三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)は、青森県青森市大字三内字丸山にある、縄文時代前期中頃から中期末葉(約5900-4200年前)の大規模集落跡。沖館川右岸の河岸段丘上に立地する。1997年3月5日、国の特別史跡に指定。2021年7月27日、国際連合教育科学文化機関により、「北海道・北東北の縄文遺跡群」として世界文化遺産に登録された。遺跡には住居群、倉庫群のほか、シンボル的な3層の掘立柱建物が再現されており、資料や出土品の展示施設「縄文時遊館」もある。青森県教育庁三内丸山遺跡センターが継続的に発掘調査を行っている。
三内丸山遺跡
遺跡保存の経緯
この地に遺跡が存在することは江戸時代から既に知られていた。山崎立朴が弘前藩の諸事情を記した『永禄日記』(えいろくにっき、館野越本)の元和九年(1623年)正月二日条に多量の土偶が出土したことが記録されているほか、菅江真澄の紀行文『栖家の山』(すみかのやま)の寛政八年(1796年)四月十四日条に、三内の村の古い堰が崩れた場所から、瓦や甕、土偶のような破片が見つかったことが記録されている。
本格的な調査は新しい県営野球場を建設する事前調査として1992年から行われた。その結果、この遺跡が大規模な集落跡とみられることが分かり、1994年には直径約1メートルの栗の柱が6本見つかり、大型建物の跡とも考えられた。 これを受け同年、県では既に着工していた野球場建設を中止し、遺跡の保存を決定した。
その後、資料館を作って整備を行い、1996年には六本柱建物跡においては湿度を一定に保った保存ドームを作り、柱の現物は他の場所に保存しレプリカを代わりに元の場所に置くなどの措置を行った。また、墓の道の遺構が非常に長く延びていることが分かったため都市計画道路も建設を中止した。
翡翠製大珠(縄文時遊館展示)
遺跡の概要
八甲田山から続く緩やかな丘陵の先端に位置し、標高は約20メートルで、遺跡は約40ヘクタールの広大な範囲に広がっている。集落は住居、墓、捨て場、大型掘立柱建物、掘立柱建物、貯蔵穴、墓・土坑墓、粘土採掘穴、盛り土、道路などが、計画的に配置されている。
この遺跡は現在の敷地から、広場を囲むように住居が造られた環状集落であると見られることもあるが、住居が非同心円状に機能別に配置されているところから見て、それとは異なる形式であると考えられる。現在の遺跡の環状構造はかつて野球場建設の際、その敷地が円形であった跡であり、遺跡とは関係ないものである。
遺跡には、通常の遺跡でも見られる竪穴建物、高床倉庫の他に、大型竪穴建物が10棟以上、約780軒にもおよぶ建物跡、さらに祭祀用に使われたと思われる大型掘立柱建物が存在したと想定されている。また、他の遺跡に比べて土偶の出土が多く、板のように薄く造られていて板状土偶と呼ばれる。次の縄文後期や晩期の立体的に体の各部を表現した土偶とは大きく異なっている。
遺跡から出土した栗をDNA鑑定したところ、それが栽培されていたものであることなども分かった。多数の堅果類(クリ、クルミ、トチなど)の殻、さらには一年草のエゴマ、ヒョウタン、ゴボウ、マメなどといった栽培植物も出土した。三内丸山の人たちは、自然の恵みの採取活動のみに依存せず、集落の周辺に堅果類の樹木を多数植栽しており、一年草を栽培していた可能性も考えられる。このことを通してこの遺跡の居住者数は数百人と考える事ができる。平成6年(1994年)9月に青森市で開催された「北のまほろばシンポジュウム」では最盛期の縄文時代中期後半には500人の居住者がいたのではないかとの発言があったが、異論も出た。
それらは縄文時代の文化が従来考えられていたものよりも進んだものであることを示すものであった。遺跡は他の近くの遺跡に繋がっている可能性が高く、未だに全容は把握しきれていない。
六本柱建物(復元)
大型竪穴建物(復元)
大型竪穴建物の内部
遺跡整備の方針
1998年に遺跡整備の基本計画が取りまとめられ、遺跡整備の基本方針として以下の点が掲げられた。
保存を検討しながら実物遺構を公開展示する。
建物の復元だけでなく、植生も復元する。
縄文時代を体験・体感できるような企画性に富んだ遺跡の活用をする。
見学者が憩い楽しめるような環境作りと、充実した各種サービスを提供できる場とする。
継続的な調査・研究を行い、縄文文化研究の拠点となる施設と体制を整備する。
保存・活用の計画を段階的に推進する。
年間イベント
縄文春祭り:平成26年5月3日〜5月6日 三内丸山遺跡/縄文時遊館
縄文夏祭り:平成26年8月9日・10日、8月16日・17日 三内丸山遺跡/縄文時遊館
縄文秋祭り:平成26年10月25日・26日 三内丸山遺跡/縄文時遊館
縄文冬祭り:平成29年2月11日・12日 三内丸山遺跡/縄文時遊館
アクセス
東北自動車道青森ICもしくは青森自動車道青森中央ICから国道7号青森環状道路経由で青森市道都市計画道路3・4・15号里見丸山線[15]に入ってすぐ。
東日本旅客鉄道(JR東日本)・北海道旅客鉄道(JR北海道)新青森駅からあおもりシャトルdeルートバス「ねぶたん号」で終点「三内丸山遺跡前」バス停下車。
JR東日本・青い森鉄道青森駅から青森市営バス三内丸山遺跡線で「三内丸山遺跡」バス停下車。
高床建物
所在地 青森県青森市大字三内字丸山
座標 北緯40度48分41秒 東経140度41分48秒
種類 遺跡
歴史
時代 縄文時代
管理者 青森県
文化財指定 国特別史跡(2000年指定)
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