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2017年01月25日
「スッキリ暮らす片付け術」婦人公論の本 (編集)を読んで。
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あまり期待せず手にした本(ムック)でしたが、
婦人公論さんのムックだけあり、読み応えありました。
断捨離を読んだことがないのですが、
断捨離の著者と渡辺えりさんの対談があって、
断捨離について、誤解していたことが知れたのと、
片付け談義が、まるで心理カウンセリングのようで、興味深かったです。
よく実家片付けの難しさが取り上げられていますが、
体力低下を招く”老後”前に備えておきたいこと満載の
2世代が参考にできる片付けムック本でした。
2017年01月15日
「火花」又吉直樹(著)を読んで。
http://amzn.to/2iVO9Sc
情景を思い浮かべながら読み進める本は
久々だったため、楽しめました。
心がざわざわしているときは、
そういう本は集中して読めないと思っていましたが、
眠れなくて、読み始めて集中してきたら、
面白くなってきて、先が知りたくなってくるので、
そうしているうちに、ざわざわは静まってきました。
普段読む気が起きなくても、
小説だったり文学を、
枕元に1冊、常備しておくのは、ありかもしれないと思いました。
タグ:又吉直樹
2017年01月05日
「ネコになってしまえばいい」心屋仁之助(箸)を読んで。
http://amzn.to/2heYZRa
風刺の効いたフォトエッセイ、のようなフォトブックです。
パンチが効いているコメントもありますが、笑えます。
いろいろな猫の写真もたまりません。
猫達に癒されまくります。
タグ:心屋仁之助
2016年12月31日
「がんばらない成長論」心屋仁之助(著)の備忘録#5
http://amzn.to/2gWk7Mn
以下、刺さった(残った)ことの抜粋&備忘録。
◆人の期待にこたえられないと「 えらいこと 」になるのではありません。
自分の優先順位を間違えたときこそ、本当に「 えらいこと 」になるのです。
◆相手の期待なんて考えず、自分の好きでやったことなら、「 〜のに 」とは思いません。
全力を費やすのも、労力を費やすのも、
すべては自分がやりたいかどうか、楽しめるかどうか。
大切なのは、それだけです。
◆私、すごいので…この前提を置きながら、
今まで 「 すごくない前提 」 で必死にがんばっていたことを、
一つひとつやめていってください。
◆かつては人の遅刻などが許せなかったのですが、
自分が周囲に迷惑をかけはじめたとたん、
「 いいよ、いいよ〜 」 と言えるようになりました。
◆細かい 「 自己ルール 」 に周囲をはめこもうとするほど、
許せない人の数も多く、(自分の中の)正義の味方がフル活動。
◆自分にも周囲にもゆるゆるの甘々になってくると、
何でも許せるようになってきて、
かつては絶対に自分の器に入れたくなかった人までもが、
すっぽりと収まるようになります。
◆自分の器を広げることで、
できない自分、小さい自分、ダメな部分もたくさんある自分のことすら、
許せるようになります。
◆幸せになれる成長とは
「 何かができるようになること 」
ではなく、
「 自分の器を広げること 」 「 許すこと 」。
◆今まで問題視してきたことって、そもそも本当に問題だったのでしょうか?
◆今の自分は自由で幸せ。
それを嫌う人に好かれようとする必要などありません。
◆大切なのは、うまくいけばうれしいけれど、
うまくいかなくても、自分という存在はこれっぽっちも損なわれない、という自信。
タグ:心屋仁之助
2016年12月30日
「がんばらない成長論」心屋仁之助(著)の備忘録#4
http://amzn.to/2gWk7Mn
以下、引用&備忘録。
◆自分を幸せにしてくれない根拠(実績)に、ありがたみなどない。
◆現実が気に入らないのであれば、
現状の自分、その思考、その行動を変える必要があるのです。
その大きな一つが 「 断る 」 「 わがままになる 」
◆自分を見ても周囲を見ても
心のあり方が変わると、実際に現実も変わってくる気がするのです。
◆迷惑をかけないように頑張ると、他人に感謝を強要するようになる。
◆迷惑をかけまいとして、なんでも一人でやろうとする人は、周囲を信用していない。
だから頼ったり迷惑をかけたりすることが怖く、
自分が迷惑をかけられると怒り出す。
↑ 正直、耳が痛かったです。
◆1人で頑張っている姿は一見、謙虚ですが、実はおこがましい。
周囲に向かって
「 あなたたちは信用できません 」 「 あなたたちは役に立ちません 」
と言っているのと一緒です。
◆人を頼って初めて、迷惑をかけて初めて、心からの感謝が生まれる。
◆「 成長できた 」 という根拠を集めている人
「 あれもこれも全部自分でやったんだ 」 という気持ちがつねにあるので、
周囲への感謝の念も生まれにくく、手柄をひとりじめしがち。
= 感謝されたがり。
◆感謝している人、本当に謙虚な人とは、 人に頼り、甘えている人。
だから、腰も低く、 堂々としている。
_____
私なりの解釈ですが、
人を頼って、心からの感謝がうまれる筆者だからこそ、豊かになりましたが、
例え同じことをしたとしても、
心からの感謝がうまれない人は、人を頼っても豊かにはなれないのではないか、
という疑問が残りました。
筆者はこれまでの苦労があったからこそ、
感謝が自然と湧き出てくるのではないか、と。
…違うのかな?
自分もそうありたいです。
タグ:心屋仁之助
2016年12月29日
「がんばらない成長論」心屋仁之助(著)の備忘録#3
http://amzn.to/2gWk7Mn
以下、引用&備忘録。
◆大丈夫と思えるレベルが高い
合格点を高く設定している人ほど、自分を一向に認められずに苦しむ。
↑ 神田うのさんの著書でも
似たようなこと、おっしゃっていたのを思い出しました。
→ http://amzn.to/2hhlBSD
◆ちっぽけな自分を認めたくないという気持ち
裏側には見栄や意地、希望がぐちゃぐちゃ
◆「 今の自分を認めるために高い目標を設定すること 」 と、
「 今の自分を認めている人が、高い目標を設定すること 」 は全く違う。
◆「 成長したい 」「 向上したい 」の裏側
つねに 「 ダメな自分 」 の 「 前提 」 がある。
なので、向上心など、捨ててしまえ。
◆「 自己否定 」 を頑張ることのエネルギーとしない。
「 がんばらない成長 」とは、自己肯定から始まるもの。
◆誰でも自己否定している限りは、みずから成長を拒否しているも同然
◆「 できること(武器) 」 を増やすのではなく、
「 したいこと(好き) 」 をするほど、成長できる。
◆人からの評価(実績)ではなく、その人自身の幸せを生んでいる心持ちを真似る。
◆自分を低く見積もるのはやめにしましょう。
タグ:心屋仁之助
2016年12月28日
「がんばらない成長論」心屋仁之助(著)の備忘録#2
http://amzn.to/2gWk7Mn
以下、引用&備忘録。
◆がんばって得た評価は、背伸びして得た評価
そのキャラをはずせないと、
ずっと 「 つま先立ち 」 しなくてはいけない。
「 できる人 」 の評価が確立すると、
「 すごい人 」 ではなく、
「 当たり前にできる人 」 = 「 便利な人 」
→ 「 がんばっても、報われない。 」 の悪循環。
◆幸せな成功者ほど、ゆるゆるに緩んでいる。
◆ストイックにがんばる人、切れ者といわれる人は、
いったんは上り詰めても、その後、急下降してしまう。
※成長そのものを否定しているのではなく、
「 できる人 」を目指した成長ではなく、
「 ありのままの自分 」でいられる成長
= 「 びっくりするほどの成長 」を遂げるにはどうしたらいいか、の話。
◆「 成績がよくて感じの悪い人 」 より 「 成績が悪くても感じのいい人 」
一生懸命頑張って業績を上げることは 「 外側の成長 」。
一方、自分という人間は15点でも大丈夫と思えるようになることは 「 内側の成長 」。
たとえ業績が15点でも、
卑屈にならず、楽しく、
周囲ともいい感じで仕事をしているのなら、
その人の方が上に立つにふさわしいと言えます。
外側は15点でも、内側は120点なのです。
_______________
自分の嫉妬のからくりは、正にここにあったような気がします。
たまたま頑張って成果を出せた時、
持ち上げられていたのは、成果を出していない人。
= 頑張っている(と思っていた)自分から見ると、
全然頑張っていないように見える人が大切にされている。
頑張れば頑張る程、やってらんない思いが大きくなり
屈折した感情が生まれるようになりました。
実際に、なまけているかどうか、ではなくて、
自分の基準からみて、怠けているようにみえるのに、持ち上げられている人と、
その環境に、憤りを覚えていたと思います。
頑張っている(と思っている)自分だけ、損をしているような気になり、
頑張ることが馬鹿らしくなってきて、
だったらやめればいいのに、それもせず、
ふてくされながら頑張る、といった不気味な具合になっていたと思います。
そんな屈折した日々を送っていたとき、
「 1人だけ馬鹿みたいに頑張っているなら、
逆に周りは迷惑してるんじゃないの? 」
と指摘されたことで、
ひょっとして、独りよがりなことしているのか?と
はじめて振り返りました。
その後、自分の不得意分野の仕事をして
全く成果が出せず、
卑屈になったとき、
指摘されたことを実感することとなりました。
…今まで無意識のうちに、得意気な行動をしてしまっていたのではないか、
それがなんと愚かしかったことか、と。
同時に、すぐ卑屈になってしまう自分に対して、
卑屈にならずにいられる精神力の持ち主の尊さを
思い知ることとなりました。
タグ:心屋仁之助
2016年12月27日
「がんばらない成長論」心屋仁之助(著)の備忘録#1
http://amzn.to/2gWk7Mn
以下、引用&備忘録。
◆自己否定成長と自己肯定成長
スタート地点が
「 自分には何かが足りない → 成長しなければ 」
このような過去否定・現在否定からはじまる成長には、いずれ限界がくる。
終わりが見えず、苦しみが続く。
…なので、成長する努力を、全部、やめてみる。
「 自分は、すでに十分足りている 」 のだから。
◆成長しなくては、と思うほど、身近なこと・大切な人がおざなりになりがち。
◆自己肯定後、人生に対する姿勢が緩んだら、豊かになってきた。
「 がんばってやってきて、今、こんなもの。
…なら、こんなもので、もう、いいんじゃないか? 」
そう思えた後、変化が起こった。
時間的・身体的に余裕が生まれ、経済的にさらに豊かになった。
◆「 がんばりが足りない 」 = じつは 「 逃げの言葉 」
成績が同じくらいなのに
片方だけが持ち上げられるのは、人として魅力的だから。
これを受け入れられず、
「 がんばりが足りなかった。 運がなかった。 上司の見る目がなかった。
…だからもっと頑張ろう。 」
自分の人間的な魅力を後回しにして
全部「 がんばりの量 」のせいにして、自分と他人を否定して納得する
= 「 逃げ 」
自分をまるごと受け入れられない = 屈折した心のあり方になってしまいがち。
「 がんばりが足りないこと 」 = 「 自分と向き合うことから逃げるための隠れ蓑 」
◆心理のメカニズム
自分の魅力や能力のなさを認めるのが怖いと、
「 わざとがんばらない 」 こともある。
それに比べ 「 好き 」 でやっていることは、
楽しいので 「 がんばっている 」 という自覚なしにみるみる上達する。
_____
自分なりの落としどころとして、
「 反省はしても自己否定はしない。 」
今まで、
反省しているつもりが、
自己否定になってしまっていたので、
何回も何回も同じ失敗を繰り返しているのではないか、と
これを書いている最中に気付きました。
自己否定することが、
禊みたいなもので、
反省した気分になって、自己否定による自己満足どまりだったのではないか、と。
きちんと分析して、
どこの何がいけなかったのか、振り返りができていなかったように感じるので、
同じ失敗ばかり繰り返していたかもしれません。
自己否定と反省を、
きっちり分けて考える必要性を感じてきました。
タグ:心屋仁之助
2016年12月26日
「がんばらない成長論」を読んでからのアウトプット。
今のままでいいわけがないと
わかっていながら、
その直後だったら、
読む気力さえありませんでしたが、
時間が気力を回復させてくれた頃、
絶妙なタイミングで手にした本です。
http://amzn.to/2gWk7Mn
この本の内容が、すんなり入ってきたのは、
二度目の指摘だったからかもしれません。
一度目は、
同じような内容を、違う言葉・表現で、
治療をしていただいていた鍼灸師の先生から受けていました。
頭では理解できたつもりでいましたが、
理解できることと、実行できることは違うと思っていましたが、
実行できない、ということは、
真に理解できていない = 深層心理では理解したくない
ということなのかな、と
この本を読んで、改めて思いました。
自分で痛い目に合うまでは、
真剣に取り組めないのかもしれません。
↑
「 真剣に取り組む 」 というのもまた、
心屋氏のおっしゃる新・成長論とは違うのかもしれませんが。
ここで心屋氏のおっしゃっていることは、
成長するために頑張れば、
ある程度のところまでは行けるが、
ある程度を超えたところ(ex.月5日労働で年収1千万等)へ行くには
頑張らないこと = 頑張ることをやめること = 好きなことしかしないこと
といったことを、ご自身の体験から語っておられます。
そこだけ読むと、なんだそりゃ、という感じですが、
そのからくりについて、
じっくりと1冊かけて、説明されています。
鍼灸師の先生から指摘されていたことは、
大雑把に言うと、
頭でっかち・損得勘定で計算して、
やりたくない嫌いなことを怒りながらやり続けてしまう人は
頭に血が上りやすく、体調を悪化させやすい、といったことでした。
例え、好きなこと・嫌いではないことでも、
楽しんでやれる範疇で終わらせればいいのに、
いつしかムキになって競争のようにやってしまう、
こういったことを続けるのも体調悪化の一因になると指摘されていました。
言葉は違えど、
心屋さんと言っていることは同じ類のことのように思えたのです。
わかっていながら、
その直後だったら、
読む気力さえありませんでしたが、
時間が気力を回復させてくれた頃、
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二度目の指摘だったからかもしれません。
一度目は、
同じような内容を、違う言葉・表現で、
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頭では理解できたつもりでいましたが、
理解できることと、実行できることは違うと思っていましたが、
実行できない、ということは、
真に理解できていない = 深層心理では理解したくない
ということなのかな、と
この本を読んで、改めて思いました。
自分で痛い目に合うまでは、
真剣に取り組めないのかもしれません。
↑
「 真剣に取り組む 」 というのもまた、
心屋氏のおっしゃる新・成長論とは違うのかもしれませんが。
ここで心屋氏のおっしゃっていることは、
成長するために頑張れば、
ある程度のところまでは行けるが、
ある程度を超えたところ(ex.月5日労働で年収1千万等)へ行くには
頑張らないこと = 頑張ることをやめること = 好きなことしかしないこと
といったことを、ご自身の体験から語っておられます。
そこだけ読むと、なんだそりゃ、という感じですが、
そのからくりについて、
じっくりと1冊かけて、説明されています。
鍼灸師の先生から指摘されていたことは、
大雑把に言うと、
頭でっかち・損得勘定で計算して、
やりたくない嫌いなことを怒りながらやり続けてしまう人は
頭に血が上りやすく、体調を悪化させやすい、といったことでした。
例え、好きなこと・嫌いではないことでも、
楽しんでやれる範疇で終わらせればいいのに、
いつしかムキになって競争のようにやってしまう、
こういったことを続けるのも体調悪化の一因になると指摘されていました。
言葉は違えど、
心屋さんと言っていることは同じ類のことのように思えたのです。
タグ:心屋仁之助