もののあはれ。辞書には「目で見たもの、耳で聞いたものに触れたときに生ずるしみじみとした深い情趣、無常観的な哀愁」とあります。
又吉氏は「例えば相手が自分のことを好きではないときに、自分の内面に起こる『悲しい』気持ちと向き合うとき生まれる感情のようなもの」といい「自分の知識と経験だけでものを書くと自分の持っているものにしかならず、人の印象や何かを見たものから出発したほうが自分の能力の外に出られる。また人から相談に乗ってもらうように頼まれたときに、なんでこんなに調子がいいんだろうと思うくらい理路整然と答えている自分がいたり、反対に私生活がうまくいってないときのほうが気付かされることが多く、創作活動がうまくいく」。そんな趣旨のことを話されていました。
お笑いで、たまに変な方向に脱線したとき、相方がそこを突っ込んでくるような情景が浮かんできます。
学者の理論ではなく、自身の経験から発見した受けとめ方には説得力があります。その意味で、番組制作の方が又吉氏を招いたのはずばり良い勘が働いたように思えます。
小林秀雄氏の『本居宣長』を読み始めると、宣長の葬儀や遺言のことから始まり、その博学才穎に釘付けになります。国学の先駆者、契沖の話、加茂真淵との出会い。自分はまだまだ「もののあはれ」に到達していませんが、だんだんと『古事記』と『源氏物語』とのつながりが炙り出されてくることでしょう。そして、なぜ『源氏物語』は書かれたのかというところまで導かれるに違いありません。『光る君へ』が始まる前に間に合うかどうかですが。
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