党首討論は久しく行われていません。
今の政治家がそうだとは言いませんが、日本人はもともと意見を戦わせることが苦手であるように思えます。テーブル上の資料ばかりに目が行く。討論のルールが周知されていない。
英語の教材を開いていて、「ディベート」をしてみようというのに出会いました。
そこでは、論争を深めていくことにより「真理」が探求されるということを知り、あらためて、我が師である松本道弘氏の「ディベート道」の門を叩くことになりました。
「悪魔の弁護人 devil's advocate」が登場します。(中山七里氏のテレビドラマ化作品、御子柴弁護士シリーズはここから来ているらしい)
ディベートは、あくまで賛成と反対の立場で意見を述べるのですが、追求され、反論することで議論が深まる。どちらが勝者でどちらが敗者であったかを判定するのはレフェリーであります。
政治の世界では有権者が判断を下します。
英語テキストには、「相手の意見を注意深く聴き、明瞭に思考しよう」とあります。
ディベートが高校、大学で授業の科目になったり、部活動に力を入れているところも増えています。
話が飛躍するかもしれませんが、ウクライナの和平の鍵は、武力で決着するのではなく、インド、トルコ、スイス、ブラジルなどの中立国がどんなロジックを展開するかに関わってきそうな気がします。