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2017年12月07日
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」第48回放送「信長、浜松来たいってよ」
48回放送分のタイトルは「信長、浜松来たいってよ」です。有名映画のタイトルをもじったようなタイトルばかりでしたが、その奇天烈さここに極まれり、という感じです。
織田信長は甲斐の武田氏を滅ぼし、その後の仕置を確定。大名・家臣たちへの領地のあてがいも済ませ、安土へ凱旋するのですが、その途中、富士山を見物すると言い出します。
戦勝気分に酔う徳川家に織田家の使者が訪れ、信長が富士見物をすること、安土への帰路に東海道を選んで徳川の領地を通過することを伝えます。
急なことにざわめく徳川家中。右大臣・織田信長が通る以上、なにか阻喪があってはいけません。精一杯もてなすのは勿論、宿の確保、休憩所の設置、領内の治安、道路や橋の整備等にもじゅうぶん気を付けないといけないのです。相手は信長。なにか落ち度があって責め立てられてはたまりません。
井伊万千代ほか、井伊家ゆかりの者たちも忙しく働きます。
そして信長来訪。
信長の態度をみると、徳川家挙げての歓待に満足しているのかどうかわかりません。そこへ、今川氏真が訪れます。氏真は信長をもてなすための余興を用意したと言います。それは力士たちを集めての、信長の面前での相撲興行でした。
信長の相撲好きは有名な話です。なるほど、信長を喜ばせるために相撲とは考えたものだな、と思えます。
このとき、信長は相撲の取り組みをみて、「小さい力士が大きい力士に立ち向かって倒そうとしている。桶狭間のころの我はまさにあの小さい力士のようであった」という意味のことをつぶやきます。そして、小さな力士のようだった自分がここまで大きくなれたのは家康どのがいてくれたからだ、と、家康に感謝の言葉を述べます。
いや、私こそ信長様がいたからこそ今まで生きてこられたのです、と返す家康でしたが、複雑な思いが在ります。単純に褒められたと喜べないものがあります。
そのころ、井伊の先祖ゆかりの井戸に、身分あるものの子息らしい幼児が置き去りにされていました。直虎は、その子の親を探そうとし、謎を突き止めようと或る策を考えます。その結果わかったことが恐るべきことだったのです。
浜松に来た信長をもてなそうと今川氏真が来た本当の意味、明智光秀と今川氏真のひそかなつながり。それらが分かるのですが、さらに、徳川家の信長に対する歓待への返礼として家康や徳川家重臣たちを安土や京に招こうとする信長の本当の意図、たくらみ。そしてその企てを逆手に取った信長暗殺計画。
直虎は家康に対面し、恐るべき企ての数々を話します。そして、家康に、天下の武士たちを束ねる扇の要になってほしい、と思いを打ち明けます。
このストーリー展開での、直虎と氏真のやりとり、そして直虎と家康のやりとりは見ものでした。
明智光秀の子孫だという明智憲三郎氏の著書『本能寺の変 431年目の真実』(文芸社文庫)という本に書かれている、本能寺の変の真相についての斬新な説を取り入れたような展開ですが、それを歴史ドラマに取り入れさらに今川氏真をからませ、井伊家の人々が深くかかわるようにしたのは面白いと感じました。
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2017年11月27日
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」第47回放送「決戦は高天神」
織田信長の圧力に逆らえず嫡男と正室を死なせてしまった徳川家康は、自らの弱さをさらけ出して岡崎の家臣たちに詫び、それでもついてきてくれ、と言う。殿さまが自らの弱さを家臣の前にさらけだすのはいけないと思う重臣・榊原康政は「お言葉がすぎましょう」と家康をたしなめようとするが、井伊万千代はそれを止め、むしろ家康に言いたいことすべて言わせようとする。
本音をさらけだした家康の思いは家臣たちに通じ、徳川家の結束は強固なものとなる。
この、弱さをさらけ出すことによって協力をもとめて結束を固め、集団が強力になるように、というのは万千代が家康に提案したことだと、後になって分かる。万千代は、井伊の先代、つまり直虎が行ったことをかたったのです。井伊谷の農民たちが逃散して領地が危機に陥ったとき、直虎は農民たちの前に出て弱い自分をさらけ出しながら農民たちを説いた。そのことによって井伊谷の人々の結束は強まった、と。
井伊の城主としての地位を捨てて、井伊谷の領主としての井伊家を滅ぼしたと、直虎のことを憎み反発していた万千代だが、徐々に、直虎の行ってきたことを認めるようになってきました。なにかと、「井伊の先代は」と、直虎が何を言い何を行ってきたかを家康らに語るようになったのです。
用件があり徳川の陣所に万千代を訪ねる直虎(尼の姿となっている)。そこで徳川の重臣で猛将として知られる本多忠勝(「真田丸」では藤岡弘さんが演じたが今回は高嶋政宏さんが演じている)と出会います。このとき本多忠勝が万千代のことを語った言葉が、万千代の成長ぶりをよく語っています。本多忠勝は万千代のことを「以前はおのれの出世のことばかりかんがえていたが、今は徳川家全体のことを考えるようになった」と褒めたのです。
万千代は駿河攻めでの最重要な土地、高天神城での戦でも武功をあげ、またまた出世します。
この高天神城攻めは甲斐の武田氏の滅亡を決定付けるような戦いです。長篠の戦で多くの重臣(しかも信玄を支えてきたような重臣たち)を失った武田勝頼は、ばん回しようと、いろいろと戦をしかけて勢力を盛り返しますが、支城の高天神城を助けることができませんでした。
後詰めといい、支城が敵に攻められた時に大将が自ら動いて味方救う、ということは、戦国大名としての鉄則であり、これをしないと味方全体の士気に関わり、下手をすると家臣たちの信頼を失い裏切り者続出という事態になるのです。「なんだ、うちの大将はいざという時に助けてくれないのか! 頼り甲斐の無い大将だな」と。
高天神城を失うことになった武田家は多方面から攻められることとなり、裏切り者続出となります。
それほど重要な戦いだったのです。
しかし、この城攻めにおいて、家康は力攻めを好みませんでした。敵対する者を力ずくで叩き伏せるのではなく、城を取り囲むように砦をたくさん築き、兵糧攻めを行い、戦意を喪失させて降伏を促し、敵勢力をそっくりそのまま味方に取り込もうと考えたのです。
このやり方は、徳川によって戦の無い世を作ろう、という考えに至った直虎の共感を呼ぶものでした。
しかし、「血をみない戦」を否定する者が家康の考えを叩き伏せてしまいます。すなわち、「高天神城の降伏など認めるな。力攻めにして皆殺しにせよ」という織田信長の命令がきたのです。
またしても織田の圧力に屈してしまう家康。
そして高天神城は激しい戦いの末、落城します。そして物語は急展開し、あっけなく武田勝頼自刃、武田家滅亡となり、駿河は徳川のものとなります。
少しずつでも理解しあうようになり徳川家康を天下一の大名にするという目標を立てて平和な世の為、未来に向けて動きだした直虎と万千代。大勢力の圧力の為に泣かされてきた小勢力の悲哀をあじじゅうぶんに味わった直虎だからこそ思う悲願。それを知り、直虎や小野但馬らがいかに戦を避けるために苦心してきたかを知り家康の思いと重ねる万千代。この両者の思いが重なってきたところで「つづく!」となります。
次回放送はいよいよ本能寺の変の直前の動きとなるようで、予告も気になるシーンの連続でした。
2017年11月24日
井伊直虎関連みやげ物
2017年11月21日
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」第46回放送「悪女について」
徳川家康の嫡男・信康は、織田信長によって謀反の疑いをかけられました。徳川家は大国・織田の圧力をどうすることもできず、信康を裁くしかなくなりました。そんな動きに対して物語の主人公の直虎と万千代がどう動くのか、どう事件と関わっていくのか、と思わせて前回の放送は終了しました。
今回はもちろん、その続き。
徳川家康は今川氏真を仲介役として小田原の北条家と同盟を結ぼうとします。それによって、織田や徳川にとって長年脅威だった武田家を追い詰めるのです。それが徳川だけではなく織田を助けることにもなりますから、同盟成立の功によって織田信長を喜ばせて信康の助命を願い出よう、と家康は考えたのです。
その同盟が成立するまでの間、信康を殺してはならない。家康は信康の幽閉先を移すことによって時間稼ぎをしようとします。
家康の考えは万千代らごく一部の者しか知りません。周囲の人間は、信康の所在が点々とすることがなぜなのか分かりません。家康の正室・築山殿(瀬名)も同様です。彼女は、自分こそが武田と内通していたのだとして信康の罪をかぶろうとします。すなわち、武田勝頼との密書らしきものをわざと残して、家臣・石川数正とともに行方をくらませるのです。周囲の人間は「ほんとうに武田と通じていたのは奥方様だったか。信康様は無実だったか」と騒ぎ始めます。
家康は万千代に思いを託して、万千代をひそかな使者として築山殿に会わせ、真意を知らしめようとするのです。
そのころ築山殿は自分の実母や幼馴染の直虎の故郷である井伊谷をひそかに訪れていました。そして偶然、直虎と会います。直虎は築山殿が罪をかぶって死のうとしていることを言い当て、思いとどまらせようとします。やがて万千代もかけつけ、家康の真意を伝えるとともに、築山殿を井伊谷でかくまおうという案を示します。
しかしそれでも、築山殿は「同盟がなっても、それで本当に信康は助かるのだろうか」と疑問を呈し、それならがやはり自分が罪をかぶって死んだ方がいい、と言います。
直虎は怒りをあらわにします。死んでゆくものはお家の為というが、それで残されたものはどうなる? 残されたものの気持ちを考えているのか! という意味のことをいって、築山殿に考え直すよう言います。
万千代は直虎の言葉をそばで聞き、なにかを感じたようです。大国の圧力によって犠牲を払わなくてはならない、小勢力の悲哀。その犠牲者の思いや残されたものの悲しさ。それは万千代の実父の悲劇でもあり、直虎の悲劇でもあり、井伊家歴代の当主の悲劇でもあるのです。
結局、築山殿はかくまわれることを拒み、徳川家の家臣によって殺されます。
家康は築山殿の首を土産に信長に面会し、信康に罪はないとして助命を嘆願します。だが、信長は冷たく言い放つのです。徳川は好きなようにやればよい、そのかわり我も好きなようにやるがな、と。
それは、俺の言うことを聞かず信康を誅殺しないというのならそれはそれで構わないが徳川家がどうなっても知らないぞ、という強迫が秘められた言葉なのです。
結局、信康は自刃することとなり、家康は正室と嫡男を失うこととなったのです。
悲しみに暮れる徳川家。
もちろん、直虎も、友同様であり姉妹同様でもあった築山殿を失った嘆き、哀しみに暮れます。
大名たちが戦をやめてこの世から戦がなくなれば、と言う直虎に、南渓和尚はそうなるように努力してみればいい、という意味のことを言います。直虎は「そんなことできるはずがない」と言いますが、和尚は「なんだ、やってみないうちから諦めるのか、しみったれたやつじゃのう」という意味のことを言って活を入れます。直虎は、万千代を通じて徳川を動かして徳川が平和な世をつくる、という考えがひらめきます。
そうして、夢が万千代に託されることになりました。万千代は幼いころに井伊で教えられたことを家康に伝えます。負けたらなぜ負けたのか原因を考え、負けない対策をとる。負けを次に勝つための反省材料として活かすのだと。
悲しみに暮れて家臣を信じられなくなっていた家康がこころを動かされます。家康と万千代との間に新たな絆が生まれたのです。
今回の放送の重要ポイントは、息子の命を助けるためにあえて罪をかぶって死のうとした「母の愛」であり、「妻に心底から信頼されなかったのか」「そんなに頼りない男と思われていたのか」「心から信頼されていれば妻は死ななかったのに」と悲しむ家康の無念の思い。そして、大きな挫折を乗り越えて徳川を発展させるべきだと家康を励ます万千代の言葉でしょう。
タイトルの「悪女について」の悪女とは、息子を助けるために敢えて汚名を着た築山殿のことです。通説でも、また昔の大河ドラマ「徳川家康」(滝田栄さん主演)でも大変嫉妬深く今川家の姫としての誇りを捨てずに威張り散らして家康を馬鹿にして裏切った人物として描かれていましたが。今回では息子を救いたい一心で汚名をかぶった哀しい女性をして描かれました。
2017年11月12日
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」第45回放送「魔王のいけにえ」
最近は、主人公の直虎と、井伊家の未来を担う万千代(のちの井伊直政)の二人の動きを軸に展開してきたのですが、今回の放送では、二人は「添え物」とまではいかぬまでも物語のど真ん中を行く存在ではなくなりました。話の中心は、徳川家康とその嫡男・信康の話です。
世にいう「信康事件」の始まりです。
一般的には、信康の正室であり織田信長の娘でもある徳姫が生活上の愚痴を書いた手紙を信長に送り、それをもとに信長が家康の家臣を呼びつけ詰問し、信康に謀反の疑いがあるとして責め、信長に逆らえない家康が信康を自害させ、正室の築山殿(信康の母)をも殺した、ということになっています。
これに対してもさまざまな解釈や説があり、信康に乱行があったというのは本当なのか、信長のでっちあげなのか、ならば何故信長は信康を責めたのか、家康・信康間に溝がありそれを利用して徳川の力が大きくならぬようにしたのか、信康が自分の息子たちより優秀すぎたので脅威を感じて今のうちに芽を摘んでおこうとしたのか、それとも、信長の思惑とは関係なく徳川家が分裂の危機にあり浜松の家康に近い家臣たちと岡崎の信康の家臣たちとが対立していたことによるものなのか、等、いろいろ言われています。
この「おんな城主直虎」ではどう描かれているのか?
そして直虎や万千代はどうかかわるのか?
まず、信康がたいへん穏やかで親思いで家臣思い、そして頭も切れる優秀な人物として描かれています。そのため、岡崎の家臣たちからも慕われています。
また、家康には気性の激しさなど感じられず、妻や子を思い、家臣団もうまくまとまるようにと考えています。
しかしそこは戦国の世。過酷な運命が待ち構えています。
戦国時代に限らず現代でも、理解しあうべき夫婦や親子の関係で、ちょっとした隔たりができ、溝が生じると、本人同士が溝を修復しようとしても周囲の思惑も絡んだりちょっとした行き違いで亀裂が大きくなり決定的な対立にまで発展する場合があります。それが戦国時代となると、血をみる結果となってしまうのです。
物語の中の「信康事件」はまだ決着をみていません。また、この事件について直虎や万千代が大きな動きを見せているわけではありません。しかし、次回では大きく関わりそうです。
また、放送の最後の方で、久しぶりに今川氏真が登場。いったいどんな動きをみせるのか。
そして、織田と徳川の関係にかつての今川と井伊の関係を連想した万千代は事件の動きに何を思うのか?
目が離せなくなる展開となりました。
2017年11月09日
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」第44回放送「井伊谷のばら」
主人公の直虎は、あいかわらず、井伊谷の一人の民として暮らしている。
一方、万千代は徳川家康から目を掛けられ、着実に出世していく。ついに初陣を迎えて、戦場におもむく。
というわけで、成長した万千代が登場して以来、ストーリーの軸は二つとなりました。
直虎の近況の方に目を向けると、特に変わりないように見えながら、母親の祐椿尼に老いが見え、死のかげが忍び寄ります。つらい人生を歩ませた、という意味のことを直虎に言う祐椿尼でしたが、直虎は、一人娘に生まれて城主となり、そして一人の民となった自分の人生を恨んだり呪ったりしたこともなく、むしろそういう運命のもとに生んでくれた母に感謝しています、という意味のことを述べます。
物語の主人公らしい言葉です。自分の運命を呪ったり、過酷な人生を歩んできたことを親のせいにして何でも否定的に考える人は物語の主人公らしくないですし、視聴者の共感を得ることもないでしょう。
また、直虎はこうも言います。一人娘として生まれ、このような人生を歩んで来たからこそ見えたものもある、跡継ぎの男の兄弟がいて自分がどこかの家に嫁いで、奥方として城の奥にいただけでは、百姓はただコメを運ぶだけの者、商人は……云々。直虎だからこそ、また思うようにいかぬ日々の連続で苦難の道のりを歩んできたからこそ、広い世界が見えた、という意味のことを言うのです。
前向きな考えであり、自分の人生に誇りを持った上での発言だと言えましょう。自分の生き方に誇りをもった女性は凛としています。
さて、井伊家の跡取りの地をひき南渓和尚や祐椿尼がひそかに井伊家再興の夢を託していた万千代は、徳川の陣所にて、あやしい気配を感じます。それを家康に「気のせいであろう」と言われ、家康や重臣から戦の最前線に出ることを許されませんが、怪しいものがいるという直感を信じ、「わな」を仕掛けます。そして「あるもの」を見つめて異状を感じ、怪しいものがいることを確信します。
そうして万千代が企んだ「わな」によって怪しいものをおびき出し、捕まえることに成功します。
曲者はなんと、家康の嫡男・信康の家臣でした。その家臣はどうやら甲斐の武田氏が送り込んだ間者(スパイ)だったらしいのです。
井伊直政(万千代)が元服し直政と名乗る前に、家康の寝所に忍び込んだ武田の間者を捕まえた、という功は有名な話のようで、井伊直政の一生について書かれた歴史関係書にもよく出てきます。ドラマではただの忍者ではなかったように描かれましたし、万千代がどのように機転をきかして捕まえたか、が描かれました。
この功により、万千代は領地を与えられます。しかも一万石です。若年でありながら破格の大出世と言えます。
ただ、若年にして異例の出世を遂げるものには、とかく、嫉妬や誤解がつきもの。「殿の寝所での槍働きで一万石」という噂が独り歩きして、奇妙な想像を働かせて笑うものまで出てくる始末です。
それにたいして万千代はどう出たか?
徳川の重心の末席に加わったときに、並み居る家臣たちの前で、片肌ぬいで「曲者」を捕まえたときに出来た傷を見せつけます。まるで「遠山の金さん」が桜吹雪の入れ墨を見せる時のように。
これはまた、「おんな城主直虎」の全ストーリーの中の名場面の一つとなるでしょう。
井伊谷では、ついに直虎の母の祐椿尼が亡くなります。亡くなる少し前、祐椿尼は万千代と直虎がわだかまりを捨てて理解しあうことを望んだのか、二人を合わせようとします。
しかし、「井伊谷は近藤どのが治め、うまくまとまっておる」という直虎と、「もともと井伊のものだった地を井伊の者が取り戻してなにが悪い。力で武功をあげ、領地をいただいたり先祖よりの土地を守るのが武士である」という意味のことを言う万千代では、考えに隔たりがあります。武士として功をあげ名を高めることに躍起になる万千代の考えを直虎は「悪いとは言わぬがくだらぬ」と言い放ちます。それは直虎なりの考えがあるのですが、万千代には理解できません。結局、二人は決裂したままです。
この決裂したままの二人の関係がどうなるのか、直虎と万千代の運命はどうなるのか、また、家臣が武田の間者だったことが発覚した信康がどうなるのか(歴史に詳しい人はよく分かっていることですが)などが今度の注目点です。
2017年11月07日
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」第43回放送「恩賞の彼方に」
長篠の戦いの後、井伊万千代(のちの井伊直政)は家康の小姓になり、出世の階段を登ってゆく。
一方、本編の主人公である直虎は、井伊谷の領主としての井伊氏が滅んでからは井伊谷の民として農民たちとともに大地を耕して暮らしていたが、やはり井伊家再興を唱えることなく、民とともに暮らしていた。
徳川家康にとりたてられ、小姓となった万千代に対しては、先輩の小姓たちから冷ややかな視線を浴びせられる。新しい小姓として先輩たちに紹介され、「諸事、教えてやってくれ」と言われても先輩たちは万千代に何か教えるでもなく無視を続ける。
これは現代でもよくあることですね。少し毛色の違う新人が入りました。組織のトップや幹部から目を掛けられているもよう。それを先輩たちが妬む。いやがらせをする。無視する。わざと何も教えず困らせる。露骨に嫌味を言う、等。いろいろな会社組織でありそうな話です。
しかしここで挫けたり途方に暮れるような万千代ではなく、先輩たちの動きをよく観察し、誰が何をしているか、どんな動きをしているか、などと見つめ、自分にできる仕事はないかを考えて行動します。役に立たぬ無用な動きなどしません。さすがに徳川四天王の一人となり異例の出世をとげて彦根藩の藩祖となる井伊直政の若き日の姿です。
このへんは、現代の会社組織や地域の自治会等において、また、学校の部活動や委員会などにおいて、先輩から嫌がらせを受けたり冷淡な態度をとられた新人がどう行動すべきか、いい模範になるかもしれません。
もっとも、この放送の終わりの方で、万千代は先輩たちの反感に対する逆襲として、「おれは殿さまから特別な寵愛をうけているのだぞ」という意味のことを言い放って先輩たちを黙らせることになるのですが。
さて、一方、井伊谷では、長篠の合戦の為にたくさんの木材を山から切り出したために、山崩れを起こる危険性が高くなりました。直虎は植林することを提案します。ところが井伊谷の民たちは、「武士たちが切り出したことのために何で俺たちが汗を流して木を植えなければならねえんだ」と反発します。そのとき村の長老が広い視点で発言し、村人たちを黙らせます。自然の恐ろしさと、自分たちが何をすべきかを説いたのです。
この長老のことばや、直虎たちが山の斜面に松を植えていく姿が美しい。そして少しずつ松が育ってゆく姿は感動的でもありました。
2017年11月06日
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」第42回放送「長篠に立てる柵」
タイトルにある「長篠」とは、あの歴史上有名な合戦・「長篠の戦い」が行われた地のことです。
とはいえ、話のメインは、かの織田・徳川連合軍と武田氏との合戦ではありません。
ドラマの主人公の直虎の親族であり、名門井伊家の地をひく男子、万千代は、のちに徳川四天王の一人に数えられるほどの重臣となりますが、この時点ではまだ元服もしていない少年にすぎないのです。その万千代が、今度の戦で多くの木材が使われることを知り、井伊谷から木材を調達しましょう、その役目をわたくしに、と家康に願い出ます。
しかし、主人公の直虎はと言うと、現在の井伊谷は近藤氏の治めるところとなっており、井伊万千代のものではないため、近藤氏を通さず勝手に万千代が木材切り出しの役目を行うのは「すじがとおらぬ」と、家康に進言(方久という商人に托した文により)して、家康から近藤へ、近藤から近藤の家臣で以前は井伊の家臣だった者にと指示の流れをつくり、井伊の旧臣に活躍させます。
出世の好機を尼(直虎)によって邪魔された、と憤慨する万千代。
家康はそんな万千代に留守居役を命じます。戦場で働けず留守居をおおせつかり、腐りそうになりながらも、万千代は日本一の留守居役として自分にできることをやろう、と心に誓うのです。
と、その時、万千代の先輩にあたる小姓が万千代に「武具の修繕」の仕事を手伝ってくれ、と言ってきます。手伝いとは名目だけで、自分たちは何もせず、すべてを万千代と小野万福(物語の重要人物だった小野但馬の甥)にやらせます。万千代と万福は武具をただ直すだけでなく新品同様にまでして、見事な仕事ぶりをみせます。
ところが万千代に「手伝い」を命じた先輩小姓は、その万千代たちの働きをすべて自分の手柄かのように上司に報告します。万千代は慌てて、それは自分が、と説明しようとしますが、先輩小姓は「ちょっと手伝ってもらっただけで、わたくしが」と、何もしていないのに手柄を誇り万千代の手柄を横取りします。さらに、万千代に対しては、今川に属していた、今は滅んだ家の者が何をいうか、とばかりに冷たい言葉を言い放ちます。
怒りに震え、さらに「ノブ(本多正信)」に八つ当たりしてしまいます。
「ノブ」は万千代に、滅んだ家の者だからこそでいる働きがあるのでは? という意味のことを言います。万千代は「ノブ」に、「ならば裏切り者(ノブは三河一向一揆の時に一揆側についたので裏切り者と呼ばれていた)ならではの働きをするのか!」という意味の事を言います。「ノブ」は裏切り者だったからこそできることをやります、と答えます。
さて、一方、長篠では、井伊谷から調達した木材で馬防柵が出来、武田の騎馬隊を阻止して武田軍を壊滅させるのに木材が大いに役立ちました。木材を調達した井伊の旧臣の働きをかの織田信長が評価し、褒美を与えます。
また、浜松に帰城した家康は、修繕された武具を見ます。夜、ひそかに万千代を呼び、あれは万千代がやったことだろう、と言い当てます。家康は家臣の働きをよく見ていたのです。
戦場にいたので、万千代の働きをじっと見つめていたわけではありません。ただ、万千代の手柄を横取りした小姓の普段の働きと違って、見事に修繕されていたことに気づき、万千代の働きだと見抜いたのです。
この場面が実に感動的でした。
歴史ドラマは現代における組織の人間関係に通じる部分がよく描かれたりするものですが、この場面は、組織のトップが部下たちの働きをよく見ていて正当な評価を下してるか、ということについて考えさせられます。
命を的に戦った者以上に、馬防柵の為の木材を調達した井伊旧臣を高く評価した織田信長もそうですが、家康もまた部下をよくみて、個々の能力も見抜き、正当に評価するのです。そんな人物だからこそ天下を取れたといえましょう。
このドラマではずっと、気弱な優柔不断っぽい人物として描かれていた家康ですが、この場面では家康らしい人物像で描かれていました。
今の世の中でも、組織に属しながら、上司やそのまた上のトップには正当に評価されず、先輩に手柄を横取りされたり不当な仕打ちをされたりして悩んでいる人は多いと思います。懸命な働きを正当に評価され、「立派に働いている者」と「面倒な仕事を他者におしつけ怠けてばかりいる者」とが区別されるからこそ、しっかり働く者のモチベーションがあがり、組織がうまく機能するのです。トップや中間管理職的な立場の人間が部下の働きをろくに見ず、怠け者や狡い者と働き者とをごっちゃにして一緒くたにして同じ給料だけ渡してそれで済んだとするような組織は駄目です。やがて衰退するものでしょう。
トップである家康に認められたことが分かった万千代の、今後の活躍が期待される回でした。
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」第41回放送「この玄関の片隅で」
さて、NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」の主人公の、領主としての立場や働きについて、現代に働く女性にも通じるところがあると、当ブログの記事でも書きましたが、後の井伊直政、万千代の働きぶりについては、男女問わず、若い働き手すべてに通じるものがあるといえます。
すべてと言うのは極端だとしても、自分の希望する役目を与えられて活躍したい、と思って志に燃えて働いている人は多いのではないでしょうか。そういう人々の共感を得そうな部分は、このドラマの中に多くあると思います。
第40回放送分では、万千代は草履番の役目を見事果たしました。大勢の徳川家家臣の草履を受け取り、管理しなくてはならないのですが、はじめのうちは浜松城に出入りする多くの家臣の顔と名前を覚えられず、草履を出そうにもすぐに出せずに文句を言われてばかりでした。それをまず下駄箱のような棚を作り、、名札のようなものを用意し、草履を受け取った時に名札をつけ、草履と名札を棚に置き、草履の主が帰る時に名札をみて即座に渡しました。ものを整理して管理することによって仕事をやりやすくしたのです。
また、離れた所からでも草履を綺麗にそろえて置くこともしました。それにより主君の家康や重臣の榊原康政からも働きを認められるようになりました。
しかし、ここで問題が起こりました。
万千代の草履番としての働きが見事すぎるので、万千代を別の役目につけてしまうと、代わりに万千代同様に草履番を務められる者がいなくなってしまう、ということでした。
ここまでが、第40回放送分。
第41回では、万千代に後輩がつきます。万千代よりずっと年上の男です。「ノブ」と呼ばれるその男は風采の上がらぬ印象で、才気も行動力も感じられません(万千代から見て)。自分が出世するためには何としても「ノブ」に草履番の仕事を覚えてもらわねばならぬ、と焦る万千代。後輩への指導も厳しくなります。
ところが「ノブ」は「ノブ」で、意外な才能を示していきます。
この「ノブ」こそが、のちに内政面で徳川家を大きく支え、徳川幕府が開かれる際にも大きな働きを示す、徳川家最重要人物の一人、本多正信そのひとなのです。
「ノブ」と万千代の関係がどうなるのか、今後も注目したいところですし、現代の働く人間の或る部署の先輩後輩の関係、部下を指導する側や指導される側のむずかしさ、ということも考えさせられるシーンがありました。
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」第40回放送「天正の草履番」
遠江国の名門と言われながら大きな勢力の圧迫を代々受け続け、苦難の歴史を歩んできた「井伊家」。その宗家の一人娘として生まれた女性が主人公のドラマも、いよいよ佳境に入りました。
それ以前にも名場面は数々あったのに、なぜ佳境と呼ぶか。それは、井伊の血筋を受け継ぐ少年・虎松が徳川家康に仕え、万千代という名に成り、異例の出世を果たして徳川四天王のひとり井伊直政となることで、名門・井伊家が復興し、栄えるからで、第40回放送以降で万千代の働きと出世が描かれるのです。
主人公の直虎は、苦難の連続に耐え、万千代の働きを遠くで見守っていきます。
第40回の放送では、万千代が「井伊」を名乗ったことにより井伊に関わる人々が混乱したことと、万千代の立身出世のための努力と才覚、そして万千代の生母や養父が理解を示していく過程が描かれました。
井伊家が一旦絶えたことにより、井伊谷は近藤氏の領地となりましたので、万千代が井伊を名乗ったことに対して近藤氏は疑心を抱きます。それをなだめ、説明する直虎。
また、万千代は虎松と名乗っていた時に松下氏の養子となりましたから、松下家も混乱します。跡取りのいなかった松下家に虎松の生母が再嫁し、連れ子の虎松が松下家の跡取りとなることになっていたから、松下家の人々にとって井伊万千代と名乗った虎松の行動は寝耳に水の驚きで、叔父はいかり、養父は困惑し、生母は「旦那様に申しわけがたたぬ」と思い、これまた怒りをあらわにします。
虎松の生母が松下氏によくつかえ、松下氏を常にたて、当主の松下氏も後妻(虎松の生母)を愛し、虎松を慈しんできたのです。虎松もまた、「良い子」であり続けました。だから人々は混乱したのです。
しかし、虎松自身のこころは井伊家再興で幼いころから固まっていました。井伊家の土地を井伊家の者が取戻し、井伊家を自分が再興させる。その為に徳川家康に仕え、懸命に働いて出世しようとします。
結局、万千代となった虎松の養父・松下氏は、養子・万千代の願いを認め、別の者を松下家の養子として迎えることにします。心の広い人物です。
また、万千代は徳川家で草履番の仕事を命じられ、初めのうちは苦労しますが、持ち前の前向きさと才覚を表して仕事を見事に果たします。その働きぶりは家康本人や、重臣・榊原康政の目に留まるほどです。
ラストのほうで、主人公の直虎が「草履に札をつけるのではなく、いっそ、置く場所に名札をつけてみては」と、呟くように提案します。ここに主人公の優しさが感じられました。