2019年04月21日
新しい記憶を作り出す
最終的には、心の働きの脳内メカニズムについて述べていきます。
記憶を作り変えるA
新しい記憶を作り出す
1990年公開の『トータル・リコール』という有名なSF映画がある。
人気俳優アーノルド・シュワルツェネッガー演じる主人公は、ある組織から自分の過去についての偽の
記憶を脳内に植え付けられてしまう。
このアイデアはもちろん1990年においては全くの虚構だった。
しかし、それから四半世紀過ぎた今、少なくともマウスの世界では夢物語ではなくなっている。
脳に蓄えられている記憶のことを、私たち研究者は「記憶痕跡(記憶エングラム)」と呼んでいる。
その実体は、ある経験をした時に活動した特定の神経細胞集団(セルアセンブリ)だ。
記憶はセルアセンブリの形で符号化されて蓄えられている。
セルアセンブリが再び活動すると、その記憶が想起される。
学習時に一緒に活動した神経細胞どうしは強い連絡で結ばれているため、何かのきっかけで一部の神経
細胞が活動すると、このセルアセンブリ全体が活動し、その結果として記憶が想起されるのだ。
異なる記憶痕跡には異なるセルアセンブリが対応する。
では、複数の記憶が連合する時にセルアセンブリでは一体何が起こっているのだろうか?
2015年に私たちは、完全に独立した古い記憶を人為的に連合させ、新しい記憶を作り出すことに
成功した。
映画『トータル・リコール』の虚構世界に比べればシンプルとはいえ、新しい記憶をマウスに植え付けること
に実験的に成功したのだ。
2つの記憶を連合させる
実験にはマウスへの恐怖条件付け学習を用いた。
手順は次の通りだ。
まず、マウスを実験用の丸い部屋に入れる。
初めての環境なのでマウスは興味を持って探索行動を始める。
ここで6分ほど遊ばせ、「丸い部屋に入った」という記憶を根づかさせる。
次に、一旦丸い部屋から取り出し30分ほど時間を置いてから、今度は四角の部屋に入れるが、
いきなり電気ショックを与え、すぐにそこから取り出す。
マウスにとっては「なんだかよくわからないけど、どっかの部屋に入れられて、ビリッとした」という
経験をしたわけだ。
ここでポイントとなるのは、ビリッとした経験は覚えているが、どんな部屋でビリッとしたのかは
覚えていない点だ。
部屋の様子を観察するまでもなく電気ショックを与えられ、すぐに出されてしまったからだ。
翌日、これらのマウスを丸いへやに入れても怖がることはない。
このことから、丸い部屋の体験と電気ショックの恐怖体験は独立した記憶として覚え込まれたことが
わかる。
次に、遺伝子組み換え技術と光遺伝学の技術を組み合わせて、これらの独立した記憶を人為的に連合
できるかどうかを試みた。
操作するのは脳の海馬という領域と扁桃体という領域だ。
ヒトでもマウスでも、海馬は記憶を司る部位で、扁桃体は恐怖や喜びといった感情の記憶に関わる
場所だ。
丸い部屋に入った時に活動した海馬と扁桃体のセルアセンブリ(丸い部屋の記憶痕跡)と電気色を
受けた時に活動した海馬と扁桃体のセルアセンブリ(電気ショックの記憶痕跡)に遺伝子操作で
チャネルロドプシン2という青い光に反応するタンパク質が発現するようにした。
このタンパク質を発現した神経細胞は、青い光をあてることによって活性化させることができる。
丸い部屋体験と電気ショック体験の1日後に、いつもの飼育箱(ホームケージ)でくつろいでいる
マウスに、海馬と扁桃体に刺した光ファイバーを通じて青色レーザー光を2分間照射し、チャネル
ロドプシン発現細胞を活動させた。
この操作をすると、丸い部屋のセルアセンブリと電気ショックのセルアセンブリが同期して活動する
ことになる。
2つの記憶を無理やり同時に蘇らせるわけである。
マウスからすると、丸い部屋の記憶と電気ショックの記憶がフラッシュバックしている。
翌日、これらのマウスを丸い部屋に入れると、身体をすくませた。
恐怖を感じているしるしだ。
それぞれ独立した記憶をもつ記憶痕跡セルアセンブリが、ホームケージにいる時に強制的に同期して
活動させられることで、本来は関係のない2つの記憶が関連づけられたわけだ。
だから、丸い部屋に入れられて、丸い部屋のセルアセンブリが活動すると、電気ショック記憶のセル
アセンブリが引きづられて活動し、マウスは恐怖反応を示したのだ。
さらに、この実験のように人工的に作られた連合記憶と通常の生理的な条件下での連合記憶は、質的な
違いはないこともわかった。
その根拠は2つある。
1つは、記憶が連合するときの分子メカニズムが同じであったことだ。
神経細胞は長い突起を伸ばした独特の形をしている。
この突起にある「シナプス」を介して他の神経細胞と情報のやり取りをしている。
普段、記憶の連合が生じる時には、タンパク質の合成とNMDA受容体を必要とする。
NMDA受容体は神経細胞の表面にあり、シナプスで情報をやり取りする時に使われる。
タンパク質の合成を阻害したり、NMDA受容体を働けなくすると、記憶の連合は起きなくなる。
これと同じことが、人為的な記憶の連合でも観察できた。
もう1つの根拠は、人為的に連合された恐怖記憶も、通常の方法で形成された連合記憶と同じように
時間経過とともに「記憶の般化」という過程をたどっていった点だ。
一般的に、恐怖記憶は体験から時間の経った遠隔記憶になると、場所の特異性が失われ、学習時の空間
とは異なる空間(違う箱)でも恐怖反応を示すようになる。
これを「記憶の般化」と呼んでいる。
この実験でも当初は丸いへやに入れられることが引き金になって恐怖反応を示したことが、記憶の般化
が起きると何らかの部屋に入れられるだけで恐怖反応を示すようになる。
参考文献:別冊日経サイエンス『最新科学が解き明かす脳と心』
2017年12月16日刊
発行:日経サイエンス社 発売:日本経済新聞出版社
記憶を作り変えるA
新しい記憶を作り出す
1990年公開の『トータル・リコール』という有名なSF映画がある。
人気俳優アーノルド・シュワルツェネッガー演じる主人公は、ある組織から自分の過去についての偽の
記憶を脳内に植え付けられてしまう。
このアイデアはもちろん1990年においては全くの虚構だった。
しかし、それから四半世紀過ぎた今、少なくともマウスの世界では夢物語ではなくなっている。
脳に蓄えられている記憶のことを、私たち研究者は「記憶痕跡(記憶エングラム)」と呼んでいる。
その実体は、ある経験をした時に活動した特定の神経細胞集団(セルアセンブリ)だ。
記憶はセルアセンブリの形で符号化されて蓄えられている。
セルアセンブリが再び活動すると、その記憶が想起される。
学習時に一緒に活動した神経細胞どうしは強い連絡で結ばれているため、何かのきっかけで一部の神経
細胞が活動すると、このセルアセンブリ全体が活動し、その結果として記憶が想起されるのだ。
異なる記憶痕跡には異なるセルアセンブリが対応する。
では、複数の記憶が連合する時にセルアセンブリでは一体何が起こっているのだろうか?
2015年に私たちは、完全に独立した古い記憶を人為的に連合させ、新しい記憶を作り出すことに
成功した。
映画『トータル・リコール』の虚構世界に比べればシンプルとはいえ、新しい記憶をマウスに植え付けること
に実験的に成功したのだ。
2つの記憶を連合させる
実験にはマウスへの恐怖条件付け学習を用いた。
手順は次の通りだ。
まず、マウスを実験用の丸い部屋に入れる。
初めての環境なのでマウスは興味を持って探索行動を始める。
ここで6分ほど遊ばせ、「丸い部屋に入った」という記憶を根づかさせる。
次に、一旦丸い部屋から取り出し30分ほど時間を置いてから、今度は四角の部屋に入れるが、
いきなり電気ショックを与え、すぐにそこから取り出す。
マウスにとっては「なんだかよくわからないけど、どっかの部屋に入れられて、ビリッとした」という
経験をしたわけだ。
ここでポイントとなるのは、ビリッとした経験は覚えているが、どんな部屋でビリッとしたのかは
覚えていない点だ。
部屋の様子を観察するまでもなく電気ショックを与えられ、すぐに出されてしまったからだ。
翌日、これらのマウスを丸いへやに入れても怖がることはない。
このことから、丸い部屋の体験と電気ショックの恐怖体験は独立した記憶として覚え込まれたことが
わかる。
次に、遺伝子組み換え技術と光遺伝学の技術を組み合わせて、これらの独立した記憶を人為的に連合
できるかどうかを試みた。
操作するのは脳の海馬という領域と扁桃体という領域だ。
ヒトでもマウスでも、海馬は記憶を司る部位で、扁桃体は恐怖や喜びといった感情の記憶に関わる
場所だ。
丸い部屋に入った時に活動した海馬と扁桃体のセルアセンブリ(丸い部屋の記憶痕跡)と電気色を
受けた時に活動した海馬と扁桃体のセルアセンブリ(電気ショックの記憶痕跡)に遺伝子操作で
チャネルロドプシン2という青い光に反応するタンパク質が発現するようにした。
このタンパク質を発現した神経細胞は、青い光をあてることによって活性化させることができる。
丸い部屋体験と電気ショック体験の1日後に、いつもの飼育箱(ホームケージ)でくつろいでいる
マウスに、海馬と扁桃体に刺した光ファイバーを通じて青色レーザー光を2分間照射し、チャネル
ロドプシン発現細胞を活動させた。
この操作をすると、丸い部屋のセルアセンブリと電気ショックのセルアセンブリが同期して活動する
ことになる。
2つの記憶を無理やり同時に蘇らせるわけである。
マウスからすると、丸い部屋の記憶と電気ショックの記憶がフラッシュバックしている。
翌日、これらのマウスを丸い部屋に入れると、身体をすくませた。
恐怖を感じているしるしだ。
それぞれ独立した記憶をもつ記憶痕跡セルアセンブリが、ホームケージにいる時に強制的に同期して
活動させられることで、本来は関係のない2つの記憶が関連づけられたわけだ。
だから、丸い部屋に入れられて、丸い部屋のセルアセンブリが活動すると、電気ショック記憶のセル
アセンブリが引きづられて活動し、マウスは恐怖反応を示したのだ。
さらに、この実験のように人工的に作られた連合記憶と通常の生理的な条件下での連合記憶は、質的な
違いはないこともわかった。
その根拠は2つある。
1つは、記憶が連合するときの分子メカニズムが同じであったことだ。
神経細胞は長い突起を伸ばした独特の形をしている。
この突起にある「シナプス」を介して他の神経細胞と情報のやり取りをしている。
普段、記憶の連合が生じる時には、タンパク質の合成とNMDA受容体を必要とする。
NMDA受容体は神経細胞の表面にあり、シナプスで情報をやり取りする時に使われる。
タンパク質の合成を阻害したり、NMDA受容体を働けなくすると、記憶の連合は起きなくなる。
これと同じことが、人為的な記憶の連合でも観察できた。
もう1つの根拠は、人為的に連合された恐怖記憶も、通常の方法で形成された連合記憶と同じように
時間経過とともに「記憶の般化」という過程をたどっていった点だ。
一般的に、恐怖記憶は体験から時間の経った遠隔記憶になると、場所の特異性が失われ、学習時の空間
とは異なる空間(違う箱)でも恐怖反応を示すようになる。
これを「記憶の般化」と呼んでいる。
この実験でも当初は丸いへやに入れられることが引き金になって恐怖反応を示したことが、記憶の般化
が起きると何らかの部屋に入れられるだけで恐怖反応を示すようになる。
参考文献:別冊日経サイエンス『最新科学が解き明かす脳と心』
2017年12月16日刊
発行:日経サイエンス社 発売:日本経済新聞出版社
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