棲雲寺(せいうんじ・栖雲寺)は、山梨県甲州市大和町木賊にある寺院。臨済宗建長寺派寺院で、山号は天目山、本尊は釈迦如来。創建時には護国禅寺と称した。県指定名勝である。また、裏山の斜面には庭園が存在する。
概要
棲雲寺は、天目山山中の標高約1,050mの日川渓谷の上流左岸にある。日川渓谷のさらに4.6kmほど下流の田野には、曹洞宗寺院の天童山景徳院がある。
南北朝時代の貞和4年/正平3年(1348年)、開基業海本浄(ごうかいほんじょう、通称ごっかい、1284-1352年)は、当時木賊山と呼ばれていたこの山を訪れた。業海は文保2年(1318年)に、仲間5人と元に渡り、天目山において普応国師中峰明本(ちゅうほうみんぱん、1263-1323年)から教えを受け、印可を授かって、嘉暦元年(1326年)に帰国した。その後、師の教えを実践させる、修行の場に相応しい地を求めて、20年以上にわたって諸国を旅して、木賊山が天目山を髣髴とさせる景勝地であるとして、この地に天目山護国禅寺を創建した。
文化財
重要文化財(国指定)
木造普応国師坐像 - 昭和46年6月22日指定
普応国師は、中国元の時代の高僧で、臨済宗幻住派の祖中峰明本である。孤高の隠遁者として知られ、日本からも多くの禅僧が彼の元に参じて教えを受けて帰朝しているが、天目山棲雲寺の開山業海本浄もその一人である。きわめてきびしい禅風で知られ、この期のわが国の禅林に影響を与えた。木造普応国師座像は、剃髪し、衣の上に袈裟をつけ、腹前で禅定印を結んで座した頂相彫刻である。座高82.5cm、檜材の寄木造り、玉眼を入れた彩色像であるが、現在はほとんど表面の彩色は剥落している。像内首枘に朱書の銘があり、文和2年(1353年)に、仏師法眼院広と法橋院遵によって造像されたことが分かる。院広と院遵は、棲雲寺本尊の釈迦如来坐像の作者でもある。
交通
鉄道 - JR中央線 - 甲斐大和駅下車、路線バス乗車
路線バス - 甲州市市民バス 甲州市(塩山、勝沼、大和)縦断線 天目(栖雲寺)行 - 天目(栖雲寺)停留所下車、徒歩3分
所在地 山梨県甲州市大和町木賊122[1]
位置 北緯35度39分38.2秒 東経138度48分38.4秒
山号 天目山
宗派 臨済宗建長寺派
本尊 釈迦如来
創建年 貞和4年/正平3年(1348年)
開基 業海本浄
別称 護国禅寺・栖雲寺
札所等 甲斐百八霊場第二十番
甲斐八十八ヶ所霊場第一番
文化財 木造普応国師坐像(重要文化財)
木造業海本浄和尚坐像、絹本著色十字架捧持マニ像など(県文化財)
庭園(県名勝)
2024年07月13日
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