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批判の精神はどこにいったのか?
この程度で伊藤みきを止められなかったと書かない、嘘つき具合は、佐村河内を全ろうとして報道し続けたのと同じレベルだ。
大体、4年間がんばったから、他の選手に譲るのは嫌だということを聞いていたらきりがない。
『ケガしちゃいましたけど、私はやります。そのために4年間頑張ってきたんですから、とにかく代表が決まるか決まらないか、その時までは諦めない』
・・・はあ、それで?
最後の絞めは、
出場できる状況にないことは明白(7日に2回目を棄権することが発表された)。伊藤はソチの舞台に立てなかったが、五輪よりも険しい負傷からの“復帰ロード”は見事だった。
・・・論理的におかしいだろう。どこに負傷から復帰した部分があったのか?意味不明で日本語力というか、論理的にものを考えることのできない恥しらず。恥知らずレベルでは伊藤みきとお仲間だからお仲間お手盛り記事なのかもしれない。
最適なメンバーで挑戦するところを、出場できない選手を入れてしまう弱さ。
この伊藤みきのおかげでオリンピックのレベルが下がってしまった。
お涙ちょうだい?
単なるわがままなので反吐が出るレベルで、怒りしか感じない。
もう伊藤みきという悪名を聞くことが今後ないことを願いたい。
退路を切って押して出場した選手が、ゾンビのように次を目指すなどといった選択肢はないはずだ。
yahooより。
http://sochi.headlines.yahoo.co.jp/sochi/hl?a=20140207-00000035-tospoweb-spo
この問題。
4人枠しかなくて、その枠を満たす選手は伊藤みきまでの4人しかいない、ということで正当化しようとする意見がある。
しかし、選考基準があるとすれば、滑れない選手はそもそも基準を満たしていないということになる。
ルールを曲げてまで行かせる理由があるかということであろう。
複数の医者は手術を受けるようにアドバイスをしたという経緯がある。
こうした経緯を一人の医者の判断でソチ行きを決定できる仕組みはやはりおかしい。
基準を満たさない人は、あくまで選手に入れない。4人の枠があるからではなく、3人の枠だっただけだ。モーグル伊藤みき「号泣棄権」の深層 なぜ荻原健司部長は出場認めたのか
東スポWeb 2月7日(金)17時44分
【ロシア・ソチ6日(日本時間7日)発】ソチ五輪は波乱の幕開けとなった。7日の開会式に先立ち女子モーグルの予選が行われ、右膝前十字靭帯損傷を押して強行出場した伊藤みき(26=北野建設)は直前の公式トレーニングで右足を痛め、そのまま戦線離脱となった。もともと一歩間違えば、選手生命も失いかねない危険な賭け。わかっていながら、どうしてこんな事態になったのか。舞台裏を追った。
アクシデントが襲ったのは午後5時40分ごろ。伊藤はミドルセクションの脇でしばし様子をうかがった後、リズミカルにコブを滑り始めて第2エアに向かった。ここまで温存していた大技のバックフリップをついに決行。高さのある「X字」を描き鮮やかに舞った。
ところが…着地でかがみ込むようにバランスを崩すと、ゴール後に転倒。右ヒザを押さえて悲鳴を上げた。すぐにコーチが駆け寄ったものの、伊藤は起き上がれない。ヘルメットを外した伊藤は、遠目からもはっきりわかるほど号泣。再び右ヒザを負傷したことは明らかだった。
その後、伊藤は抱えられて控室に移動。この時は「まだ出る気で、連れていってやろうとした」(林辰男監督)。予選が始まるのはわずか20分後。目の前まで迫ったチャンスを簡単には諦められないが、伊藤はついに断念。涙ながらに「私はやめます」と林監督に告げ、予選が終わり切らないうちに宿舎へと戻っていった。
日本オリンピック委員会(JOC)の奥脇透ドクター(54)は「着地で痛めた。それほどひどいとは思いません。新しいケガではない」と症状を説明。林監督は原因について「バーンが硬いから、着地の時、ヒザをひねっちゃった」。ソチのコースは雪質が硬くなり、コブの難度が上昇。伊藤の直前にも外国人選手が負傷し、タンカ送りになっていた。“ガラスのヒザ”が耐え切れなかったのも無理はない。
ただ、一方でこうなることはある程度、予想できたのも確かだ。右ヒザは全治8か月の重傷。急斜面を滑り降り、回転技を繰り出すモーグルは、一歩誤れば選手生命どころか今後の人生に影響する可能性があった。では、なぜこんな危険な賭けを周囲は認めたのか?
実際、所属のスキー部部長の“キング・オブ・スキー”荻原健司氏(44)の元には様々な形で欠場を促す声が寄せられた。
「説得できるのは荻原部長しかいないんだから、そうしなさいよ」「彼女の長い選手生活のことを考えれば今はやめといたほうがいい。それを助言しろ」――。
荻原氏自身も伊藤の身を案じ「欠場勧告」が頭をよぎったほど。それでもゴーサインを出したのは、伊藤から荻原氏に直談判があったからだ。
「『これは、ちょっと今季終わっちゃったかな、ソチ終わっちゃったかな』と思っていたら、彼女のほうから連絡きて『ケガしちゃいましたけど、私はやります。そのために4年間頑張ってきたんですから、とにかく代表が決まるか決まらないか、その時までは諦めない』っていう決意を早速聞きました。こりゃ強いな、並大抵の精神の持ち主じゃないなと思いました」(荻原氏)
“キング・オブ・スキー”は気迫に圧倒されて喉まで出かかった言葉をのみ込んだという。そこで伊藤の支援に全力を尽くすと決意。ともにスキーを滑り、激励の言葉をかけ続けた。全日本スキー連盟(SAJ)のフリースタイル部長として、処遇を一任されていた林監督も、医者の判断をもとに慎重に状態を見極めて伊藤を送り出した。
伊藤の挑戦は「無謀」と言われても仕方ない結果にはなったが、周囲はそれも織り込み済み。「五輪はまた挑戦できる。足が完全にダメであれば、きちっと本人に話はしました」(林監督)
国際スキー連盟により8日の予選2回目にエントリーされたが、出場できる状況にないことは明白(7日に2回目を棄権することが発表された)。伊藤はソチの舞台に立てなかったが、五輪よりも険しい負傷からの“復帰ロード”は見事
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