2018年01月19日
新ホトトギス3円のD欄分室名入りエラー櫛型印「大湊局宇田分室」
今回の消印はエラー櫛型印になります。海上自衛隊大湊地方総監部の近くに分室があり、この施設は戦前から存在したと言うことを考慮すると昭和18年に分室が設置されていたため、海軍用の分室であったのかもしれません。この分室は長く存在しておりエラー印も有名であったことから注文消しが多く作られています。横バー抜けのエラー印、大湊局宇田分室印です。
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(局の変遷)
1943年12月21日〜1995年4月2日=大湊郵便局 宇田分室
1995年4月3日〜1997年4月1日=むつ郵便局 宇田分室
(ウィキペディアより抜粋)
大湊に海軍が最初に配備されたのは、1902年(明治35年)8月1日に横須賀鎮守府所属の帝国海軍大湊水雷団が置かれたことである。もともと北海道室蘭市に「室蘭鎮守府」が設置される予定であったが、ロシアの脅威が差し迫っており、津軽海峡の防備を重視するために、大湊に変更されたといわれている。1941年(昭和16年)11月20日、横須賀鎮守府から独立し「大湊警備府」に昇格。1945年(昭和20年)8月、第二次世界大戦の敗戦により同年11月30日、日本海軍が解体され大湊警備府も廃止された。
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(局の変遷)
1943年12月21日〜1995年4月2日=大湊郵便局 宇田分室
1995年4月3日〜1997年4月1日=むつ郵便局 宇田分室
(ウィキペディアより抜粋)
大湊に海軍が最初に配備されたのは、1902年(明治35年)8月1日に横須賀鎮守府所属の帝国海軍大湊水雷団が置かれたことである。もともと北海道室蘭市に「室蘭鎮守府」が設置される予定であったが、ロシアの脅威が差し迫っており、津軽海峡の防備を重視するために、大湊に変更されたといわれている。1941年(昭和16年)11月20日、横須賀鎮守府から独立し「大湊警備府」に昇格。1945年(昭和20年)8月、第二次世界大戦の敗戦により同年11月30日、日本海軍が解体され大湊警備府も廃止された。