2014年04月18日
草青み目黒は政岡小むらさき
寺を語れば、行人坂の大円寺をも語らなければならない。行人坂は下目黒にあって、寛永の頃、ここに湯殿山行人派の寺が開かれた為に、坂の名を行人と呼ぶことになったという。そんな考証はしばらく措いて、目黒行人坂の名が江戸人にあまねく知られるようになったのは、明和年間の大火、いわゆる行人坂の火事以来である。
行人坂の大円寺に、通称長五郎坊主という悪僧があった。彼は放蕩破戒のために、住職や檀家に憎まれたのを恨んで、明和九年二月二十八日の正午頃、わが住む寺に放火した。折りから西南の風が強かったので、その火は白金、麻布方面から江戸へ燃えひろがり、下町全部と丸の内を焼いた。江戸開府以来の大火は、明暦の振袖火事と明和の行人坂火事で、相撲でいえば両横綱の格であるから、行人坂の名が江戸人の頭脳に深く刻み込まれたのも無理はなかった。
そういう歴史も現代の東京人に忘れられて、坂の名のみが昔ながらに残っている。
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