2024年08月13日
不運な国産初の大型電気機関車ef52の歴史とその軌跡。
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/124480
鉄道省が初めて作った大型の電気機関車のef52も何かと不運な車両でした。
●ef52も不運な車両の一つだった。
引用先 https://ameblo.jp/blackcat-kat/entry-11979279652.html
ef52は戦前の鉄道省
が中心となり、日立などを含めた民間7社で作って見たのはいいのですが、
自分たちが求めていたレベルの車両とは程遠かったということもあり、
新たにef53の開発に着手しましたから、そうした点から見てもef52も
不運な車両の一つでしたが、
戦前は普通列車、1942年〜1944年にかけては
国府津機関区に集結し貨物列車を、晩年も阪和線で貨物列車を
担当していましたから。
●ef52 7が不運な理由は性能が中途半端だったこと。
引用先 https://myfatherphoto.jugem.jp/?eid=12
ef52が不運だった理由は、ef52も当初の計画では低速用の貨物用電気機関車
として計画されましたが、
それが途中から旅客列車もけん引できるように設計を変更されるというような
ことがありましたが、このようなケースですが鉄道車両でもあよくあるネタの一つでした。
その結果、出来上がったef52は鉄道省の関係者の方達も自分たちが求めていた
車両とはほど遠い中途半端な車両となってしまったということで、
ef52をより使いやすくした電気機関車をということで、
戦前の急客機の傑作と呼ばれたef53が登場することになりましたが、
ef53は鉄道省の関係者の方達が求めていた故障もしにくく、整備しやすい
機関車ということで、
戦前は特急燕や富士などの花形列車も担当しましたし、お召し指定機にも
選ばれるなど、戦前に作られた電気機関車の中でも安定した性能を発揮した
車両ですが、ef53はあきらかアメリカから輸入したef51やed53の流れを
引いた車両になります。
それであればef52も計画当初から高速旅客機として設計していたら
まともに使えていたのではないでしょうか。
それが途中から設計変更をしたのですから、性能も中途半端になりますから
この点から見てもef52は不運な車両となります。
●ef52は最後の最後まで不運だった。
引用先 https://www.pacific571.com/html/58_el01.html
ef52は戦後になってからも活躍の場も限られていましたが、
戦後になってから担当した区間は、中央東線と阪和線で、旅客列車を担当していましたが、
最終的には竜華機関区に7両すべてが集結して阪和線で貨物列車を担当していましたが、
最後になってからef52は当初の計画であった
貨物列車でで活躍することになったの
ですから、こうした点から見てもef52は本当に不運としか言いようがありませんが、
それでも最後に残ったef52 7号機は
引退する前に臨時急行きのくにを担当して引退しましたが、
なんだかef52は作られてから引退する日まで不運な日々を過ごしていたということでした。
●ef52は結果的に不運な車両の一つだった。
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/124480
7両で終わってしまったef52は、
ef53などに続く電気機関車の基礎となった車両ですが、
開発当初から中途半端な性能になってしまったということで、
設計の段階から不運なめぐりあわせになってしまったということでした。
国産電気機関車ef52の開発とその舞台裏の歴史
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/124480
京都鉄道博物館で保存されているef52について欧米のパクリでとも言われていますが、
その真相について調べてみました。
●ef52は欧米機を手本にして作られた車両。
引用先 https://ameblo.jp/blackcat-kat/entry-11979279652.html
京都鉄道博物館に保存されているef52は、アメリカから輸入した電気機関車を
手本として作られた車両でありましたから、外見がアメリカンスタイルでありました。
●ef52が欧米機のパクリといわれる理由。
引用先 http://www.shiino-goichi.sakura.ne.jp/ef522.htm
ef52が、車体の外見がアメリカンスタイルの理由は、
アメリカから輸入した電気機関車に似ているからですが。
具体的な理由は、アメリカから輸入したef51やed19の母体となるed53が
使いやすく、故障も少なかったということもありますし、
これ以外にもアメリカから輸入したed10にed11、ed14もef52を作るうえで参考にしていました。
その関係で、ef52の車体がアメリカンスタイルになったというのが、真相でしたが、
なぜ?アメリカから輸入したef51などを手本にしたかというと、
大正時代に日本も東海道本線など一部の路線の電化が始まりました。
それと合わせる形で鉄道省の前進でもある鉄道院がイギリスやドイツ、
アメリカ、スイスなどから電気機関車を輸入してみましたが、
まだその当時は電気機関車については鉄道院でも未知の分野でありましたし、
1両1形式もしくは2両でありましたから、
車両の整備、保守点検も大変でしたし、予備の部品の確保など問題も
ありましたから、これらの問題をどう解決するかということで、
昭和になり鉄道省が中心となり、民間の車両メーカーと検討会を立ち上げて
自分たちが使いやすい電気機関車を作るということが決まり、
その過程で選ばれたのがef51とed53、ed10、ed11、ed14になります。
その結果、ef52の車体もアメリカンスタイルの車両となりましたが、
それでef52を欧米機のパクリともいうのもおかしなものではないでしょうか。
ef52のあとに作られたed16、戦前の急客機の名車とも言われたef53や貨物用の
ef10の1次型もef52と同じ流れを引いていますが、
戦前に作られた電気機関車で車体のデザインがモデルチェンジするのは
ef56と貨物用のef10の2次型が登場してからになりますが、
ef56とef10も製造年代で車体のデザインが大きく異なっているのも
日本が戦時体制に移行した関係で、丸みを帯びた車体が角ばった車体に
変わっていきましたが、
その流れがそのままef57やef58の旧車体の車両にも引き継がれていましたが、
ef57やef58、貨物用のef11〜ef15も電装品の配置はef51やed53の配置を引き継いで
いますからそれだけef51やed53が使いやすい車両だったからこそ、その流れが
ef58やef15に受け継がれたということになります。
●ef52の手本となった車両には何があるのか?
引用先 https://myfatherphoto.jugem.jp/?eid=12
京都鉄道博物館で保存されているef52はef51やed19を参考にして作られた車両ですが、
参考になったef51やed19などはどんな車両だったかというと、
これらの車両を作った会社は、アメリカのボールドウィン・ウェッチングハウスで、
車体はボールドウィンが担当して、電装品をウェッチングハウスが担当しました。
ボールドウィンは明治時代から多数の機関車が、日本にも輸入されていたということ
でも知られていますが、戦後になってからウェッチングハウス社の傘下に加わり、
最後はハミルトン社に併合されました。
それで鉄道省がボールドウィン・ウェッチングハウスから購入した電気機関車は
・ef51
引用先 http://kokutetu.michikusa.jp/newpage404.html
・ed19(ed53)
引用先 http://blog.livedoor.jp/kintoto_2019/archives/27239155.html
・ed10
引用先 https://raillab.jp/photo/41272
がありますが、
ef51とed19は同じ作りの車体でありますが、
前者がfクラスで後者がdクラスということですが、
大正時代に輸入された電気機関車ではイギリス製のef50とed17との関係と似ていますが、
なぜ?そうなったのかというと、この当時は電気機関車はまだ未知の分野だっただけに
fクラスとdクラスを同時に取り寄せて使い比べてみたのではないでしょうか。
そのうち、ed53は6両あり、そのうちの1、2号機がお召し指定機に選ばれてef53が登場するまで
お召し列車を担当していましたが、
その際も重連運転になりますが、撮影された写真がRMライブラリー11 国鉄輸入電気の系譜の
上の31ページの上の方に出ていますが、
ed53は戦前にギヤ比率を変更の末、ed19となり、1975年まで飯田線で
活躍していたということはよく知られていますが、
ef51は2両だったということで、1959年で廃車となりましたが、
晩年は南武線の貨物列車を担当していましたが、
この辺はef52と
似た運命をたどったということではないでしょうか。
あと、ed10は西武鉄道に譲渡され、使われていました。
●ef52は欧米機のパクリではなかった。
引用先 https://www.pacific571.com/html/58_el01.html
ef52はアメリカから輸入した、ef51、ed19、ed10、ed11、ed14を
手本にして作られた車両ですから、外見がアメリカンスタイル
となっていますが、それでもその当時の鉄道省が民間企業
7社ともに作った本格的な国産の大型電気機関車でありました
から、その点は褒めていいのではないでしょうか。