2014年04月18日
ともかくも一度は見て置こうかと思っている
三十日の夜に額田六福が熱海から廻って来た。額田も私の話を聴かされて、あしたの晩は一緒に行こうという。しかも三十一日の当日は朝のうちに俄雨、午後は曇天で霧が深い。元箱根までわざわざ登って行って、雨天順延では困ると、二人はすこしく躊躇していたが、恐らく雨にはなるまいと土地の人たちが云うのに励まされて、七時頃から二人は自動車に乗って出た。
箱根遊船会社が拓いたという専用道路をのぼって行くと、一路平坦、殊に先刻から懸念していた山霧は次第に晴れて、陰暦五日の月があらわれたので、まず安心とよろこんでいると、湖尻に着いた頃から燈籠の光がちらちら見えはじめた。元箱根に行き着くと、町はなかなか賑わっている。大祭を当込みの露店商人が両側に店をならべて、土地の人々と遊覧の人々の往来しげく、山の上とは思えないような雑沓である。昔も相当に繁昌したのではあろうが、所詮は蕭条たる山上の孤駅、その繁昌は今日の十分の一にも及ばなかったに相違ない。
満巻上人のむかしは勿論、曾我五郎の箱王丸が箱根権現に勤めていたのも遠い昔であるから、それらの時代の回顧はしばらく措いて近世の江戸時代になっても、箱根の関守たちはどの程度の繁昌をこの夜に見出したであろうか。第一に湖畔の居住者が少ない。
上越の美容院
満巻上人のむかしは勿論、曾我五郎の箱王丸が箱根権現に勤めていたのも遠い昔であるから、それらの時代の回顧はしばらく措いて近世の江戸時代になっても、箱根の関守たちはどの程度の繁昌をこの夜に見出したであろうか。第一に湖畔の居住者が少ない。
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