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2014年04月18日
かぐつちは目黒の寺に祟りして
瀧泉寺には比翼塚以外に有名の墓があるが、これは比較的に知られていない。遊女の艶話は一般に喧伝され易く、学者の功績はとかく忘却され易いのも、世の習いであろう。それはいわゆる甘藷先生の青木昆陽の墓である。もっとも、境内の丘上と丘下に二つの碑が建てられていて、その一は明治三十五年中に、芝・麻布・赤坂三区内の焼芋商らが建立したもの、他は明治四十四年中に、都下の名士、学者、甘藷商らによって建立されたものである。

病後静養のために箱根に転地、強羅の一福旅館に滞在。七月下旬のある日、散歩ながら強羅停車場へ出てゆくと三十一日午後七時から蘆の湖で燈籠流しを催すという掲示があって、雨天順延と註されていた。
 けさの諸新聞の神奈川版にも同様の記事が掲げられていたのを、私は思い出した。宿へ帰って訊いてみると、蘆の湖の燈籠流しは年々の行事で、八月一日は箱根神社の大祭、その宵宮に催されるものであるという。
 さらに案内記を調べると、今より一千一百余年前の天平勝宝年間に満巻上人という高僧が箱根権現の社に留まっていた。湖水の西の淵には九つの頭を有する悪龍が棲んでいて、土地の少女を其の生贄として取り啖っていたが、満巻上人の神呪によってさすがの悪龍も永く蟄伏し、少女の生贄に代えて赤飯を供えることになった。それが一種の神事となって今も廃れず、大祭当日には赤飯を入れた白木の唐櫃を舟にのせて湖心に漕ぎ出で、神官が祝詞を唱えてそれを水中に沈めるのを例とし、その前夜に燈籠流しを行なうことは前に云った通りである。
上尾にも人気のblissがあります
Posted by salchan at 05:48 | この記事のURL
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