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2019年04月29日
記憶の可視化
最終的には、心の働きの脳内メカニズムについて述べていきます。
連想を生むーニューロン集団D
異なる記憶の関連付けは
私たちが周囲の世界を理解したり体系化したりする上で重要だ
技術革命によって記憶を関連付けるプロセスが明らかになってきた
A.J.シルバ(カルフォルニア大学ロサンゼルス校)
記憶の可視化
「割り当てー関連付け仮説」を実際に検証するには、脳内の記憶をそれがまさに作られている時に見ることができなければならない。
生きたマウスのニューロンを画像化する技術はすでに実用化されているが、大きな顕微鏡にマウスの頭部を固定知る必要がある。
このようなセットアップは私たちの仮説の検証に必要な行動実験では役に立たない。
だが、私はいつも驚かされるのだが、ある技術がどうしても必要になると、絶好のタイミングでそれが登場する。
研究生活ではそういうことが幾度となく起こってきた。
私はカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で行われたスタンフォード大学のシュニッツァー(Mark Schnitzer)のセミナーにたまたま出席し、彼が研究室で開発したばかりの小さな顕微鏡を知った。
自由に動き回るマウスのニューロンの活動を可視化できる顕微鏡だ。
重さ2〜3gで、マウスの頭に帽子のように載せることができる。
その顕微鏡こそ、特定の記憶によって活性化されたニューロンを追跡するために必要としていたものだった。
「割り当てー関連付け仮説」の最も重要な予測、つまり数時間後に別の記憶が形成される際に同じニューロンが活性化するかどうかを調べることを可能にするものだ。
私たちはその素晴らしい顕微鏡の可能性に大いに興奮し、自分たちで独自の装置を作ることにした。
UCLAのゴルシャニ(Peyman Golshani)研究室、カーク(Baljit Khakh)研究室とチームを組み、有能なポスドク研究員のアハロニ(Daniel Aharoni)を雇った。
アハロニは後に私たちがUCLAミニスコープと名付けた顕微鏡の製作に取り掛かった。
シュニッツァーの顕微鏡と同様、UCLAミニスコープのレンズも記録したい脳細胞の近くに埋め込むことができる。
装置はマウスの頭蓋骨に固定したベースプレートに取り付け、課題の訓練や記憶テストの最中も動かない。
他の研究者から技術を借りたので、私たちもUCLAミニスコープの技術を進んで公開した。
私たちは科学におけるオープンソース運動を支持しており、世界中の数百の研究グループがUCLAミニスコープの設計とソフトウェアを利用できるようにしている。
ミニスコープを使ってニューロンの活動を可視化するために、カイと同僚のシューマン(Tristan Shuman)はGECI(遺伝子工学的カルシウム感受性蛍光タンパク質)と呼ばれる画像化ツールを活用した。
遺伝子改変によってGECIを発現したニューロンは、内部のカルシウム濃度が上昇すると蛍光を発する。
私たちは海馬のCA1領域に焦点を当てることにした。
場所を学習したり記憶したりする役割を担う領域で、行動実験で使用した箱などを記憶する。
私たちはミニスコープをかぶせたマウスを2つの箱に順に入れた。
知りたかったのは、最初の箱に入れてから2番目の箱に入れるまでの時間が、どのニューロンが活性化されるかに影響するかどうかだ。
結果は予想以上だった。
私たちのミニスコープと行動実験は、2つの箱の記憶が関連付けられている場合、マウスが最初の箱に入れられた時に活性化したCA1ニューロンの多くが、2番目の箱で歩き回っている時にも活性化することを示した。
2つの箱に入れる間隔が5時間程度ならば、2つの記憶はほぼ同じニューロン集団に割り当てられた。
間隔が7日間に成ると、そのような活性化ニューロンのオーバーラップは見られなかった。
私たちはこの結果に喜んだ。
重複するニューロン集団に複数の記憶が保存されることでそれらが結びつけられるという「割り当てー関連付けの仮説」の大前提を裏付けるものだったからだ。
2つの記憶の一方に対応するニューロン集団を後に再活性化すると、もう一方の記憶に対応する集団が刺激され、その記憶が思い出される。
参考文献:別冊日経サイエンス『最新科学が解き明かす脳と心』
2017年12月16日刊
発行:日経サイエンス社 発売:日本経済新聞出版社
連想を生むーニューロン集団D
異なる記憶の関連付けは
私たちが周囲の世界を理解したり体系化したりする上で重要だ
技術革命によって記憶を関連付けるプロセスが明らかになってきた
A.J.シルバ(カルフォルニア大学ロサンゼルス校)
記憶の可視化
「割り当てー関連付け仮説」を実際に検証するには、脳内の記憶をそれがまさに作られている時に見ることができなければならない。
生きたマウスのニューロンを画像化する技術はすでに実用化されているが、大きな顕微鏡にマウスの頭部を固定知る必要がある。
このようなセットアップは私たちの仮説の検証に必要な行動実験では役に立たない。
だが、私はいつも驚かされるのだが、ある技術がどうしても必要になると、絶好のタイミングでそれが登場する。
研究生活ではそういうことが幾度となく起こってきた。
私はカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で行われたスタンフォード大学のシュニッツァー(Mark Schnitzer)のセミナーにたまたま出席し、彼が研究室で開発したばかりの小さな顕微鏡を知った。
自由に動き回るマウスのニューロンの活動を可視化できる顕微鏡だ。
重さ2〜3gで、マウスの頭に帽子のように載せることができる。
その顕微鏡こそ、特定の記憶によって活性化されたニューロンを追跡するために必要としていたものだった。
「割り当てー関連付け仮説」の最も重要な予測、つまり数時間後に別の記憶が形成される際に同じニューロンが活性化するかどうかを調べることを可能にするものだ。
私たちはその素晴らしい顕微鏡の可能性に大いに興奮し、自分たちで独自の装置を作ることにした。
UCLAのゴルシャニ(Peyman Golshani)研究室、カーク(Baljit Khakh)研究室とチームを組み、有能なポスドク研究員のアハロニ(Daniel Aharoni)を雇った。
アハロニは後に私たちがUCLAミニスコープと名付けた顕微鏡の製作に取り掛かった。
シュニッツァーの顕微鏡と同様、UCLAミニスコープのレンズも記録したい脳細胞の近くに埋め込むことができる。
装置はマウスの頭蓋骨に固定したベースプレートに取り付け、課題の訓練や記憶テストの最中も動かない。
他の研究者から技術を借りたので、私たちもUCLAミニスコープの技術を進んで公開した。
私たちは科学におけるオープンソース運動を支持しており、世界中の数百の研究グループがUCLAミニスコープの設計とソフトウェアを利用できるようにしている。
ミニスコープを使ってニューロンの活動を可視化するために、カイと同僚のシューマン(Tristan Shuman)はGECI(遺伝子工学的カルシウム感受性蛍光タンパク質)と呼ばれる画像化ツールを活用した。
遺伝子改変によってGECIを発現したニューロンは、内部のカルシウム濃度が上昇すると蛍光を発する。
私たちは海馬のCA1領域に焦点を当てることにした。
場所を学習したり記憶したりする役割を担う領域で、行動実験で使用した箱などを記憶する。
私たちはミニスコープをかぶせたマウスを2つの箱に順に入れた。
知りたかったのは、最初の箱に入れてから2番目の箱に入れるまでの時間が、どのニューロンが活性化されるかに影響するかどうかだ。
結果は予想以上だった。
私たちのミニスコープと行動実験は、2つの箱の記憶が関連付けられている場合、マウスが最初の箱に入れられた時に活性化したCA1ニューロンの多くが、2番目の箱で歩き回っている時にも活性化することを示した。
2つの箱に入れる間隔が5時間程度ならば、2つの記憶はほぼ同じニューロン集団に割り当てられた。
間隔が7日間に成ると、そのような活性化ニューロンのオーバーラップは見られなかった。
私たちはこの結果に喜んだ。
重複するニューロン集団に複数の記憶が保存されることでそれらが結びつけられるという「割り当てー関連付けの仮説」の大前提を裏付けるものだったからだ。
2つの記憶の一方に対応するニューロン集団を後に再活性化すると、もう一方の記憶に対応する集団が刺激され、その記憶が思い出される。
参考文献:別冊日経サイエンス『最新科学が解き明かす脳と心』
2017年12月16日刊
発行:日経サイエンス社 発売:日本経済新聞出版社
2019年04月28日
記憶の関連付け
最終的には、心の働きの脳内メカニズムについて述べていきます。
連想を生むーニューロン集団C
異なる記憶の関連付けは
私たちが周囲の世界を理解したり体系化したりする上で重要だ
技術革命によって記憶を関連付けるプロセスが明らかになってきた
A.J.シルバ(カルフォルニア大学ロサンゼルス校)
2つの箱に入れる間隔が5時間程度ならば2つの記憶はほぼ同じニューロン集団に割り当てられた
間隔が7日間になるとニューロンのオーバーラップは見られなかった
記憶の関連付け
2009年、私は記憶の研究に関する原稿の執筆を依頼され、その機を捉えて時間的に離れた記憶がどのように関連付けられるかについての考えを紹介した。
CREBによって特定の記憶がどの細胞に記録されるかが決まる。
つまり「記憶の割り当て」が調整されることから、私はこの過程が個別の記憶を結びつける能力の要であるとする仮説を立てた。
私たちが「割り当てー関連付け仮説」と呼んでいるものだ。
記憶はCREB 濃度が高く活性化されやすいニューロンに割り当てられるので、これらのニューロンは続いて別の記憶も保存しやすい。
2つの記憶の両方を保持するニューロンが多いと、それらの記憶は正式に結びつく。
その結果、どちらか一方の記憶を想起すると、それらのニューロンが活性化され、もう一方の記憶も想起される。
この考えに至った鍵は、2つの記憶が1日以内などの短い間隔で形成された場合、間隔が長い場合よりも関連付けられやすいだろうとの予測だ。
間隔が1日よりもはるかに長いと、2番目の記憶は1番目の記憶が引き起こした細胞の興奮性増大の影響を受けず、別のニューロン集団に保存される。
記憶の関連付けに時間制限があるのは理にかなっている。
1日以内に起こった2つの出来事は、例えば1週間隔で起こった2つの出来事よりも関連している可能性がはるかに高いからだ。
原稿を執筆してアイデアを求めるうちに、私はそれらをどうすれば検証できるかという研究に挑みたくなった。
「割り当てー関連付け仮説」はわかりやすいが、証明する方法は全く湧かなかった。
検証には時を待たねばならなかった。
当時私の研究室にいたカイ(Denise J. Cai)とショーブ(Justin Shobe)がこのプロジェクトに加わると、状況は好転した。
カイはうまい方法を思いついた。
カイはショーブとともに、マウスを同じ日に5時間以内の間隔で2つの箱に入れた。
2つの箱の記憶が関連付けられることを期待したのだ。
そして、2番目の箱でマウスの足に軽度のショックを与えた。
それ以降、マウスは2番目の箱に入れられると、案の定、体をすくませた。
その箱でショックを受けたことを記憶していたからだろう。
ほとんでの捕食者はじっとしている獲物よりも動いている獲物によく気がつくので、身をすくませるのはマウスの恐怖に対する自然な反応だ。
カイトショーブがマウスを最初の箱(ショックを受けていない箱)に入れたとき、重要な結果が観察された。
2つの箱の記憶が関連付けられていれば、マウスは2番目の箱でショックを受けたことを思い出し、ショックが来ることを予想して体をすくませるだろう。
そして、まさしくその通りだった。
一方で、2つの記憶が7日間を隔てて形成された場合、それらが関連付けられる可能性は低いだろうと推測した。
そして実際、2つの箱の記憶がより長い間隔で作られた場合、マウスを最初の箱に再び入れても2番目の箱でショックを受けたことを思い出さず、すくむことはなかった。
一般に、2つの記憶の形成間隔が1日よりもかなり長いと、記憶の関連付けは起こらない。
これらの実験結果にはワクワクしたが、「別々の記憶が時間をおかずに形成された場合、同じ脳領域の重複するニューロン集団に保存される」という、私たちの仮説の基本的な予測を検証するものではなかった。
ニューロンの重複が2つの記憶を関連付け、一方を思い出せばもう一方も思い出すという予測だ。
参考文献:別冊日経サイエンス『最新科学が解き明かす脳と心』
2017年12月16日刊
発行:日経サイエンス社 発売:日本経済新聞出版社
連想を生むーニューロン集団C
異なる記憶の関連付けは
私たちが周囲の世界を理解したり体系化したりする上で重要だ
技術革命によって記憶を関連付けるプロセスが明らかになってきた
A.J.シルバ(カルフォルニア大学ロサンゼルス校)
2つの箱に入れる間隔が5時間程度ならば2つの記憶はほぼ同じニューロン集団に割り当てられた
間隔が7日間になるとニューロンのオーバーラップは見られなかった
記憶の関連付け
2009年、私は記憶の研究に関する原稿の執筆を依頼され、その機を捉えて時間的に離れた記憶がどのように関連付けられるかについての考えを紹介した。
CREBによって特定の記憶がどの細胞に記録されるかが決まる。
つまり「記憶の割り当て」が調整されることから、私はこの過程が個別の記憶を結びつける能力の要であるとする仮説を立てた。
私たちが「割り当てー関連付け仮説」と呼んでいるものだ。
記憶はCREB 濃度が高く活性化されやすいニューロンに割り当てられるので、これらのニューロンは続いて別の記憶も保存しやすい。
2つの記憶の両方を保持するニューロンが多いと、それらの記憶は正式に結びつく。
その結果、どちらか一方の記憶を想起すると、それらのニューロンが活性化され、もう一方の記憶も想起される。
この考えに至った鍵は、2つの記憶が1日以内などの短い間隔で形成された場合、間隔が長い場合よりも関連付けられやすいだろうとの予測だ。
間隔が1日よりもはるかに長いと、2番目の記憶は1番目の記憶が引き起こした細胞の興奮性増大の影響を受けず、別のニューロン集団に保存される。
記憶の関連付けに時間制限があるのは理にかなっている。
1日以内に起こった2つの出来事は、例えば1週間隔で起こった2つの出来事よりも関連している可能性がはるかに高いからだ。
原稿を執筆してアイデアを求めるうちに、私はそれらをどうすれば検証できるかという研究に挑みたくなった。
「割り当てー関連付け仮説」はわかりやすいが、証明する方法は全く湧かなかった。
検証には時を待たねばならなかった。
当時私の研究室にいたカイ(Denise J. Cai)とショーブ(Justin Shobe)がこのプロジェクトに加わると、状況は好転した。
カイはうまい方法を思いついた。
カイはショーブとともに、マウスを同じ日に5時間以内の間隔で2つの箱に入れた。
2つの箱の記憶が関連付けられることを期待したのだ。
そして、2番目の箱でマウスの足に軽度のショックを与えた。
それ以降、マウスは2番目の箱に入れられると、案の定、体をすくませた。
その箱でショックを受けたことを記憶していたからだろう。
ほとんでの捕食者はじっとしている獲物よりも動いている獲物によく気がつくので、身をすくませるのはマウスの恐怖に対する自然な反応だ。
カイトショーブがマウスを最初の箱(ショックを受けていない箱)に入れたとき、重要な結果が観察された。
2つの箱の記憶が関連付けられていれば、マウスは2番目の箱でショックを受けたことを思い出し、ショックが来ることを予想して体をすくませるだろう。
そして、まさしくその通りだった。
一方で、2つの記憶が7日間を隔てて形成された場合、それらが関連付けられる可能性は低いだろうと推測した。
そして実際、2つの箱の記憶がより長い間隔で作られた場合、マウスを最初の箱に再び入れても2番目の箱でショックを受けたことを思い出さず、すくむことはなかった。
一般に、2つの記憶の形成間隔が1日よりもかなり長いと、記憶の関連付けは起こらない。
これらの実験結果にはワクワクしたが、「別々の記憶が時間をおかずに形成された場合、同じ脳領域の重複するニューロン集団に保存される」という、私たちの仮説の基本的な予測を検証するものではなかった。
ニューロンの重複が2つの記憶を関連付け、一方を思い出せばもう一方も思い出すという予測だ。
参考文献:別冊日経サイエンス『最新科学が解き明かす脳と心』
2017年12月16日刊
発行:日経サイエンス社 発売:日本経済新聞出版社
2019年04月27日
記憶の形成をオン・オフ
最終的には、心の働きの脳内メカニズムについて述べていきます。
連想を生むーニューロン集団B
異なる記憶の関連付けは
私たちが周囲の世界を理解したり体系化したりする上で重要だ
技術革命によって記憶を関連付けるプロセスが明らかになってきた
A.J.シルバ(カルフォルニア大学ロサンゼルス校)
記憶の形成をオン・オフ
記憶の割り当てにおけるCREBの役割を確かめるため、私たちは近年記憶の研究を一変させた新しい
手法を用いた。
この技術を使うと、ニューロンの活動をオン・オフし、それによって記憶を思い出したり消したり
できる。
例えば、当時私の研究室にいたチョウ(Yu Zhou)は、マウスに遺伝子改変を施して扁桃体ニューロン
の一部のCREB濃度を上げるとともに、カリフォルニア州ラホヤのソーク研究所のキャラウェイ
(Edward Callaway)らが作った別のタンパク質を発現させた。
キャラウェイのタンパク質の働きにより、CREB濃度の高いニューロンを好きな時に抑制できるように
なった。
CREB濃度の高いニューロンを抑制すると、CREB濃度の低いニューロンが活性化したままなのに、
情動的記憶が抑えられた。
CREB濃度の高いニューロンが、記憶の保存により多く関わっていることの証拠だ。
CREB濃度によって記憶を保存する細胞が決まることは判明したが、そのメカニズムはわからなかった。
スタンフォード大学のマレンカ(Robert Malenka)らは、特定ニューロンでCREBが増加すると、
ニューロンがより活性化されやすくなることを突き止めた。
CREB濃度の高いニューロンは、より興奮しやすくなるために、記憶の保存に選ばれるのだろうか?
この疑問を解明するために、チョウはもっと多くのCREBを産生するように扁桃体のニューロンを
改変し、改変ニューロンがどのくらい簡単に活性化されるかを、微小電極を使って調べた。
これは興奮性の指標となる。
実験の結果は、改変ニューロンが非改変のニューロンより活性化されやすいことを裏付けた。
改変ニューロンの興奮性の増大(ニューロン間の情報をやり取りする電気インパルスの受信や送信を
起こしやすくなること)は、CREB濃度の高いニューロンは記憶固定の過程を始める準備がより
整っている可能性を示唆していた。
この可能性を検証するため、チョウはCREBが多いニューロンのシナプス結合も調べた。
シナプス結合の強度の増大が記憶の形成に不可欠であることを示す証拠は多い。
彼女はマウスに情動的記憶を呼び起こす課題を教え込んだ後、CREB濃度が高い扁桃体ニューロンの
シナプス結合が、そのような改変を施されていないニューロンよりも強いかどうかを調べた。
具体的には、微小電流でこれらの細胞のシナプスを刺激し、細胞内に埋め込んだ微小電極で細胞の応答
を記録した。
予想通り、CREB濃度の高い扁桃体ニューロンのシナプス結合は他の細胞のものよりも強かった。
この結果は、CREB濃度の高いニューロンが情動的記憶を保存しやすいとの見方と整合する。
ジョセリンらは最近、扁桃体にある特定のニューロン集団に恐怖体験の記憶を保存させる実験に成功
した。
ニューロン集団の遺伝子を改変し、興奮性を高めるイオンチャンネルを発現させたのだ。
イオンチャンネルは細胞の表面に生じた孔で、ジョセリンが選んだ特定のイオンチャンネルを発現した
細胞はより活性化されやすくなる。
同様に、バージニア州アッシュバーンのハワード・ヒューズ医学研究所ジャネリア・リサーチ・
キャンパスの神経科学者リー(Albert Lee)の研究チームは、通路を走り回る動物がある地点に来た
ところで海馬ニューロンの興奮性を人為的に高めると、それらのニューロンがその地点で反応しやすく
なることを報告した。
この結果は、ある記憶を保存する細胞の決定に興奮性が重要な役割を果たしているという私たちの発見と
一致する。
さらに、私たちとジョセリンらはそれぞれ、光を使ってニューロンを活性化したり抑制したりできる
「光遺伝学(オプトジェネティク)技術を利用した。
CREB濃度が高いニューロンにスイッチを入れるためだ。
ます、当時私の研究室にいたロジャーソン(Thomas Rogerson)とジャヤプラカシュ(Balaji
Jayaprakash)がマウスの扁桃体ニューロンの一部を改変し、より多くのCREBと、青色光によって
活性化するイオンチャンネル「チャネルロドプシン2(ChR2)」を作らせた。
また、対照群としてChR2だけを作るように扁桃体ニューロンを改変したマウスも用意した。
次に私たちは、それぞれのマウスに恐怖記憶を植え付けた。
その後マウスに青色光を当てると、扁桃体ニューロンのCREB濃度を高めたマウスは恐怖記憶を想起
した一方で、対照群は想起せず、恐怖記憶がCREB濃度の高いニューロンに保存されていることを確認
した。
神経活動を観察する顕微鏡
マウスの頭に取り付けた顕微鏡によって、記憶を保存する脳細胞の活動を調べることが可能になった。
参考文献:別冊日経サイエンス『最新科学が解き明かす脳と心』
2017年12月16日刊
発行:日経サイエンス社 発売:日本経済新聞出版社
連想を生むーニューロン集団B
異なる記憶の関連付けは
私たちが周囲の世界を理解したり体系化したりする上で重要だ
技術革命によって記憶を関連付けるプロセスが明らかになってきた
A.J.シルバ(カルフォルニア大学ロサンゼルス校)
記憶の形成をオン・オフ
記憶の割り当てにおけるCREBの役割を確かめるため、私たちは近年記憶の研究を一変させた新しい
手法を用いた。
この技術を使うと、ニューロンの活動をオン・オフし、それによって記憶を思い出したり消したり
できる。
例えば、当時私の研究室にいたチョウ(Yu Zhou)は、マウスに遺伝子改変を施して扁桃体ニューロン
の一部のCREB濃度を上げるとともに、カリフォルニア州ラホヤのソーク研究所のキャラウェイ
(Edward Callaway)らが作った別のタンパク質を発現させた。
キャラウェイのタンパク質の働きにより、CREB濃度の高いニューロンを好きな時に抑制できるように
なった。
CREB濃度の高いニューロンを抑制すると、CREB濃度の低いニューロンが活性化したままなのに、
情動的記憶が抑えられた。
CREB濃度の高いニューロンが、記憶の保存により多く関わっていることの証拠だ。
CREB濃度によって記憶を保存する細胞が決まることは判明したが、そのメカニズムはわからなかった。
スタンフォード大学のマレンカ(Robert Malenka)らは、特定ニューロンでCREBが増加すると、
ニューロンがより活性化されやすくなることを突き止めた。
CREB濃度の高いニューロンは、より興奮しやすくなるために、記憶の保存に選ばれるのだろうか?
この疑問を解明するために、チョウはもっと多くのCREBを産生するように扁桃体のニューロンを
改変し、改変ニューロンがどのくらい簡単に活性化されるかを、微小電極を使って調べた。
これは興奮性の指標となる。
実験の結果は、改変ニューロンが非改変のニューロンより活性化されやすいことを裏付けた。
改変ニューロンの興奮性の増大(ニューロン間の情報をやり取りする電気インパルスの受信や送信を
起こしやすくなること)は、CREB濃度の高いニューロンは記憶固定の過程を始める準備がより
整っている可能性を示唆していた。
この可能性を検証するため、チョウはCREBが多いニューロンのシナプス結合も調べた。
シナプス結合の強度の増大が記憶の形成に不可欠であることを示す証拠は多い。
彼女はマウスに情動的記憶を呼び起こす課題を教え込んだ後、CREB濃度が高い扁桃体ニューロンの
シナプス結合が、そのような改変を施されていないニューロンよりも強いかどうかを調べた。
具体的には、微小電流でこれらの細胞のシナプスを刺激し、細胞内に埋め込んだ微小電極で細胞の応答
を記録した。
予想通り、CREB濃度の高い扁桃体ニューロンのシナプス結合は他の細胞のものよりも強かった。
この結果は、CREB濃度の高いニューロンが情動的記憶を保存しやすいとの見方と整合する。
ジョセリンらは最近、扁桃体にある特定のニューロン集団に恐怖体験の記憶を保存させる実験に成功
した。
ニューロン集団の遺伝子を改変し、興奮性を高めるイオンチャンネルを発現させたのだ。
イオンチャンネルは細胞の表面に生じた孔で、ジョセリンが選んだ特定のイオンチャンネルを発現した
細胞はより活性化されやすくなる。
同様に、バージニア州アッシュバーンのハワード・ヒューズ医学研究所ジャネリア・リサーチ・
キャンパスの神経科学者リー(Albert Lee)の研究チームは、通路を走り回る動物がある地点に来た
ところで海馬ニューロンの興奮性を人為的に高めると、それらのニューロンがその地点で反応しやすく
なることを報告した。
この結果は、ある記憶を保存する細胞の決定に興奮性が重要な役割を果たしているという私たちの発見と
一致する。
さらに、私たちとジョセリンらはそれぞれ、光を使ってニューロンを活性化したり抑制したりできる
「光遺伝学(オプトジェネティク)技術を利用した。
CREB濃度が高いニューロンにスイッチを入れるためだ。
ます、当時私の研究室にいたロジャーソン(Thomas Rogerson)とジャヤプラカシュ(Balaji
Jayaprakash)がマウスの扁桃体ニューロンの一部を改変し、より多くのCREBと、青色光によって
活性化するイオンチャンネル「チャネルロドプシン2(ChR2)」を作らせた。
また、対照群としてChR2だけを作るように扁桃体ニューロンを改変したマウスも用意した。
次に私たちは、それぞれのマウスに恐怖記憶を植え付けた。
その後マウスに青色光を当てると、扁桃体ニューロンのCREB濃度を高めたマウスは恐怖記憶を想起
した一方で、対照群は想起せず、恐怖記憶がCREB濃度の高いニューロンに保存されていることを確認
した。
神経活動を観察する顕微鏡
マウスの頭に取り付けた顕微鏡によって、記憶を保存する脳細胞の活動を調べることが可能になった。
参考文献:別冊日経サイエンス『最新科学が解き明かす脳と心』
2017年12月16日刊
発行:日経サイエンス社 発売:日本経済新聞出版社
2019年04月26日
セレンディピティ
最終的には、心の働きの脳内メカニズムについて述べていきます。
連想を生むーニューロン集団A
セレンディピティ
異なる記憶の関連付けは
私たちが周囲の世界を理解したり体系化したりする上で重要だ
技術革命によって記憶を関連付けるプロセスが明らかになってきた
A.J.シルバ(カルフォルニア大学ロサンゼルス校)
記憶の関連付けに関する研究を始めた1990年代後半、私たちはこの研究に取り組むのみ必要な
ツールも基礎知識も欠けていた。
最初の重要な一歩は、「記憶の割り当て」と呼ばれる概念の発見だった。
脳は特定の規則に従って、学習した情報の断片を、記憶の形成を担う領域に存在する異なる
ニューロン集団に割り当てていることに気づいた。
発見はセレンディピティ(偶然の幸運)がカギとなった
1998年に私がエール大学を訪ねた際に、友人で研究仲間のデイビス(Michael Davis, 現在は
エモリー大学)と交わした会話が始まりだ。
彼はラットの情動的記憶、例えば音と電気ショックを関連付ける記憶などを強化するため、
CREBという遺伝子を操作する実験について話してくれた。
CREB遺伝子が長期記憶の形成に必要であることは、それ以前に私の研究室(現在はカリフォルニア
大学ロサンゼルス校にある)や他の研究グループによって示されていた。
CREB遺伝子は記憶に必要な他の遺伝子の発現を調節するタンパク質をコードしている。
学習するとき、一部のシナプス(ニューロンが情報交換に用いる細胞構造)が形成あるいは増強され、
ニューロンどうしが容易に相互作用できるようになる。
CREBタンパク質はこの過程をつかさどる。
CREBの働きがなければ、ほとんどの経験を忘れてしまうだろう。
私が驚いたのは、デイビスのチームが扁桃体(情動的記憶に重要な脳領域)のごく一部の
ニューロンのCREB 濃度を上げただけでラットの記憶力が向上したことだった。
記憶はどのようにして、高濃度のCREB がある少数の脳細胞に収まったのだろう?
エール大学訪問から何ヶ月もの間、この疑問は私の頭から離れなかった。
CREB は記憶の形成を調節するだけでなく、CREB を含む細胞が記憶の形成に関与しやすくなる
ように仕向けているのだろうか?
私たちは記憶への関与が判明している脳領域、すなわち扁桃体と海馬におけるCREB の役割に狙いを
定めた。
海馬は周辺環境の脳内地図を保存している
科学とは、疑問に答えるだけでなく、疑問を見つける作業でもある。
私はデイビスとの会話から、記憶を処理・保存する領域のニューロンに特定の記憶がどう割り当て
られるかを決める規則(もしそれがあるとして)を、神経科学者はほとんど何も解明していない
ことに気づいた。
そこで、もっと詳しく調べることにした。
デイビスの研究室でCREB を研究していた神経科学者のジョセリン(Sheena A. Josselyn)が
私のチームに加わると、最初の大きなチャンスが訪れた。
彼女は私の研究室と、後にカナダのトロント大学で立ち上げた彼女自身の研究室で、ウイルスを使った
マウスの扁桃体にある特定のニューロンにCREB 遺伝子のコピーを追加する一連の実験を行った。
そして、コピーを導入されたニューロンは、周辺のニューロンに比べて4倍も恐怖記憶を保存しやすい
ことを示した。
約10年間の研究後、
2007年に、私たちはジョセリンらと共同で、
情動的記憶は扁桃体のニューロンに無作為に割り当てられるのではないとの証拠を発表した。
情動的記憶の保存に選ばれるのはCREBタンパク質を多く含むニューロンだ。
同じく重要なことに、その後の実験で、
CREB は海馬や大脳皮質など他の脳領域でも同様の役割を持つことが示された。
参考文献:別冊日経サイエンス『最新科学が解き明かす脳と心』
2017年12月16日刊
発行:日経サイエンス社 発売:日本経済新聞出版社
連想を生むーニューロン集団A
セレンディピティ
異なる記憶の関連付けは
私たちが周囲の世界を理解したり体系化したりする上で重要だ
技術革命によって記憶を関連付けるプロセスが明らかになってきた
A.J.シルバ(カルフォルニア大学ロサンゼルス校)
記憶の関連付けに関する研究を始めた1990年代後半、私たちはこの研究に取り組むのみ必要な
ツールも基礎知識も欠けていた。
最初の重要な一歩は、「記憶の割り当て」と呼ばれる概念の発見だった。
脳は特定の規則に従って、学習した情報の断片を、記憶の形成を担う領域に存在する異なる
ニューロン集団に割り当てていることに気づいた。
発見はセレンディピティ(偶然の幸運)がカギとなった
1998年に私がエール大学を訪ねた際に、友人で研究仲間のデイビス(Michael Davis, 現在は
エモリー大学)と交わした会話が始まりだ。
彼はラットの情動的記憶、例えば音と電気ショックを関連付ける記憶などを強化するため、
CREBという遺伝子を操作する実験について話してくれた。
CREB遺伝子が長期記憶の形成に必要であることは、それ以前に私の研究室(現在はカリフォルニア
大学ロサンゼルス校にある)や他の研究グループによって示されていた。
CREB遺伝子は記憶に必要な他の遺伝子の発現を調節するタンパク質をコードしている。
学習するとき、一部のシナプス(ニューロンが情報交換に用いる細胞構造)が形成あるいは増強され、
ニューロンどうしが容易に相互作用できるようになる。
CREBタンパク質はこの過程をつかさどる。
CREBの働きがなければ、ほとんどの経験を忘れてしまうだろう。
私が驚いたのは、デイビスのチームが扁桃体(情動的記憶に重要な脳領域)のごく一部の
ニューロンのCREB 濃度を上げただけでラットの記憶力が向上したことだった。
記憶はどのようにして、高濃度のCREB がある少数の脳細胞に収まったのだろう?
エール大学訪問から何ヶ月もの間、この疑問は私の頭から離れなかった。
CREB は記憶の形成を調節するだけでなく、CREB を含む細胞が記憶の形成に関与しやすくなる
ように仕向けているのだろうか?
私たちは記憶への関与が判明している脳領域、すなわち扁桃体と海馬におけるCREB の役割に狙いを
定めた。
海馬は周辺環境の脳内地図を保存している
科学とは、疑問に答えるだけでなく、疑問を見つける作業でもある。
私はデイビスとの会話から、記憶を処理・保存する領域のニューロンに特定の記憶がどう割り当て
られるかを決める規則(もしそれがあるとして)を、神経科学者はほとんど何も解明していない
ことに気づいた。
そこで、もっと詳しく調べることにした。
デイビスの研究室でCREB を研究していた神経科学者のジョセリン(Sheena A. Josselyn)が
私のチームに加わると、最初の大きなチャンスが訪れた。
彼女は私の研究室と、後にカナダのトロント大学で立ち上げた彼女自身の研究室で、ウイルスを使った
マウスの扁桃体にある特定のニューロンにCREB 遺伝子のコピーを追加する一連の実験を行った。
そして、コピーを導入されたニューロンは、周辺のニューロンに比べて4倍も恐怖記憶を保存しやすい
ことを示した。
約10年間の研究後、
2007年に、私たちはジョセリンらと共同で、
情動的記憶は扁桃体のニューロンに無作為に割り当てられるのではないとの証拠を発表した。
情動的記憶の保存に選ばれるのはCREBタンパク質を多く含むニューロンだ。
同じく重要なことに、その後の実験で、
CREB は海馬や大脳皮質など他の脳領域でも同様の役割を持つことが示された。
参考文献:別冊日経サイエンス『最新科学が解き明かす脳と心』
2017年12月16日刊
発行:日経サイエンス社 発売:日本経済新聞出版社
2019年04月25日
連想を生む ニューロン集団@
最終的には、心の働きの脳内メカニズムについて述べていきます。
連想を生む
ニューロン集団@
異なる記憶の関連付けは
私たちが周囲の世界を理解したり体系化したりする上で重要だ
技術革命によって記憶を関連付けるプロセスが明らかになってきた
A.J.シルバ(カルフォルニア大学ロサンゼルス校)
私たちの記憶は、子供の顔や鳥、湖など、この世界のディテールを想起する力によるものだ。
だが実際の経験を思い出すには、脳はそれらのディテールを1つに纏めあげる必要がある。
「これは湖畔の芦の茂みから鳥の一群が突然飛び立ったのを見たときのあの子の表情だ」という
具合に。
記憶を統合する能力は、他の要素にも由来する。
人類が長きにわたって生き延びてこられたのは、「ライオンだ」「ヘビだ」といった個々の情報だけでなく、
その文脈を思い出すことができたおかげだ。
私たちは、そのライオンにアフリカのサバンナの外れでいきなり出くわしたのか、それとも
サンディエゴ動物園でのんびりと眺めたのかを思い出せる。
現在の生活にはまた別のタイプの敵が存在し、これに対処するためには、複数の記憶を長期間に
わたって関連付けておく能力が必要だ。
一見魅力的な投資話に乗る価値があるかどうかは、その情報の出所で決まる。
例えば、その話を持ってきた人物が誠実かどうかだ。
情報の出所とその人の性格についての記憶がリンクしていないと、惨憺たる結果を招きかねない。
神経科学では現在、異なる時刻や場所にまたがる記憶を脳がどのように関連付けているかを明らかに
する研究が始まっている。
従来の研究の圧倒的多数は、私たちが記憶をどう獲得し、保存し、想起し、変更しているのかに着目
していた。
だが、大抵の記憶は孤立して存在しているわけではない。
ある記憶が別の記憶を呼び起こし、絡み合った一連の記憶を作り出す。
そのおかげで、私たちは周囲の状況をより正確に予測したり理解したりできるのだ。
脳が記憶を関連付けるのに用いている基本的なメカニズムが、徐々に明らかになってきた。
ここ20年間にわたる、私たちや他の研究チームの研究の結果だ。
個々の記憶の関連付けの際に起きる物理的過程を理解することは、脳の仕組みの解明の手がかりに
なるだけではない。
記憶を作り、関連付けることを妨げる記憶障害の予防にも役立つだろう。
記憶の割り当てと関連づけ
■ 記憶の研究に革命が起きている。
個々のニューロンの活動を画像化する技術やニューロンを正確なタイミングでオン・オフする技術が
開発され、数年前にはSFの話と考えられていた脳科学実験が可能になった。
■ そうした実験によって、記憶は情報の処理や保存を行う脳領域のニューロンにランダムに割り当て
られているのではないことがわかった。
どのニューロンが特定の記憶を保持するかを決めるメカニズムがあるようだ。
■ どのニューロンでどの記憶を記録するかを制御する脳機能は、記憶を強化したり、関連付けたりする
のに重要だ。
多くの神経精神疾患患者や加齢で認知機能が低下している人は、そうした機能がうまく働かなく
なっている。
参考文献:別冊日経サイエンス『最新科学が解き明かす脳と心』
2017年12月16日刊
発行:日経サイエンス社 発売:日本経済新聞出版社
連想を生む
ニューロン集団@
異なる記憶の関連付けは
私たちが周囲の世界を理解したり体系化したりする上で重要だ
技術革命によって記憶を関連付けるプロセスが明らかになってきた
A.J.シルバ(カルフォルニア大学ロサンゼルス校)
私たちの記憶は、子供の顔や鳥、湖など、この世界のディテールを想起する力によるものだ。
だが実際の経験を思い出すには、脳はそれらのディテールを1つに纏めあげる必要がある。
「これは湖畔の芦の茂みから鳥の一群が突然飛び立ったのを見たときのあの子の表情だ」という
具合に。
記憶を統合する能力は、他の要素にも由来する。
人類が長きにわたって生き延びてこられたのは、「ライオンだ」「ヘビだ」といった個々の情報だけでなく、
その文脈を思い出すことができたおかげだ。
私たちは、そのライオンにアフリカのサバンナの外れでいきなり出くわしたのか、それとも
サンディエゴ動物園でのんびりと眺めたのかを思い出せる。
現在の生活にはまた別のタイプの敵が存在し、これに対処するためには、複数の記憶を長期間に
わたって関連付けておく能力が必要だ。
一見魅力的な投資話に乗る価値があるかどうかは、その情報の出所で決まる。
例えば、その話を持ってきた人物が誠実かどうかだ。
情報の出所とその人の性格についての記憶がリンクしていないと、惨憺たる結果を招きかねない。
神経科学では現在、異なる時刻や場所にまたがる記憶を脳がどのように関連付けているかを明らかに
する研究が始まっている。
従来の研究の圧倒的多数は、私たちが記憶をどう獲得し、保存し、想起し、変更しているのかに着目
していた。
だが、大抵の記憶は孤立して存在しているわけではない。
ある記憶が別の記憶を呼び起こし、絡み合った一連の記憶を作り出す。
そのおかげで、私たちは周囲の状況をより正確に予測したり理解したりできるのだ。
脳が記憶を関連付けるのに用いている基本的なメカニズムが、徐々に明らかになってきた。
ここ20年間にわたる、私たちや他の研究チームの研究の結果だ。
個々の記憶の関連付けの際に起きる物理的過程を理解することは、脳の仕組みの解明の手がかりに
なるだけではない。
記憶を作り、関連付けることを妨げる記憶障害の予防にも役立つだろう。
記憶の割り当てと関連づけ
■ 記憶の研究に革命が起きている。
個々のニューロンの活動を画像化する技術やニューロンを正確なタイミングでオン・オフする技術が
開発され、数年前にはSFの話と考えられていた脳科学実験が可能になった。
■ そうした実験によって、記憶は情報の処理や保存を行う脳領域のニューロンにランダムに割り当て
られているのではないことがわかった。
どのニューロンが特定の記憶を保持するかを決めるメカニズムがあるようだ。
■ どのニューロンでどの記憶を記録するかを制御する脳機能は、記憶を強化したり、関連付けたりする
のに重要だ。
多くの神経精神疾患患者や加齢で認知機能が低下している人は、そうした機能がうまく働かなく
なっている。
参考文献:別冊日経サイエンス『最新科学が解き明かす脳と心』
2017年12月16日刊
発行:日経サイエンス社 発売:日本経済新聞出版社
2019年04月24日
「震災の日の昼食はラーメン」 ―些細なことも長く鮮明に記憶する理由
最終的には、心の働きの脳内メカニズムについて述べていきます。
記憶を作り変えるC
「震災の日の昼食はラーメン」
―些細なことも長く鮮明に記憶する理由
通常ならばほんの数日で忘れるような出来事も、前後の数時間に強烈な体験があるといつまでも鮮明に
覚えていたりする。
大地震の起きる前に、よく行く馴染みの店でラーメンを食べたというような記憶だ。
なぜ、こんなことが起きるのか、その理由が見えてきた。
海馬などの1つひとつの神経細胞には数万個のシナプスがあり、これを介して他の神経細胞と連絡して
いる。
複数のセルアセンブリに属する神経細胞は、個々のシナプスでつながる相手が決まっている。
シナプスAでは記憶Aのセルアセンブリと、シナプスBでは記憶Bの神経細胞グループとつながると
いった具合だ。
これを可能にしているのは、特定のシナプスを識別する仕組みだ。
この仕組みで、強烈な体験の前後にあった些細な出来事をいつまでも鮮明に記憶していることを
説明出来る。
特定のシナプスを識別する仕組み
❶シナプスから入力があると、そのシナプスのゲートが開き、核に向かって信号が届く。
❷信号を受けて、記憶保持に必要なタンパク質PRPが合成される。
PRPは全てのシナプスの入り口近くまで届けられるが、ゲートの開いているシナプスのみ
入っていく。
たまたまゲートが開いていると……
❶昼食にラーメンを食べたといった日常的な些細な記憶の入力では、ゲートは開くが、
記憶保持用タンパク質は作られない。
❷その直後に、大地震のような強烈な体験があって長期記憶保持用タンパク質PRPが作られると、
大地震体験のシナプスだけではなく、たまたま開いていた日常的体験のシナプスにもPRPが入り込む。
こうなると、本来は数日で忘れるような記憶が、いつまでも保持される。
シナプスタグの実態は?
20年前に提唱されたこの説は、今でも有力だ。
私たちは、その検証を行い、タグの実態を突き止めようとした。
まず、記憶保持用タンパク質の一種であるVesl-1S(Homer-1a)の働きを顕微鏡で追跡した。
そしてVesl-1S は神経細胞の細胞体の部分
で合成された後、全てのシナプスの近くまで運ばれていることを視認した。
シナプスには、情報の送り手側と受け手側になる神経細胞があり、受け手側のシナプスには
「スパイン」というトゲのような突起になっている。
私たちは、Vesl-1S が全てのスパインの
入り口近くに達するものの、中にまで入っていくのは入力を受けて活動したスパインのみである
ことを見出した。
スパインの入り口にゲート(門)があり、シナプスが活動するとこれが開いて記憶保持用タンパク質
を中に通す。
フライとモリスが想定したシナプスタグの実態は、スパインの入り口にあるゲートだったのだ。
このような仕組みで特定の記憶だけに対応するシナプス特異性が保障され、それぞれの記憶は混線する
ことなく正確に蓄えられる。
ここで先ほどの問いに戻ろう
行動タグに見られる本来は短期記憶で終わるもの(昼食の内容やマウス実験での盃などの新しい物)
が、なぜ長期記憶となったのだろうか。
この謎はシナプスタグで説明できる。
神経細胞では以下のようなことが起きていたのだと考えられる。
まず、昼食にラーメンを食べたことやマウス実験での新しい物など、短期間覚えている程度の弱い
信号が、ある神経細胞のシナプスAに来る。
この入力によって、シナプスAのスパインのゲートは開くが、長期記憶保存用のタンパク質は作られない。
その前後1時間ほどの間に、大地震やマウス実験での隙間だらけの床といった強烈な体験による
強い信号が、同じ神経細胞のシナプスBにはいる。シナプスBからの信号を受け、細胞体で記憶保持用
タンパク質が合成される。
些細なことの記憶を担っていたシナプスAのスパインにも記憶保持用タンパク質が届き、たまたま
ゲートが開いていたためこれを取り込み、シナプス結合が強化される。
短期的なシナプス強化で終わるはずだったシナプスAの強化が長期的に持続するようになり、
ラーメンを食べたことやマウス実験での新しい物の記憶が長期化する。
ゲートの実体やこうしたシナプスレベルでの仕組みが、記憶どうしの連合の仕組みとして一般化
できるかどうかは今後に残された課題である。
新しい技術が研究を進める
ここ10年ほどの記憶研究は驚くべきスピードで進んできた。
新しい実験技術の開発が、従来はアプローチできなかった疑問に取り組むことを可能にしているのだ。
特に、神経細胞の活動を光のオン・オフで制御できるようにした光遺伝学と、今回は紹介しなかっ
たが、超小型内視鏡を用いた脳内の神経細胞活動のリアルタイム可視化技術の登場は大きい。
これらの技術は、今後も脳科学研究に大きなインパクトを与えるだろう。
脳は情報を細胞集団としてのセルアセンブリという形で符号化して処理する。
そのセルアセンブリはシナプスどうしの得意的な結合で形成される。
リアルタイム可視化技術は、それらの現象を目で見える形で提供してくれるが、得られたデータは
膨大なものとなる。
今後は、ビッグデータの数理的な解析が重要になってくるだろう。(了)
著者 井ノ口薫(いのくち・かおる)
富山大学大学院医学薬学研究部(医学)教授。
専門は分子脳科学。
名古屋大学農学部を卒業後、同大学大学院農学研究科で博士号を1984年に取得。
米コロンビア大学医学部、三菱化成生命科学研究所などを経て、2009年より現職。
分子生物学・生化学から細胞生物学・組織化学・電気生理学・光遺伝学・行動薬理学までの
幅広い手法を用いて、記憶形成メカニズムを研究している。
もっと知るには…
『記憶をあやつる』、井ノ口薫著、角川選書、2015年。
『記憶をコントロールする:分子脳科学の挑戦』、井ノ口薫著、岩波科学ライブラリー、2013年。
参考文献:別冊日経サイエンス『最新科学が解き明かす脳と心』
2017年12月16日刊
発行:日経サイエンス社 発売:日本経済新聞出版社
記憶を作り変えるC
「震災の日の昼食はラーメン」
―些細なことも長く鮮明に記憶する理由
通常ならばほんの数日で忘れるような出来事も、前後の数時間に強烈な体験があるといつまでも鮮明に
覚えていたりする。
大地震の起きる前に、よく行く馴染みの店でラーメンを食べたというような記憶だ。
なぜ、こんなことが起きるのか、その理由が見えてきた。
海馬などの1つひとつの神経細胞には数万個のシナプスがあり、これを介して他の神経細胞と連絡して
いる。
複数のセルアセンブリに属する神経細胞は、個々のシナプスでつながる相手が決まっている。
シナプスAでは記憶Aのセルアセンブリと、シナプスBでは記憶Bの神経細胞グループとつながると
いった具合だ。
これを可能にしているのは、特定のシナプスを識別する仕組みだ。
この仕組みで、強烈な体験の前後にあった些細な出来事をいつまでも鮮明に記憶していることを
説明出来る。
特定のシナプスを識別する仕組み
❶シナプスから入力があると、そのシナプスのゲートが開き、核に向かって信号が届く。
❷信号を受けて、記憶保持に必要なタンパク質PRPが合成される。
PRPは全てのシナプスの入り口近くまで届けられるが、ゲートの開いているシナプスのみ
入っていく。
たまたまゲートが開いていると……
❶昼食にラーメンを食べたといった日常的な些細な記憶の入力では、ゲートは開くが、
記憶保持用タンパク質は作られない。
❷その直後に、大地震のような強烈な体験があって長期記憶保持用タンパク質PRPが作られると、
大地震体験のシナプスだけではなく、たまたま開いていた日常的体験のシナプスにもPRPが入り込む。
こうなると、本来は数日で忘れるような記憶が、いつまでも保持される。
シナプスタグの実態は?
20年前に提唱されたこの説は、今でも有力だ。
私たちは、その検証を行い、タグの実態を突き止めようとした。
まず、記憶保持用タンパク質の一種であるVesl-1S(Homer-1a)の働きを顕微鏡で追跡した。
そしてVesl-1S は神経細胞の細胞体の部分
で合成された後、全てのシナプスの近くまで運ばれていることを視認した。
シナプスには、情報の送り手側と受け手側になる神経細胞があり、受け手側のシナプスには
「スパイン」というトゲのような突起になっている。
私たちは、Vesl-1S が全てのスパインの
入り口近くに達するものの、中にまで入っていくのは入力を受けて活動したスパインのみである
ことを見出した。
スパインの入り口にゲート(門)があり、シナプスが活動するとこれが開いて記憶保持用タンパク質
を中に通す。
フライとモリスが想定したシナプスタグの実態は、スパインの入り口にあるゲートだったのだ。
このような仕組みで特定の記憶だけに対応するシナプス特異性が保障され、それぞれの記憶は混線する
ことなく正確に蓄えられる。
ここで先ほどの問いに戻ろう
行動タグに見られる本来は短期記憶で終わるもの(昼食の内容やマウス実験での盃などの新しい物)
が、なぜ長期記憶となったのだろうか。
この謎はシナプスタグで説明できる。
神経細胞では以下のようなことが起きていたのだと考えられる。
まず、昼食にラーメンを食べたことやマウス実験での新しい物など、短期間覚えている程度の弱い
信号が、ある神経細胞のシナプスAに来る。
この入力によって、シナプスAのスパインのゲートは開くが、長期記憶保存用のタンパク質は作られない。
その前後1時間ほどの間に、大地震やマウス実験での隙間だらけの床といった強烈な体験による
強い信号が、同じ神経細胞のシナプスBにはいる。シナプスBからの信号を受け、細胞体で記憶保持用
タンパク質が合成される。
些細なことの記憶を担っていたシナプスAのスパインにも記憶保持用タンパク質が届き、たまたま
ゲートが開いていたためこれを取り込み、シナプス結合が強化される。
短期的なシナプス強化で終わるはずだったシナプスAの強化が長期的に持続するようになり、
ラーメンを食べたことやマウス実験での新しい物の記憶が長期化する。
ゲートの実体やこうしたシナプスレベルでの仕組みが、記憶どうしの連合の仕組みとして一般化
できるかどうかは今後に残された課題である。
新しい技術が研究を進める
ここ10年ほどの記憶研究は驚くべきスピードで進んできた。
新しい実験技術の開発が、従来はアプローチできなかった疑問に取り組むことを可能にしているのだ。
特に、神経細胞の活動を光のオン・オフで制御できるようにした光遺伝学と、今回は紹介しなかっ
たが、超小型内視鏡を用いた脳内の神経細胞活動のリアルタイム可視化技術の登場は大きい。
これらの技術は、今後も脳科学研究に大きなインパクトを与えるだろう。
脳は情報を細胞集団としてのセルアセンブリという形で符号化して処理する。
そのセルアセンブリはシナプスどうしの得意的な結合で形成される。
リアルタイム可視化技術は、それらの現象を目で見える形で提供してくれるが、得られたデータは
膨大なものとなる。
今後は、ビッグデータの数理的な解析が重要になってくるだろう。(了)
著者 井ノ口薫(いのくち・かおる)
富山大学大学院医学薬学研究部(医学)教授。
専門は分子脳科学。
名古屋大学農学部を卒業後、同大学大学院農学研究科で博士号を1984年に取得。
米コロンビア大学医学部、三菱化成生命科学研究所などを経て、2009年より現職。
分子生物学・生化学から細胞生物学・組織化学・電気生理学・光遺伝学・行動薬理学までの
幅広い手法を用いて、記憶形成メカニズムを研究している。
もっと知るには…
『記憶をあやつる』、井ノ口薫著、角川選書、2015年。
『記憶をコントロールする:分子脳科学の挑戦』、井ノ口薫著、岩波科学ライブラリー、2013年。
参考文献:別冊日経サイエンス『最新科学が解き明かす脳と心』
2017年12月16日刊
発行:日経サイエンス社 発売:日本経済新聞出版社
2019年04月23日
強烈な体験の前後では 些細なことも長い記憶する
最終的には、心の働きの脳内メカニズムについて述べていきます。
記憶を作り変えるB
強烈な体験の前後では
些細なことも長い記憶する
神経細胞には数多くのシナプスがあり、それを通じて他の神経細胞と情報をやり取りしている。
海馬や大脳皮質では、1つの神経細胞がそれぞれ数万個程度のシナプス結合で他の神経細胞とつながっている。
1つひとつの神経細胞に着目すると、自身が持つたくさんのシナプスでの結合を用いて異なるセルアセンブリに
所属しているらしい。
記憶が連合するときに、シナプスのレベルでは何が起こっているのだろうか?
この質問に対する答えは完全には明らかにされていないが、その取っかかりとなる研究が進められつつある。
「行動タグとシナプスタグ」である。
東日本大震災が起こった2011年3月11日の事は、地震発生の2〜3時間前から些細な出来事を含めて妙にはっきりと覚えている人が多い。
例えば、昼食にはよく行く店でラーメンを食べたといったようなことである。
ほんの数日前の昼食に何を食べたのかさえ、記憶があやふやになることが多いのに、震災の日のことは数年
経ってもしっかりと記憶しているのだ。
このように、強烈な体験をするとその前後の些細な出来事も一緒に長期記憶として保存されてしまうことが
あり、これを「行動タグ」と呼んでいる。
この現象は人間だけでなくマウスのような実験動物でも生じることが報告されている。
行動タグも2つの記憶が関連付けられる現象だ。
私たちのグループは、行動タグが成立するときには、些細なことと強烈な体験の記憶痕跡セルアセンブリが
オーバーラップしてくることを発見した。
実験では、マウスがすぐに忘れるような記憶の課題と強烈な体験を組み合わせた。
まず、マウスにとっては初めての“新しい物”を置いたケージにマウスを入れる。
新しい物には盃(さかづき)やスタンプなどを使った。
マウスには見慣れない物なので、鼻先を近づけて長い時間をかけて探索する。
一旦ケージから出し30分後に戻しても、今度はそれほど長時間の探索はしない。
マウスには既知の物になったからだ。
しかし、1日経つと忘れていまい、新しい物として再び探索に長い時間をかけるようになる。
同じマウスに強烈な体験もさせる。
床が、細い棒を広い間隔で並べただけの隙間だらけになっているケージに入れるのだ。
新しい物の課題と強烈な体験の間隔が1時間以内だと、マウスは新しいものを長時間記憶するようになる。
行動タグが成立するのだ。
しかし、3時間以上離れているとすぐに忘れてしまい行動タグは成立しなかった。
これらの記憶に関与する海馬では、行動タグが成立する場合、それぞれの記憶に対応するセルアセンブリの
オーバーラップが増大した。
先ほど紹介した実験と同じ手法で、光遺伝学の手法によって強烈な体験の記憶痕跡セルアセンブリの活動を
人為的に抑制したところ、盃などの新しい物の記憶が思い出せなくなった。
行動タグが成立するには、些細な出来事と強烈な体験のセルアセンブリがオーバーラップすることが重要だと
わかる。
さて、その時にシナプスのレベルでは何が起きているのだろう。
この問いの答えを紹介する前に、まずは記憶の混線が起きない仕組みを紹介しよう。
個々の記憶は別々に覚える
ここまで記憶の連合について話してきたが、それも1つひとつの記憶を“個別に”覚えているからこそ可能な
わけだ。
私はワインを飲みながら、テレビで世界陸上の100メートル決勝のボルトの走りを見たことを覚えているが、ワインを飲んでいるのはボルトで、走っているのは自分といった記憶の混線は生じない。
あまりに当たり前なので、気にもとめないだろうが、1つひとつのイベントを厳密に区別して覚えていないと、記憶の混線は避けられないはずなのだ。
なぜ、そのようなことが可能なのだろうか?
その説明として、1997年にドイツのフライ(Uwe Frey)と英国のモリス(Richard G. M. Morris)は
「シナプスタグ」という仮説を提唱した。
シナプスタグ説では、1つの神経細胞は1つの記憶だけに関与しているのではなく、複数の記憶に関与して
いると考える。
Aという記憶とBという記憶が関連付けを欠いた独立した記憶であっても、それぞれを担うセルアセンブリは
完全に別というわけではなく、数は少ないものの両方のセルアセンブリに所属する(つまり、両方の記憶を
担う)神経細胞が存在するというのだ。
その神経細胞では、AグループのシナプスとBグループのシナプスはつながる相手が異なるために、
それぞれ別の記憶を保持していることになる。
つまり、それぞれのシナプスは同じ細胞に付随しているにもかかわらず、異なる集団に属しているわけだ。
シナプスを介してつながる細胞は、互いがつながるべき相手を厳密に認識して結合していることになる。
これは、シナプス特異性と呼ばれている。
シナプス特異性に関する最大の謎は、神経細胞が個々のシナプスをどうやって区別しているか、という点だ。
シナプスでの結びつきを強化して長期間保たれる記憶となるには記憶保持用のタンパク質が必要となり、
それはPRP(plasticity-related protein)と総称されている。
「それぞれが異なる相手とつながっている多数のシナプスを、どのように区別しているのか」という問いは、
言い換えれば「記憶保持用タンパク質PRPをどうやって必要とするシナプスだけに届けているのか」と
いうことになる。
あるシナプスに長期記憶の入力があると、そのシグナルが核に伝わり、遺伝子発現を誘導してシナプス強化用
のタンパク質PRPを合成する。
しかし、このタンパク質は強化すべきシナプスのみで使われなければならない。
そうでないと、関係のない情報に関与しているシナプスまで強化してしまい、「私はワインを飲みながら世界
陸上の決勝で走った」という支離滅裂な記憶になりかねない。
フライとモリスは2経路実験と呼ぶ電気生理学的な実験から、活動したシナプスには何らかの痕跡(シナプス
タグ)ができるのだろうと提唱した。
タグの実態は、当時は不明のままだったが、タグを持つシナプスのみが識別されることで、そのシナプスのみ
に記憶保持用タンパク質が届くとした。
言い換えると、細胞体で合成されたPRPは全てのシナプスに運ばれるが、タグを持つシナプスだけがPRPを
利用して結合を強化できると考えた。
参考文献:別冊日経サイエンス『最新科学が解き明かす脳と心』
2017年12月16日刊
発行:日経サイエンス社 発売:日本経済新聞出版社
記憶を作り変えるB
強烈な体験の前後では
些細なことも長い記憶する
神経細胞には数多くのシナプスがあり、それを通じて他の神経細胞と情報をやり取りしている。
海馬や大脳皮質では、1つの神経細胞がそれぞれ数万個程度のシナプス結合で他の神経細胞とつながっている。
1つひとつの神経細胞に着目すると、自身が持つたくさんのシナプスでの結合を用いて異なるセルアセンブリに
所属しているらしい。
記憶が連合するときに、シナプスのレベルでは何が起こっているのだろうか?
この質問に対する答えは完全には明らかにされていないが、その取っかかりとなる研究が進められつつある。
「行動タグとシナプスタグ」である。
東日本大震災が起こった2011年3月11日の事は、地震発生の2〜3時間前から些細な出来事を含めて妙にはっきりと覚えている人が多い。
例えば、昼食にはよく行く店でラーメンを食べたといったようなことである。
ほんの数日前の昼食に何を食べたのかさえ、記憶があやふやになることが多いのに、震災の日のことは数年
経ってもしっかりと記憶しているのだ。
このように、強烈な体験をするとその前後の些細な出来事も一緒に長期記憶として保存されてしまうことが
あり、これを「行動タグ」と呼んでいる。
この現象は人間だけでなくマウスのような実験動物でも生じることが報告されている。
行動タグも2つの記憶が関連付けられる現象だ。
私たちのグループは、行動タグが成立するときには、些細なことと強烈な体験の記憶痕跡セルアセンブリが
オーバーラップしてくることを発見した。
実験では、マウスがすぐに忘れるような記憶の課題と強烈な体験を組み合わせた。
まず、マウスにとっては初めての“新しい物”を置いたケージにマウスを入れる。
新しい物には盃(さかづき)やスタンプなどを使った。
マウスには見慣れない物なので、鼻先を近づけて長い時間をかけて探索する。
一旦ケージから出し30分後に戻しても、今度はそれほど長時間の探索はしない。
マウスには既知の物になったからだ。
しかし、1日経つと忘れていまい、新しい物として再び探索に長い時間をかけるようになる。
同じマウスに強烈な体験もさせる。
床が、細い棒を広い間隔で並べただけの隙間だらけになっているケージに入れるのだ。
新しい物の課題と強烈な体験の間隔が1時間以内だと、マウスは新しいものを長時間記憶するようになる。
行動タグが成立するのだ。
しかし、3時間以上離れているとすぐに忘れてしまい行動タグは成立しなかった。
これらの記憶に関与する海馬では、行動タグが成立する場合、それぞれの記憶に対応するセルアセンブリの
オーバーラップが増大した。
先ほど紹介した実験と同じ手法で、光遺伝学の手法によって強烈な体験の記憶痕跡セルアセンブリの活動を
人為的に抑制したところ、盃などの新しい物の記憶が思い出せなくなった。
行動タグが成立するには、些細な出来事と強烈な体験のセルアセンブリがオーバーラップすることが重要だと
わかる。
さて、その時にシナプスのレベルでは何が起きているのだろう。
この問いの答えを紹介する前に、まずは記憶の混線が起きない仕組みを紹介しよう。
個々の記憶は別々に覚える
ここまで記憶の連合について話してきたが、それも1つひとつの記憶を“個別に”覚えているからこそ可能な
わけだ。
私はワインを飲みながら、テレビで世界陸上の100メートル決勝のボルトの走りを見たことを覚えているが、ワインを飲んでいるのはボルトで、走っているのは自分といった記憶の混線は生じない。
あまりに当たり前なので、気にもとめないだろうが、1つひとつのイベントを厳密に区別して覚えていないと、記憶の混線は避けられないはずなのだ。
なぜ、そのようなことが可能なのだろうか?
その説明として、1997年にドイツのフライ(Uwe Frey)と英国のモリス(Richard G. M. Morris)は
「シナプスタグ」という仮説を提唱した。
シナプスタグ説では、1つの神経細胞は1つの記憶だけに関与しているのではなく、複数の記憶に関与して
いると考える。
Aという記憶とBという記憶が関連付けを欠いた独立した記憶であっても、それぞれを担うセルアセンブリは
完全に別というわけではなく、数は少ないものの両方のセルアセンブリに所属する(つまり、両方の記憶を
担う)神経細胞が存在するというのだ。
その神経細胞では、AグループのシナプスとBグループのシナプスはつながる相手が異なるために、
それぞれ別の記憶を保持していることになる。
つまり、それぞれのシナプスは同じ細胞に付随しているにもかかわらず、異なる集団に属しているわけだ。
シナプスを介してつながる細胞は、互いがつながるべき相手を厳密に認識して結合していることになる。
これは、シナプス特異性と呼ばれている。
シナプス特異性に関する最大の謎は、神経細胞が個々のシナプスをどうやって区別しているか、という点だ。
シナプスでの結びつきを強化して長期間保たれる記憶となるには記憶保持用のタンパク質が必要となり、
それはPRP(plasticity-related protein)と総称されている。
「それぞれが異なる相手とつながっている多数のシナプスを、どのように区別しているのか」という問いは、
言い換えれば「記憶保持用タンパク質PRPをどうやって必要とするシナプスだけに届けているのか」と
いうことになる。
あるシナプスに長期記憶の入力があると、そのシグナルが核に伝わり、遺伝子発現を誘導してシナプス強化用
のタンパク質PRPを合成する。
しかし、このタンパク質は強化すべきシナプスのみで使われなければならない。
そうでないと、関係のない情報に関与しているシナプスまで強化してしまい、「私はワインを飲みながら世界
陸上の決勝で走った」という支離滅裂な記憶になりかねない。
フライとモリスは2経路実験と呼ぶ電気生理学的な実験から、活動したシナプスには何らかの痕跡(シナプス
タグ)ができるのだろうと提唱した。
タグの実態は、当時は不明のままだったが、タグを持つシナプスのみが識別されることで、そのシナプスのみ
に記憶保持用タンパク質が届くとした。
言い換えると、細胞体で合成されたPRPは全てのシナプスに運ばれるが、タグを持つシナプスだけがPRPを
利用して結合を強化できると考えた。
参考文献:別冊日経サイエンス『最新科学が解き明かす脳と心』
2017年12月16日刊
発行:日経サイエンス社 発売:日本経済新聞出版社
2019年04月22日
2つの記憶を連合させる
最終的には、心の働きの脳内メカニズムについて述べていきます。
記憶を作り変えるB
記憶の実態は、神経細胞の特定の集団だ
一部の細胞が活動すると集団全体が活動する
2つの記憶を連合させる
マウスに丸い部屋での体験と、よく分からない部屋に入れられていきなり電気ショックを与えられた経験を
学習させる。
それぞれの体験に対して、脳では特定のセルアセンブリができる。
マウスがくつろいでいる時に、レーザー光照射で両方のセルアセンブリを一緒に活性化させる。
マウスは丸い部屋の記憶と電気ショック記憶を同時に想起する。
その後、丸い部屋に入れると電気ショックへの恐怖に対するすくみ反応を見せるようになる。
別の形の部屋ではすくみ反応は見せない。
記憶をつなげ、切り離す
こうして、完全に人工的な手法でも、記憶を連合できることを示せた。
さらに、重要なことが示唆された。
「記憶が連合するときに記憶痕跡セルアセンブリで何が起こっているのか」という、
かねてからの謎に対する答えだ。
この実験では、記憶を連合させために、それぞれのセルアセンブリを同期活動させた。
個々の記憶に対する記憶痕跡セルアセンブリは、本来は別々のものであったのが、同期活動することで
シナプス結合の増強(シナプスの長期増強)を起こし、両者に所属する神経細胞(オーバーラップ神経細胞)
が増え、それらを介して1つの記憶痕跡セルアセンブリになったらしい。
その結果、丸い部屋を思い出せば、電気ショックが自動的に思い出されるようになったわけだ。
2つの記憶が連合するときに、それぞれの記憶痕跡セルアセンブリの間で両方に属する神経細胞が増えること
は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校のシルバ(Alcino Silva)のグループやカナダのトロント大学の
ジョセリン(Sheena Josselyn)のブループも報告している。
シルバらは、数時間以内に異なる2つの空間を経験すると、それぞれの空間記憶どうしの間に関連付けが起
きることを見出した。
同様に、ジョセリンらは、異なる恐怖体験を数時間以内に経験すると、恐怖記憶どうしが関連付けられること
を示した。
シルバらは海馬、ジョセリンらは扁桃体において、記憶が連合するときにそれぞれの記憶痕跡セルアセンブリ
で両方に属するオーバーラップ細胞が増大することを見出している。
そこで、私たちはオーバーラップした記憶痕跡セルアセンブリの役割を調べることにした。
ます、2つの異なる記憶課題をマウスに学習させた。
選んだ課題は味覚嫌悪学習と音恐怖条件づけ学習である。
味覚嫌悪学習では、マウスの好きな甘いサッカリン水溶液を与え、その30分後に軽い毒である塩化リチウム
溶液を投与して、気だるい状態になるようにした。
すると、マウスは大好きだったはずのサッカリン水溶液を避けるようになる。
一方、音恐怖条件づけ学習では、ブザー音と足への電気ショックを組み合わせた。
これを学習したマウスは、ブザー音を聞くと電気ショックへの恐怖からすくみ反応を示すようになる。
それぞれの学習は数日の間を空けて行っているので、味覚嫌悪と音恐怖は関連のないものとして記憶される。
サッカリン水溶液を飲んでも、電気ショックへの恐怖からすくむことはない。
その後、マウスがサッカリン水溶液を飲むと直ちにブザー音がなる経験を繰り返し与えた。
この時マウスは味覚嫌悪記憶を思い出すと同時に音恐怖記憶を思い出す。
すると、マウスはサッカリン水溶液を飲むとすくみ反応を示すようになった。
本来は別々に形成された味覚嫌悪記憶と音恐怖記憶が、繰り返して同時に想起されることによって
関連付けられたのだ。
同時想起を行ったマウスの脳を調べると、両方の記憶形成に関わる扁桃体で、味覚嫌悪と音恐怖の記憶痕跡
セルアセンブリの重なりが増えることが観察された。
2つの記憶が連合するときに、オーバーラップ記憶痕跡セルアセンブリが増大するわけだ。
また、繰り返し同時想起をすることで、味覚嫌悪と音恐怖のそれぞれのセルアセンブリが同期して活動し、
それが両者の間のオーバーラップを引き起こし、2つの記憶の連合が強化されることが明らかになった。
次に、この実験で関連付けられた記憶を切り離すことを試みた。
まず、遺伝子組換え技術と光遺伝学の手法を組み合わせて、オーバーラップした細胞だけに、光に反応する
タンパク質ArchTを発現させた。
ArchTを持つ神経細胞に光をあてると、その神経細胞の活動を抑制することができる。
マウスはサッカリン水溶液を飲むと、連合した記憶を思い出してすくみ反応を示す。
実験では、サッカリン水溶液を飲んだ時に、光照射することでオーバーラップしたセルアセンブリの活動だけ
を選択的に抑えるようにした。
すると、サッカリン水溶液が引き金となるすくみ反応が弱くなった。
一方で、この操作は、もともとの味覚嫌悪記憶と音恐怖条件づけ記憶の想起には、影響を与えなかった。
つまり、サッカリン水溶液への嫌悪やブザー音でのすくみ反応は消滅しないのだ。
これらの一連の実験をまとめる。
独立した2つの記憶は、繰り返し同時想起で増えていくオーバーラップしたセルアセンブリによって関連付けられることが明らかになった。
また、記憶の連合だけに関わり、記憶そのものの想起には必須でないセルアセンブリが存在することも明らかになった。
こうして、記憶が関連付けられる時にセルアセンブリレベルで起きていることはかなりわかってきた。
セルアセンブリは経験に応じてダイナミックに変化していくのだ。
脳科学研究を変えた光遺伝学
光遺伝学(オプトジェネティクス)は、レーザー光を照射することで特定の細胞だけを活性化したり不活性に
したりする技術。
この技術の登場により、特定の神経細胞の活動を自在にコントロールできるようになり、脳科学の研究が一気
に加速した。
光遺伝学では、特定の波長の光に反応する「オプシン」という膜タンパク質を使う。
オプシンは藻類などが持つタンパク質で、光の刺激によって細胞内へのイオンの出入りを調節する役割がある。
これをウイルスベクターの力を借りて、マウスのような実験動物の脳細胞などに組み込む。
こうすると、光のON/OFFで神経細胞の活動を操作することが可能になる。
オプシン遺伝子をプロモーターと呼ばれるDNA配列の後ろにつなぐと、遺伝子は特定の細胞でのみ活性化する。
改変した遺伝子をウイルスベクターに組み込んで、マウスの脳に注射する。
ウイルスベクターは多数の神経細胞に感染するが、プロモーターの制御があるため特定の神経細胞のみが
オプシンタンパク質を作る。
光ファイバーを脳に挿入し、神経細胞に光を当てて、特定の神経活動をコントロールする。
参考文献:別冊日経サイエンス『最新科学が解き明かす脳と心』
2017年12月16日刊
発行:日経サイエンス社 発売:日本経済新聞出版社
記憶を作り変えるB
記憶の実態は、神経細胞の特定の集団だ
一部の細胞が活動すると集団全体が活動する
2つの記憶を連合させる
マウスに丸い部屋での体験と、よく分からない部屋に入れられていきなり電気ショックを与えられた経験を
学習させる。
それぞれの体験に対して、脳では特定のセルアセンブリができる。
マウスがくつろいでいる時に、レーザー光照射で両方のセルアセンブリを一緒に活性化させる。
マウスは丸い部屋の記憶と電気ショック記憶を同時に想起する。
その後、丸い部屋に入れると電気ショックへの恐怖に対するすくみ反応を見せるようになる。
別の形の部屋ではすくみ反応は見せない。
記憶をつなげ、切り離す
こうして、完全に人工的な手法でも、記憶を連合できることを示せた。
さらに、重要なことが示唆された。
「記憶が連合するときに記憶痕跡セルアセンブリで何が起こっているのか」という、
かねてからの謎に対する答えだ。
この実験では、記憶を連合させために、それぞれのセルアセンブリを同期活動させた。
個々の記憶に対する記憶痕跡セルアセンブリは、本来は別々のものであったのが、同期活動することで
シナプス結合の増強(シナプスの長期増強)を起こし、両者に所属する神経細胞(オーバーラップ神経細胞)
が増え、それらを介して1つの記憶痕跡セルアセンブリになったらしい。
その結果、丸い部屋を思い出せば、電気ショックが自動的に思い出されるようになったわけだ。
2つの記憶が連合するときに、それぞれの記憶痕跡セルアセンブリの間で両方に属する神経細胞が増えること
は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校のシルバ(Alcino Silva)のグループやカナダのトロント大学の
ジョセリン(Sheena Josselyn)のブループも報告している。
シルバらは、数時間以内に異なる2つの空間を経験すると、それぞれの空間記憶どうしの間に関連付けが起
きることを見出した。
同様に、ジョセリンらは、異なる恐怖体験を数時間以内に経験すると、恐怖記憶どうしが関連付けられること
を示した。
シルバらは海馬、ジョセリンらは扁桃体において、記憶が連合するときにそれぞれの記憶痕跡セルアセンブリ
で両方に属するオーバーラップ細胞が増大することを見出している。
そこで、私たちはオーバーラップした記憶痕跡セルアセンブリの役割を調べることにした。
ます、2つの異なる記憶課題をマウスに学習させた。
選んだ課題は味覚嫌悪学習と音恐怖条件づけ学習である。
味覚嫌悪学習では、マウスの好きな甘いサッカリン水溶液を与え、その30分後に軽い毒である塩化リチウム
溶液を投与して、気だるい状態になるようにした。
すると、マウスは大好きだったはずのサッカリン水溶液を避けるようになる。
一方、音恐怖条件づけ学習では、ブザー音と足への電気ショックを組み合わせた。
これを学習したマウスは、ブザー音を聞くと電気ショックへの恐怖からすくみ反応を示すようになる。
それぞれの学習は数日の間を空けて行っているので、味覚嫌悪と音恐怖は関連のないものとして記憶される。
サッカリン水溶液を飲んでも、電気ショックへの恐怖からすくむことはない。
その後、マウスがサッカリン水溶液を飲むと直ちにブザー音がなる経験を繰り返し与えた。
この時マウスは味覚嫌悪記憶を思い出すと同時に音恐怖記憶を思い出す。
すると、マウスはサッカリン水溶液を飲むとすくみ反応を示すようになった。
本来は別々に形成された味覚嫌悪記憶と音恐怖記憶が、繰り返して同時に想起されることによって
関連付けられたのだ。
同時想起を行ったマウスの脳を調べると、両方の記憶形成に関わる扁桃体で、味覚嫌悪と音恐怖の記憶痕跡
セルアセンブリの重なりが増えることが観察された。
2つの記憶が連合するときに、オーバーラップ記憶痕跡セルアセンブリが増大するわけだ。
また、繰り返し同時想起をすることで、味覚嫌悪と音恐怖のそれぞれのセルアセンブリが同期して活動し、
それが両者の間のオーバーラップを引き起こし、2つの記憶の連合が強化されることが明らかになった。
次に、この実験で関連付けられた記憶を切り離すことを試みた。
まず、遺伝子組換え技術と光遺伝学の手法を組み合わせて、オーバーラップした細胞だけに、光に反応する
タンパク質ArchTを発現させた。
ArchTを持つ神経細胞に光をあてると、その神経細胞の活動を抑制することができる。
マウスはサッカリン水溶液を飲むと、連合した記憶を思い出してすくみ反応を示す。
実験では、サッカリン水溶液を飲んだ時に、光照射することでオーバーラップしたセルアセンブリの活動だけ
を選択的に抑えるようにした。
すると、サッカリン水溶液が引き金となるすくみ反応が弱くなった。
一方で、この操作は、もともとの味覚嫌悪記憶と音恐怖条件づけ記憶の想起には、影響を与えなかった。
つまり、サッカリン水溶液への嫌悪やブザー音でのすくみ反応は消滅しないのだ。
これらの一連の実験をまとめる。
独立した2つの記憶は、繰り返し同時想起で増えていくオーバーラップしたセルアセンブリによって関連付けられることが明らかになった。
また、記憶の連合だけに関わり、記憶そのものの想起には必須でないセルアセンブリが存在することも明らかになった。
こうして、記憶が関連付けられる時にセルアセンブリレベルで起きていることはかなりわかってきた。
セルアセンブリは経験に応じてダイナミックに変化していくのだ。
脳科学研究を変えた光遺伝学
光遺伝学(オプトジェネティクス)は、レーザー光を照射することで特定の細胞だけを活性化したり不活性に
したりする技術。
この技術の登場により、特定の神経細胞の活動を自在にコントロールできるようになり、脳科学の研究が一気
に加速した。
光遺伝学では、特定の波長の光に反応する「オプシン」という膜タンパク質を使う。
オプシンは藻類などが持つタンパク質で、光の刺激によって細胞内へのイオンの出入りを調節する役割がある。
これをウイルスベクターの力を借りて、マウスのような実験動物の脳細胞などに組み込む。
こうすると、光のON/OFFで神経細胞の活動を操作することが可能になる。
オプシン遺伝子をプロモーターと呼ばれるDNA配列の後ろにつなぐと、遺伝子は特定の細胞でのみ活性化する。
改変した遺伝子をウイルスベクターに組み込んで、マウスの脳に注射する。
ウイルスベクターは多数の神経細胞に感染するが、プロモーターの制御があるため特定の神経細胞のみが
オプシンタンパク質を作る。
光ファイバーを脳に挿入し、神経細胞に光を当てて、特定の神経活動をコントロールする。
参考文献:別冊日経サイエンス『最新科学が解き明かす脳と心』
2017年12月16日刊
発行:日経サイエンス社 発売:日本経済新聞出版社
2019年04月21日
新しい記憶を作り出す
最終的には、心の働きの脳内メカニズムについて述べていきます。
記憶を作り変えるA
新しい記憶を作り出す
1990年公開の『トータル・リコール』という有名なSF映画がある。
人気俳優アーノルド・シュワルツェネッガー演じる主人公は、ある組織から自分の過去についての偽の
記憶を脳内に植え付けられてしまう。
このアイデアはもちろん1990年においては全くの虚構だった。
しかし、それから四半世紀過ぎた今、少なくともマウスの世界では夢物語ではなくなっている。
脳に蓄えられている記憶のことを、私たち研究者は「記憶痕跡(記憶エングラム)」と呼んでいる。
その実体は、ある経験をした時に活動した特定の神経細胞集団(セルアセンブリ)だ。
記憶はセルアセンブリの形で符号化されて蓄えられている。
セルアセンブリが再び活動すると、その記憶が想起される。
学習時に一緒に活動した神経細胞どうしは強い連絡で結ばれているため、何かのきっかけで一部の神経
細胞が活動すると、このセルアセンブリ全体が活動し、その結果として記憶が想起されるのだ。
異なる記憶痕跡には異なるセルアセンブリが対応する。
では、複数の記憶が連合する時にセルアセンブリでは一体何が起こっているのだろうか?
2015年に私たちは、完全に独立した古い記憶を人為的に連合させ、新しい記憶を作り出すことに
成功した。
映画『トータル・リコール』の虚構世界に比べればシンプルとはいえ、新しい記憶をマウスに植え付けること
に実験的に成功したのだ。
2つの記憶を連合させる
実験にはマウスへの恐怖条件付け学習を用いた。
手順は次の通りだ。
まず、マウスを実験用の丸い部屋に入れる。
初めての環境なのでマウスは興味を持って探索行動を始める。
ここで6分ほど遊ばせ、「丸い部屋に入った」という記憶を根づかさせる。
次に、一旦丸い部屋から取り出し30分ほど時間を置いてから、今度は四角の部屋に入れるが、
いきなり電気ショックを与え、すぐにそこから取り出す。
マウスにとっては「なんだかよくわからないけど、どっかの部屋に入れられて、ビリッとした」という
経験をしたわけだ。
ここでポイントとなるのは、ビリッとした経験は覚えているが、どんな部屋でビリッとしたのかは
覚えていない点だ。
部屋の様子を観察するまでもなく電気ショックを与えられ、すぐに出されてしまったからだ。
翌日、これらのマウスを丸いへやに入れても怖がることはない。
このことから、丸い部屋の体験と電気ショックの恐怖体験は独立した記憶として覚え込まれたことが
わかる。
次に、遺伝子組み換え技術と光遺伝学の技術を組み合わせて、これらの独立した記憶を人為的に連合
できるかどうかを試みた。
操作するのは脳の海馬という領域と扁桃体という領域だ。
ヒトでもマウスでも、海馬は記憶を司る部位で、扁桃体は恐怖や喜びといった感情の記憶に関わる
場所だ。
丸い部屋に入った時に活動した海馬と扁桃体のセルアセンブリ(丸い部屋の記憶痕跡)と電気色を
受けた時に活動した海馬と扁桃体のセルアセンブリ(電気ショックの記憶痕跡)に遺伝子操作で
チャネルロドプシン2という青い光に反応するタンパク質が発現するようにした。
このタンパク質を発現した神経細胞は、青い光をあてることによって活性化させることができる。
丸い部屋体験と電気ショック体験の1日後に、いつもの飼育箱(ホームケージ)でくつろいでいる
マウスに、海馬と扁桃体に刺した光ファイバーを通じて青色レーザー光を2分間照射し、チャネル
ロドプシン発現細胞を活動させた。
この操作をすると、丸い部屋のセルアセンブリと電気ショックのセルアセンブリが同期して活動する
ことになる。
2つの記憶を無理やり同時に蘇らせるわけである。
マウスからすると、丸い部屋の記憶と電気ショックの記憶がフラッシュバックしている。
翌日、これらのマウスを丸い部屋に入れると、身体をすくませた。
恐怖を感じているしるしだ。
それぞれ独立した記憶をもつ記憶痕跡セルアセンブリが、ホームケージにいる時に強制的に同期して
活動させられることで、本来は関係のない2つの記憶が関連づけられたわけだ。
だから、丸い部屋に入れられて、丸い部屋のセルアセンブリが活動すると、電気ショック記憶のセル
アセンブリが引きづられて活動し、マウスは恐怖反応を示したのだ。
さらに、この実験のように人工的に作られた連合記憶と通常の生理的な条件下での連合記憶は、質的な
違いはないこともわかった。
その根拠は2つある。
1つは、記憶が連合するときの分子メカニズムが同じであったことだ。
神経細胞は長い突起を伸ばした独特の形をしている。
この突起にある「シナプス」を介して他の神経細胞と情報のやり取りをしている。
普段、記憶の連合が生じる時には、タンパク質の合成とNMDA受容体を必要とする。
NMDA受容体は神経細胞の表面にあり、シナプスで情報をやり取りする時に使われる。
タンパク質の合成を阻害したり、NMDA受容体を働けなくすると、記憶の連合は起きなくなる。
これと同じことが、人為的な記憶の連合でも観察できた。
もう1つの根拠は、人為的に連合された恐怖記憶も、通常の方法で形成された連合記憶と同じように
時間経過とともに「記憶の般化」という過程をたどっていった点だ。
一般的に、恐怖記憶は体験から時間の経った遠隔記憶になると、場所の特異性が失われ、学習時の空間
とは異なる空間(違う箱)でも恐怖反応を示すようになる。
これを「記憶の般化」と呼んでいる。
この実験でも当初は丸いへやに入れられることが引き金になって恐怖反応を示したことが、記憶の般化
が起きると何らかの部屋に入れられるだけで恐怖反応を示すようになる。
参考文献:別冊日経サイエンス『最新科学が解き明かす脳と心』
2017年12月16日刊
発行:日経サイエンス社 発売:日本経済新聞出版社
記憶を作り変えるA
新しい記憶を作り出す
1990年公開の『トータル・リコール』という有名なSF映画がある。
人気俳優アーノルド・シュワルツェネッガー演じる主人公は、ある組織から自分の過去についての偽の
記憶を脳内に植え付けられてしまう。
このアイデアはもちろん1990年においては全くの虚構だった。
しかし、それから四半世紀過ぎた今、少なくともマウスの世界では夢物語ではなくなっている。
脳に蓄えられている記憶のことを、私たち研究者は「記憶痕跡(記憶エングラム)」と呼んでいる。
その実体は、ある経験をした時に活動した特定の神経細胞集団(セルアセンブリ)だ。
記憶はセルアセンブリの形で符号化されて蓄えられている。
セルアセンブリが再び活動すると、その記憶が想起される。
学習時に一緒に活動した神経細胞どうしは強い連絡で結ばれているため、何かのきっかけで一部の神経
細胞が活動すると、このセルアセンブリ全体が活動し、その結果として記憶が想起されるのだ。
異なる記憶痕跡には異なるセルアセンブリが対応する。
では、複数の記憶が連合する時にセルアセンブリでは一体何が起こっているのだろうか?
2015年に私たちは、完全に独立した古い記憶を人為的に連合させ、新しい記憶を作り出すことに
成功した。
映画『トータル・リコール』の虚構世界に比べればシンプルとはいえ、新しい記憶をマウスに植え付けること
に実験的に成功したのだ。
2つの記憶を連合させる
実験にはマウスへの恐怖条件付け学習を用いた。
手順は次の通りだ。
まず、マウスを実験用の丸い部屋に入れる。
初めての環境なのでマウスは興味を持って探索行動を始める。
ここで6分ほど遊ばせ、「丸い部屋に入った」という記憶を根づかさせる。
次に、一旦丸い部屋から取り出し30分ほど時間を置いてから、今度は四角の部屋に入れるが、
いきなり電気ショックを与え、すぐにそこから取り出す。
マウスにとっては「なんだかよくわからないけど、どっかの部屋に入れられて、ビリッとした」という
経験をしたわけだ。
ここでポイントとなるのは、ビリッとした経験は覚えているが、どんな部屋でビリッとしたのかは
覚えていない点だ。
部屋の様子を観察するまでもなく電気ショックを与えられ、すぐに出されてしまったからだ。
翌日、これらのマウスを丸いへやに入れても怖がることはない。
このことから、丸い部屋の体験と電気ショックの恐怖体験は独立した記憶として覚え込まれたことが
わかる。
次に、遺伝子組み換え技術と光遺伝学の技術を組み合わせて、これらの独立した記憶を人為的に連合
できるかどうかを試みた。
操作するのは脳の海馬という領域と扁桃体という領域だ。
ヒトでもマウスでも、海馬は記憶を司る部位で、扁桃体は恐怖や喜びといった感情の記憶に関わる
場所だ。
丸い部屋に入った時に活動した海馬と扁桃体のセルアセンブリ(丸い部屋の記憶痕跡)と電気色を
受けた時に活動した海馬と扁桃体のセルアセンブリ(電気ショックの記憶痕跡)に遺伝子操作で
チャネルロドプシン2という青い光に反応するタンパク質が発現するようにした。
このタンパク質を発現した神経細胞は、青い光をあてることによって活性化させることができる。
丸い部屋体験と電気ショック体験の1日後に、いつもの飼育箱(ホームケージ)でくつろいでいる
マウスに、海馬と扁桃体に刺した光ファイバーを通じて青色レーザー光を2分間照射し、チャネル
ロドプシン発現細胞を活動させた。
この操作をすると、丸い部屋のセルアセンブリと電気ショックのセルアセンブリが同期して活動する
ことになる。
2つの記憶を無理やり同時に蘇らせるわけである。
マウスからすると、丸い部屋の記憶と電気ショックの記憶がフラッシュバックしている。
翌日、これらのマウスを丸い部屋に入れると、身体をすくませた。
恐怖を感じているしるしだ。
それぞれ独立した記憶をもつ記憶痕跡セルアセンブリが、ホームケージにいる時に強制的に同期して
活動させられることで、本来は関係のない2つの記憶が関連づけられたわけだ。
だから、丸い部屋に入れられて、丸い部屋のセルアセンブリが活動すると、電気ショック記憶のセル
アセンブリが引きづられて活動し、マウスは恐怖反応を示したのだ。
さらに、この実験のように人工的に作られた連合記憶と通常の生理的な条件下での連合記憶は、質的な
違いはないこともわかった。
その根拠は2つある。
1つは、記憶が連合するときの分子メカニズムが同じであったことだ。
神経細胞は長い突起を伸ばした独特の形をしている。
この突起にある「シナプス」を介して他の神経細胞と情報のやり取りをしている。
普段、記憶の連合が生じる時には、タンパク質の合成とNMDA受容体を必要とする。
NMDA受容体は神経細胞の表面にあり、シナプスで情報をやり取りする時に使われる。
タンパク質の合成を阻害したり、NMDA受容体を働けなくすると、記憶の連合は起きなくなる。
これと同じことが、人為的な記憶の連合でも観察できた。
もう1つの根拠は、人為的に連合された恐怖記憶も、通常の方法で形成された連合記憶と同じように
時間経過とともに「記憶の般化」という過程をたどっていった点だ。
一般的に、恐怖記憶は体験から時間の経った遠隔記憶になると、場所の特異性が失われ、学習時の空間
とは異なる空間(違う箱)でも恐怖反応を示すようになる。
これを「記憶の般化」と呼んでいる。
この実験でも当初は丸いへやに入れられることが引き金になって恐怖反応を示したことが、記憶の般化
が起きると何らかの部屋に入れられるだけで恐怖反応を示すようになる。
参考文献:別冊日経サイエンス『最新科学が解き明かす脳と心』
2017年12月16日刊
発行:日経サイエンス社 発売:日本経済新聞出版社
2019年04月20日
記憶を作り変える
最終的には、心の働きの脳内メカニズムについて述べていきます。
記憶を新しくつくり、消し去る実験
・私たちの記憶は、それに対応する特定の細胞集団(セルアセンブリ)として脳に蓄えられている。
・マウスの実験で記憶A(丸い部屋)と記憶B(電気ショック)のセルアセンブリを繰り返し同期させて活性化
させると、マウスは記憶Aの丸い部屋に入れられたことをきっかけに、記憶Bの電気ショックを想起して
恐怖反応を示すようになった。
記憶を新しく関連づけることができたのだ。
両方のセルアセンブリに属するオーバーラップ細胞が増えたためだろう。
・逆に関連づいていた記憶を切り離すことも可能だ。
オーバーラップ細胞の活動を実験的に抑えると、2つの記憶を切り離すことができた。
・こうした研究は新しい実験技術が可能にした。
技術の進歩のおかげで脳科学は飛躍的な進歩を遂げている。
記憶を作り変える
独立した2つの記憶を結びつけて新しい記憶にしたり
結びついている記憶を切り離したり
SFのような話だがマウスの実験では可能になっている
井ノ口馨(いのぐち かおる) 富山大学
脳科学の究極の目標は、人間の精神の営みを理解することだ。
精神の営みの基盤には「知識や概念」がある。
私たちが何かを志向するときには、過去に獲得した知識を使いながら新しい事柄を考えていく。
創造性も、そのベースになっているのは過去の知識だ。
知識や概念は1つひとつの記憶や体験をて適切に関連づける(連合させる)ことで形成される。
もし記憶どうしを関連づけることができなければ、知識を形成できず、精神的な営みもできない。
そうした意味で、「記憶の連合」は人間の精神の営みの最も根源にあるといえる。
異なる記憶どうしを連合してあらたな意味をもつ記憶や知識を形成する能力は、脳がもつ最も重要な機能の
1つだ。
私たちは毎日膨大な量の情報を外界から受けている。
それらの記憶は1つひとつが独立したものではなく、互いに関連付けられて脳内に蓄えられていく。
例えば、仕事が終わってからのくつろいだディナーの場面。
料理の味や香りだけでなく、レストランの雰囲気、窓から見える夜景、その時間を共にした仲間との会話、
部屋に流れるピアノの音色―。
それらの記憶は別々のものではなく、夜の素晴らしいひとときの記憶として関連付けされ蓄えられていく。
このように、出来事には必ず複数の情報が含まれている。
記憶として保持するには、脳の各部から送られてくる複数の情報を1個の『記憶』としてまとめ上げなければ
ならない。
概念形成にも記憶の関連付け
さらに、たくさんの記憶が蓄えられていくにつれ、似たような記憶は県連付けられていき、
新たな意味をもった記憶に更新されていく。
私たちはラブラドールレトリーバーを見ても、マルチーズを見ても、「犬」と認識する。
しかし、犬という概念を持っていなければ、あれだけ大きさも形も違う動物を同種のものとは思わない
だろう。
子どもはまわりの大人から「あれはワンワン、犬だね」とか「違うよ、あれニャーニャー、猫よ」などと
繰り返し教えられるうちに、犬とほかの動物の区別がつくようになり、やがては初めて見る犬種でも、
犬だとわかるようになる。
動物を見たときに似たような記憶を脳内から探し出し、比較検討を重ねた結果、犬であると結論付け、
新たな知識=記憶を得るのだ。
人間にとって知識や概念の形成は、異なる経験を通して獲得した記憶を既存の記憶に適切に関連付けていく
作業だと言える。
脳内では個々の記憶が相互に作用し合うことで新たな結びつきが生まれ、既存の記憶が更新されていくと
考えられている。
一方で、関連付けが不適切に行われると、精神疾患の症状を示したり、記憶錯誤などに陥ったりすることも
考えられる。
本来は関連性の弱い記憶どうしの不必要な結びつきはPTSD(心的外傷後ストレス障害)にも関わっていて、
これを理解することは医学的にも重要だ。
PTSDは、強い恐怖などのトラウマ体験の記憶と本来はニュートラルなほかの記憶が不必要に結びつき、
ニュートラルな刺激でトラウマ体験を想起してしまうと考えられている。
このような観点から、記憶どうしが関連付けられる仕組みに関して、多くの神経科学者が研究を進めている。
光遺伝子(オプトジェネティクス)をはじめとする新しい実験技術の登場で、記憶研究は大きな転換期を
迎え、飛躍的に進展している。
これらの技術で神経細胞集団の活動を自由に操ることが可能になり、記憶が連合されて新しい意味をもつ記憶
が形成される仕組みが明らかになってきた。
参考文献:別冊日経サイエンス『最新科学が解き明かす脳と心』
2017年12月16日刊
発行:日経サイエンス社 発売:日本経済新聞出版社
記憶を新しくつくり、消し去る実験
・私たちの記憶は、それに対応する特定の細胞集団(セルアセンブリ)として脳に蓄えられている。
・マウスの実験で記憶A(丸い部屋)と記憶B(電気ショック)のセルアセンブリを繰り返し同期させて活性化
させると、マウスは記憶Aの丸い部屋に入れられたことをきっかけに、記憶Bの電気ショックを想起して
恐怖反応を示すようになった。
記憶を新しく関連づけることができたのだ。
両方のセルアセンブリに属するオーバーラップ細胞が増えたためだろう。
・逆に関連づいていた記憶を切り離すことも可能だ。
オーバーラップ細胞の活動を実験的に抑えると、2つの記憶を切り離すことができた。
・こうした研究は新しい実験技術が可能にした。
技術の進歩のおかげで脳科学は飛躍的な進歩を遂げている。
記憶を作り変える
独立した2つの記憶を結びつけて新しい記憶にしたり
結びついている記憶を切り離したり
SFのような話だがマウスの実験では可能になっている
井ノ口馨(いのぐち かおる) 富山大学
脳科学の究極の目標は、人間の精神の営みを理解することだ。
精神の営みの基盤には「知識や概念」がある。
私たちが何かを志向するときには、過去に獲得した知識を使いながら新しい事柄を考えていく。
創造性も、そのベースになっているのは過去の知識だ。
知識や概念は1つひとつの記憶や体験をて適切に関連づける(連合させる)ことで形成される。
もし記憶どうしを関連づけることができなければ、知識を形成できず、精神的な営みもできない。
そうした意味で、「記憶の連合」は人間の精神の営みの最も根源にあるといえる。
異なる記憶どうしを連合してあらたな意味をもつ記憶や知識を形成する能力は、脳がもつ最も重要な機能の
1つだ。
私たちは毎日膨大な量の情報を外界から受けている。
それらの記憶は1つひとつが独立したものではなく、互いに関連付けられて脳内に蓄えられていく。
例えば、仕事が終わってからのくつろいだディナーの場面。
料理の味や香りだけでなく、レストランの雰囲気、窓から見える夜景、その時間を共にした仲間との会話、
部屋に流れるピアノの音色―。
それらの記憶は別々のものではなく、夜の素晴らしいひとときの記憶として関連付けされ蓄えられていく。
このように、出来事には必ず複数の情報が含まれている。
記憶として保持するには、脳の各部から送られてくる複数の情報を1個の『記憶』としてまとめ上げなければ
ならない。
概念形成にも記憶の関連付け
さらに、たくさんの記憶が蓄えられていくにつれ、似たような記憶は県連付けられていき、
新たな意味をもった記憶に更新されていく。
私たちはラブラドールレトリーバーを見ても、マルチーズを見ても、「犬」と認識する。
しかし、犬という概念を持っていなければ、あれだけ大きさも形も違う動物を同種のものとは思わない
だろう。
子どもはまわりの大人から「あれはワンワン、犬だね」とか「違うよ、あれニャーニャー、猫よ」などと
繰り返し教えられるうちに、犬とほかの動物の区別がつくようになり、やがては初めて見る犬種でも、
犬だとわかるようになる。
動物を見たときに似たような記憶を脳内から探し出し、比較検討を重ねた結果、犬であると結論付け、
新たな知識=記憶を得るのだ。
人間にとって知識や概念の形成は、異なる経験を通して獲得した記憶を既存の記憶に適切に関連付けていく
作業だと言える。
脳内では個々の記憶が相互に作用し合うことで新たな結びつきが生まれ、既存の記憶が更新されていくと
考えられている。
一方で、関連付けが不適切に行われると、精神疾患の症状を示したり、記憶錯誤などに陥ったりすることも
考えられる。
本来は関連性の弱い記憶どうしの不必要な結びつきはPTSD(心的外傷後ストレス障害)にも関わっていて、
これを理解することは医学的にも重要だ。
PTSDは、強い恐怖などのトラウマ体験の記憶と本来はニュートラルなほかの記憶が不必要に結びつき、
ニュートラルな刺激でトラウマ体験を想起してしまうと考えられている。
このような観点から、記憶どうしが関連付けられる仕組みに関して、多くの神経科学者が研究を進めている。
光遺伝子(オプトジェネティクス)をはじめとする新しい実験技術の登場で、記憶研究は大きな転換期を
迎え、飛躍的に進展している。
これらの技術で神経細胞集団の活動を自由に操ることが可能になり、記憶が連合されて新しい意味をもつ記憶
が形成される仕組みが明らかになってきた。
参考文献:別冊日経サイエンス『最新科学が解き明かす脳と心』
2017年12月16日刊
発行:日経サイエンス社 発売:日本経済新聞出版社