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2019年05月17日

家族の木 THE SECOND STORY 俊也と真梨   <2 東京暮らし>

東京暮らし
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僕は大学は東大を選んだ。田原の家を出たかった。田原の家は、いい人ばかりだった。祖母も継父も人格者だった。東京の叔父と叔母は僕のことをいつも気にかけてくれた。

それでも田原の家はしんどかった。東大なら文句なく東京で一人住まいをさせてくれるだろう。そういう意図があって勉強に励んだ。継父も母も僕が東大に合格したのをずいぶん喜んで叔父や叔母にも電話してくれた。

叔父は東京のマンションのオーナーだった。当然、自分のマンションに住むものと決め込んでいた。でも僕は、とにかく田原の家の縛りから抜けたかった。社会勉強のために一人暮らしをすると言い張って、やっと大学のそばに暮らしてよいと許しをもらった。

ただし、一つ条件を付けられた。週一回、真梨の家庭教師をすることだった。僕が大学に入った年に真梨は都内の有名私立高校に入学していた。そこは、金持ちの子女の通う学校で有名私立大学の付属高校だった。家庭教師などやりたくないと思ったが、その条件は僕が好きだった叔父が出したものだった。

実際に生活してみると週一回は大学生にとっては結構きつい条件だった。もちろん給料は出る。友人たちも家庭教師のアルバイトをしているものは多かったが、僕は親戚の家に行って従妹の勉強を見て夕食をごちそうになる、働いた実感の湧かない新鮮味のないアルバイトだった。

しかも下手をすると泊っていけ、休日は一緒に過ごそうと声をかけてくれる。大阪生まれの叔母が慣れない東京暮らしの僕に気を使ってくれる。大学生にとってこんな面倒な話はない。

真梨にとっても面白みのない家庭教師だっただろう。友人たちは、初めて接する大学生にドキドキしながら勉強するのに、自分ときたらよく知っている従妹に勉強を教えてもらうのだ。ワクワクドキドキはなかった。この関係は3年間も続いた。

叔父や叔母と話すのは楽しかったし、なにより叔父に憧れた。情緒的な言葉をたくさん使って話をした。実業家というよりも文化人といった雰囲気があった。叔母や真梨に対して、甘々の夫、父だった。にもかかわらず事業は着実に成長させていた。目立たず地味に少しづつ成果を上げていくやり方が魅力的だった。

叔母は叔父のこの性格をよく理解していて、自分に甘くて優しい夫に難題を持ち掛けることもあったようだ。叔父は「しょうがないんだよ。身分違いの娘に手を出しちゃったからね。粉骨砕身働かないと」と笑った。幸福感と自信があふれていた。

叔母は継父の姉だった。叔父はその入り婿だった。大阪の本家は継父が継ぎ、東京の分家として会社を興していた。継父は、もともと不動産資産の多い家に生まれて、しっかりその資産を守る、品のいい仕事をこなす業界でも信用のある人物だった。

叔父はあまり表面に出ないが、時々、継父と相談して手堅い仕事をしていた。継父はこの道のプロ、叔父は新参者だった。

不思議なことに継父は大切なことは叔父に相談する。叔母も叔父のやり方に口を出さない。継父は大きな家の長男だけれども末っ子気質。叔父は貧しい育ちらしいが長男気質だった。継父と叔父はウマが合った。

叔父は昔、少しだけ作家として生活していたことがあったらしい。その名残で今でも榊島の自然に関するエッセイを書くことがある。旅行雑誌の主催者に知り合いがいるらしい。

真梨と僕は否が応にも仲良くなった。真梨が大学に進学してからも仲良くつきあった。お互いに利害関係が一致していた。同級生を紹介しあっていたのだ。僕の大学の男子と真梨の学校の女子なら世間的には、けっこう似合いのカップルだった。

真梨にも当然友人を紹介した。しかし、真梨は気がないというか、おとなしすぎるというか、なかなか交際に発展しなかった。僕は交際に発展したときには真梨には報告はしない。

こういうことは叔母は、うっすらと勘づいているようだった。叔父にはとても言えるものではなかった。叔父からみた真梨は、いつまでも可憐な少女だった。男子学生を紹介したなどと知れれば、ただ事では済まされないだろう。

僕は大学院には進学せずに、そのまま就職した。たいして向学心もないのに長々学校へ行くよりは本気でビジネスの勉強をしたかった。迷わず外資系のコンサルティング会社に就職した。忙しさも手伝って、ちょっと、叔父の家に行く頻度が少なくなっていた。


続く


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2019年05月15日

家族の木 THE SECOND STORY 俊也と真梨


母の連れ子としていつも我慢を強いられてきた俊也、お嬢様として愛に包まれて育った真梨。俊也は秀才でエリートサラリーマン。真梨はじみで目立たない素直だけれど面白みのないお嬢様。意外にも運命を動かしたのはお嬢様の真梨。二人の運命が、やがて一人の男の子の運命をも動かしていきます。

母の再婚

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僕は4歳の時に田原家に移り住んだ。僕が父だと思っていた人とは会えなくなり、田原の継父が僕の父になった。田原家は地元では名の知れた不動産会社の経営者一族だった。僕は最初一人で田原の家に預けられた。母が入院したからだ。そのころ母の恋人だった人が今の継父だ。田原の家では僕は大切にされた。祖母は継父の母で僕とは全く血縁がなかったが、いつも俊(しゅん)君、俊君といって僕をかまってくれた。東京の叔父も叔母も、会えば必ずいの一番に声をかけてくれた。

それまでの保育園をやめた代わりに私立の有名幼稚園に通った。僕は最初から先生たちに可愛がられた。ここでも継父が気を使って幼稚園に僕のことを頼んでくれたのだと思う。幼稚園では、先生によくかまってもらえる子が友達にもかまってもらえる。家でも、外でもいろいろな人が僕を気にかけてくれた。

ただ、実の母だけが僕に厳しかった。新しい環境の中で不安な中で母は僕にはとても厳しく当たった。

2年後には弟の聡一が生まれた。継父は最初この子には一という字は使わないといったらしい。それを母が押し切って聡一にした。父の聡という文字をもらって聡一だ。いかにも長男らしい名前だ。母が僕が連れ子だということをそれとなく周囲にわかるようにしたのだった。後妻に入った家への気遣いだったのだろう。この名前のおかげで、僕はいつも自分が連れ子だということを思いながら暮らした。

ある日、庭で従妹の真梨や弟の聡一と遊んでいたとき、急にトカゲが走り出てきた。古い屋敷で育った僕や聡一には見慣れたものだったが、マンション育ちの真梨は驚いて、その場で転んでしまった。膝小僧には大きな擦り傷を作っていた。真梨はトカゲに対する恐怖心と、けがの痛みで大きな泣き声をあげた。

傷の大きさをみて小学校1年生だった僕も動転した。慌てて真梨の手を引いて家に連れて帰った。真梨の傷を見て母は青くなった。女の子を育てたことがない母にとっては、その傷はずいぶんと大事件にうつったのだろう。

真梨はいつまでも泣き止まなかった。真梨の母親である叔母が出てきて、「まあまあ、エライ転んでんね。消毒しましょ。」といったとたんに、母から僕の頬に平手が飛んできた。「真梨ちゃん、女の子やのに、こんなけがさして、一体なにしたの?」と責め立てられた。

僕は突然殴られた悔しさに言い訳もできなかった。叔母はびっくりして「そんなに怒ることない。誰でも子供の時にはけがぐらいするのに。」と母をなだめた。

聡一が母に食って掛かって大泣きをする。真梨も大泣きをして、その日は玄関先で大騒ぎになってしまった。真梨はいつまでも泣き止まなかったので母もいつまでも僕を許してくれなかった。

それから30分位してから叔母が大声で、「ヨリちゃん、俊君悪くない。俊君悪くないんよ。」と言って真梨を連れてきた。

真梨は、その時4歳だった。一生懸命叔母に事情を説明したらしい。「トカゲさんが来て真梨が自分で転んだ。お兄ちゃんがおててをつないでくれた。」これを説明するのに30分かかったのだ。「お兄ちゃんをたたかないで。」といっていつまでも泣いたのだった。

その夜叔母や叔父が僕に一生懸命謝ってくれた。母も謝ってくれた。ただ、それでも僕は納得できなかった。母は僕をみて、まずたたいたのだ。悔しかった。いつもそうだった。母は、何か問題が起きるとまずは僕を叱り飛ばした。母自身が動転したときには、今日のように平手が飛んできた。

継父は、母に「俊也に厳しすぎる、俊也にやさしくしてやれ。」と言ったようだ。継父と母は普段は仲のいい夫婦だったが、時々、僕のことでぎくしゃくした。母が必要以上に僕に厳しいからだった。

続く

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2019年05月14日

家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花 <62 DNA>

DNA
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梨花の35日法要を済ませた。僕はもう疲労困憊だった。梨花ももう待ちくたびれているだろう。待ちきれなくなって一人で歩き始めてしまわないだろうか。そろそろ合流したくなってきた。

梨花が大切にしていたワインを開けよう。梨花が僕たち夫婦の金婚式用に取っていたワインがある。みんなにお礼とお詫びだ。二人続くとなかなか大変だけど、もうひと頑張りしてもらおう。僕はもう疲れた。

今日はワインを開けるにはいい日だろう。ちょうど区切りになる日だ。みんなをこの家に呼ぼう。梨花も一緒に食事をしよう。そう思った。

夕食は穏やかなものだった。僕も少しおしゃべりをした。少しぐらいは孫たちの記憶に残りたかった。絵梨も純一もいい子に育った。俊也と真梨は円満だ。梨花のおかげでお気楽なおじいちゃんになれた。

夕飯を済ませて部屋に入ったところで限界が来た。睡眠薬は前から準備していた。もういいだろう。

母さん、不思議だね。僕も母さんと同じことをするなんてね。どうも、母さんも僕も恋愛にのめり込んじゃうタイプらしいね。

今思い出したんだよ。父さんの49日の夜、母さん僕にジュースを出してくれたよね。そのジュースを飲んだ後から僕の記憶が飛んでるんだよ。何日か寝ていたんだよね。あの時、母さんは僕を連れて逝こうとしたんだよね。

母さんは本当は父さんと死にたかったんだよね。僕のために6年間も頑張った。あの時、もう限界だったんだね。僕も、もう限界だ。



THE SECOND STORY 俊也と真梨 に続く


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家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花 <61 花嫁衣装>

花嫁衣装
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梨花が家に帰ってきた。仏間に梨花を寝かせた。葬儀社が用意した白い絹の布団に梨花が横たわっていた。僕は梨花が箪笥の奥深くにしまい込んでいた深紅の着物を思い出した。梨花の母が用意していた婚礼用の着物だった。

梨花は花嫁衣裳を着ることがなかった。結婚前には真梨がおなかにいた。本人は花嫁衣装などには全く興味がないといった。それが婚礼費用を用意できない僕を気遣って出た言葉だということに気付いたのはずっと後のことだった。

田原家は一切の費用を負担しても結婚式をするべき家だった。それでも僕に親戚がいないことを気遣って結婚式には興味がないと言い切ったんだよね。鈍感な夫を許してほしい。今でも、こんなに良く似合うんだから、あのころ、この衣装を着た君はどんなにきれいだったろうか?この衣装を着て一緒に歩こう。

深紅の着物を布団の上に広げると仏間は一気に華やかな雰囲気になった。君には、この華やかさがピッタリだよ。梨花、もう少しだけ待っててほしい。あっちでも手をつないで歩こう。



続く

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2019年05月13日

家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花 <60 梨花の最期>

梨花の最期
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僕は今は、家でゆっくりと暮らしている。梨花と二人で映画館へ出かけることもある。そういう日は夕食は外で食べる。人ごみの中では手をつないで歩く。仕事もほとんど俊也に任せた。三崎もまだ元気だ。三崎は、やはり大した男だった。自分の後継をしっかりと育てて俊也のサポートをしてくれている。

梨花は最近は方向感覚が定かでなくなって、一人で外出させるのは危なくなってきた。しかし家の中では何の支障もなく食事の支度をし掃除をする。相変わらず大阪のノリで周囲を笑わせる。話の内容もおかしいところはない。ただ、住所の話をするときには途中で笑ってごまかしてしまう。

その日の朝はキッチンで機嫌よく朝食を作っていた。カウンターの下へ座ったキリなかなか立ち上がらないので見に行った時には倒れていた。救急車を呼んで、そのまま入院した。脳卒中だった。

以前にも一度、朝目覚めないので慌てて救急車を呼んだことがあった。即入院したが、その時には意識を回復して、その後何の変化もなかった。医師から小さな脳梗塞があると聞かされていた。もっと気を付けなければならなかった。

入院してから4日経った。たまに、何か言って笑うこともある。相変わらずなにか冗談を言おうとする。梨花は気を使っているときには相手を笑わせようとするのだ。

その日の夜9時頃だった。梨花は「真ちゃん、あかんたれで泣き虫の真ちゃんが大好きよ。」というと眉間にしわをよせた。「ママ。ママ。苦しい?苦しいの?」真梨がすこし大きな声を出した。

僕は真梨に2人きりにしてくれるように頼んだ。梨花の表情は僕たちが初めて関係を持った時の表情だった。僕の記憶の奥底に埋もれていたものがよみがえってきた。あの時の夢を見ているのだろう。僕の運命が変わったあの日の夢を見ているのだ。

梨花の耳元で、「梨花、そんな顔するから思い出しちゃったよ。」と声をかけた。梨花はフッと笑った。「大丈夫。すぐ行くよ。すぐ行く。直ぐだよ。すぐだ。」と声をかけると、静かにほほ笑みながら眠りについた。

梨花は僕が手をつないでいかなければ目的地にはたどり着けないだろう。行ったこともないところへ行くのに一人では不安だろう。僕だってそうだ。初めての道を一人で歩くのは寂しいに決まっている。梨花、君のせいで寂しがりな男になっちゃったよ。すぐ行くから、ちょっとだけ待っててほしいんだ。直ぐだからね。

梨花の手を握ると、ゆっくりと冷たくなっていった。


続く




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2019年05月12日

家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花  <60 二人の孫>

二人の孫

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俊也と真梨のあいだに子供が生まれた。僕の初孫だった。自分が孫というものを持つこと自体が不思議な気がした。絵梨と名付けられた。俊也によく似た美しい女の子だ。その後真梨が妊娠することは無かった。俊也も僕たちも特にそれを不満に思ってはいなかった。一番不満に思っていたのは真梨自身だった。真梨は一人っ子なので寂しかったのだと思う。

俊也夫婦は絵梨が4歳になった時に一人の男の子を養子にした。名前は純一。純一は大阪の聡一が結婚してから他の女性との間に生まれた子供でまだ1歳になっていなかった。その母親は交通事故で亡くなっていた。本来は聡一夫婦が引き取るべき子供だった。しかし聡一の妻は神経質で心が弱いということだった。

純一は僕と似た立場だった。聡から相談があったとき僕は放っておくことができなかった。僕も母が父の愛人で中学生の時に母を亡くしている。僕の場合はその時には父も無くなっていたので祖父母に育てられた。もし、聡と新幹線でしありあわなかったら今頃どうなっていたかわからない身の上だ。僕の気持ちを梨花もよく理解してくれた。

最初は僕たち夫婦の養子にするつもりだったが真梨が自分の養子にしたいといってきかなかった。普段あまり人に突っかかるようなことのない真梨が自分の息子だと言い張って聞かなかった。たぶん縁というものなのだろうと思った。俊也にとっては甥だ。真梨にとってもまたいとこにあたる。無理な話ではなかった。

純一は特別養子として引き取られてきた。自分が養子と知らないまま育った。僕たちも、いつの間にか純一が養子だということを忘れていた。絵梨も一人っ子の立場が寂しかったと見える。

純一は最初は表情のない赤ん坊だったが一年もたてば、絵梨と二人でキャッキャと笑う子供になっていた。二人のほほえましい様子を見ていると心が和んだ。

世の中をひがんで生きていた僕は、今孫たちにおじいちゃんと呼ばれている。梨花はおばあちゃんだ。二人とも孫たちのことになると顔が緩みっぱなしになる。いい年寄りになったもんだ。


続く

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2019年05月11日

家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花 <59 娘の結婚>

娘の結婚

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親の願いとは裏腹に真梨と俊也の距離は一向に近づかなかった。真梨は子供過ぎて俊也を引き付けることができないように見えた。俊也は俊也で田原家から離れたい気持ちが強そうだった。


そんな二人が突然結婚したいといってきた。僕はなぜか妙に腹がたった。二人の間に何があった?しかも俊也は真梨を呼び捨てにしている。どう見ても、二人はもう大人の関係になっている。恋に落ちてくれたらいいとは思っていたが、いきなり、男と女としての二人を見るのはいい気持ちがしなかった。

普通交際期間とかいうものがあるんじゃないのか?交際している二人を見て親も心の準備をするんじゃないのか?なんで急に結婚を決心したんだ?結婚話が出たときには親には相談をしないのか?希望通りの展開なのに不意打ちを食らってむしゃくしゃした。

そこは梨花はさばけていた。梨花にしてみれば自分たちもそうだった。それどころか親に言ったときには真梨がおなかにいたじゃないかということらしい。自分の昔のことを思い出していた。

梨花の盛大な笑い声でやっと不機嫌な気分から解放された。僕としても反対する理由はなかった。いや、むしろめでたい話だった。急に言われるから腹が立つのだ。

俊也をこちらの婿として迎えたいという話もまとまった。もちろん聡を説得するのは骨が折れた。聡は誠実に俊也を愛して育てた。それでも何とか了承してくれた。了承したのちはまるで娘を嫁にやる父親のようだった。僕は心の中で聡に礼を言った。

俊也は入り婿として真梨と結婚した。梨花は真梨の結婚式の準備に夢中になった。特に衣装の打ち合わせは余程楽しかったようで何度も写真を見せられた。梨花は真梨の衣装を自分のもののように感じるらしかった。

この時になって初めて梨花が婚礼衣装に憧れていたことを悟った。僕たちが結婚する時、梨花は結婚式には全く関心がないといった。でも、関心がないのではなかった。

あの頃の僕は経済力もなかったし、何よりも親戚というものがなかった。梨花は僕の気持ちを考えて結婚式には関心がないといったのだ。僕は梨花と真梨のために真梨の婚礼衣装は買い取って家に保管した。きっと梨花は自分のもののようにそれらを見て楽しむだろう。

真梨は留年したが結婚してから意外な頑張りで学校を卒業した。しかも、幼児教室という新しい事業をゆっくりと成功にむけて動かしていた。僕と同じ目立たずそっと立ち上げていくやり方だ。こういう時、俊也はよく動いたしアイデアも豊富だった。最初に就職した会社でよく勉強したのだろう。


続く


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2019年05月09日

家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花 <57 父の恩返し>

父の恩返し
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ママが亡くなって半年ぐらいたったころ大阪の田原興産は倒産の危機に見舞われた。取引関係のあった大手デベロッパーが倒産したからだ。マンションの耐震強度に関する不正が週刊誌に載ってしまったのだった。田原興産は連鎖倒産に巻き込まれようとしていた。

銀行は、その大手デベロッパーとの取引関係をみて田原興産への融資を惜しまなかった。しかし、その大手の資金繰りが困難になると、たちまち田原興産の資金繰りも行き詰るようになった。その大手の雲行きが怪しいと睨むや否や、銀行が融資金の返済を迫るようになった。

田原興産は半年後の資金繰りのめどが立たない状態にまで追い詰められた。銀行にとっても田原興産に倒れられるのは痛手だ。なんとか融資できる条件を必死に模索中だ。聡も資金提供者が見つかれば自分は退く心づもりをしていた。

そういう状況が浅田隆一の耳にも入ったらしい。僕の会社へ浅田隆一本人が出向いてきた。僕はこの時に初めて、浅田隆一とママ、田原梨恵子の関係を詳しく聞いた。もう、誰も知らない昔の話だった。

ママと浅田隆一は幼馴染で、ママが高校生の頃から交際していたらしい。親も認める仲でいずれは結婚すると思われていた。ところがママが二十歳になったころ、浅田隆一に縁談が持ち上がった。

そのころ、参議院議員だった浅田隆一の父親の政治的な関係の縁談だった。浅田家としてその縁談を断れなかった。浅田隆一とママとの恋は終わった。

そののちにママが妊娠していることが発覚した。ママは自殺未遂をした。この時に田原興産の社員だった甘木久雄が婿に立候補した。周囲からは財産目当てといわれたそうだ。久雄は山陰の名士の長男で早くに母親をなくしていた。継母に育てられ体よく実家を追い出されていた。

現実には久雄は田原家の入り婿として優しい夫として父として誠実に働いた。莉恵子との仲もむずましいもので、当事田原興産の会長であった田原聡介の信頼も厚かった。残念なことに40代の若さでガンで亡くなってしまったそうだ。梨花はこの久雄の長女として育てられた。

「私は久雄君には恩がある。梨花が私の子供やということを承知で莉恵子さんと結婚したんや。それで梨花を本当に大事に育ててくれた。梨花は自分が久雄君の子やと確信して育った。久雄君がそれだけ梨花をきちんと愛してくれたということや。久雄君への恩を返すためにも何があっても聡君を守りたい。もうこの年や。あっちへ行ってから大手をふって久雄君にあいさつしたい。君、協力してくれ。」老政治家は若輩者の僕に頭をさげた。

「私の資産をつこうてもらえんか?大阪のビルと、こっちの家、それと長野に旅館を持ってる。これを抵当に入れるなり売却するなりして資金手当てしてやってくれんか?私は実務経験がないんで自分一人では動くことができんのや。私の親族の耳に入ったら反対するに決まってる。自分らの取り分が減るんやからな。内密で進めないかんことや。せやから君がなんとか手当してやってくれんか?もともと、私の資産は梨花が相続するもんや。今からでもよかったら認知する。遺言書も書く。」老政治家は覚悟を決めていたようだ。

梨花は自分の資産を田原興産へ提供しようとしていた。老政治家は「こういう場合は親や兄弟は裸になったらいかんのや。そんなことしたら共倒れになってしまうやないか。梨花や真梨の暮らしを守ってくれ。」と老骨に鞭を打つように僕の会社にやってきたのだ。この話は梨花には聞かせられない話だった。

老政治家は自分の娘を守ってもらったお礼に久雄氏の一人息子である聡を守ろうとしていた。僕は田原興産は当面の資金繰りが付けば、後は業務の縮小で逃げ切ることができるだろうと思っていた。

この申し入れはありがたく受けることにした。ただ、どういう方法で聡にこれを説明するかだ。聡は梨花の出生の事情を全く知らないのだろうか?

聡には浅田隆一が地元のよしみで担保を出してくれると説明した。昔、田原興産が浅田隆一氏を助けたことがある。浅田隆一氏が今あるのは、そのおかげだという説明をした。

聡は、とりあえずは浅田氏の好意を受けて後のことは後で考えるといった。この状況では当たり前だろう。2か月後には不渡りを出すかもしれない局面だった。浅田氏に会社を渡してもいいという気持ちもあったようだ。

梨花は、浅田隆一に礼をいうために彼の家に出向いた。なぜ、そこまでしてくれるのか、今一つ納得できない気持ちはあったらしい。これも昔の田原興産への恩返しという説明に終始した。僕には浅田隆一が聡を護れたことで、とても満足しているのが分かった。

この老政治家との付き合いは、このあと8年にも及んだ。真梨への誕生日プレゼントが届くようになって、梨花と真莉の連名でこの人へ誕生日プレゼントを贈るようになった。僕は、その時必ず家族写真を贈るように梨花に提案した。

この人が心筋梗塞で倒れたとき梨花と僕と真梨でお見舞いに行った。甥の妻という人が付き添っていた。意識があったが余り長く話せないようだった。

その人は梨花の手を取って何かを言おうとしていたが言葉が出なかった。僕は手を強く握って、耳のそばで「必ず守ります。」といった。一瞬目を開いて僕たちを見てまた目をつぶった。その人はその夜、亡くなった。

僕の父は、ひっそりと見舞いに来た若い愛人と幼い息子を見てどんなにか苦しかっただろうと、また思い出した。真梨を守るために長生きしようと心に決めた。


続く


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家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花 <58 俊也と真梨>

俊也と真梨
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真梨は大学へ通うようになっていた。東京では名の知れた私立大学だった。難しいと思っていた大学へ入ってくれて親としては少し自慢がましい気持ちもあった。これには家庭教師として3年間頑張ってくれた俊也の努力も無視できなかった。意外にも児童心理学に興味を持って一生懸命勉強した。

俊也は4歳の時に依子さんの連れ子として田原家に入った。聡の養子になって田原家の長男として暮らした。しかし依子さんは田原家に気を使って常に俊也を二の次にした

俊也はなんとなく大阪の家に居づらさを感じていたのか大学は東京しか見ていなかった。連れ子として、いつも何か気兼ねしながら育った子供だった。それでも、ママや聡に愛されて将来有望な青年に育っていた。依子さんによく似て目鼻立ちのはっきりした青年だった。

皆、俊也は大学院へ行って経営者としての勉強をすると思っていたが、大学を4年で卒業するとすぐに外資系のコンサルタント会社に就職してしまった。昨今、仕事のキツさと給料の良さで話題に上るアメリカの企業だった。日本でも、この会社から転身した若い経営者がたくさんいて皆成功を収めていた。

真梨が大学に入学したころから俊也はあまり家に来なくなった。もう十分に役目は果たしたということなのだろう。僕は俊也を真梨の婿として大いに期待していた。

しかし、俊也は真梨にはあまり興味がなさそうだった。真梨はといえば恋愛などはまだまだ眼中にない子供のようなものだった。俊也が真梨を物足りなく感じるのは理解できた。微妙にすれ違い始めてきた二人に寂しい気がしていた。

ある夜、真梨は深夜1時を過ぎても戻ってこなかった。真梨は酒を飲まないので、いつもは遅くなっても11時頃には帰ってきていた。時々は男友達に誘われてデートみたいなこともするようだが真梨はあまり楽しくなさそうだった。僕は、真梨はまだ子供で夜遅くなれば家が恋しくなるんだろうと本気で思っていた。

その真梨が日付が変わっても帰ってこないのだから気が気ではない。心配といら立ちが交互にやってきて、じっとしていられなかった。梨花も心配していたが友人に確認するにしても、この夜中だ、電話をかけるのがはばかられた。

2時ごろになって真梨の呑気そうな「ただいま~。」という声が聞こえた。声の調子から何事もなかったと感じてほっとした。真梨がリビングに入ってきて驚いたのは俊也が一緒に来たことだった。怒りが爆発した。「どこをほっつき歩いていた!」と俊也の襟首をつかんだ。俊也は、あきらめたような情けないような、ふてくされたような顔で無抵抗に立っていた。

その時真梨が「パパ違う!お兄ちゃんはトカゲから真梨を守ってくれたの!家まで連れて帰ってきてくれたのよ!」と大きな声を出した。

僕は突然昔のことを思いだした。そうだ、この男はいつも理不尽に怒られていた。今度も自分が怒られて、ことを治めようとしていると感じた。

真梨の話では、女友達に誘われて軽い気持ちで行った会合がガラの悪い連中が集まる会合だったらしい。真梨は騙されて強い酒を飲まされたようだ。その席に俊也もいて真梨を見つけて連れだしてくれたということだった。

女学生が友達をだまして悪い会合へ引っ張り込むなど、僕たちの時代には考えられないようなことだった。それでも酒を飲まされただけで済んだのは俊也のおかげだった。俊也が真梨を見つけてくれなかったら、真梨はとんでもない目にあっていたかもしれない。

僕は俊也と真莉から聞いた友達の名前を親友の新聞記者に教えた。彼も今は偉くなって、こんなしょうもないネタには載ってくれないと思っていた。しかし、名門大学の学生の犯罪はすでに話題になっていたらしい。直ぐに調査にかかってくれた。

結果的には大きな事件になって新聞や週刊誌の大きな記事になった。テレビでもとらえられたが我が家ではそのテレビは見なかった。真梨が深く傷つくような内容が派手に報じられていた。もしも俊也がいなかったらと思うと今でもぞっとする。

真梨はこの事件をきっかけに学校に行けなくなった。何度か俊也に真梨を連れ出してもらった。あわよくば二人が恋に落ちてくれればいいと思っていた。梨花も同じだった。何かと俊也を呼び出しては真梨との接点を作った。しかし、この作戦はあまり効果がなかった。

親から見れば真梨は頭も性格も容姿もいい娘だった。多くの人に愛されて育って人を愛する方法を知っていた。幸福な家庭を築くすべを知っているはずだった。俊也のように子供の時から気兼ねしながら育った男を幸福にできる資質を持っているはずだ。

僕は時々自分と俊也を重ねてしまうときがある。4歳の時、一人ぼっちで田原の家に預けられた少年は母と同居するようになってからも母の愛情を独占することは無かった。彼の母親はいつも俊也を二の次にした。幸薄そうに見える俊也を幸福な家庭人にしてやりたかった。

しかし俊也は田原の家を抜けたいというのが本音のようだ。真梨のお守りにも少し疲れているように見える。


続く


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2019年05月07日

家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花 <56 ママの最期>

ママの最期

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その年の冬は、ずいぶん寒かった。大阪のママは2月の初めに体調を崩した。78歳になっていた。
若いうちに婿を取って梨花が中学生の時には、その夫を亡くしていた。
それ以来、子供たちの祖父と二人で事業を切り盛りして何とか家の資産を守り切った。

それも今は長男の聡に渡して文字通り悠々自適の毎日だった。
孫をからかったりからかわれたりしながら日々を送っていた。僕の人生を大きく変えた人だった。
コケティッシュな温かさで強引に僕をこの家族との付き合いに引きずり入れてくれた人だった。

今回の風邪で肺炎を起こしてしまった。入院をしても一向に回復しなかった。
そして2月の終わりに静かに息を引き取った。短い闘病だった。
急なことで家族のショックは大きかったが本人にとっては救いだったのかもしれない。
世話焼きだが世話になるのは苦手な人だった。闘病生活には人一倍気を使ったことだろう。
幸福なおばあちゃんの静かな死だった。

通夜は自宅でしめやかに行われた。ママの兄弟、その子供や孫、世話になった社員も集まった。
30人ぐらいだった。

僧侶の読経が始まる前に家の中がちょっと騒がしくなった。大事な弔問客があったようだ。
その人は僕も顔を知っている政治家だった。大阪出身なのは知っていた。
今も与党の重鎮として、ある程度の力はあるようだった。

親戚中が総立ちになって玄関で頭をさげた。聡が慌てて挨拶に出た。
梨花は仏間を離れなかったので僕もその場を離れずに座っていた。

その人は仏間へ入るや否や、ママの枕元に駆け寄った。梨花が深々と頭をさげた。
その人がママの遺体に手を合わせた後、梨花がママの顔にかかっている白い布を外した。
その人は、一瞬両手で顔を覆ってしばらくじっとしていたが、気を取り直して「穏やかな顔やな。安らかやったんやな。」とつぶやいた。

「妹から連絡がありまして。まさか莉恵子さんに先越されるとは思ってもみませんでした。
私の葬儀に来てくれるかどうか心配してたぐらいやったのに。」といった。
テレビで見るのとは全く違う、何か見たことがある感じのする穏やかな老人だった。

目が合ったので目礼した。梨花が「主人です。普段は東京に住んでます。」と紹介した。
その人は「聡君とよう似てるなあ。梨恵ちゃんには聞いてたけども。子供さんは?」と聞かれたので「女の子が一人、来年成人します。」と答えた。答えながらも、何か見たことがあるような気がしていた。

梨花が「真梨、真梨、ごあいさつしなさい。」と真梨を呼んだ。
真梨は丁寧にお辞儀をしたので、その人も丁寧にお辞儀を返してくれた。
「梨花さん、たいした躾やな。きちんとしたいい娘さんや。」といった。

その時、何気なく見たその人の耳の付け根に小さな穴が見えた。
ピアスの跡のような針の穴程の小さな凹みだ。僕は、はっとした。
梨花にも同じところに小さなくぼみがある。そういえば目元が梨花や真梨と似ている。

僕が、あまりじっと横顔を見つめるので、その人は少し不思議そうな顔をした。
そして老目鏡をかけて梨花を呼んで何か耳打ちをした。

その人は「私、子供がおらんのですよ。莉恵子さんがうらやましい。」といった。
僧侶の読経が終わっても、その人は帰らなかった。

そして、「真梨ちゃん、私が振袖贈ってもいいかな?莉恵子さんの代わりに」と聞いた。
梨花が僕の顔を見たので、僕が「ええ、ありがとうございます。」と答えた。
「真梨ちゃん、誕生日いつやな?」と聞かれて、真梨が「10月3日です。」と答えた。

帰り際に、聡や梨花に「困ったことができたらなんでも言うてきてや。
できるだけのことはさしてもらうから。」といった。
梨花が「浅田先生もお気をお付けください。ホントに今年は寒いですから。」と声をかけると「ほんまに今年は寒いな。寂しい冬になってしもた。」と答えた。

そのあと人目につかない場所で僕に強く握手をして、自宅の電話番号を書いた名刺をくれた。
僕の目を見て「君、目がいいんやなあ。梨花を頼みます。」といった。
その人はタクシーでホテルに帰っていった。葬儀には参列しなかった。

梨花と2人きりの時に「さっき浅田隆一氏になんて言われたの?」と聞くと、「タクシー手配してって頼まれただけ。」と答えた。「あの人とママってどういう関係?」と聞いたら「幼馴染み。駅前の商業ビルはあの人の実家の跡地やったの。ママとは小さい時からの知り合いやって。多分ママのこと愛してくれてはったと思う。」と言った。

僕は心の中で「愛してるも何も、あの人は君の父親なんだよ、梨花。」といったが口には出さなかった。
父親が一人娘を愛する気持ちが僕には痛いほど分かっていた。ママがあの人と僕を引き合わせたと思った。

東京へ帰ってから1か月ぐらいして真梨に見事な反物と帯が届いた。有名デパートから直送されてきた。
履物も小物もすべて揃えてあった。
あまりにも、高価なものだったので、梨花は少し驚いてお礼の電話をした。

その電話を受けたときの浅田隆一の声は、横で聞いていても聞こえるぐらいの大声だった。
始めて娘から電話をもらって興奮が押さえきれなかったようだった。

そして子供がいないし妻とも死に別れている。時々プレゼントを贈らせてほしいといわれたそうだ。
梨花は「お寂しいんやねえ。こっちからもお誕生日プレゼント送った方がいいねえ。」といった。
ママが父と娘の糸をつないだに違いなかった。

その時期に僕の会社に信用調査が入った。皆、真梨の縁談かと色めき立ったが、僕はその調査が僕自身の身上調査だと気が付いていた。僕はふっと、老政治家から監視されているような気がした。
僕だったら、そうする。

続く


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