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2019年06月06日

 家族の木 THE SECOND STORY 俊也と真梨  <22 深紅の通夜>

深紅の通夜

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叔母の通夜は自宅で行われた。叔母は仏間に真っ白な布団で眠っていた。叔父は二階へ上がったかと思うと、何か箪笥を開け閉めする音をさせた。いったい何をしているのだろうと思い名が舞っていると叔母の若い時の着物を持ってきた。

その着物は僕たちが見たこともないものだった。もう何年もしまいっぱなしになっていたものだろう。叔父は深紅の着物を叔母が眠る布団の上に広げた。仏間は一気に華やかな雰囲気になった。

僧侶は多少驚いたようだが叔父は「この衣装は妻の母が嫁入り用として作ったものです。実は結婚当初私は経済力がなくて結婚式を挙げることができなかったんです。それで妻は一度もこの衣装に手を通すことがありませんでした。今でも、この美しさですから、その当時ならどんなに美しかったかと思うと妻が可愛そうでして。どうぞ、この衣装を着て旅立たせてやってください。」と丁重に頼んだ。

僧侶は「構いません。大往生ですからな。華やかなお見送りの方が故人も喜ばれるでしょう。」といった。僕たちは叔母の最期を深く悲しんでいたが年齢から言えば大往生の部に入るのだろう。少し気分が軽くなった。

叔父は通夜の間中、しょっちゅう叔母の顔にかかっている白い布をはずして顔をのぞいた。そのたびに叔母がほほ笑んでいるように思えた。「真ちゃん、落ち着いて。ちゃんと待ってるから。落ち着いて」そんな声が聞こえるような気がした。

通夜は大阪の継父や母も参列して、しめやかに行われた。皆が涙を流したが叔父は泣かなかった。ただ、うつむいて数珠を合わせるだけだった。


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2019年06月04日

家族の木 THE SECOND STORY 俊也と真梨  <21 叔母の最期>

叔母の最期

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ある朝、叔父からいつになく取り乱した声で電話がかかってきた。「梨花が倒れた。今救急車を呼んだ。意識が朦朧としてしゃべれないんだ。」

叔父の家に駆け付けた時には、キッチンのカウンターの下に倒れた叔母に叔父が毛布を掛けていた。「卒中だったら動かしてはいけないだろう。」とそばに寄り添って救急車を待っていた。待つ間、叔父はずっと叔母の手のひらや腕をさすっていた。

僕は慌てて火の元を確認した。真梨は入院の準備をした。絵梨と純一は叔父と並んで同じように腕や足をさすった。叔母は明徳第二病院に運ばれた。この近辺では大きな病院だった。

叔母の卒中発作は二度目だった。一度目は朝起こしても目覚めないので救急車を呼んだ。病院でしばらく寝ている間に普通に目覚めた。脳梗塞だといわれた。最初の発作の時に叔父は自分が叔母の健康状態に鈍感だったと、ひどく気に病んだ。

それでも叔母は普通の生活をしていて僕たち一家が行くといえば夕食の準備に大張り切りする。しかし叔母が実際に大人数の夕飯を作ることは叔父が許さなかった。叔母をおだて倒して出前を取る。

「絵梨や純一は梨花と話したいそうだよ。梨花が忙しいと面白くないらしい。」「真梨が教えてほしいことがあるようだ。和服のことは君が詳しいからね。」といった具合だ。

今度の発作で叔母は危篤状態に陥った。叔母は意識がうっすら戻る時と眠っている時を行きつ戻りつしながら2日たった。叔父はほぼ不眠不休だった。叔母のベッドの横の椅子に座って手をさすっていた。
叔母がかすれた声で何かうわごとを言った。「真ちゃんが大好き・・。」というと眉間にしわをよせた。「ママ。ママ。苦しい?苦しいの?」真梨がすこし大きな声を出した。叔父は「真梨、ちょっと二人にしてほしい。」といって叔母の手を握った。

僕たちが病室を出るとき、叔父は確かに言った。「大丈夫。すぐ行くよ。すぐ行く。直ぐだよ。すぐだ。」と叔母の耳元で何度もささやいていた。そして僕たちが病室に戻った時には叔母はもう安らかな表情になっていた。少し微笑んでいるようにも見えた。

それから病室は急にバタバタしだしたが蘇生は行われなかった。叔父の意思だった。叔父は粛々と葬儀をこなし叔母の遺言書を真梨にあずけた。もう僕たちが内容をよく知っている遺言だった。絵梨と純一には同額の遺産が残されていた。叔父や僕たち夫婦と相談して決められた配分だった。僕がその処理を任されていた。

僕は叔父の言葉が気になってしょうがなかった。「お義父さん、病室でお義母さんと二人きりになった時すぐ行くよって何度も言ってた。絶対お義父さんから目を離したらいかん。あぶない。」と真梨にいった。

「あなた、いいのよ。パパの好きなようにしたら。ママあってのパパ。パパあってのママだから。ホントに仲良かったの。」真梨はある程度の覚悟はしているようだった。

「パパもあなたを信用してるし、今は純一も絵梨もいるんだから、パパもあんまり思い残すこともないと思うの。好きなようにさせてあげたいの。パパが今、気になるのは、ママがあっちで道に迷わないかってことだけかもしれないの。」

叔母は軽い認知症が出ていた。去年の冬、歯医者に行った叔母が「帰り方がわからない。」と電話してきたことがあった。叔父は歯医者のあるショッピングセンターを走り回って叔母を探し出して連れて帰ってきた。

それ以降、叔父は完全に仕事を辞めて日々叔母と行動を共にしてきた。叔母は道がわからなくなる、住所が言えない以外は普通だった。それでも火の用心が不安だった叔父は家中をすべて電気にしてしまった。

おもしろくて、おしゃれで、いつまでもきれいなおばあちゃんだった。叔父は雑踏の中では叔母と腕を組んだり手をつないだりした。叔父は叔母を1人では逝かせられないだろう。そんな気がした。


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THE SECOND STORY 俊也と真梨 <20 ペアブロッサム>

ペアブロッサム

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叔父夫婦もいいおじいちゃんとおばあちゃんになった。叔父はこのころ榊島に有料老人ホームを建設し始めていた。小規模な施設で市とタイアップしたものだった。住民用の老人福祉施設は市が作っている。どちらかといえば外部の富裕層を市内に呼び込むための施設だ。ペアブロッサムというおしゃれな名前がついていた。叔父のアイデアだ。

あまり、大規模な施設より小規模ホテルのようなものの方が負担も少なく転用しやすいという叔父の考えだ。どうも叔父は夫婦でこちらに住みたい気持ちもあるようだった。だが叔母に軽い認知症が出た時点で断念した。医師から環境を変えるのは良くないといわれたからだ。

もともと田原の家は榊市とは縁が深い。今の市長は田原真輔という僕たちの祖父に当たる人を知っているらしい。

僕たち4人家族と、叔父夫婦は徒歩5分ぐらいの場所で暮らした。叔父は自分はあまりしゃべらないが賑やかなことは大好きだった。僕らは、しょっちゅう叔母の夕飯をごちそうになった。なんということもない平凡な日々だった。僕は相変わらず真梨の術中にハマり幸福で過酷な毎日を過ごしていた。


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2019年06月03日

家族の木 THE SECOND STORY 俊也と真梨  <19 深い罠>

深い罠

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真梨は幼児教室のスタッフとして働いたし僕も少しだけ出世していた。我が家は典型的な共働き家庭なのでとても忙しい家庭だった。叔母の協力を得てやっと成り立つ状態だった。

その夜も僕はベッドに入ると、すぐにうとうとした。真梨の寝付けない様子が気配で分かった。「どうした?したくなった?」と聞くと「だってお兄ちゃん触るんだもん。」と答えた。普段はパパとかあなたと呼ぶ。お兄ちゃんと呼ぶときはセクシーな気分になっているサインだった。

「え、触った?どこ?ここ?ここ?」と寝ぼけた声で答えた。「いいのよ、明日早いんでしょ?遅刻したら社長に怒られるんでしょ?」というので「社長に直接、怒られるほど偉くないよ。いいのよって言われても僕もモヤモヤする。」と答えると、「じゃあお兄ちゃんおとなしくして。真梨がしてあげる。」と答えた。

真梨の高校生時代、僕は3年間家庭教師をした。真梨が有名私立大学に合格したとき、叔父も叔母も僕のおかげだといってくれた。でも、真梨はもともと利発で努力家だった。一度教えれば、次の週には応用問題もできるようになっていた。いわゆる優等生タイプの娘だった。

その性格は僕たち二人の夜の時間にも大いに成果を表した。真梨はいつの間にか僕がどうしたら喜ぶかを習得して、今は応用問題も充分にこなせるようになっていた。ひょっとしたら何かの本で勉強しているのかと思うこともある。僕の脳は気持ちよくしびれていた。

こんな時、僕は時々叔父を思い浮かべる。叔父は寡黙で孤独好きだが勘の鋭い経営者だった。会社ではおとなしい人という印象で余り怒らないが時々爆発もした。それが叔母と一緒にいるとへらへらした軟弱な男になる。叔母に対して強い言葉を発することままずなかった。

なぜか不思議だったが最近になって、その原因が分かってきた。叔母も真梨も孤独な男を見つけるのがうまい。そして、ものすごい性能のいい武器で孤独な男を骨抜きにしてしまう。麻薬のように幸福な気分にさせて働かせる、こういう虫だか魚だかがいたような気がする。

真梨は朝、目が覚めたら明るくてさわやかないい母親だった。昨夜の女は誰だったのだろう?


続く


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2019年06月01日

家族の木 THE SECOND STORY 俊也と真梨 <18 特別養子>

特別養子
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純一は1歳になる直前に僕たちの子供になった。僕たちは考えた末に純一を特別養子にした。戸籍上も完全に僕たちの子供だった。絵梨4歳の年だった。

いくら小さいといっても1歳を前にした子供だ。母親を亡くして、その後の養子先であまりかまってもらえなかった経験は過酷だったのだろう。感情の起伏のない表情の薄い子供だった。僕たちは、うまくいくのだろうかと心配した。

ところが絵梨は驚くほど、この突然できた弟を可愛いがった。食事の世話もしたがったし寝るのも一緒に寝たがった。頬ずりをしたり、ごろごろ寝転んで遊んだり、純一は絵梨に触られまくって、やがては、よく笑う子供に育っていった。

絵梨は保育園でも純一をみかければ、必ず手を振って「純く~ん」と声をかけた。純一は、絵梨の姿が見えると、ぴょんぴょんはねて喜んだ。

真梨も僕もいつの間にか純一が僕らの実子のような気になっていた。叔父や叔母も、純一がいて当たり前、絵梨と純一はワンセットのような扱いになっていた。聡一とよく似た顔立ちをしていた。真梨とも、なんとなく似ていた。絵梨と純一は世間的にも、ごく普通に兄弟として受け入れられて育った。

僕も聡一もあまり深く付き合わないようにした。家族同士の接点はできるだけ減らした。そのおかげで聡一の奥さんも不自然さに気づくこともなかった。

絵梨は純一が来た日から自分のことを「姉ちゃん」と呼んだ。絵梨と純一の仲の良さは大きくなっても変わらなかった。とりわけ純一は、姉ちゃん、姉ちゃんと言って絵梨を慕った。

純一が小学校へ上がる時、叔父が純一に黒いランドセルを買ってくれた。ところが、純一は姉ちゃんと一緒がいいといってぐずった。赤いランドセルを欲しがったのだ。叔父は苦笑しながらも二人の仲の良さを喜んだ。

純一は絵梨のすることを何でもまねたがった。絵梨が小学校からの優等生で生徒会長などを務めるようになると、自然に純一もそういう活動をするようになっていた。僕も真梨も自分たちの選択が正しかったことを実感してうれしかった。


続く



2019年05月31日

 家族の木 THE SECOND STORY 俊也と真梨  <17 子供の椅子>

子供の椅子
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叔父は自分を不始末の子と言っていた。聡一の愛人の子供の話を他人ごととして聞けないのだろう。叔父は祖父の愛人の子として生まれて、しかも母親を早く亡くしていた。この子の境遇と似ていた。叔母も自分の夫の気持ちをよく理解しているのだろう。二人の間ではもう結論が出ていた。叔父が外で作った子として引き取りたいという話だった。

これには真梨がとても嫌な顔をした。「なんで、この年で急に弟ができるのよ。おかしいじゃないの!」と叔父に食って掛かった。一人っ子の真梨は両親の愛を一身に受けて育った。両親がよその子にひどく同情する様子に嫉妬したように見えた。

「真梨、確かに不自然は不自然やねんけど、でも血はつながってるんやし。全く他人やないんやから、そこは気持ちを大きく持ってほしいのよ。」と叔母がとりなしても真梨の表情は和らがなかった。

「だって、その子1歳に成るかならないかでしょ?私と兄弟って変じゃないの!」と真梨がいうと、叔母が「それはそうやけど、パパの外の子っていうことで承知してほしいのよ。」と親子喧嘩が始まった。

「第一、相続で揉めるのが眼に見えてるじゃない!その子だって外の子って言われながら暮らすなんてかわいそうじゃない!」と真梨が言った。僕は、真梨が何を言いたいのかわかっていた。

「それはもちろん考慮する。聡一や聡の方からも何らかのものがあるはずだから真梨に迷惑をかけるようなことはしないよ。」と叔父は面食らいながら答えた。叔母は「真梨、情けない。いい加減にしなさい!」と怒った。

真梨は「情けないのはこっちよ。見損なわないでほしいわよ。普通に考えたらその子は私たちが育てたほうが自然じゃないの。ねえ、そうじゃない?」と真梨が僕の方を見た。

僕はこの時点で心が決まっていた。僕たちの二番目の子、絵梨の兄弟の椅子はこの子のために空けてあったような錯覚をした。真梨が相続やら何やかやとごねているのは、その子をどうしても自分の子にしたいからだった。

真梨は体の奥底でこの子こそが自分の二番目の子供だと感じているのだ。「僕もその方がいいと思います。もともと僕の弟の話なんですから。僕に異存があるわけないですよ。」と答えた。

真梨が「そうよ、もともと聡ちゃんのことなんだから、お兄ちゃんにも責任の一端はあるんだし。」というと、叔母も「そういえばそうやね。俊ちゃんにも責任の一端があるわけやし。育児は私も協力するし。」と答えた。

叔父は「ありがたいが、2、3日考えさせてくれ。」といって、「この話は、俊也には全く責任のない話だよ。わかってるのかな?2人とも」といった。僕も、なんでここで僕の責任の話になるのか不思議に思っていたところだった。それでも、この子を僕の家族として迎えたいと強く思っていた。

結局のところ叔父が真梨の提案が一番妥当だという結論を出した。今なら絵梨もあまり違和感なく弟を受け入れるだろうと思えた。それを考えると話は急いだほうがいいということになった。

継父は泣いて喜んでくれた。「パパ、僕、恩返し出来たら嬉しいよ。」と言うと、「ばかもん、恩なんかない!恩なんか言われたら悲しい。」と怒った。

その夜、聡一から家に電話があった。「迷惑かけて申し訳ない。色々な面で気をつけさせてもらう。ありがとう兄ちゃん。幸せにしたってくれ。頼む。本当に申し訳ない。」と泣いた。聡一にしてみれば第一子だ。可愛くないはずがなかった。

聡一は翌週には家に来て小切手を置いて行った。「これで、恩返しができるとは思ってない。今はこれが僕ができる全てなんや。」といった。真梨も僕も固辞したが頼むから受け取ってほしいということだった。子供の預金として預かった。


続く


家族の木 THE SECOND STORY 俊也と真梨  <16 不幸な子>

不幸な子

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ある日継父が叔父の会社に来た。三崎専務に丁寧にあいさつして僕には目を合わせただけで何も言わなかった。珍しく深刻な顔をしているので少し心配になった。

その日継父は、社長室で叔父と2時間ぐらい話してそのまま帰っていった。継父が来ればたいていは三崎専務と僕を誘って食事に出た。酔って「俊也が、俊也が」と叔父を差し置いて父親ぶりを発揮した。それが今日は挨拶もそこそこに帰ったのを三崎専務も気にしていた。三崎専務が社長室へ資料を持っていくように指示をくれた。

僕が社長室に行くと叔父は難しい顔をして天井を見ていた。考え事をするときの癖だった。「何かありましたか?」と尋ねると、「うん、ちょっと複雑な話だ。今晩、家に来てくれないか?真梨も一緒に頼む。プライベートな話だ。」といった。

三崎専務には「親戚の問題みたいです。ご心配かけてすみません。」と断った。「そうか、大変だね。もし私で役に立つことがあれば言ってくれ。」と答えた。三崎専務は接待の時には面白くて豪快な営業マンだが普段、オフィスではマナーも頭もいいビジネスマンだった。

夜7時ごろに叔父の家に着いたときには、真梨と絵梨が来て待っていた。いつもなら叔母が大張り切りで夕飯を用意しているのだが、今日は近所の寿司屋からの出前が来ていた。

叔父は「まず飯だ。」と言って夕食を優先した。叔父の性格では用事が先で、それをすませてから食事にするのが普通だったが今日は違った。それだけ面倒な用事だと思った。

沈んだ雰囲気で食事が終わった。普段は叔母と絵梨の掛け合いでみんなが笑うのだが今日は叔母が冗談を飛ばすことは無かった。

食事が終わって絵梨が寝てしまってから話し合いが始まった。「養子をとろうと思うがどうか?」という唐突な話だった。養子にしようとしているのは大阪の聡一の息子らしい。

聡一は大手のデベロッパーに就職して地元の名士の娘と結婚していた。田原の家には住まずに大阪の中心部にあるマンションに住んでいた。いずれは田原の家に入るにしても一時的にはそういう暮らしがしてみたいということだ。特に珍しいこともない普通の結婚だった。

聡一の妻という人とは、たまに会うがおとなしい人であまり皆となじむことは無かった。しかし感じの悪い人ではなく気立てもいいようだ。聡一はその人を大切にしていた。ただ、引っ込み思案ということで、なかなか親戚に馴染み難いようだった。

聡一に家の外に女性がいたことを初めて知らされた。サラリーマン時代の後輩の女性らしい。聡一は彼女が妊娠していることを知らずに彼女と別れた。そして今の奥さんと結婚した。聡一の恋人は妊娠も出産も聡一に知らせなかったらしい。出産後、彼女の母親から知らされてはじめて知った。

女性は聡一の新妻の妊娠が分かった時期に出産した。子供は既に6カ月になるらしい。聡一は養育費や慰謝料などすべて用意して家庭の外の母子を支えていた。聡一は子供可愛さにその女性との縁が切れなかったのだ。

多分、子供の母親のことも好きだったのだろう。そのまま大学を卒業するまで援助するつもりだったらしい。聡一にしてみれば、その子こそ第一子だった。

ところが、その子供の母親が交通事故で亡くなってしまった。赤ん坊は一時的に母親の兄に引き取られたが見ていて幸福になれそうな気がしないという。聡一がなんとか田原の養子にしてほしいと頼み込んだそうだ。

考えてみれば図々しい話だ。自分が確実に目が届いて、絶対に信用ができる相手に、しかも絶対に断らないだろうと見込んだ申し込みだ。本来は聡一が育てるべき子供だ。

継父の悩みは聡一の妻が病弱だということだった。継父は「嫁さんが弱いんや。」と叔父に打ち明けた。「身体が弱いだけなら家政婦を雇えば解決できる。実は心も弱いんや。」というのが継父と聡一の悩みだった。

今もマタニティーブルーで悩んでいる。この上、外にできた子供を育てろ等ととても言えたものではない。継父の養子にしたとしても聡一の妻の心は乱れるだろう。

一番問題なのは無理して引き取っても、その子が幸福に育つような気がしないということだった。それは当たり前だ。自分の妊娠中に生まれた夫の愛人の子を愛せる妻はそういない。


続く


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2019年05月29日

家族の木 THE SECOND STORY 俊也と真梨  <15 冷たい体>

冷たい体

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不妊治療を中止しして3カ月ぐらいたったころから真梨は徐々に以前の明るさを取り戻していた。「ママに謝りたいんだけど蒸し返すのもよくないのかな?」と相談された。

「あの時、多分ホルモンの関係だと思うんだけど、今思ってもよくわかんないの。なんであんなに子供子供って思い詰めてたのか。欲しいのは確かだったの。でも絵梨一人でも普通に幸福だと思ってたのよ。できる努力はしてみようって思っただけだったのよ。なんであんなに思い詰めるようになったのかがよくわかんないのよ。」といった。

男女差の最も大きい部分の話だった。僕はただ「そうだったのか。」と思うだけだった。真梨が夢から覚めたように気分がしっかりして、言うことも以前のように穏やかになったことにホッとしていた。

結局、休日に叔父夫婦を夕食に招待して真梨の手料理でもてなした。叔父も叔母もずいぶん喜んだ。それだけだが叔母は少し涙ぐんだように感じた。僕たちは表面的には以前のような円満な関係を取り戻していた。

ところが現実は不妊治療を中止してからは夫婦関係は無くなっていた。一年半、とにかく妊娠だけを目的に関係を持っていた。目的がなくなったとき、僕たちの夜は単なる睡眠時間になった。

僕も真梨も寝室に入ったが最後、以前のようにおしゃべりをするでもなくすぐに眠ってしまう。その方が気が楽だった。

その夜は真梨が先に寝室に入った。僕達はいつもどちらからともなく寝室に入る時間をずらしていた。僕は真梨より20分ぐらい遅れて寝室に入った。明かりは落とされていたので薄暗さに目が慣れるまで1分ぐらいかかった。

目が慣れてから床をみて心臓が止まりそうになった。真梨がベッドの横で倒れていた。うつ伏せに丸くなって少し震えているように見えた。呼吸が早いような気がした。「どうした!」と大きな声が出た。横のベッドで寝ていた絵梨が寝返りを打った。

真梨は胸を押さえて苦しんでいた。驚いて「苦しいのか!」と聞くと無言でうなづいた。「胸か!」と聞くとまた無言でうなづいた。抱き起していいものかどうか迷った。額に手を当てようとしたとき、真梨が突然仰向けに寝返った。僕は体勢を崩して真梨にかぶさるように倒れた。

僕が「作戦か?」と聞くとこっくりうなづいて声を上げて泣き出した。「ばか、そんな声を出したら絵梨が起きるぞ。」といいながら真梨の口を手のひらで押さえた。真梨の体は驚くほど冷たかった。「ずっと床に寝てたんか?」と聞くと「うん」と答えた。

「アホか君は、他の作戦思いつかんかった?」と聞くと「ホントに全然思いつかなかったのよ。ちょっと焦ってたし。」「焦ってた?」「だってお兄ちゃんに嫌われてるんだもん。」と言ってまた泣き出した。「そんな声を出したら絵梨が起きる。静かにしないと。」と言った様な気もする。

真梨を僕のベッドに寝かせて二人で布団をかぶって温めあった。数カ月ぶりの熱い昂ぶりが襲ってきた。真梨は、多分僕をつなぎとめようと必死だったのだと思う。何度も私のこと好き?と聞いてきた。僕が知っている真梨よりももっと情熱的だった。

結局僕は真梨に「今度から寂しかったら僕のベッドに入って待つこと。わかった?」と念を押していた。僕は同じ作戦に2度引っかかって以前よりももっと深い罠にはまっていく、本当に扱いやすい男だった。


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家族の木 THE SECOND STORY 俊也と真梨 <14 不妊治療>

不妊治療
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僕たちの第一子は女の子だった。名前は絵梨と付けた。僕に似ているというよりも僕の母に似ていた。僕が言うのも可笑しいが僕の母はエキゾチックで華やかな美人だった。絵梨はその母に似ているが母よりも小作りで可憐な感じがした。叔父も叔母も絵梨を見ればニコニコ顔だった。

真梨もいい加減甘やかされて育ったが、絵梨は両親のほかに祖父母が付くから人にかまわれていない時間がないくらいだった。生まれながらに多くの愛情と幸福に包まれて育った。

絵梨が生まれて2年経っても次の子供を授かることは無かった。僕たち夫婦は比較的早婚だった。それに夫婦仲もいい。にもかかわらず一向に授からない。僕はこのことを不思議に思っていたが不満に思ったことはなかった。叔父や叔母も特に不満を言うわけではなかった。しかし真梨自身が子供は3人と決めていた。

真梨のたっての願いで僕たち夫婦は不妊治療を開始した。数カ月は夫婦ともに一生懸命だった。妊娠を目指して、それなりに仲良くやっていた。しかし、毎月毎月希望を持っては失望することを繰り返す日々は大きなストレスだった。

真梨は最初の1年間の不妊治療で妊娠できなかったことにショックを受けた。僕も最初の1年間はこんなものかと思って協力してきたが、これがまだ続くのかと思うとうんざりした。

若かった僕は絵梨が生まれてからも夜は楽しみだった。しかし不妊治療を始めてからというもの夜は楽しみというよりは作業に近かった。日を決められて目的をもってする作業だった。

それでも最初は一時の我慢だと思っていた。しかし現実は長い長いトンネルに居るようなものだった。僕は不妊治療というものがどんなものかもよく調べずに安請け合いしたことを後悔した。

真梨の負担は尋常なものではなかっただろう。心の負担と痛みを伴う検査、たくさんの薬を飲む負担、薬の影響が体調にも気分にも大きく影響した。一番困るのは原因がわからないことだった。解決すべき問題は何もないのに結果はいつも不可だった。とにかく先が見えない。

1年を過ぎたころには真梨は常に情緒が不安定だった。昼間は絵梨がいるので何とか気持ちを持ちこたえているが夜になると不機嫌になった。

不思議なことに不妊治療を始めてからというもの、真梨の気持ちは生活のすべてが妊娠を目的にしていた。妊娠につながらないことには意味がないと感じているようだった。妊娠につながらない日には夫婦関係も無くなった。

これには参った。夫婦の関係にも微妙に影が差してきた。時々僕に当たり散らすときも出てきた。

それでも僕は離婚は考えなかった。それは真梨への執着ではなく絵梨のためだった。不安定な真梨に幼い絵梨を預けるわけにはいかなかった。正直真梨には辟易していた。

僕は真梨を独占したくて結婚した。真梨にのぼせ上っていた。その真梨にこんな気持ちを抱くようになるとは想像もしていなかった。

ある日、見かねた叔母が不妊治療を中止してはどうかと提案してくれた。僕も叔父もいつ言い出そうかと悩んでいたことだった。叔母が言い出してくれてほっとした。ところがこれが真梨の神経を逆なでしてしまった。

「ママには私の気持ちなんてわからないのよ!私が毎日一人ぼっちでどんなに寂しかったと思ってるのよ!なんでもう一人でもいいから生んでくれなかったのよ!」と食って掛かった。

叔母は眼に涙を浮かべて「ごめんね。真梨がそんなに寂しい思いをしてたなんて知らなかったんよ。ホントにごめんね。」と謝った。

真梨があんまり大きな声で怒鳴ったので慌てて僕が叔母に謝った。いつもほんわかムードで場を盛り上げるように冗談を飛ばしていた叔母が、その日はトボトボと家に帰った。

そのあと叔父から電話があって「悪いね、なんだかゴタゴタして。」と謝られてしまった。僕も「僕たち夫婦のことで叔母さんに嫌な思いさせて、すんません。」と男二人は外野でボール拾いをするだけだった。

結局真梨はこの時を境に不妊治療を中止した。叔母は何事もなかったように相変わらず僕たちの暮らしを支えてくれていた。叔父に「叔母さん大丈夫ですか?」と聞くと「こんなにいい亭主が付いてるんだから心配無用だよ。悪いが真梨を頼む。」といわれた。


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2019年05月27日

家族の木 THE SECOND STORY 俊也と真梨  <13 新生活>

新生活
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会社を辞めて2か月後には僕は叔父の会社に入社した。総勢12人の会社の一業務社員だった。社用車に乗って毎日、経営するフィットネスジムやカフェの売り上げを確認しながらマンションの管理状態を見て回った。

恐ろしく体力と忍耐力のいる仕事だった。名刺を渡すと、いろいろなところで「息子さん?」と聞かれた。「いえ、婿です。」と答える日々が続いた。

僕が新入社員として右往左往しているころ、真梨はオーナーの娘として動き出していた。幼児塾の経営を画策し始めたのだ。どうも事業欲が盛んなところは叔母譲りのようだ。そして実務にこき使われるのが婿養子だった。

叔父は眼の付けどころがいいと乗り気で、右も左もわからない僕を引き連れていろいろ動いてくれた。その幼児塾は、その後の僕たたちのライフワークになった。さすがに利益率はあまり大きくはなかった。しかし、社会的信用を得るという意味では大きく貢献した事業に育った。

このころ真梨が妊娠した。結婚して2年目の秋だった。叔母は真梨に仕事をやめるように説得したが真梨は働き続けた。妊娠中も幼児塾の講師を募集したリ、他の講師とカリキュラムを組んだりしていた。叔母は一生懸命僕たちの家庭をバックアップしてくれた

僕は一人っ子の真梨が羨ましかった。叔父も叔母も真梨のことに全力投球だった。僕はこういう愛情の掛け方をされてこなかった。物心ついたときには母は水産工場の作業に追われていて僕はその周りで一人遊びをしていた。母の再婚後は大事にされたが母の中では僕は弟の次の存在だった。

この家に入ってから叔父も叔母もどんな時でも僕を立ててくれる。真梨可愛さから来ることに違いないが、それでも嬉しかった。

叔父の会社では僕は三崎さんという人の部下になった。もう、いい年だったが大きな声で場を盛り上げる人だった。酒の苦手な叔父の代わりに接待もこなした。対外的には堅物で物静かな社長と楽しくて商売上手な専務だった。好いコンビだった。

叔父は会社では大人しい人で通っていた。ひたすらPCをにらみコーヒーもお茶も自分でいれる、時々自分でデスクの雑巾がけをしている。社長室の外で社員たちが、はしゃいでいても特段文句を言うこともなかった。ただ、自分が一緒になって笑うことは無かった。こういう叔父の姿を気難しいと敬遠する社員もいる。僕も多少煙たかった。

ところが近しく生活するようになって叔父のイメージは一変した。家の中では叔母の冗談によく笑った。妻や娘の言いなりになって暮らす軟弱な中高年が叔父の姿だった。


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