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2019年04月27日

家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花 <45 和解>

和解

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会ったことがないと思い込んでいた姉は、母の49日に家に来ていた。
その時僕はその人が姉だとは知らなかった。ただ、その人が来ると周囲の空気が凍ったような気がした。
悪いことを言いに来たのだろうと思っていた。

姉は「苦労したでしょうね。おじいさまやおばあさまはどうなさった?」と聞いてきた。
僕は「亡くなりました。」と素っ気なく答えた。

「貴方は、私たちのことを恨んでるかもしれないわね。
でも、もう大人だから言うけど、母の気持ちもわかってやって欲しいの。
貴方が生まれたのは母が46歳、私が21歳の時。
娘と同い年の愛人を持つ夫を恨む気持ちもわかってやってほしいの。
貴方が生まれたと父から聞かされた時、私たちはみんな信用しなかったの。
誰の子だかわからないって思ったのよ。資産家の父が若い女に騙されていると思ったの。
ごめんなさいね。でも弁護士が持ってきたあなたの写真を見て、本当のショックがやってきた。
あなたは父の幼いころに瓜二つだった。母の本当の憎悪が膨れ上がったのはこの時だったわ。」

「すみません。知りませんでした。」僕はなぜだか謝った。

「その2,3年前から家は火の車だったのよ。次々と土地や借家を手放して財産がどんどん減っていったの。
私たちは本当に毎日がとても不安だったのよ。
それなのに、よそに子供ができて亡くなった時には、その子のために養育費を用意してあった。
私たちは父を本気で恨んだのよ。」

僕は、今まで知らなかったことを知らされて、あまりいい気分ではなかった。

「貴方のお母様が亡くなったときに大阪の叔父さんから、あなたを引き取ってはどうかっていう話が出たの。私はね、その話をしにお伺いしたのよ。でも、おじいさまもおばあさまもけんもほろろだった。
私も、引き取らないほうがいいと思ったのよ。
私たちはさすがに食べるに困るようなことはなかったけれど、母はあなたをかわいがるなんてとても無理だったし。
引き取ってもあなたがかわいそうなだけだっていうことが、すぐにわかったわ。
その後1年もたたないうちに、あなた方は引っ越してしまったのよ。
探せば見つかったでしょうけれど、私たちはあなたを探さなかった。」

そうだった。僕たちが住んでいた長屋はとり壊されて今はオフィスビルになっている。
僕らは都営住宅に引っ越した。
その引っ越しで、やっと「ママが自殺しちゃった子」というレッテルから逃れたのだ。

姉のことを無縁のいけ好かない女と決めつけていたが、ごく普通のおばさんだった。
今となっては、ただただ涙もろい、ひょっとしたら大阪のママのように、お人よしなのかもしれないと思った。

僕は冷静にしているつもりだったが昔のことが走馬灯のようによみがえってきて涙を流していた。
梨花にハンカチを渡されて初めて自分が泣いていることに気が付いた。
いつからこんなに涙もろい男になったのだろう?

僕は父の榊島での功績の話をした。そして榊島の市役所には父の資料室があることも伝えた。
姉はものすごく驚いていた。

「お父さんが榊島の研究をしているのは知っていたの。
榊島の山林を買い占めて寄付したのも知っていたんだけど単なる研究者の独りよがりだと思っていたのよ。
家には地元の団体からの抗議文なんかも届いていて、私たちには何が何だかわからなかったのよ。
もともと家族仲が良くないから詳しく説明するってこともなかったのよ。
いつも私たちが知らないところで財産が処分されてたの。不動産関係には知り合いが多い家だったから。」

「今は、島では功労者として尊敬されていますよ。」と僕が言うと姉は「真一のおかげで救われたわ。
やっぱり父親を呪っている人生なんて不幸なものよ。お父さんの立派な事業を聞いて気分が明るくなれたわ。私たちの財産が榊市の役に立ったと思えば恨みがましい気持ちが楽になったわ。
泥沼から引き上げてもらった。ありがとうね。来てよかった。真一に会ってよかった。」

父はものすごい年月をかけて、僕や姉を親を怨むという泥沼から引き上げたのだった。
父は命がこの世から亡くなっても、この世に心を残して離れることができなかったのかもしれない。

僕たち兄弟も、本家の正妻も僕の母も、いわば父の不始末のおかげで人には言えない苦労をした。
あの世で切磋琢磨してやっと子供二人の心を泥沼から引き上げることができたのかもしれなかった。
子供への長い長い情念が、静かに昇華した瞬間だったのかもしれない。
飾り棚の一番高いところに置かれた父の仏像がみなを眺めていた。


続く


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2019年04月25日

家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花 <44 再会>

再会

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そんなある日、大阪のママから電話があった。イギリスの姉が一時帰国するらしい。墓のことや、その後の田原の家の話をしたいということだった。気の重いことだった。

墓のことなど、うんざりだった。僕は母方の墓も守っていた。といっても、盆正月に墓参りをして墓地に管理費を払うだけだ。母方も父方も生粋の江戸っ子だった。両方の墓地は23区内にあるのだからさほど面倒でもないはずだが、墓参りの回数はもっと必要かもしれなかった。とにかく父の本家の人間に会うということが、うっとおしかった。

姉が到着した日空港へは迎えに行かなかった。もともと、いい関係ではないのだ。一旦、ママに会って詳しい事情を説明してもらってから翌日会うことになった。会う場所は僕たちの部屋だった。叔父のマンションで姉たちも知っている所だった。姉といっても僕より21歳年上だった。

僕はものすごく緊張したが梨花は楽しみにしていた。当たり前だ、親戚のおばさんが海外から一時帰国するのだから。

姉がママと一緒に部屋に入ってきた。僕はリビングで待っていたのだが、にこりともできなかった。「初めまして、真一です。」というのが精いっぱいだった。本家の姉には恨みがましい気持ちと申し訳ない気持ちが入り混じっていた。僕はこの人の前では妾の子でしかなかった。

姉は「こんにちは、ご無沙汰しております。」と言い終わらないうちに目が潤んで涙声になった。2,3分ハンカチで顔を覆って何も言わなかった。「こんなに、大きくなって。あんまりお父さんにそっくりだからびっくりしちゃって。」ソファに腰かけてからも、しばらくハンカチで顔を押さえていた。

僕は、なにかあるのに、それが何かわからない不思議な焦燥感に駆られていた。ご無沙汰?そうだ、この人を知っている、いつだったか?どこだったか?しばらく無表情のままでぼんやりしていた。

だんだんモヤが晴れるようによみがえってきたのは母の四十九日の時だった。仏壇の前で線香をあげている女の人の姿だった。そうだ、この人は母の四十九日に僕たちが住んでいた長屋に来たのだ。まだ30そこそこだったかもしれない。

それでも、面影が残っていて、その人だとわかった。その時僕はその人が誰だか知らなった。その時その場にいたものすべてが凍り付いたような表情をしていた。

この人が線香を上げ終わって何か封筒を祖父に差し出した。その人が帰ってから祖父と祖母は2人でずいぶん泣いていた。僕は、さっきの女が何か良くないことを言って帰ったのだと思っていた。それがどんなことなのかは聞けなかった。その頃の僕たちには、様々な辛い出来事があって一つ一つはもうどうでもよかった。僕はそのことを思い出して顔が少しこわばった。姉とは初対面ではなかった。


続く

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家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花 <43煩悩>

煩悩

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僕は最近悩んでいる。今まで、この部屋で一人で暮らしていて朝ゆっくりめに起きて夜は少し遅くまで働く。長い時には11時間ぐらい働くこともあったはずだ。僕は几帳面という評価を受けていた。
遅れるということがないし原稿も丁寧なものだ。しかも健康だ。手のかからない執筆者だった。

最近このスタンスを守るのが少し困難になってきていた。
子供が泣くのはしょうがないし、別室から聞こえてくる分には僕には心安らぐBGMだった。

問題は梨花だった。梨花が洗濯物を干す姿が部屋から見える。時々機嫌のいい鼻歌が聞こえてくる時もある。テレビを見て爆笑しているときもある。こういう時、僕はいつも気分が落ち着かなくなってしまう。
気が散って考えがまとまらなくなる。

時々はソファでうたた寝をしていることもある。夜、何度か起きて授乳をするのだから当たり前だった。
僕はできる限り洗い物をしたり風呂を洗ったり洗濯物を取り込んだりした。
食事もピザを取ることを提案することもあった。時々スーパーの弁当を買ってきたりもした。
ここまでは僕は、それなりにいい夫だった。

ただ梨花がうたた寝をしていると、つい、しょうもないことを仕掛けてしまう。
梨花は応えてくれる時もあったが眠気に負けてそのまま眠ってしまうこともあった。
いずれにしても梨花の睡眠を妨げているのに違いはなかった。

世の夫たちが、なぜ朝出て夜帰る仕事をしているのか分かった。
昼間、妻の気配を感じながら仕事をこなすのは結構な忍耐力が必要だったのだ。

梨花に引っ越しを提案した。そろそろ、おじさんの家に引っ越す時期だ。
ここは仕事場として借りておくことにした。おじさんの家からは車で20分かかる。面倒な距離だ。
この距離を確保しないと僕の煩悩を抑え込むことは出来なさそうに思えた。

梨花は、その距離が不満なようだった。同じマンション内にしたらどうか?と何度も説得されたが、それでは意味がないと思った。梨花には、その理由を説明しかねた。

僕は兄弟がいないので年の近い人間と同居経験がなかった。
そして僕が女の家に行くときには目的は一つだ。
食事や会話は、その目的に向かうためのステップでしかなかった。女が僕の部屋に来るときもそうだ。
彼女らは目的をもってこの部屋に来た。食事も会話も、その目的を盛り上げる手段だった。
少なくとも僕はそう思っていた。

梨花が僕の部屋にいると僕は習慣的に思考が一つの目的に向かって勝手に進行してしまう。
こういうことを梨花に説明するわけにはいかなかった。

真梨が6カ月になったころ、おじさんのマンションに引っ越した。
そして、1か月もしないうちに叔父さん夫婦もオーストラリアに引っ越していった。

ここでは父の仏像はリビングの割合目立つところに安置した。
ここなら、家族が見えるし、家族からも仏様が見えた。

梨花はちょいちょい真梨をベビーカーに乗せてマンションの周囲を散歩していた。
どうも、商店街をあさっているようだった。高級魚屋の割引品への執着心があからさまに読めた。
残念ながら、この辺りは下町の雰囲気はなく、幼い真梨を連れてショッピングセンターに行くしかないようだ。

僕は毎日、以前の部屋に通っていた。
梨花は時たま、掃除と称してやってきては例の魚屋で買い物をして帰っていった。
初めて毎日規則正しく通勤する生活をした。


続く


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2019年04月23日

家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花   <42 東京生活>

東京生活

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真梨が3カ月になったころ、梨花と真梨が東京へ引っ越してきた。ママも一緒に東京へ来た。10日間ほど片づけを手伝ってくれた。ママは大阪へ帰るときには大泣きして帰っていった。かわいい盛りの初孫と別れるのはとてもつらかったようだった。

僕は、やはり、もう二部屋はある家が必要だと思った。やはり、おじさんの申し出を受けるのが一番いいのだろうという結論は出ていた。

東京の生活は何もかもこじんまりしていた。寝室にはベビーベッドも夫婦のベッドも一緒だった。

この寝室の最初の夜梨花は嬉しそうに僕のベッドに入ってきて、「初夜みたい。」といった。抱き合ったときに梨花の動作が止まった。「真ちゃん、あの仏さん何?」僕は「僕の父の身代わり。君のママが父から預かってくれていた。」と答えた。

「そうよね。あの仏さん、真ちゃんのお父さんよね。ねえ、お父さんが見てる前で、こんなんできる?」「いや、別に見てないと思うけど。」「だって見えてるやんか。」と押し問答になった。結局、僕は夜中にバスローブ一枚で仏様をリビングの高い棚に移したのだった。

その代わりというのもどうかと思うが、この仏像に合うような厨子を誂えた。厨子というものが、未だ世の中で商品として販売されているいうことはこの時に知った。にも、かかかわらず、僕はリビングでも梨花にしょうもないことを仕掛けた。父は苦笑いをしているかもしれない。

東京へ来てからの梨花は、毎日商店街へ買い物に出るのが日課になった。大阪では、買い物はほとんどママの仕事だった。車でショッピングセンターに行って済ませていた。

僕も、頼まれればスーパーに付き合ったが、それよりは毎日商店街へ出かける方が楽しいようだった。毎日夕方の5時を過ぎてから出かける。それも、自分用に買った自転車をかっ飛ばしていくのだ。

1時間もかからずに戻ってくる。その間だけは、何があっても僕が真梨を見なければならない。僕が、仕事で外出した日は買い物はなしだ。

帰ってきた梨花の買い物は割引品であふれていた。商店街で一番高い魚屋の刺身が割引になる時間を見計らって出かけているようだった。それから、間髪を置かずに夕飯を作り始めて確実に7時に出来上がる。えらい馬力だった。

僕は、この様子が時々うら悲しくなった。本当は割引の刺身など食べたことがなかったのかもしれなかった。

ある日僕が、なんとなく「苦労させるな。」といったら、「真ちゃん、私の友達に教えてもらったノウハウやねんから。友達みんなしてんのよ。みんなお金にシビアにやってるんよ。ご飯中にめんどくさい!」と怒られてしまった。僕としては、優しく「そんなことないよ。」と答えてもらえると思っていた。

僕はむくれ倒して梨花を困らせた。困り果てた梨花が食事中に、僕の隣に座って背中を撫でながら「お醤油これぐらい?」「ほら、これ、おいしいよ。」と世話を焼いてくれた。

僕は泣きそうになった。父が亡くなった日、母はぼくの隣に来て背中を撫でながら、食事の世話を焼いてくれた。母も泣いていた。あの時、僕は泣いていた。声をあげて泣いていた。

30年も前の記憶が突然よみがえってきた。僕の顔がゆ結核でいくのをみて梨花は慌てた。「そんなに怒らんでも。ごめんって。もう言わへんから。」と頭から背中から何度も撫でてくれた。

「ごめん。突然オヤジが亡くなった日のことを思い出した。母親が今みたいに背中を撫でてくれたんだ。」僕がいうと、梨花は「真ちゃんの泣き虫にはびっくりする。」といって軽く頭をポンポンされてしまった。

母が帰ってきた。母が僕の人生の中に戻ってきたのだった。僕を守ると何回も言ったのは、梨花の中に住み着いた僕の母だったのかもしれない。

梨花が優しいのは僕と真梨に対してだけだ。嫉妬はお門違いだったのだ。母が、よそに向かって歩きかけていた梨花を取り戻して僕の腕の中へ連れてきたのだ。だから、梨花は僕に向かって「守ってあげる、大丈夫」と何度も何度も言うのだ。



続く





家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花 <40 名づけ>

名づけ

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子供の名前を考えるのも夫婦の大きな楽しみだろうとは知っていた。
仕事関係や友人の言葉の端々で彼らが、それを心から楽しんでいることを知っていた。
自分にはムリな楽しみだと思っていた。でも今は現実に、その楽しみを目前にしていた。

梨花も同じ気持ちだったと思う。子供の名前のことを切り出したとき、梨花の瞳はキラキラ輝いた。
「僕は真梨がいいと思うんだ。」というと梨花も「私もそれがいいと思ってたんよ。」ということで、僕たちの名づけの楽しみは3秒で終わった。

それでも、梨花のおなかに向かって「真梨ちゃん」と話しかけるのは、就寝前の大きな楽しみになった。


THE FIRST STORY 真一と梨花  <41 破水>

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ある朝、「真ちゃん起きて。真ちゃん起きて。」と呼ぶ声で目が覚めた。
梨花がドアの前で棒立ちになっていた。まだ、5時半だった。足元はおびただしい水がこぼれていた。
とっさに梨花がお漏らしをしたのかと思った。

僕は、とにかくシーツを丸めて床を拭こうとした。
梨花は、「着替え取って!下着も服も!」そういわれてバタバタしていると、依子さんが入ってきて着替えを出してくれた。病院へ行くときの荷物一式はカバンに用意していた。

梨花が病院へ電話し終わったところで、ママが部屋へきて、「真ちゃん、車、車出して。梨花のんやなしに私の方。」といった。顔は上気していた。梨花は多少慌てていたが、ママと依子さんは落ち着ていた。

僕は、何が起こったかわからず、ただただ、子供に何かあったのかとオロオロしながら自分の着替えをするだけだった。梨花が「真ちゃん落ち着いて。破水しただけやから。よくある事やから。もうすぐ真梨に会えるよ。」といった。ハスイ?ああ、それか、と安堵した。この時僕は顔面蒼白になって顔を引きつらせていたらしい。

病院に着いて、診察を受けたら即入院だった。看護師は、「たぶん、明日の朝までには生まれると思います。ご主人、出勤してもらっても大丈夫ですよ。」と言った。梨花は、病院のベッドで眠ってしまった。

僕は、梨花が眠っている間にいったん家へ帰って毛布などを用意した。
ママもパンやオムスビを用意して臨戦態勢に入った。

8時過ぎに行ったときには梨花は食事をしていた。「大丈夫か?」と聞く僕に、苦痛の表情を浮かべた。「さっきから始まってるんよ。」「何が?」「陣痛やないの」といった、会話をしている間も、時々、ううっと声を出した。

昼食は病院からリゾートホテルのような食事が出た。梨花は、結局昼食が喉に通らない状態で夜を迎えた。
なぜか僕も食慾がなく、食事を片付けに来たおばさんに笑われた。
「ご主人は、普通に食べはったらよろしいねん。別になんにもせえへんねんから。」といわれてしまった。

しかし、目の前で痛さでうなる人間を見ながら食事をする根性はなかった。
午前2時ごろに陣痛室に入って、朝の4時ごろに真梨は生まれた。
「ママは割と早かってよかった。」と言っていたが、僕は、その2時間が12時間ぐらいに感じていた。

生まれて初めて、生後間もない子供を抱いた。なんだか、夢の中のようで実感がなかった。
感動はしたものの、今一つ湧き上がるようなものはなかった。

翌日も面会時間に行って真梨を抱いた。僕の腕の中で真梨がフワッとあくびをした。
小さな口をあいて、小さな手と足を目いっぱい突っ張る様子を見たとたんに喜びがこみ上げてきた。
手も足も綿菓子のようにふわふわだった。なんてきれいな女の子だ、美人になるぞ。
気をつけなくちゃ、変な男が近づかないようにしなくちゃと本気で思った。


続く



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2019年04月22日

家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花   <39 榊島>

榊島

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僕は榊島を訪ねた。朝早く出て二泊する予定だった。島はごく普通の地方都市だった。
東京の人にとっては近場のリゾート地になっているので、ペンションや小さなホテルがあったがシーズンオフなので静かなものだった。

市役所に隣接する図書館に父の資料室があった。
一般閲覧はされていなかったので、申込用紙に記名したところ身内かと聞かれたので息子だと答えた。
カウンターの人の反応は薄かったが図書館長という人が興奮して出てきた。

この人の家が昔、旅館を経営していて父の定宿だったと言いう話だった。父とは面識があったそうだ。

今の若い世代にはあまり知られてはいないが、父はこの島の恩人だといわれた。
この島がリゾート地としてやっていけるのは、父の環境保護活動のおかげだということを熱っぽく語ってくれた。その日はこの人が経営するペンションに泊まった。

父は、この島に長期逗留して、主に島の山間部の生物体系を調べていたそうだ。
そのころは日本は好景気の最中で大掛かりな工場建設が流行っていた。
環境保護の認識がまだできておらず、島の経済発展のために山間部の開発を進める話が進んでいたらしい。

山を切り崩し工場を建てる計画は島の人々を熱狂させた。
社宅を作り社員を住ませれば人口も増え島の経済が大いに活性化する。
実際その時代には、そんな地域が何か所かできていた。

それを、父が私財を出して山林を買い環境保護を条件に市に寄付したのだった。
島の人々の間でも賛否両論で、当時は島の発展を妨げたという評価をする人たちもいたらしい。

それから10年もたたない間に景気は大きく後退して、大掛かりな工場施設はことごとく閉鎖や倒産に追い込まれた。島は漁業を継続させながら、それを原資にした観光業が発展した。
そのころになって、やっと、父が功労者として評価されたのだ。

父の行為が功績という言葉で表現されていた。
その夜梨花に電話で話しているうちに、なんとなく涙声になってしまった。

梨花は「真ちゃん、よかったねえ。お父さんもきっと喜んではるよ。
一人息子が自分のしたことを認めてくれたんやから。それにしても真ちゃん泣き虫やねえ。
そこ、一人ぼっちでさびしいのん?大阪へ来たらまた御馳走してあげる。」と言った。

梨花は僕より二つ下だったが、なぜか姉のようなものの言い方をした。
僕は今まで付き合った女から泣き虫といわれたことはなかった。

将来、ここに梨花や生まれてくる子供を連れて来たいと思った。
「そうだ、父さん、僕に子供ができるんだよ。拗ねて生きていた僕に。」涙があふれた。


続く


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2019年04月21日

家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花   <38父の功績>

父の功績

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あの仏像をもらってよかった。ベッドサイドに置いていてよかった。この年になって父の愛情に触れることが、とても不思議だった。父は、どんな研究をしたのだろう。

インターネットで名前を検索したが、全くの別人しかヒットしなかった。翌日の朝、例の堅物の新聞記者に電話をした。生物学者の田原真介のことを調べてほしいと頼んだのだ。亡くなってから30年もたっているのでわからないかもしれない。

夕方には件の新聞記者から電話がかかってきた。開口一番「お父上は立派な方だったよ。」と言ってくれた。妙に恥ずかしいような誇らしいような気がした。

「田原真介博士は東京都の榊島の生態系を調査した研究者だ。島の生態系を調査して、環境を守るために尽力しておられる。相当の私財をつぎ込んでおられる。」と敬意をこめた言葉で言ってくれた。なにか、尻に羽が生えたような、奇妙な感じがした。「榊市の市役所に博士の資料室があるようだ。」と教えてくれた。

その他にも僕の先祖の話が出た。「そもそも田原真介博士の生家、つまりお前さんの先祖だが、江戸時代は直参旗本で奉行職も務めた立派な家系だ。江戸城のそばに屋敷があった。明治になってから、その近隣地域の土地を買って市場や商店街などを作っている。それ以外にも広範囲に土地を買っては市場や商店街を作っている。東京のそこここに土地を持っていた資産家だ。維新直後さびれてしまった東京の市街化に尽力している家系だ。だから、子孫がうやむやになっていること自体が少し不思議なんだよ。子孫の存在がはっきりしたことでも調べた甲斐があった。」とも言ってくれた。

翌日梨花にその話をした。梨花は「そんな話、聞いたことがある。当時は、それが有意義な事業やと思われてなかったみたい。せやから、私財出さなあかんかったのよ。田原の家も単なる道楽としか思ってなかったのよ。だから、ご家族との仲も円満じゃなかったんよ。」なんとなく、父が母に走った原因のようなものも見えた気がした。

「真ちゃん、時間あるんやったら行ってきたら?絶対真ちゃんのためになるよ。こっちへ来るのんは2,3日遅れてもいいんやから。真ちゃんお父さんになるんやから、自分のお父さんのこと、よく調べておいでよ。」梨花がそう言ってくれたので、島へ行ってみることにした。

梨花や梨花の家族にかかわることは、僕の方から梨花に提案することが多かった。梨花は、何か都合があるとき以外は僕の提案に賛成してくれた。

ところが、僕自身のことになると、ついつい梨花の意見を求めてしまう。2人だけの会話になると僕は梨花に相談を持ち掛けることが多かった。梨花は「大丈夫、行けるから、大丈夫やから」となぜか保護者のようなものの言い方をした。


続く



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2019年04月19日

家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花   <37 東京の叔父>

東京の叔父

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東京で仕事に追い込みをかけているときに梨花から電話があった。
ママの妹の旦那さん、アメリカの不動産会社の役員のおじさんが僕に会いたいらしい。
緊張したが嫌だというのもおかしいので翌日家に伺うことになった。

おじさんの家は、ごく普通のマンションだった。
食事もごちそうだったが取り立てて豪華なものではなかった。少し安心した。
しかし、おじさんは相変わらず口数が少なく仏頂面だった。

「君、梨花のために体を張ってくれたんだってね。けがをしたらしいね。姉が泣いていた。
君のおかげで梨花や赤ん坊が助かったと言っていた。」
意外にも叔父さんの話の内容はとても好意的なものだった。

叔母も、「よく助けてくれたわねえ。うちは子供がいないから梨花がこっちへ来るのは大歓迎なのよ。」といってくれた。「ただ、今度みたいなことが有ったら一大事でしょ。」と心配してくれている。

「どうかな?ここへ越してこないかな?ここは作りは地味だがセキュリティーはしっかりしている。外国人が多いんだ。」叔父夫婦は梨花の安全を心配してくれていた。

このマンションは建物そのものがおじさんの持ち物だった。
「君もこの建物だったら顔がささないんじゃないかと思ってね。企業に貸している。海外から日本へ赴任してくる人たちがほとんどだ。みな身元がしっかりしているんだ。」と積極的に進めてくれる。

おじさんがオーストラリア支社の支社長になったらしい。
その間このマンションの管理をしないかという話だった。
管理といっても管理会社がやるのだから、毎日用があるわけではない。
まあ、気を配るだけが仕事のようだ。むしろ、地価の変動や周りの様子に目を光らせてほしいようだ。

最初は聡に話を持っていったのだが聡が僕を推薦してくれたらしい。
最低でも5年は戻らないので、聡と相談しながらやってほしいというのだ。
おじさんんは、僕を気に入ってくれたらしい。

僕は少し気が重かった。梨花が僕に好感を持ってくれたのは、今住んでいる僕の部屋だ。
それに梨花の親戚の持ち物に住むとなると僕は、いろいろ気兼ねも出てくるだろう。

しかし現実には今の部屋は親子3人で暮らすには手狭だった。
僕は、梨花と相談するという名目で即答をしなかった。
後々、この話が僕の生涯の仕事につながっていくことを、その時の僕はまだ知らなかった。

翌日、梨花におじさんからの話を報告した。
梨花は、おじさんの話を受けたいが子供が少し大きくなるまで僕の部屋で暮らしたいと言った。
うれしかった。やっと、僕の領分に嫁さんと子供を迎える話が進展しはじめた。
多分数カ月も住めないだろうけれど。

僕があの部屋を借りたのは4年前だ。暮らしが立つようになって少しいい部屋を借りた。
静かな場所だったが5分も歩けば商店街へ出られた。
自転車で出かけてビールや飯を買って公園に回り道をした。

プライベートでは僕は内向的だった。
外出して食事をしたりバーへ寄ったりしても誰とも親しくならなかった。
仕事につながらない人間関係には興味がなかった。僕が芯から気を抜いているときは1人だった。

そういう暮らしの中に梨花が来て、梨花と食事をして梨花と一緒に眠るのが楽しみだった。
部屋中に赤ん坊の泣き声が響き渡るかもしれない。
自分の人生には、そういう温かい喧騒は縁がないと思っていた。


続く


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内側から聞くのがサプリメントのいいところです。



2019年04月18日

<36 守りたがる女>  家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花 

守りたがる女

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この日からあとも、僕は東京と大阪を往復していた。僕は、いつもできるだけきちんと誠実にふるまった。
以前のように金のためではなかった。
梨花が周りからいい結婚をしたといわれるように、僕たちの子供が周りから認められるように。

僕は田原の家の一員として認められていった。全ては子供のためだった。
聡は以前にもまして僕を頼りにしてくれた。僕は言わずと知れた苦労人だ。
それが聡には頼りがいがあるように感じるらしい。何の知識もない僕の意見を聞きたがった。

聡は日本でも有数の名門大学を出ていた。立派な資格を持っていた。
にもかかわらず、何かと僕の意見を聞きたがった。
梨花は、聡が僕の中に父親めいたものを感じているのだろうといっていた。
僕は頼りになる雰囲気を持っていた。

それなのに梨花は不思議だった。二人きりになると、しょっちゅう「守ってあげる」という。
僕は今まで付き合った女には頼りにされていた。守ってあげるといわれるのは本当に不思議な気がした。

梨花は何かにつけてざっくりしている。
部屋は散らかっているわけではないが、びっちり整理整頓されているのではなかった。

料理は恐ろしく早業だった。とにかく、段取りがよくて、ざっくりしていた。
材料は足りないものがあっても必ず代わりのもので済ます。味付けも計量はしない。
やっぱりオヤジ臭い面はいっぱいあった。ある意味男前の部分もあった。
この男前の性格が僕を守りたくしているのだろうか?

依子さんは、きっちりしていた。掃除も洗濯も完璧のようだった。
ママも梨花もざっくりした性格で、その上コメディタッチだった。
なので依子さんの几帳面さは田原の家では、ものすごく目立つ。

時々、お手伝いさんのようにふるまうときもある。
みんなでくつろいでいるときにも、かいがいしく動くことがある。みんなの給仕をすることもある。
多分、負い目を感じているのだと思う。

依子さんが動くとママも何かしないといけないと思うらしく浮足立ってくる。
梨花もそれとなくソワソワし始める。こういう雰囲気も、やがては落ち着いていくのだろう。

梨花はおなかが目立ち始めて動きも緩慢になってきた。バランスをくずして転ばれでもしたら大変だ。
時々僕は、しつこい、口うるさいオッサンになって、あれをするな、これをするなというようになっていた。

梨花は「真ちゃん、運動不足は子供によくないねんよ。」と抵抗した。
僕を無視してさっさと好きなことをした。
ママは、僕の前では「梨花、危ないことせんように、よう気いつけなはれ。」といった。
が、僕が気づかないうちに依子さんと梨花を誘い出して3人で買い物に出た。

そんなころ、赤ん坊の性別を教えられた。女の子だった。よかったと思った。
もし、男の子だったら僕は自分と子供を混同して、ちゃんとした子育てができないだろうと思った。
そのころは、まだ、女の子が父親にとって、どんな存在になるのかよくわかっていなかった。

続く



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2019年04月17日

家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花   <35 親戚>

親戚
梨花が安定期に入ったころに、親戚があつまって食事会があった。大阪の有名な料亭の一室だった。老舗料亭らしいが5階建てのビルだ。
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集まったのは、ママの妹夫婦と梨花の父方の親戚2家族だった。梨花は洋装だった。並みいる女性がみな和服なのに梨花だけが洋装だったので、かわいそうに思った。多分、ママが一生懸命揃えた和服があるのだろうに。

ママの妹の夫はアメリカの不動産会社の役員だった。おとなしい品のある人で海外生活の方が長いという話だった。口数が少なくて少し不機嫌なような気がした。しょうがない。急に出てきたよくわからない男と姪が結婚したのだ。しかも順番違いだった。

ひょっとしたら自分の親戚にケチが付くと思われているかもしれない。以前の僕なら嫌味の一つぐらい言うかもしれないが今の僕はちがう。あくまで礼儀正しく接した。僕たちの子供がどんな世話になるかもしれない。

父方のおじさんは禰宜ということだった。その息子も神官だった。奥さんの家の跡を継いだそうだ。「俺もできちゃった婚で、しょうがないので女房の家に入った。」といって笑った。

その弟は公務員だった。父方の家の跡はこの人がついだらしい。嫁という人は方言丸出しのおもしろい人だった。父方の親戚は気楽で付き合いやすかった。

そう緊張することもなかった。禰宜のおじさんが強面で、その人が僕と同じく順番間違いをした人だったので気が楽だったのだ。

この席で、依子さんも紹介された。こちらは結婚式、披露宴をするそうだ。僕がそうすすめた。何かといえば引き気味になる依子さんこそしっかりと、後継者の妻として披露されなければならない。再婚だからといって地味にしてはいけない。

俊君も、この家の子供としてみんなに認識されなければいけない。俊君をみんなにしっかり紹介してやって欲しかった。俊君を日陰の子供として育ててはいけない。

そこへ行くと梨花は僕の家の押しも押されもしない大奥様だ。彼女にプレッシャーを与えるような親戚もいない。僕には、梨花を紹介して祝いの席を設ける必要もなかった。親戚などいなかった。

思えばなんと孤独な生活だったのだろう。15年間、一人で肩ひじ張って生きてきた。風邪をひく余裕もなかった。

ママは、梨花に花嫁衣裳を着せたがったが本人は全く関心がなかった。そういう意味では梨花は立派なオヤジだと思っていた。常に僕は自分に甘いのだ。あとになって、梨花が僕の懐事情を考えてくれていたのかもしれないと気づいた。



続く




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