2016年09月02日
「美」のマインドセットとは?心から「美しい」と思わせる人について語ります。
こんばんは。
水樹です
最近は、40代50代でも、
明らかに数十年前とは違って、
若く美しく見える方がいらっしゃいます。
ただ、そのような方々のなかで、
心から感動するような美しさを備えている人は、
「あの人、〇歳若く見えるわ〜!」と思わせる次元ではないほど、
本当に美しかったりします。
つまり、「美」に年齢は関係ないということです。
なぜ、40代50代以上の一部の方々を「美魔女」と呼ぶのか
私には未だにピンと来ないのです。
いくつになっても美しい人は、年齢に関係なく、
「美女」と呼べばいいのでは?、と思います。
最近のCMでは更年期のことを「ゆらぎ期」と呼び、
「更年期」という言葉に付きまとうイメージを払拭しようとしています。
確かにイメージは大事ですが、
このようにオブラートに包まれるたび、
年齢が高いことはそんなにコンプレックスに値することなのだろうかと
逆に考えさせられてしまいます。
「美女」は「美女」。
「更年期」は「更年期」。
それ以上でもそれ以下でもないので、
年齢コンプレックスを隠すことによって、
ますますそのコンプレックスを潜在意識の中に
埋もれさせることがないようにしたいと思います。
つまり、現実をしっかりと受け止め、
内心は「おばさん」と思われているであろうことも
ちゃんと認めてこそ、
凛とした美しさが備わるのではないかと思っています。
最近、「マインドセット」という言葉がよく聞かれますが、
「美」についてもそういうものがあると思われ、
「美」が内面から滲み出てくるような方が
たま〜にいらっしゃいます。
そういう方は滅多にいませんが、稀にいらっしゃるのです。
そのような方は、「美」が含まれる言葉によって
自分を形容することは決してありません。
そのような言葉をもって、自己主張することもありません。
ただ、「凛」とそこに存在して、
周囲が「美しい」と言わざるを得ないほどの
オーラを放っているのです。
誰しも毎日、決して楽なことや楽しいことばかりではありません。
でも、「美しい」と(自称ではなく)他人から評価される人は
愚痴や不平不満、悪口や言い訳をせず、
常に口角を上げて笑顔で過ごします。
でも、それは、
決してお人好しでヘラヘラしているという意味ではなく、
怒るべきときは怒る。
特に大事な人が傷つけられたときは容赦なく怒る。
「怒り」の使い方や矛先を間違えない。
それも「美しい」と言われる人の条件の一つです。
「40を過ぎたら自分の顔に責任を持て」とはよく言われますが、
年齢を重ねるほどその言葉がシビアに響いてきます。
「顔」に責任を持つどころか、
「容姿」そのものに、責任を取らされることになってきます。
顔は「思考」、
体は「生活態度」を表す
履歴書のようなもの。
若い頃は多少、不平不満を言おうが、
悪口を言おうが、親からもらった容姿の
原形をとどめながら過ごすことができます。
でも、年齢を重ねると、
そのような内容を口にしてきた軌跡を
自らの容姿に表すことになり、
誤魔化しが許されないことになってきます。
それが顕著に表れている方ほど
ほぼ例外なく自覚がなく、
美意識だけが高かったりすると
一歳でも若く見せようとする闘いに
躍起になることも十分あり得ます。
皮肉なことにそれは「美」からは程遠い姿だったりするのです。
今日は自分を戒める意味でも
少しシビアに語ってみました。
「凛」としていること。
ただ、そこに存在すること。
意外と難しいです。
つい言い訳したくなる。
自己主張したくなる。
コンプレックスをひた隠して、
変な優越感に浸りたくなる。
そんな自我と静かに闘いながら、
そこに「凛」と存在する。
そんな女性になれたらいいな〜と思います。
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水樹です
最近は、40代50代でも、
明らかに数十年前とは違って、
若く美しく見える方がいらっしゃいます。
ただ、そのような方々のなかで、
心から感動するような美しさを備えている人は、
「あの人、〇歳若く見えるわ〜!」と思わせる次元ではないほど、
本当に美しかったりします。
つまり、「美」に年齢は関係ないということです。
なぜ、40代50代以上の一部の方々を「美魔女」と呼ぶのか
私には未だにピンと来ないのです。
いくつになっても美しい人は、年齢に関係なく、
「美女」と呼べばいいのでは?、と思います。
最近のCMでは更年期のことを「ゆらぎ期」と呼び、
「更年期」という言葉に付きまとうイメージを払拭しようとしています。
確かにイメージは大事ですが、
このようにオブラートに包まれるたび、
年齢が高いことはそんなにコンプレックスに値することなのだろうかと
逆に考えさせられてしまいます。
「美女」は「美女」。
「更年期」は「更年期」。
それ以上でもそれ以下でもないので、
年齢コンプレックスを隠すことによって、
ますますそのコンプレックスを潜在意識の中に
埋もれさせることがないようにしたいと思います。
つまり、現実をしっかりと受け止め、
内心は「おばさん」と思われているであろうことも
ちゃんと認めてこそ、
凛とした美しさが備わるのではないかと思っています。
最近、「マインドセット」という言葉がよく聞かれますが、
「美」についてもそういうものがあると思われ、
「美」が内面から滲み出てくるような方が
たま〜にいらっしゃいます。
そういう方は滅多にいませんが、稀にいらっしゃるのです。
そのような方は、「美」が含まれる言葉によって
自分を形容することは決してありません。
そのような言葉をもって、自己主張することもありません。
ただ、「凛」とそこに存在して、
周囲が「美しい」と言わざるを得ないほどの
オーラを放っているのです。
誰しも毎日、決して楽なことや楽しいことばかりではありません。
でも、「美しい」と(自称ではなく)他人から評価される人は
愚痴や不平不満、悪口や言い訳をせず、
常に口角を上げて笑顔で過ごします。
でも、それは、
決してお人好しでヘラヘラしているという意味ではなく、
怒るべきときは怒る。
特に大事な人が傷つけられたときは容赦なく怒る。
「怒り」の使い方や矛先を間違えない。
それも「美しい」と言われる人の条件の一つです。
「40を過ぎたら自分の顔に責任を持て」とはよく言われますが、
年齢を重ねるほどその言葉がシビアに響いてきます。
「顔」に責任を持つどころか、
「容姿」そのものに、責任を取らされることになってきます。
顔は「思考」、
体は「生活態度」を表す
履歴書のようなもの。
若い頃は多少、不平不満を言おうが、
悪口を言おうが、親からもらった容姿の
原形をとどめながら過ごすことができます。
でも、年齢を重ねると、
そのような内容を口にしてきた軌跡を
自らの容姿に表すことになり、
誤魔化しが許されないことになってきます。
それが顕著に表れている方ほど
ほぼ例外なく自覚がなく、
美意識だけが高かったりすると
一歳でも若く見せようとする闘いに
躍起になることも十分あり得ます。
皮肉なことにそれは「美」からは程遠い姿だったりするのです。
今日は自分を戒める意味でも
少しシビアに語ってみました。
「凛」としていること。
ただ、そこに存在すること。
意外と難しいです。
つい言い訳したくなる。
自己主張したくなる。
コンプレックスをひた隠して、
変な優越感に浸りたくなる。
そんな自我と静かに闘いながら、
そこに「凛」と存在する。
そんな女性になれたらいいな〜と思います。
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