2019年09月16日
追い返した。(2)
この親方は、私が「なぜそう言うのか」分かっている。だから、説明など無用なのだ。私はこれで済んだと思っていた。
9月14日は午後7時ころには寝てしまった。
寝ていると「ドン・ドン」と音がする。それで目が覚めた。
時計を見ると・・時間は午後9時少し過ぎ。
この時間であればまだ夜中ではない。用事のある人なら玄関前のポーチにある「ドアホン」を使う。人感センサーで明かりがつくので、ドアホンを見落とすことはない。
ドアホンが鳴れば、受話側はカメラで誰が来たか分かるようになっている。いつまでも出ないと録画して記録として残る。その場合点滅しているので「録画」と分かる。
音はまだ続いている。壁であれば屋根近く、そうでなければ屋根を叩くような音がしている。
私は、何が来たか分かった。
<来たか・・・・これは、このまま返すぞ。頓珍漢な感情に任せるとこうなるんだ>
何をすべきか分かっていた私は祈った。いつもしている祈りそのまま。
祈りだすと音はしない。
音が止まない場合は、次の事を考えていた・・・・・が、そのまま止んでしまった。
10分か20分か、同じ祈りのままで終えた。
そして音が止んだので、寝てしまった。
私の玄関には、海外にいる兄弟が置いていった「結界」を示すモノが置いてある。これでヘンなモノは入ってこれない。そう言っていた。
私は、現在修行中の身である。普段の生活の中でしていること、その全てが私にとっては修行なのです。そして祈る。この繰り返しである。
定年過ぎでから、人間の本体を確かめたのでした。すると、今まで読んでいたはずの本なのに、中身をまるで覚えておらず、しかも相当勘違いしていることに気が付きました。これではだめだ。やり直しだ。
ということで、真剣に読むことにした。だが読むだけではどうしてもだめだ。記憶に限度がある。そこで、書き取りを始めた。初めは、一文字も漏らさず書き写した。それれが終わると、次の本を写した。そしてまた。
5冊終わり、また初めの本に戻って写した。今年で4年目になった。今は、実践(祈る)ということも加えた。それ以外は自分の生活のために身の回りのことをしている。それで修行中の身と書いたのです。
修行中と謂えども、人間の本体を尋ね、生命を躍動させる法則や祈りを自覚し実践していると、今回のような場合どうすることが適切か分かっている。
人を褒めるということが滅多にない、安岡先生が推薦した五井先生の著書が私の教科書になっている。残念なのは、口頭で導いてくれる方が居ないことだ。だから独学でやってきた。独学といって侮らないで頂きたい。普段の生活の中で、これはと実感することが幾つかある。その一つは、私の左手親指には仏眼が出ている。右手はもう少しで繋がる。
私は、これからも続ける。
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