2017年11月09日
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」第44回放送「井伊谷のばら」
主人公の直虎は、あいかわらず、井伊谷の一人の民として暮らしている。
一方、万千代は徳川家康から目を掛けられ、着実に出世していく。ついに初陣を迎えて、戦場におもむく。
というわけで、成長した万千代が登場して以来、ストーリーの軸は二つとなりました。
直虎の近況の方に目を向けると、特に変わりないように見えながら、母親の祐椿尼に老いが見え、死のかげが忍び寄ります。つらい人生を歩ませた、という意味のことを直虎に言う祐椿尼でしたが、直虎は、一人娘に生まれて城主となり、そして一人の民となった自分の人生を恨んだり呪ったりしたこともなく、むしろそういう運命のもとに生んでくれた母に感謝しています、という意味のことを述べます。
物語の主人公らしい言葉です。自分の運命を呪ったり、過酷な人生を歩んできたことを親のせいにして何でも否定的に考える人は物語の主人公らしくないですし、視聴者の共感を得ることもないでしょう。
また、直虎はこうも言います。一人娘として生まれ、このような人生を歩んで来たからこそ見えたものもある、跡継ぎの男の兄弟がいて自分がどこかの家に嫁いで、奥方として城の奥にいただけでは、百姓はただコメを運ぶだけの者、商人は……云々。直虎だからこそ、また思うようにいかぬ日々の連続で苦難の道のりを歩んできたからこそ、広い世界が見えた、という意味のことを言うのです。
前向きな考えであり、自分の人生に誇りを持った上での発言だと言えましょう。自分の生き方に誇りをもった女性は凛としています。
さて、井伊家の跡取りの地をひき南渓和尚や祐椿尼がひそかに井伊家再興の夢を託していた万千代は、徳川の陣所にて、あやしい気配を感じます。それを家康に「気のせいであろう」と言われ、家康や重臣から戦の最前線に出ることを許されませんが、怪しいものがいるという直感を信じ、「わな」を仕掛けます。そして「あるもの」を見つめて異状を感じ、怪しいものがいることを確信します。
そうして万千代が企んだ「わな」によって怪しいものをおびき出し、捕まえることに成功します。
曲者はなんと、家康の嫡男・信康の家臣でした。その家臣はどうやら甲斐の武田氏が送り込んだ間者(スパイ)だったらしいのです。
井伊直政(万千代)が元服し直政と名乗る前に、家康の寝所に忍び込んだ武田の間者を捕まえた、という功は有名な話のようで、井伊直政の一生について書かれた歴史関係書にもよく出てきます。ドラマではただの忍者ではなかったように描かれましたし、万千代がどのように機転をきかして捕まえたか、が描かれました。
この功により、万千代は領地を与えられます。しかも一万石です。若年でありながら破格の大出世と言えます。
ただ、若年にして異例の出世を遂げるものには、とかく、嫉妬や誤解がつきもの。「殿の寝所での槍働きで一万石」という噂が独り歩きして、奇妙な想像を働かせて笑うものまで出てくる始末です。
それにたいして万千代はどう出たか?
徳川の重心の末席に加わったときに、並み居る家臣たちの前で、片肌ぬいで「曲者」を捕まえたときに出来た傷を見せつけます。まるで「遠山の金さん」が桜吹雪の入れ墨を見せる時のように。
これはまた、「おんな城主直虎」の全ストーリーの中の名場面の一つとなるでしょう。
井伊谷では、ついに直虎の母の祐椿尼が亡くなります。亡くなる少し前、祐椿尼は万千代と直虎がわだかまりを捨てて理解しあうことを望んだのか、二人を合わせようとします。
しかし、「井伊谷は近藤どのが治め、うまくまとまっておる」という直虎と、「もともと井伊のものだった地を井伊の者が取り戻してなにが悪い。力で武功をあげ、領地をいただいたり先祖よりの土地を守るのが武士である」という意味のことを言う万千代では、考えに隔たりがあります。武士として功をあげ名を高めることに躍起になる万千代の考えを直虎は「悪いとは言わぬがくだらぬ」と言い放ちます。それは直虎なりの考えがあるのですが、万千代には理解できません。結局、二人は決裂したままです。
この決裂したままの二人の関係がどうなるのか、直虎と万千代の運命はどうなるのか、また、家臣が武田の間者だったことが発覚した信康がどうなるのか(歴史に詳しい人はよく分かっていることですが)などが今度の注目点です。
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