その分野は歴史書から批評、文学、専門書に及び、なかでも司馬遼太郎を私淑し、「天声人語」を書写する日々。そんな彼と昨年30数年ぶりに再会し近況報告と過去の他愛もない失敗を語り、時の経つのを忘れることができました。いま夢中になっている作家の話はなかったのですが最近はアインシュタインに落ち着いたと言います。その経緯を聞き出すことができなかったのですが、最近読んだ『人間の建設』という小林秀雄氏と岡潔氏の対談のなかでアインシュタインについて話されているのを知りました。
その一節にベルクソンとアインシュタインの衝突が取り上げられ、お互いが「おれには哲学者の時間はわからぬ」、「対抗する理論は一つもない」という「行き違い」があったと話されています。
ここでは「時間というものは情緒に近い」と言われていますし、数学は、元来言葉の積み重ねによって方程式が導かれるというような、小筆には分かりませんが、対談があります。そのあたりで友人は、歴史書から理論物理学に傾倒していったのではないかと推測しています。
アインシュタインは1922年11月~12月に日本を訪れていますが、日本人と自然との調和にいたく感激し絶賛しています。人類の平和のためにも日本こそ世界の盟主に成らんことを願うとまで言い切った科学者であります。
しかし、自ら著した数式がマンハッタン計画の端緒となり、広島と長崎に原爆が投下されようとは夢々思わなかったことでしょう。
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