アフィリエイト広告を利用しています

広告

posted by fanblog

2017年05月01日

ケントさんと 儒 と  私と

DVC00682.JPG
4月26日読売新聞の書籍広告欄

この本を紹介するのは2度目です。ケントさん鋭い観察眼です。

儒教は、孔孟の「儒者の教え」のことです。日本では、江戸時代には寺小屋で盛んにおしえたものです。日本人は何でも消化して、独特な文化に完成させています。

仏教がそうですね。この儒教もそうです。そして、縄文のアニミズムのころからある、神道は中国の仙神道とも重なって、完成しています。その代表の1つが伊勢神宮です。もっと古い熊野信仰や諏訪信仰もあります。

その他にも教派神道を加えるとたくさんあります。この不思議な国日本で生まれた私は、40代になって、安岡正篤氏の教学に参じて、関西師友協会を訪ねて、10年間駒ケ根師友会を持っていました。

当時、関西師友協会の会長を長くおつとめしていた、住友生命名誉会長の新井正明先生は、既に他界されてしまいました。豊田良平副会長もお亡くなりになっております。

昨年は、お山の学監として、また論語普及会の伊与田 覚先生がお亡くなりになりました。当時何度も何度も教えを頂戴して、その割にはご恩返しもできなくて、まさに不肖の弟子とは私のことです。

私は、三国志と人間学というプレジデント社の出版した本に触れたことで、著者の安岡正篤氏のことを深く知りたくなり、当時のプレジデント社・編集長の多田さんに手紙を書きました。

この多田さんが親切な方で、後日私に電話をくださいました。その電話で大阪に関西師友協会があって、安岡先生亡き後も、盛んに活動していることを知らされました。

そこで、私は大阪に出向きました。このことが縁となって、駒ケ根師友会を友人らで立ち上げ以後10年間活動しております。

今は思い出になっています。当時の縁を回想し、また私の家系図を読み直すと、私の先祖と大阪の地と縁があったことが分かり、早速調べると「懐徳堂」(江戸時代の学問所・現大阪大学)、との縁がハッキリと分かってきたのです。

私の先祖は、京都・並河家から江戸に出た誠所が独立して近藤性を名のりました。儒者であり漢方医であった誠は、水戸藩江戸屋敷のかかえ医者となり、徳川3代将軍から以後幕末まで近藤家は水戸藩に仕えたのです。つづく。
タグ:
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/6387207
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
リンク集
写真ギャラリー
検索
<< 2024年04月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
最新記事
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
日別アーカイブ
プロフィール
小出美水さんの画像
小出美水
定年退職年金暮らしです。
プロフィール
ファン
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。