・パワーは
王立協会で初めて選出された フェローの なかの1 人です。


具体的にパワーは、1641 年にケンブリッジで有名な
「クライスト カレッジ」で文学士号を得ました。
パワーは 1663 年 に王立協会のフェローに選出されています。
パワーと準男爵 ジャスティ・ニアヌス イシャムは、
最初に選出されたメンバーなのです。



ヘンリー・パワーの業績


パワーの唯一の出版された著作は「実験哲学」です。
3 冊からなる彼の本は、それぞれ観測の
方法論(corpuscularian theory)
と粒子理論を扱っています。また、
ヤコブス・グランダミクス
(ジャック・グランダミ、1588–1672)
の論文に対して反論をしています。


ボイルの法則との関連も特筆すべきです。
あらかじめ行った実験で、
パワーは、後に「ボイルの法則」
として知られる
ガスの圧力と体積の関係を発見しました。


圧力と体積の関係は、
「実験哲学」でヘンリーが紹介しています。

しかし、それにもかかわらず、
「実験哲学」の出版とリチャード・タウンリーの

唯一の仕事との混同がされています。


ボイルの理論への言及は、「実験哲学」の出版よりも 1 年先行し、
ボイルのアイデアの上記宣伝の事情と、
貴族の科学者としてヘンリーよりボイルはは有名なので、
パワーの理論が「ボイルの法則」として知名度があります。


ボイルはタウンリーが唯一の研究者であると誤解して、
パワーの貢献が歴史上ほとんど失われているのです。
最後に、英語版ウィキペディアからパワーの業績部分を抜粋します。
ご参考としてください。(以下8行抜粋)


Henry Power discovered the relationship between the pressure and volume of a gas that later became known as Boyle's law. This relationship was outlined in "Experimental Philosophy". However, many may argue nevertheless that a prepublication manuscript of "Experimental Philosophy" cited the hypothesis as the sole work of Richard Towneley.


Boyle's mention of the theory preceded the publication of "Experimental Philosophy" by one year, which, combined with Boyle's promotion of the idea and his significant status as an aristocratic scientist, ensured the theory would be known as "Boyle's Law". Boyle attributed Towneley as the sole researcher, ensuring that Power's contributions were all but lost to history.




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2023/04/07‗初稿投稿
2024/04/17‗改訂投稿


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(2023年4月時点での対応英訳)


 Perdonal History of Henry Power


Henry Power is a name not often ’heard’ in Japan.
I looked it up and felt he has done "a solid job" in British Physics.
Despite this, it has not so famous much in Japan.
in addition,
There is NO introduction on the Japanese version of Wikipedia,
The introduction is in English only.


in fact
Considering the "formulation of the relationship between
pressure and volume", in a little later era
Another person named William Henry also
"appears in the study of gases," so
We must Be careful!!.


Henry's law seems to have nothing to do with Henry power.
Henry Power to introduce this time
One of his Fellows who was first elected to the Royal Society.


Specifically Power graduated in Cambridge in 1641 by the famous
He earned a Bachelor of Arts degree from 'Christ College'.


He had power in which he was elected a Fellow of the Royal Society in 1663.
Power and his Baronet Justy Nianus his Isham,
He was the first elected member.


Achievements of Henry Power


Power's published his one work, "Experimental Philosophy".
His three books each deal with a corpuscular theory.
and particle theory. again,
Jacobus Grandamicus (Jacques Grandami, 1588–1672)
I am arguing against the paper of


He is also notable for his connection with Boyle's law.
In his preliminary experiments, power was later found in "Boyle's Law"
discovered the relationship between gas pressure and volume known as .


The relationship between pressure and volume is outlined in "Experimental Philosophy".


But nevertheless the publication of "Experimental Philosophy" and Richard Townley's
It seems that there has been confusion with only one job.


References to Boyle's theory preceded the publication of "Experimental Philosophy" by a year,
Because of the above publicity of Boyle's ideas and his power as an aristocratic scientist,
The theory of power became known as "Boyle's Law".


Boyle misunderstood that Townley was the sole researcher,
The contribution of power is largely lost to history.
Finally, I will excerpt Power's achievements from the English Wikipedia.
Please use it as a reference. (6 lines below)


Henry Power discovered the relationship between the pressure and volume of a gas that later became known as Boyle's law. This relationship was outlined in "Experimental Philosophy". the sole work of Richard Towneley.


Boyle's mention of the theory preceded the publication of "Experimental Philosophy"
by one year, which, combined with Boyle's promotion of the idea
and his significant status as an aristocratic scientist,
ensured the theory would be known as " Boyle's Law".


Boyle attributed Towneley as the sole researcher, ensuring that
Power's contributions were all but lost to history.



2024年04月26日

バールーフ・デ・スピノザ‗
4/26改訂【1632年11月24日 - 1677年2月21日】

こんにちは。コウジです。
スピノザの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


スピノザ全集
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オランダの哲学者をご紹介


バールーフ・デ・スピノザ(Baruch De Spinoza [baːˈrux spɪˈnoːzaː])です。そも


そも、本ブログでは物理学者や数学者のご紹介が中心ですが、そうした学問での「世界観」を構築した人物をご紹介しておきたいのです。


全く定量的な議論を行わなかった事例としてジョルダーノ・ブルーノ等が思い浮かびますが定量的な表現を含んでいると言えば言える議論をしていたのです。また、スピノザはその著作が後世に大きな影響を与え、ラテン語名ベネディクトゥス・デ・スピノザ(Benedictus De Spinoza)でも知られています。


そもそも、私がスピノザの名を思い出したのは太田氏の本、「ガチョウ娘に花束を」のなかで‗アインシュタインの関連で出てきた記述がきっかけです。その著作は現代の哲学や倫理学においても重要な影響を持ち続けています。彼の最も有名な著作は『エチカ』(Ethics)であり、これは彼の倫理学的な思想を体系化したものです。











スピノザの一元論


スピノザの思想の中核には、「神即自然(Deus sive Natura)」という概念があります。彼は神と自然を同一視し、宇宙を神あるいは自然として一元的に捉えました。この思想は決して無神論ではなく、むしろ宗教的な解釈にも独自の視点を提供しました。具体的な思想は、宇宙を神や自然として一元的に捉えることを特徴とし、無神論とは異なる考え方です。この思想では、宇宙自体が神や自然の偉大なる存在であり、あらゆる現象や事象はその一部であると捉えられます。

この考え方は、宗教的な解釈とも関連していますが、独自の視点を提供することで、従来の宗教的な概念や信念に新たな理解をもたらすことがあります。たとえば、宇宙を神や自然として捉えることで、神秘主義や自然崇拝の観点から宇宙や自然に対する畏敬の念や敬虔さが生まれる可能性があります。

その意味で敬虔な態度の科学者と相性が良いのです。

スピノザ思想は、哲学や宗教の分野で議論されることがあり、さまざまな宗教や信条の枠組みを超えて、宇宙や自然に対する新しい理解や関係性を模索するための一助となるかもしれません。

また、スピノザは人間の心理や倫理に関しても深く考察しました。彼の倫理学は、人間が真の幸福を追求するために自然の法則に従うことを強調しました。そのため、道徳的な行為は自然法則に従うことによって生まれ、真の自由と幸福をもたらすと考えました。多くの人にシックリくる考え方にも思えますね。ただ、残念なことに自然な思想ですので、税や年貢を納めるという考えや、兵役を課すという考えと親和性がありません。

スピノザの思想は当時の宗教的・哲学的な枠組みに挑戦し、そのために当局から迫害されることもありました。しかし、彼の影響は後世の哲学者や思想家に大きなインスピレーションを与え、その重要性は今日でも高く評価されています。






〆最後に〆


 



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(2024年4月時点での対応英訳) 


Introducing Dutch philosophers

Baruch De Spinoza [baːˈrux spɪˈnoːzaː]. In the first place

In the first place, this blog mainly introduces physicists and mathematicians, but I would like to introduce the people who have created the "world view" in these fields.

Giordano Bruno comes to mind as an example of someone who did not engage in quantitative discussions at all, but whose arguments could be said to include quantitative expressions. Spinoza was also known by his Latin name Benedictus De Spinoza, as his writings had a great influence on later generations.

In the first place, I remembered Spinoza's name because of a description in Mr. Ota's book ``Flowers for the Goose Girl'' in connection with Einstein. His works continue to have an important influence on modern philosophy and ethics. His most famous work is Ethics, which systematizes his ethical ideas.

Spinoza's monism

At the core of Spinoza's thought is the concept of ``Deus sive Natura.'' He equated God and nature, and viewed the universe as either God or nature. This idea was by no means atheistic, but rather provided a unique perspective for religious interpretation. Concrete ideology is characterized by a unified view of the universe as God and nature, and is a different way of thinking from atheism. In this way of thinking, the universe itself is considered to be the great existence of God and nature, and all phenomena and events are considered to be a part of it.

This idea is also associated with religious interpretation, but by providing a unique perspective, it can bring new understanding to traditional religious concepts and beliefs. For example, viewing the universe as God or nature can generate awe and reverence for the universe and nature from the perspective of mysticism and nature worship.

In that sense, they are compatible with scientists who have a pious attitude.

Spinoza's ideas are often discussed in the fields of philosophy and religion, and may help us explore new understandings and relationships with the universe and nature, transcending the framework of various religions and beliefs.

Spinoza also deeply considered human psychology and ethics. His ethics emphasized that humans follow the laws of nature in order to pursue true happiness. Therefore, he believed that moral behavior comes from following natural law and brings true freedom and happiness. This seems like an idea that would appeal to many people. Unfortunately, however, because it is a natural ideology, it has no affinity with the idea of paying taxes or annual tribute, or with the idea of imposing military service.

Spinoza's ideas challenged the religious and philosophical framework of his time, and for this he was sometimes persecuted by the authorities. However, his influence was a great inspiration to later generations of philosophers and thinkers, and his importance is still appreciated today.
















2024年04月25日

ルネ・デカルト 
4/25改訂【我思う、故に我あり|近代(合理)哲学の祖】

こんにちは。コウジです。
デカルトの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


デカルト哲学
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【1596年3月31日〜1650年2月11日没】



デカルト概説


ルネ・デカルト(仏: René Descartes)は、


フランスに生まれた哲学者にして、数学者です。
そして。合理主義哲学の祖でもあります。
一般には近世哲学の祖として知られています。


「我思う、ゆえに我あり」の言葉は有名です。


思索の主体と対象を考えている命題で、


当時主流だったスコラ哲学による考え方と大きく異なります。


スコラ哲学時従えば、信仰とは元来、


自己を捧げる事で成立する行為で、


信仰が人間では作り上げられない「


真理」の獲得へと繋がっていくのです。


当時流行していたスコラ哲学の保守的な考え方に


デカルトは疑問を抱き、


新しい哲学的な命題を打ち立てたのです。


太陽の光が大地に降り注ぐように、


人間の理性が自然に活動する中で真理へと


近づいていけるであろうという考えがデカルトの信念なのです。



デカルトの修業時代


経緯を考えていくと、デカルトは
イエズス会の学校に所属して研鑽を進めます。


先ずイエズス会のラ・フレーシュ (La Flèche) 学院
に入学します。当時、


イエズス会の学校はフランスに15校。


その中でもフランス王アンリ4世自身が


関わっていたラ・フレーシュ学院です。


当時はとても有名でした。


 

ラ・フレーシュ学院ではフランス中から
優秀な教師、生徒が集まっていました。


プロテスタントは「信仰と理性は調和しえない」
という教義に基づきます。


それに対してカソリックを掲げるイエズス会は
理性を信仰に取り入れて
スコラ哲学を
教育カリキュラムに取り入れていました。


更に自然科学の前進となる考えも好意的に取り入れていて、


ガリレオ・ガリレイが望遠鏡で初めて木星の衛星を捉えた時には


学院ではお祝いの催しが開かれたそうです。


デカルトが教えを受けた学院では哲学は不完全なもので、


「その完成には哲学が必要である」と断言しています。


デカルトは学院で論理学・形而上学・自然学、占星術、


秘術(今で言う魔術の系統)を学んでいきます。


とりわけ自然科学の中で数学を好んで数学的な論法で


議論する事もありました。



デカルトの遍歴時代


遍歴の時代をデカルトは過ごすお話です。


22歳のときにデカルトはオランダで軍隊に参加します。


対象の時期は80年戦争での休戦期間なので、


デカルトの実戦参加は無かったであろうという考えが定説です。


それよりも寧ろ、軍隊の中での最新兵器の
開発にデカルトは興味を持ちました。


優秀な技術者と交流して知見を広める事が
大きな軍隊参加の目的の一つでした。



ベークマンとの幸運な出会い


後にデカルトはイザーク・ベークマンという人物


に出会い知的な刺激を受けます。ベークマンは医者でありながら


自然科学や数学に長けていました。


ベークマンからデカルトが知った概念は次のようなものです。
@原子の概念、
A真空の概念、
B運動保存の概念、です。


それらは現代の物理学へと繋がっていく概念です。
この時期にそうした概念の「基礎」が出来てきたのですね。
そしてベーグマンはコペルニクスの考えに共鳴していて指示していました。
ベーグマンと共にデカルトは思想を発展させていきます。
自由落下に対して見識を深め、
水圧に対して見識を深め、
三次方程式などの数学的な概念も発展させていきます。






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(2022/10月時点での対応英訳)



About Descartes


René Descartes was a philosopher and mathematician born in France.
And. He is also the founder of rationalist philosophy.
He is generally known as the founder of early modern philosophy.


He is famous for saying, "I think, therefore I am. It is a proposition that considers the subject and object of contemplation.


This is a proposition that differs greatly from the viewpoint of Scholastic philosophy, which was the mainstream at the time.


According to the Scholastic philosophy, faith is an act that is originally formed by offering oneself.


Faith leads to the acquisition of "truth" that cannot be created by human beings.


Descartes questioned the conservatism of the scholastic philosophy


and Descartes questioned the conservatism of scholastic philosophy and formulated a new philosophical proposition.


Just as the sun's rays fall on the earth. As the sun's rays fall on the earth,


the natural activity of human reason Descartes' belief is that


we can come closer to the truth through the natural activity of human reason,


just as the sun's rays fall on the earth.



scholl days of Descartes


Descartes belonged to the school of the Jesuits,


where he studied. He first entered the Jesuit Institute of La Flèche.


At the time, there were 15 Jesuit schools in France.


Among them was the famous La Flèche Institute, where King Henry IV of France himself had involved.


There, excellent teachers and students gathered at that Jesuits.


Protestantism is based on the doctrine that "faith and attitude cannot be reconciled.


The Jesuits, on the other hand, were catholic, and they adopted reason


as an aggressor and incorporated scholastic philosophy into their educational curriculum.


They also favored ideas that advanced the natural sciences,


and celebrations they held at the Institute when Galileo Galilei first observed


the moons of Jupiter through his telescope.


In the doctrine of the Institute where they taught Descartes, philosophy was incomplete.


In the doctrine of the Institute where Descartes was taught,


philosophy is incomplete and "needs philosophy for its perfection".


Descartes studied logic, metaphysics, natural science, astrology, and the mystic arts


(the lineage of what we now call witchcraft) at the Institute.


He was especially fond of mathematics in the natural sciences,


and sometimes used mathematical arguments in his discussions.



itinerancy of Descattes


After acquiring such a basic education, Descartes spent a period of itinerancy.


At the age of 22, Descartes joined the army in the Netherlands.


They said that he would not have fought in actual battles during this period,


as it was a period of truce during the 80 Years War.


Rather, Descartes had been interested in the development of the latest weapons in the army.


It seems that his goal was to interact with excellent engineers and broaden his knowledge.



Meet with Beekman


Descartes then met Isak Beekman, they gave an intellectual stimulus with each other.


Beekman was a doctor. Beekman also had knowkedge in the natural sciences and mathematics.


Descartes learned the following concepts from Beekman.
(1) the concept of the atom,
(2) the concept of the vacuum, and
(3) the concept of the conservation of motion.


These are concepts that lead to modern physics.


It was during this period that Desvarts got the "foundation" for such concepts.


And Beegman was sympathetic to and directed Copernicus' ideas.


Descartes developed his ideas together with Beegman.


He gained insight into free fall, he gained insight into water pressure,


and he also developed mathematical concepts such as cubic equations.


(At first, I translated with www.DeepL.com/Translator (free version) and collected)

2024年04月24日

ヨハネス・ケプラー:Kepler
4/24改訂【年間の観測情報から数学を使い天文学を確立】

こんにちは。コウジです。
ケプラーの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


ケプラーTシャツ
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【1571年12月27日生まれ ~ 1630年11月15日没】



ケプラーの生い立ち


ドイツのヴァイル(Weil-der-studt(1935年の記載))
に生まれたケプラーは天文学者にして数学者、
哲学者、占星術師でありました。


そして、今から見たら不幸な家庭環境で育ちます。
ケプラーの母は薬草治療をしてました。楽しい思い出は
「家族で月食を見た」くらいだったと言われています。
あぁ寂しいケプラー少年。


ケプラーは数字を厳密に扱う反面で無頓着な側面


もあったと言われています。例えば自分の名前を書くときに


kepler, keppler, khpler, kepierusを同じ時期に使っていた
(アーサー・ケストラー著「ヨハネス・ケプラー」より引用)


と言われています。 なにより、  


ケプラーの天文物理学の仕事として素晴らしい点は、


年間の観測情報から数学を使った考察を進め、


天体の星達が(基本的には平面上で)楕円軌道を描く


とか公転周期と面積速度の関係を導き出すといった


秩序だった理論的な結果を導き出した点です。


ケプラーは「数学モデル」を物理学に当てはめた


初めての物理学者だったという事実も見逃せない点です。


今では当たり前に思えるのですがケプラーの時代は


物事を考える土壌が出来上がっていませんでした。


更に実験を結びつけて議論の裏付けをとり、


後の時代の物理学者たちは説得力を増すのです。


そして有名なケプラーの3法則を提唱しています。


惑星運動のケプラーの法則:
@惑星は、焦点の一つに太陽に接する楕円軌道に動きます。
A惑星と太陽に結ぶ線は、等しい機会で等しい地域を掃除します。
B惑星の公転周期の2乗は軌道長半径の3乗に比例します。


 

そんなケプラーは幼少期に苦労します。


ケプラーの父は家族の為に傭兵として戦いに参加します。


ケプラーが5歳から17歳の間、頑固で喧嘩好きな父は家族と離れ


暮らしていました。そして八十年戦争と呼ばれた戦いで、父は


ネーデルランド(現.オランダ)で亡くなったと言われています。


そしてケプラーは幼少時代に
神学校に通い教養を身に付けます。
そこでは
日常会話もラテン語で行われる、厳格な教育がなされました。
後のケプラーのドイツ語で書かれた手紙などの文体は
「天真爛漫で泥臭く魅力的であるものとなっており、
あたかも厳しい講義室から解放されて、
田舎の縁日か何かで楽し気な歌声をあげている、
というような響きがある。」と評されています。
(アーサー・ケストラー著「ヨハネス・ケプラー」より引用)
逆説的ですがラテンの教養はケプラーの人生に
重要な
効果を与えていたのではないでしょうか。 


また、ケプラー本人は天然痘にかかり視力低下にあい、
一生続く苦難を受けました。また天然痘では、、、
ケプラーは妻子を失ってしまいます。



ケプラーの業績


 

そんなケプラーは天文学者として地動説に出合いました。


特にコペルニクスがコペルニクス的転回を打ち出した


タイミングでケプラーは天文を学びましたが、


ケプラーはコペルニクスを全面的に支持します。


そういった考え方を読んで推し進めるケプラーを


今度はガリレオ・ガリレイが支持します。


そして何よりケプラーはティコ・ブラーエに出会います。



ケプラーと科学の進歩


科学が飛躍的に進化する時代があると思えますが、


ケプラーの前後の時代はまさに、そんな時代でしょう。


この時代の動きがあったからこそ、後の時代の思索の中で


力学が生まれてきて、電磁気学が生まれてきたのです。


20世紀の初頭にも国を超えて人々が議論して


科学技術に大きな進展が見受けられました。


そんな視点で「社会史」の側面を垣間見ながら


「科学史」を考えてみると人類の進化を感じられます。


私が「進化」と呼んだ「変化」が好ましいか


という議論がありますが、私は好ましいと思います。


可能性が広がるからです。


技術(知見)を制御する責任は別問題で別に議論します。


 

ティコ・ブラーエは遺言で集めた膨大な


データを遺産としてケプラーに残しました。


価値ある貴重なデータをケプラーがが受け取り


そして整理して様々な法則を作り出します。


2人の業績から今に残るケプラーの法則が完成したのです。


惑星の運動は体系立てられ幾何学上で表現されています。


ケプラーは星を考える枠組みを作り出したのです。


そして次なる様々な理論体系に繋がっていったのです。



〆最後に〆


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Kepler's Birth Born


Kepler's Birth Born in Germany, Kepler was an astronomer, mathematician, philosopher, and astrologer. And Kepler's mother was doing herbal remedies. The great thing about Kepler's work in astronomical physics is that it advances mathematical consideration from annual observation information, and the stars of the celestial body draw elliptical orbits (basically on a plane), orbital period and area velocity. It is the point that we have derived an orderly theoretical result such as deriving a relationship. It is also worth noting that Kepler was the first physicist to apply a "mathematical model" to physics.


Kepler struggles in his childhood. Kepler's father participates in the battle as a mercenary for his family. While Kepler was between the ages of five and 17, his father lived away from his family. Kepler's father died in the Netherlands in a battle called the Eighty Years War. In addition, Kepler himself suffered from smallpox and suffered from his poor eyesight for the rest of his life. Also in smallpox, Kepler loses his wife and children.



 Kepler's Work


Kepler came across the heliocentric theory as an astronomer. Kepler learned astronomical, especially when Copernicus launched a Copernican Revolution, but Kepler fully supports Copernicus. Galileo Galilei now supports Kepler who read such an idea. And above all, Kepler meets Tycho Brahe.


It seems that there is an era in which science will evolve dramatically, but the era before and after Kepler is exactly such an era. It seems that the movement of this era was the reason why mechanics was born and electromagnetics was born in the thoughts of later times.


Even at the beginning of the 20th century, people from different countries discussed and made great progress in science and technology. If you think about "history of science" while glimpsing the aspect of "social history" from that perspective, you can feel the evolution of humankind. There is some debate about whether "change," which I called "evolution," is preferable, but I think it is preferable. Because the possibilities open up. Responsibility for controlling technology is discussed separately on a separate issue.



Kepler's Data


Tycho Brahe left Kepler with the vast amount of data he collected in his will as his legacy. Kepler receives valuable and valuable data and organizes it to create various laws. From the achievements of the two, Kepler's law that remains today was completed.


The movement of planets is systematically and geometrically represented. Kepler created a framework for thinking about stars. And he was connected to the following various theoretical systems.