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2018年11月14日
第6話 母の病気
第6話 母の病気
もう佐々木病院には帰さないことにした。佐々木病院はアパートのようなもので、糖尿病だというのに、食べ物は隣の足を折ったおばさんと同じ食事になっている。ベッドの横にあるテレビなどを置くキャビネットの上には、清涼飲料水が何本もおいてあるのに、看護士はなんともいわない。今日はポカリなので、おいしかった石川さん?って看護士が言っている。なんということか。清涼飲料水ほど糖分がいっぱい入っているものはないはずなのに、まったく気に留める節はない。田舎の病院とはこんなものだとはわかっていたが、このままだと殺されるために病院に入れているようなもので、佐々木病院の収入増のために協力していることになる。そんな義理はないと思って、決断することにした。父は近所の手前もあり気分はよくないだろうが、こうすることが母親に最後にしてやれる孝行だと思って、決断することにした。実際、2〜3日前に、母の顔が歪んでいたのを看護士に報告し、医者によく診てくれるように頼んでおいたのだが、それもだめだった。もちろんこちらが、直接医師に会って、頼まなかったのが悪いのだとはわかっているが、それでも許せないという気持ちが強いのはやはり自分もエゴの塊なのだろう。そのとき、看護士に血糖値はどのくらいですかと聞いたが、看護士は300くらいなので、ちょっとおかしいってところもあるかもしれない、と他人事で全く気にとめていなかった。300という数字がどのくらいの大変な数字かという認識が看護士にはないのだ。田舎の看護士でもそのくらいの認識は持ってほしい。いや、持つべきだ。これはまさに犯罪である。糖尿病の患者に食事療法はしないうえに清涼飲料水は飲ませ放題飲ませ、血糖値が高いことが認識できないということは、病院として機能していないといっても過言ではない。
「先生、せっかく佐々木病院に帰っていいといわれたのですが、もう少し吉田病院においてもらえないでしょうか?もう少し安定するまでおいてもらえたらありがたいのですが。」僕は恐る恐るという印象を強く醸し出すように母親の主治医の川本先生に切り出した。
「あぁ、えぇ。」川本先生は口ごもって、驚きの口調であった。「佐々木病院の方からベッドが空いたという連絡もありましたし、左半身の麻痺も驚異的に回復しているので、佐々木病院のほうに帰ってもいいと思っていたのですが・・・。普通はこんなに麻痺が回復することは稀だといってもいいくらい、よく動くようになっていますね。こちらにこられたときは左手がまったく動かなかったですからね。それに比べたら、よく動くようになっていますし、これ以上は回復することは期待しないほうがいいかもしれませんね、そのくらいよく回復していますからね。」
「はい、おかげさまで、わたしも先ほど見てびっくりしました。こちらに来たときに見たときは、もうだめだと思いました。首は右にゆがんで戻りませんでしたし、目も右に攣っていましたし、声をかけても全くっていっていいくらい反応しませんでしたから。これもちゃんと治療してもらったからだと、本当に感謝しています。ただ、まだ、よくなったとはいえ、あれから1週間しかたっていませんので、もう少しおいてもらって、その間にじっくり治療してもらえるところを探してみようと思っているのです。」中途半端な言い方をすると、佐々木病院に戻すという方向に話がいってはいけないと思いつつ、だからといってあまり露骨な批判的な言い方にならないようにと思いながら、言葉を選びながら言った。「家族とよく相談したのですが、もう少し様子を見るためにも、こちらの病院で診てもらえたらありがたいのだということを話し合っているのですが。」自分でわざと言葉が文法的に正しくない文にしていると思いながら、調子もしどろもどろの感じをなるべく出しながら、いった。「母は先生もご存知のように、心臓の手術をしましたし、股関節に問題を抱えていますし、腰のことで足が思うように動きませんし、複合的に病んでいますので、出来れば総合的に治療をしてもらえる病院がいいだろうと、家族では話し合って、結論に達したのですが・・・。素人ですから、よくわからないのですが、母も長くはないでしょうから、家族のものとしては、出来るだけのことはしてやりたいと思っているんです。佐々木病院の先生は外科の先生ですので、母の複合的な病気を考えますと、しばらく、先生のところにおいて、診ていただけないかと希望しているのですが・・・」なるべく、診てくださいといった、断定的に言い回しにならないように、文章を終わらせないようにと気を配りながら話した。
「あぁ、そうですか。それでも・・・そうですか?ぁあ。もう・・・」と川本先生は言葉が作れないくらいだった。それでも医者の間の連携意識は強いのだろう。佐々木病院から転院してきたとき、看護士に佐々木病院での治療に不満があるというニュアンスのことを、問診のときに伝えておいたことが、川本医師から出てきた。「心臓の治療をしていても、脳梗塞になることはありますからね。」私はその言葉に少しむっときて、「ワーファリンを使っていると、普通の人より血の濃度が低いはずだと思っていましたが、こんなこともあるんですね。私は本当にびっくりしているんです。しかも、口が歪むという症状が発作の2〜3日前に出ていたのにですね。私としては残念だって気持ちがあるんです、実は。でも、素人ですから、・・・」なるべく申し訳ないという感じを出しながら話をしようと思っていた気持ちが少し薄れてきているなということを自分では感じながら、口を滑らせてしまった。
「口が歪んでいても、それで全部脳梗塞になっているって訳ではないですからね。急いで開けてみても、どこが詰まっているかわからなかったりするんですよ。脳の中は複雑でなかなか外からはわからないし、中からもよくわかりませんからね。」一般的な言い訳をしているなと思いながら、これ以上攻めることに意味はないと思って、「そうですね。ほんとうに。」といってごまかしてしまった。川本先生は更に、「心臓の治療の薬を飲んでいる人も、全然脳梗塞にならないかといったら、そんなことはありませんからね。中にはなる人もいるんですよ。」とまた、医者の連帯感をにじませてくれた。こんなものだろう。世の中は。自分でも同じことを言ったりしたりするだろうと思いながら、はぁ、はぁと繰り返しておいた。それでも、一通り、こちらの説明、お願いを繰り返し、医師側の説明と言い訳に後、結論はもう少し置いてくれることになった。そして、川本先生は「わかりました。それでは佐々木病院のほうには連絡を取っておきますから。」と親切に言ってくれたが、佐々木病院に帰りたくないということは、十分に理解したようで、「でも、なかなか病院は空いていませんよ、今は、なかなか、探すのは大変ですよ。」といった。川本先生にしては、精一杯の不満の言葉だったのだろう。
こうして母は数日吉田病院においてもらえることになった。そして、僕の戦争の日々がいよいよその後始まるのだった。半分は覚悟していたが、半分は、これは大変なことになるなという気持ちでいっぱいだった。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。コメントなどありましたら、お願いします。また、ご訪問下されば幸いです。
もう佐々木病院には帰さないことにした。佐々木病院はアパートのようなもので、糖尿病だというのに、食べ物は隣の足を折ったおばさんと同じ食事になっている。ベッドの横にあるテレビなどを置くキャビネットの上には、清涼飲料水が何本もおいてあるのに、看護士はなんともいわない。今日はポカリなので、おいしかった石川さん?って看護士が言っている。なんということか。清涼飲料水ほど糖分がいっぱい入っているものはないはずなのに、まったく気に留める節はない。田舎の病院とはこんなものだとはわかっていたが、このままだと殺されるために病院に入れているようなもので、佐々木病院の収入増のために協力していることになる。そんな義理はないと思って、決断することにした。父は近所の手前もあり気分はよくないだろうが、こうすることが母親に最後にしてやれる孝行だと思って、決断することにした。実際、2〜3日前に、母の顔が歪んでいたのを看護士に報告し、医者によく診てくれるように頼んでおいたのだが、それもだめだった。もちろんこちらが、直接医師に会って、頼まなかったのが悪いのだとはわかっているが、それでも許せないという気持ちが強いのはやはり自分もエゴの塊なのだろう。そのとき、看護士に血糖値はどのくらいですかと聞いたが、看護士は300くらいなので、ちょっとおかしいってところもあるかもしれない、と他人事で全く気にとめていなかった。300という数字がどのくらいの大変な数字かという認識が看護士にはないのだ。田舎の看護士でもそのくらいの認識は持ってほしい。いや、持つべきだ。これはまさに犯罪である。糖尿病の患者に食事療法はしないうえに清涼飲料水は飲ませ放題飲ませ、血糖値が高いことが認識できないということは、病院として機能していないといっても過言ではない。
「先生、せっかく佐々木病院に帰っていいといわれたのですが、もう少し吉田病院においてもらえないでしょうか?もう少し安定するまでおいてもらえたらありがたいのですが。」僕は恐る恐るという印象を強く醸し出すように母親の主治医の川本先生に切り出した。
「あぁ、えぇ。」川本先生は口ごもって、驚きの口調であった。「佐々木病院の方からベッドが空いたという連絡もありましたし、左半身の麻痺も驚異的に回復しているので、佐々木病院のほうに帰ってもいいと思っていたのですが・・・。普通はこんなに麻痺が回復することは稀だといってもいいくらい、よく動くようになっていますね。こちらにこられたときは左手がまったく動かなかったですからね。それに比べたら、よく動くようになっていますし、これ以上は回復することは期待しないほうがいいかもしれませんね、そのくらいよく回復していますからね。」
「はい、おかげさまで、わたしも先ほど見てびっくりしました。こちらに来たときに見たときは、もうだめだと思いました。首は右にゆがんで戻りませんでしたし、目も右に攣っていましたし、声をかけても全くっていっていいくらい反応しませんでしたから。これもちゃんと治療してもらったからだと、本当に感謝しています。ただ、まだ、よくなったとはいえ、あれから1週間しかたっていませんので、もう少しおいてもらって、その間にじっくり治療してもらえるところを探してみようと思っているのです。」中途半端な言い方をすると、佐々木病院に戻すという方向に話がいってはいけないと思いつつ、だからといってあまり露骨な批判的な言い方にならないようにと思いながら、言葉を選びながら言った。「家族とよく相談したのですが、もう少し様子を見るためにも、こちらの病院で診てもらえたらありがたいのだということを話し合っているのですが。」自分でわざと言葉が文法的に正しくない文にしていると思いながら、調子もしどろもどろの感じをなるべく出しながら、いった。「母は先生もご存知のように、心臓の手術をしましたし、股関節に問題を抱えていますし、腰のことで足が思うように動きませんし、複合的に病んでいますので、出来れば総合的に治療をしてもらえる病院がいいだろうと、家族では話し合って、結論に達したのですが・・・。素人ですから、よくわからないのですが、母も長くはないでしょうから、家族のものとしては、出来るだけのことはしてやりたいと思っているんです。佐々木病院の先生は外科の先生ですので、母の複合的な病気を考えますと、しばらく、先生のところにおいて、診ていただけないかと希望しているのですが・・・」なるべく、診てくださいといった、断定的に言い回しにならないように、文章を終わらせないようにと気を配りながら話した。
「あぁ、そうですか。それでも・・・そうですか?ぁあ。もう・・・」と川本先生は言葉が作れないくらいだった。それでも医者の間の連携意識は強いのだろう。佐々木病院から転院してきたとき、看護士に佐々木病院での治療に不満があるというニュアンスのことを、問診のときに伝えておいたことが、川本医師から出てきた。「心臓の治療をしていても、脳梗塞になることはありますからね。」私はその言葉に少しむっときて、「ワーファリンを使っていると、普通の人より血の濃度が低いはずだと思っていましたが、こんなこともあるんですね。私は本当にびっくりしているんです。しかも、口が歪むという症状が発作の2〜3日前に出ていたのにですね。私としては残念だって気持ちがあるんです、実は。でも、素人ですから、・・・」なるべく申し訳ないという感じを出しながら話をしようと思っていた気持ちが少し薄れてきているなということを自分では感じながら、口を滑らせてしまった。
「口が歪んでいても、それで全部脳梗塞になっているって訳ではないですからね。急いで開けてみても、どこが詰まっているかわからなかったりするんですよ。脳の中は複雑でなかなか外からはわからないし、中からもよくわかりませんからね。」一般的な言い訳をしているなと思いながら、これ以上攻めることに意味はないと思って、「そうですね。ほんとうに。」といってごまかしてしまった。川本先生は更に、「心臓の治療の薬を飲んでいる人も、全然脳梗塞にならないかといったら、そんなことはありませんからね。中にはなる人もいるんですよ。」とまた、医者の連帯感をにじませてくれた。こんなものだろう。世の中は。自分でも同じことを言ったりしたりするだろうと思いながら、はぁ、はぁと繰り返しておいた。それでも、一通り、こちらの説明、お願いを繰り返し、医師側の説明と言い訳に後、結論はもう少し置いてくれることになった。そして、川本先生は「わかりました。それでは佐々木病院のほうには連絡を取っておきますから。」と親切に言ってくれたが、佐々木病院に帰りたくないということは、十分に理解したようで、「でも、なかなか病院は空いていませんよ、今は、なかなか、探すのは大変ですよ。」といった。川本先生にしては、精一杯の不満の言葉だったのだろう。
こうして母は数日吉田病院においてもらえることになった。そして、僕の戦争の日々がいよいよその後始まるのだった。半分は覚悟していたが、半分は、これは大変なことになるなという気持ちでいっぱいだった。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。コメントなどありましたら、お願いします。また、ご訪問下されば幸いです。