2019年05月15日
家族の木 THE SECOND STORY 俊也と真梨
母の連れ子としていつも我慢を強いられてきた俊也、お嬢様として愛に包まれて育った真梨。俊也は秀才でエリートサラリーマン。真梨はじみで目立たない素直だけれど面白みのないお嬢様。意外にも運命を動かしたのはお嬢様の真梨。二人の運命が、やがて一人の男の子の運命をも動かしていきます。
母の再婚
僕は4歳の時に田原家に移り住んだ。僕が父だと思っていた人とは会えなくなり、田原の継父が僕の父になった。田原家は地元では名の知れた不動産会社の経営者一族だった。僕は最初一人で田原の家に預けられた。母が入院したからだ。そのころ母の恋人だった人が今の継父だ。田原の家では僕は大切にされた。祖母は継父の母で僕とは全く血縁がなかったが、いつも俊(しゅん)君、俊君といって僕をかまってくれた。東京の叔父も叔母も、会えば必ずいの一番に声をかけてくれた。
それまでの保育園をやめた代わりに私立の有名幼稚園に通った。僕は最初から先生たちに可愛がられた。ここでも継父が気を使って幼稚園に僕のことを頼んでくれたのだと思う。幼稚園では、先生によくかまってもらえる子が友達にもかまってもらえる。家でも、外でもいろいろな人が僕を気にかけてくれた。
ただ、実の母だけが僕に厳しかった。新しい環境の中で不安な中で母は僕にはとても厳しく当たった。
2年後には弟の聡一が生まれた。継父は最初この子には一という字は使わないといったらしい。それを母が押し切って聡一にした。父の聡という文字をもらって聡一だ。いかにも長男らしい名前だ。母が僕が連れ子だということをそれとなく周囲にわかるようにしたのだった。後妻に入った家への気遣いだったのだろう。この名前のおかげで、僕はいつも自分が連れ子だということを思いながら暮らした。
ある日、庭で従妹の真梨や弟の聡一と遊んでいたとき、急にトカゲが走り出てきた。古い屋敷で育った僕や聡一には見慣れたものだったが、マンション育ちの真梨は驚いて、その場で転んでしまった。膝小僧には大きな擦り傷を作っていた。真梨はトカゲに対する恐怖心と、けがの痛みで大きな泣き声をあげた。
傷の大きさをみて小学校1年生だった僕も動転した。慌てて真梨の手を引いて家に連れて帰った。真梨の傷を見て母は青くなった。女の子を育てたことがない母にとっては、その傷はずいぶんと大事件にうつったのだろう。
真梨はいつまでも泣き止まなかった。真梨の母親である叔母が出てきて、「まあまあ、エライ転んでんね。消毒しましょ。」といったとたんに、母から僕の頬に平手が飛んできた。「真梨ちゃん、女の子やのに、こんなけがさして、一体なにしたの?」と責め立てられた。
僕は突然殴られた悔しさに言い訳もできなかった。叔母はびっくりして「そんなに怒ることない。誰でも子供の時にはけがぐらいするのに。」と母をなだめた。
聡一が母に食って掛かって大泣きをする。真梨も大泣きをして、その日は玄関先で大騒ぎになってしまった。真梨はいつまでも泣き止まなかったので母もいつまでも僕を許してくれなかった。
それから30分位してから叔母が大声で、「ヨリちゃん、俊君悪くない。俊君悪くないんよ。」と言って真梨を連れてきた。
真梨は、その時4歳だった。一生懸命叔母に事情を説明したらしい。「トカゲさんが来て真梨が自分で転んだ。お兄ちゃんがおててをつないでくれた。」これを説明するのに30分かかったのだ。「お兄ちゃんをたたかないで。」といっていつまでも泣いたのだった。
その夜叔母や叔父が僕に一生懸命謝ってくれた。母も謝ってくれた。ただ、それでも僕は納得できなかった。母は僕をみて、まずたたいたのだ。悔しかった。いつもそうだった。母は、何か問題が起きるとまずは僕を叱り飛ばした。母自身が動転したときには、今日のように平手が飛んできた。
継父は、母に「俊也に厳しすぎる、俊也にやさしくしてやれ。」と言ったようだ。継父と母は普段は仲のいい夫婦だったが、時々、僕のことでぎくしゃくした。母が必要以上に僕に厳しいからだった。
続く
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