2024年08月31日
ef14も使いにくい車両で本当に不運な車両だった。
引用先 https://ameblo.jp/yagoto-tetujin/entry-12842891604.html
ef54からギヤ比を変更した
ef14も使いにくい車両で本当に不運な車両だった。
●ef52の高速特化機のef54が貨物用の機関車になった理由。
引用先 https://ameblo.jp/glock132/entry-12521117047.html
ef52の高速特化機のef54が貨物用の機関車になったのは、戦時中に
貨物用の機関車が不足したということでした。
●ef14が登場した理由は貨物用の電気機関車が不足していたから。
引用先 https://railwayinmemory.sakura.ne.jp/HP045_EF14.html
ef52の高速特化機として作ったef54は太平洋戦争の終盤の
1944年に貨物用のef14に形式変更されましたが、
その理由は太平洋戦争が勃発したということもあり、
貨物輸送も民需より軍需を優先した関係ですが、
この当時の鉄道を巡る環境を見ていきますと1942年に
関門トンネルが開通しました。その関係でef10も増備されましたが、
新たに増備されたef10は関門トンネル用に作られたもので
それが門司機関区に移動したものですから、
貨物用の電気機関車も不足しました。
その関係で急客機のef57の一部の車両が貨物列車の
運用に入らざる得ない状況となりましたし、
ef54の元になったef52も1942年から1944年に
かけて国府津機関区に集結しましたから、
偶然にも旅客用のef52と貨物用のef14が一緒にいましたし、
ef12の戦時型でもあるef13については、
ef54がef14に変更になった1944年の時点で
ef13 1〜6、11だけが落成していましたが、
1944年の年末にはef13 11が水上機関区に移動しましたから
とにかく機関車が足りないという状況でした。
ちなみにef13ですが、残りの24両は戦後になってから
完成しました。
そんな状況であれば、使えるものは何でも使うという
流れになりますからef52を高速特化機として作ってみたのは
いいのだが、使い勝手が悪いef54に白羽の矢が立った
ということになります。
ちなみに旅客用の電気機関車から貨物用の電気機関車に
改造されたケースは、
ed19のケースがありましたが、ed19は仙山線
作並から山寺の間の区間が電化されたのはいいのですが、
国鉄が定めた路線の規格では丙線規格だったということで
重量の重い電気機関車は入線できないということで、
旅客用の電気機関車のed53がギヤ比を変更の上で
貨物用のed19となりましたが、これが結果的によかった
ということもあり、飯田線での活躍へとつながっていきました。
あと、戦後に作られた旅客用の電気機関車のef58がデッキ付きで
32〜34号機が貨物用のef18に改造されたケースもありましたが、
この場合はドッジライン政策の影響で旅客用の電気機関車が
制限されてしまったということで、ef58の32〜34までが
貨物用のef18になりましたが、
ef18は性能的にはef15と変わりがなかったということもあり
最盛期にはef15ともに共通の運用に入ることもありましたが、
旅客用の電気機関車旅客用の電気機関車が貨物用に改造されたのは
ef14を含めて3例しかありません。
じゃあ?ef14は実際にどうだったのかというと、貨物用に改造されて
からも活躍することはありませんが、その理由も戦前に作られた貨物用の
ef10と比べて発進時に空転が起きやすかったからですが、
ef14ですが改造された当初のギヤ比率は、ed16と同じ
1:4.77でしたから、ef10〜ef12とはギヤ比も異なれば
空転も起きてもおかしくないのではないでしょうか。
ef14ですが、ef10などと同じギヤ比になったのが
1951年のことでしたが、
ef10はef53を貨物用にした車両ですからef53と同様に使いやすい車両
ですからそれであれば乗務員の方がef14を嫌うのも納得できますし、
ef10からef12と比べてギヤ比も異なっていましたからなおさら乗務員の方からも
嫌われていたということになりますから、
それであればef54のまま使っていた方がよかったのではという
ことになるのではないでしょうか。
●ef14もとにかく不運な車両だった。
引用先 http://katte-kimama.twinstar.jp/railway/PassedOneShot/001.htm
ef54を改造して貨物用になったef14ですが、戦後は八王子機関区や
甲府機関区を転々と移動して中央線の旅客列車を担当していましたから、
冬場は暖房車も連結していたのではないでしょうか。
ちなみに中央線時代にはef52も一緒に使われていましたから、再び
同じ系列の機関車が集結したということでしたが、
そんなef14も今度は戦時型から車体の改装工事が終わったef13で
あったり、ed62の元になったed61が甲府機関区に配属された結果、
吹田第二機関区に転属するすることになりましたが、
最後は大阪駅構内での入れ替え機として使われることになりましたが
ef14もef54と同様に不運な機関車としか言いようがありませんが、
ef54は高速特化機として作ってみたら中途半端だったということでしたが
それを貨物用に転用したらさらに中途半端になってしまったのですから、
ef14も不運としか言いようがありません。
元となったef52は阪和線で貨物列車で活躍していましたから、同じグループから登場した
車両でありながらも性能が中途半端だったということで、
その後の運命が分かれてしまったというのですからef14も不運としか言いようがありませんが、
旅客用から改造されたef59は国鉄が分割民営化する前まで活躍していいたのですから
それから見るとef14は本当に不運が付きまとっていたということでした。
●ef14もef54と同様に中途半端な性能が最後まで災いした。
引用先 https://x.com/mrt_misutatei/status/1500239701503922178
ef52を高速機に特化したef54を貨物用に改造したef14もとにかく不運が
付きまとっていましたが、
ef54も性能的には中途半端だったことが、ef14にも引き継がれ、
その結果、ef14も中途半端な車両になってしまったということでした。