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2017年01月18日
2017年01月15日
「火花」又吉直樹(著)を読んで。
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情景を思い浮かべながら読み進める本は
久々だったため、楽しめました。
心がざわざわしているときは、
そういう本は集中して読めないと思っていましたが、
眠れなくて、読み始めて集中してきたら、
面白くなってきて、先が知りたくなってくるので、
そうしているうちに、ざわざわは静まってきました。
普段読む気が起きなくても、
小説だったり文学を、
枕元に1冊、常備しておくのは、ありかもしれないと思いました。
タグ:又吉直樹
2017年01月09日
2017年01月05日
「ネコになってしまえばいい」心屋仁之助(箸)を読んで。
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風刺の効いたフォトエッセイ、のようなフォトブックです。
パンチが効いているコメントもありますが、笑えます。
いろいろな猫の写真もたまりません。
猫達に癒されまくります。
タグ:心屋仁之助
2016年12月31日
「がんばらない成長論」心屋仁之助(著)の備忘録#5
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以下、刺さった(残った)ことの抜粋&備忘録。
◆人の期待にこたえられないと「 えらいこと 」になるのではありません。
自分の優先順位を間違えたときこそ、本当に「 えらいこと 」になるのです。
◆相手の期待なんて考えず、自分の好きでやったことなら、「 〜のに 」とは思いません。
全力を費やすのも、労力を費やすのも、
すべては自分がやりたいかどうか、楽しめるかどうか。
大切なのは、それだけです。
◆私、すごいので…この前提を置きながら、
今まで 「 すごくない前提 」 で必死にがんばっていたことを、
一つひとつやめていってください。
◆かつては人の遅刻などが許せなかったのですが、
自分が周囲に迷惑をかけはじめたとたん、
「 いいよ、いいよ〜 」 と言えるようになりました。
◆細かい 「 自己ルール 」 に周囲をはめこもうとするほど、
許せない人の数も多く、(自分の中の)正義の味方がフル活動。
◆自分にも周囲にもゆるゆるの甘々になってくると、
何でも許せるようになってきて、
かつては絶対に自分の器に入れたくなかった人までもが、
すっぽりと収まるようになります。
◆自分の器を広げることで、
できない自分、小さい自分、ダメな部分もたくさんある自分のことすら、
許せるようになります。
◆幸せになれる成長とは
「 何かができるようになること 」
ではなく、
「 自分の器を広げること 」 「 許すこと 」。
◆今まで問題視してきたことって、そもそも本当に問題だったのでしょうか?
◆今の自分は自由で幸せ。
それを嫌う人に好かれようとする必要などありません。
◆大切なのは、うまくいけばうれしいけれど、
うまくいかなくても、自分という存在はこれっぽっちも損なわれない、という自信。
タグ:心屋仁之助
2016年12月30日
「がんばらない成長論」心屋仁之助(著)の備忘録#4
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以下、引用&備忘録。
◆自分を幸せにしてくれない根拠(実績)に、ありがたみなどない。
◆現実が気に入らないのであれば、
現状の自分、その思考、その行動を変える必要があるのです。
その大きな一つが 「 断る 」 「 わがままになる 」
◆自分を見ても周囲を見ても
心のあり方が変わると、実際に現実も変わってくる気がするのです。
◆迷惑をかけないように頑張ると、他人に感謝を強要するようになる。
◆迷惑をかけまいとして、なんでも一人でやろうとする人は、周囲を信用していない。
だから頼ったり迷惑をかけたりすることが怖く、
自分が迷惑をかけられると怒り出す。
↑ 正直、耳が痛かったです。
◆1人で頑張っている姿は一見、謙虚ですが、実はおこがましい。
周囲に向かって
「 あなたたちは信用できません 」 「 あなたたちは役に立ちません 」
と言っているのと一緒です。
◆人を頼って初めて、迷惑をかけて初めて、心からの感謝が生まれる。
◆「 成長できた 」 という根拠を集めている人
「 あれもこれも全部自分でやったんだ 」 という気持ちがつねにあるので、
周囲への感謝の念も生まれにくく、手柄をひとりじめしがち。
= 感謝されたがり。
◆感謝している人、本当に謙虚な人とは、 人に頼り、甘えている人。
だから、腰も低く、 堂々としている。
_____
私なりの解釈ですが、
人を頼って、心からの感謝がうまれる筆者だからこそ、豊かになりましたが、
例え同じことをしたとしても、
心からの感謝がうまれない人は、人を頼っても豊かにはなれないのではないか、
という疑問が残りました。
筆者はこれまでの苦労があったからこそ、
感謝が自然と湧き出てくるのではないか、と。
…違うのかな?
自分もそうありたいです。
タグ:心屋仁之助
2016年12月29日
「がんばらない成長論」心屋仁之助(著)の備忘録#3
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以下、引用&備忘録。
◆大丈夫と思えるレベルが高い
合格点を高く設定している人ほど、自分を一向に認められずに苦しむ。
↑ 神田うのさんの著書でも
似たようなこと、おっしゃっていたのを思い出しました。
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◆ちっぽけな自分を認めたくないという気持ち
裏側には見栄や意地、希望がぐちゃぐちゃ
◆「 今の自分を認めるために高い目標を設定すること 」 と、
「 今の自分を認めている人が、高い目標を設定すること 」 は全く違う。
◆「 成長したい 」「 向上したい 」の裏側
つねに 「 ダメな自分 」 の 「 前提 」 がある。
なので、向上心など、捨ててしまえ。
◆「 自己否定 」 を頑張ることのエネルギーとしない。
「 がんばらない成長 」とは、自己肯定から始まるもの。
◆誰でも自己否定している限りは、みずから成長を拒否しているも同然
◆「 できること(武器) 」 を増やすのではなく、
「 したいこと(好き) 」 をするほど、成長できる。
◆人からの評価(実績)ではなく、その人自身の幸せを生んでいる心持ちを真似る。
◆自分を低く見積もるのはやめにしましょう。
タグ:心屋仁之助
2016年12月28日
「がんばらない成長論」心屋仁之助(著)の備忘録#2
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以下、引用&備忘録。
◆がんばって得た評価は、背伸びして得た評価
そのキャラをはずせないと、
ずっと 「 つま先立ち 」 しなくてはいけない。
「 できる人 」 の評価が確立すると、
「 すごい人 」 ではなく、
「 当たり前にできる人 」 = 「 便利な人 」
→ 「 がんばっても、報われない。 」 の悪循環。
◆幸せな成功者ほど、ゆるゆるに緩んでいる。
◆ストイックにがんばる人、切れ者といわれる人は、
いったんは上り詰めても、その後、急下降してしまう。
※成長そのものを否定しているのではなく、
「 できる人 」を目指した成長ではなく、
「 ありのままの自分 」でいられる成長
= 「 びっくりするほどの成長 」を遂げるにはどうしたらいいか、の話。
◆「 成績がよくて感じの悪い人 」 より 「 成績が悪くても感じのいい人 」
一生懸命頑張って業績を上げることは 「 外側の成長 」。
一方、自分という人間は15点でも大丈夫と思えるようになることは 「 内側の成長 」。
たとえ業績が15点でも、
卑屈にならず、楽しく、
周囲ともいい感じで仕事をしているのなら、
その人の方が上に立つにふさわしいと言えます。
外側は15点でも、内側は120点なのです。
_______________
自分の嫉妬のからくりは、正にここにあったような気がします。
たまたま頑張って成果を出せた時、
持ち上げられていたのは、成果を出していない人。
= 頑張っている(と思っていた)自分から見ると、
全然頑張っていないように見える人が大切にされている。
頑張れば頑張る程、やってらんない思いが大きくなり
屈折した感情が生まれるようになりました。
実際に、なまけているかどうか、ではなくて、
自分の基準からみて、怠けているようにみえるのに、持ち上げられている人と、
その環境に、憤りを覚えていたと思います。
頑張っている(と思っている)自分だけ、損をしているような気になり、
頑張ることが馬鹿らしくなってきて、
だったらやめればいいのに、それもせず、
ふてくされながら頑張る、といった不気味な具合になっていたと思います。
そんな屈折した日々を送っていたとき、
「 1人だけ馬鹿みたいに頑張っているなら、
逆に周りは迷惑してるんじゃないの? 」
と指摘されたことで、
ひょっとして、独りよがりなことしているのか?と
はじめて振り返りました。
その後、自分の不得意分野の仕事をして
全く成果が出せず、
卑屈になったとき、
指摘されたことを実感することとなりました。
…今まで無意識のうちに、得意気な行動をしてしまっていたのではないか、
それがなんと愚かしかったことか、と。
同時に、すぐ卑屈になってしまう自分に対して、
卑屈にならずにいられる精神力の持ち主の尊さを
思い知ることとなりました。
タグ:心屋仁之助
2016年12月27日
「がんばらない成長論」心屋仁之助(著)の備忘録#1
http://amzn.to/2gWk7Mn
以下、引用&備忘録。
◆自己否定成長と自己肯定成長
スタート地点が
「 自分には何かが足りない → 成長しなければ 」
このような過去否定・現在否定からはじまる成長には、いずれ限界がくる。
終わりが見えず、苦しみが続く。
…なので、成長する努力を、全部、やめてみる。
「 自分は、すでに十分足りている 」 のだから。
◆成長しなくては、と思うほど、身近なこと・大切な人がおざなりになりがち。
◆自己肯定後、人生に対する姿勢が緩んだら、豊かになってきた。
「 がんばってやってきて、今、こんなもの。
…なら、こんなもので、もう、いいんじゃないか? 」
そう思えた後、変化が起こった。
時間的・身体的に余裕が生まれ、経済的にさらに豊かになった。
◆「 がんばりが足りない 」 = じつは 「 逃げの言葉 」
成績が同じくらいなのに
片方だけが持ち上げられるのは、人として魅力的だから。
これを受け入れられず、
「 がんばりが足りなかった。 運がなかった。 上司の見る目がなかった。
…だからもっと頑張ろう。 」
自分の人間的な魅力を後回しにして
全部「 がんばりの量 」のせいにして、自分と他人を否定して納得する
= 「 逃げ 」
自分をまるごと受け入れられない = 屈折した心のあり方になってしまいがち。
「 がんばりが足りないこと 」 = 「 自分と向き合うことから逃げるための隠れ蓑 」
◆心理のメカニズム
自分の魅力や能力のなさを認めるのが怖いと、
「 わざとがんばらない 」 こともある。
それに比べ 「 好き 」 でやっていることは、
楽しいので 「 がんばっている 」 という自覚なしにみるみる上達する。
_____
自分なりの落としどころとして、
「 反省はしても自己否定はしない。 」
今まで、
反省しているつもりが、
自己否定になってしまっていたので、
何回も何回も同じ失敗を繰り返しているのではないか、と
これを書いている最中に気付きました。
自己否定することが、
禊みたいなもので、
反省した気分になって、自己否定による自己満足どまりだったのではないか、と。
きちんと分析して、
どこの何がいけなかったのか、振り返りができていなかったように感じるので、
同じ失敗ばかり繰り返していたかもしれません。
自己否定と反省を、
きっちり分けて考える必要性を感じてきました。
タグ:心屋仁之助